忘れ物は書類を書いた後で

 道なき道を進み、森の出口にある、屋敷の麓の村に着いたお兄様は、すぐ近くにある木造の民家へと向かった。前にここに遊びに来た時に一回見たことがある。確か、村長さんの家だ。

「忘れ物は、ここにあるの?」

「忘れ物もそうですが……旅人としての用事もありますね」

「……?」

 動物除けの柵を一息で飛び越え、整備された草原から、屋敷よりは不揃いな石の道へと足音が変わる中、お兄様は私の質問に答えた。

 旅人としての用事?旅人っていうのは、旅そのものを人生の生業としたり、自分の定住地を探したりする人の事を指すものではないのだろうか?

 ……そういえば、私が聞いていなかったとはいえ、お兄様がどういう人間なのかを詳しく聞いたことが今まで無かった。

 これだけ身近にいるにも関わらず、私は月詠夢が過去、何をしていたのかを知らないのだ。

 ただ、彼は元々『旅人』であり、『半妖精ハーフフェアリー』というだという事だけだ。


 そもそも、『半妖精』って何なんだろう。

 言葉の意味は分かる。『妖精』と呼ばれる種との混血であり、お兄様の場合は人間と妖精のハーフという訳だ。

 だが、この『妖精』という種そのものがよく分からない。

 昔私が暮らしていた地下室で読んだ絵本では、何度か見たことがある生き物だが、物語における扱いは、大体二つの要素を焦点にあてて記されている。

 一つは、無垢で純粋な性格を持つ、空飛ぶ幼児のような容姿であること。

 そして……二つ目は、残酷で冷徹な判断で、関わったものを破滅させる『悪役』であることだ。

 まるで皿のクラッカーを頬張るように人間を弄び、紅茶を注ぐように堕落の一途をたどらせる、まさに『意思を持った災害悪魔』。

 そんな描かれ方を情緒の形成される幼児が見る作品で行われるもので出されるほど、害悪な存在と、どうして……いや、そもそもこの考え方すら、絵本による先入観なのかもしれない。

 どちらにしても、自分にとって大切だからこそ、知る必要がある。屋敷の中では、自分の事で手一杯で優先できなかったことだが、旅をする今なら、長く付き合っている今なら聞けることも……

「フィリア様?長時間僕を視てますが……何かついていますか?」

「あ、ごめんなさい……えっと……」

 ……「何でもないよ」。私は喉奥まで出かけたこの言葉を飲み込んだ。

「お兄様、この旅の最中にね、色んな事を聞いちゃうかもしれないけど……お兄様は答えてくれるかなって」

 代わりに、私は私なりの言葉で、表現をした。

 嘘ではない。とはいえ、真実でもない。

 ──お兄様が何物で、どのような人生を過ごしていたのか。

 そんな言葉を、自分の稚拙な語彙で言い換えて、失礼にならないように言った言葉の回答は……

「答えられる範囲までなら、いくらでも」

 私が本当に知りたいことを知れるかは分からない、少し不本意な回答として返ってきた。私の口下手さは……変わらないらしい。


 こんこんこん。

 ノック三回の数秒後、老朽化した蝶番ちょうつがいが軋む音と共に、皺のある男性の姿が現れた。

 この村の村長だ。先月に氷雨さんを言いくるめていた眼の光はそのままに、老獪さを感じさせる姿は変わらないようだ。

「お久しぶりです」

 お兄様の、敬意を払うような普段の中世的な声から少しトーンを下げたような大人びた声と、銀髪、翡翠ひすいの瞳を見た老人は、柔らかな目を開いたまま、少し固まった後、口を開いた。

「……驚いた。まさか本当に戻られるとは」

 まぁ、驚くに決まっているだろう。

 この村の森……私の暮らす屋敷に迷い込んだ旅人で、この村長に二回会った者は、司書の空さんと、メイド長のセッカ以外いなかったのだから。

「はい。今は、ルッカ様の妹様の執事を務めさせていただいております」

「ほう。領主様の妹様……ですか?」

 そう言うと、村長は私の方に視線を向けた。驚いたような表情をさらに強くして、だ。

 『私の従者』をして二回会った人は初めてだからだろう。

一瞬お兄様の陰に隠れてしまいそうな足を止めて、私はドレススカートを持ち、会釈をした。

「こんにちは。先月ぶりですね」

 前よりはスムーズにできているだろうか。そんな一瞬の不安は……

「こんにちは。前よりも大人びた立ち振る舞いになられましたな」

 杞憂だったようだ。


「それで……旅人さん。この老人にどのような用事がおありですかな」

「相変わらず、話が早くて助かります、村長さん」

「はっはっは。こんな老い先短い老人会いに行くものなど、何か腹に抱えるものくらいですからな」

「御冗談を。とりあえず、件の書類と、これらを用意してもらってもよろしいですか?」

「お安い御用です。それと……『例の物』ですが……預かったままの状態となっておりますので、ご自由にお持ちください」

「……本当ですか?村で自由に使っていただいてよろしいと……」

「まさか。私たちが預かりものを使う時は、『預かった人を忘れた時』だけですよ」

「ふふっ。忘れられてなくて嬉しいものです」

 お兄様と村長は、そんな会話をしながら慣れた手つきで書類を書き、手渡していた。

 ……暇だなぁ。

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