預かりものは、春の薫り


 村の外れ。私達が入った場所とは違う小屋の隙間。十数メートル歩いた時に、お兄様の『預かりもの』の一部が見えてきた。

 預かりものの正体は、馬車だ。

「すごい……そのままどころか、汚れ一つない状態になってる」

 一足先に小屋内へと入っていたお兄様は感嘆の声をあげながら、子を愛でるように優しく馬車を手で撫でていた。

 遠目から見ても美しい、木目のそれを、小屋に入り見てみる。

 ……「死んでも人に譲り、受け継がせたい」と彼が述べた理由も頷ける。

 装飾がある訳でも、彩りある塗装がされているわけではない、素朴な造りの六人用の馬車。だが、彩りや施しが無いが故の気品ある雰囲気が、思わず温かな息を漏らしてしまう魅力を感じさせる代物だ。

 お兄様を真似して、指で馬車の横をなぞってみる。

 きめ細かく、滑らかだ。たしか、こういう手触りの木は、水分を運ぶ道管が細いからだったか。

 だが、決して柔らかい訳ではない。芯の通った、丈夫な硬さも確かに感じさせる信頼性もある。この木は、手塩に掛けて育てた逸品なのだろう。

 証拠に……どこか雅な、落ち着いた香りが鼻腔を通り、抱き着きたくなるような抱擁感を与えてくれる。

 なにか……嗅いだことのある薫りだ。少し前に味わったような、芳香……

「お兄様、これはどんな木材を使っているの?」

「桜ですね」

 そうか。どおりで既視感を覚えるわけだ。お兄様が「クラッカーやケーキとは違う東国のお菓子でのティータイムはいかがでしょうか」と作ってもらった、『サクラモチ』という桜の葉を包装紙代わりにしたねばねばとしたマシュマロのようなものを食べた時に残る薫りと同じだ。

 ほんのりとした甘みに、葉っぱの塩気が効いて紅茶とも合う代物だったが、紅茶よりももっと合う飲み物があるなと感じたなぁ。なんというか……もっと渋みがあって、苦いお茶があったら二個でも三個でも食べられそうな……

 ……脱線しすぎた。まぁ、自分のお気に入りお菓子の一つになっているお菓子の香りがほんのりする馬車の中に居られるのはうれしいものだ。

 だが……『馬車』であるにもかかわらず、肝心の『馬』がいない。これではせっかくの美しい周期的な駆動を魅せる車輪の回転も行われない高級な、首無しの飾りものだ。

「それで、お兄様。この車は宙にでも浮いてくれるの?」

 ちょっとからかってみると、お兄様はにやっと笑って『鍵』と呼ばれた革紐を取り出し、馬のいない馬車の前面に乗り出しながら……

「まさか、それができるのは鳥と魔法使いくらいですよ。これを動かすには……この、鍵をっ」


 かちゃっ。かちゃ。


 手綱を取り付けるように、馬車に突き出た突起に引っ掛けた後、手綱をしっかりと握った。


 その瞬間だ。


 木の葉を揺らすような風の音と共に、蹄から膝。膝から胴体へと桜色の花吹雪が馬の形を構成するように集まっていき、つぶらな瞳を持つ精悍な、半透明な桜色の馬の姿が現れた。

「わぁ……!」

「『付喪つくも式魔導馬車』。僕の師匠から頂いた形見です」


 そういえば、勉強したことがある。魔術や魔力に長時間さらされた無機物は、時間が経つごとに魔力に耐性を持つと共に特性を持っていくものだと。その終着点として、道具に『意思』が宿るのだと。

 これは、そういう『魔道具』の一種なのだろう。

「この子の名前は?」

 私は、馬と眼を合わせながらお兄様に聞いてみた。

「『春風』です」

 持ち主の声に気が付いたのか、『はるかぜ』はほんの少し首を横に曲げ、「ぶるる」と、久しぶりとでも言わんばかりに声を鳴らした。

 そして、すぐ正面から私の方を向いて、たてがみを私に向けた。

「へぇ。珍しいですね。人見知りな春風が撫でられたがるなんて。フィリア様

 撫でてもらって構いませんよ」

 お兄様は、意外そうな顔をして私の方を向いてきた。

 お兄様が言うなら……撫でてみようかな。

 神秘的で、大人しい姿を見せる馬は、身体をゆだねるように私に近づく。

 動物に触れるのは初めてだ。

 私は、慎重に手を近づけ、その風に流れる整ったたてがみを──


「わっ!」


 触ることは無く、そのまま風を掴み損ねるかのように体勢を崩されてしまった。

「あはは。春風の実体は、この馬車そのもので、触れないんですよ。この馬の姿は、あくまでイメージに過ぎません」

 お兄様が楽しそうに笑う中、春風も同じように目を軽く細めている。

 さっきこの馬に抱いたイメージは撤回だ。

 ただのやんちゃさんじゃないか。

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