見送りは花畑に囲まれて。

 ぽす。こつ。

 無数に近づき、流れる窓と、扉の間で二つのカーペットを踏みしめる音の中、お兄様が話しかけてきた。

「フィリア様、旅をする前に一つだけお願いがあります」

「お願い?」

「はい。これは従者としての忠告ではなく、あくまで一人の旅人としてのものです」

 神妙な口調。淡々とした声色。この二つがお兄様が本気で伝えたいことであることと、考える事無く認識できる。

「私のできる範囲なら」

「ええ、もちろん可能です。なんなら言葉を覚えたての幼児でさえも理解できる事柄ですから」

 ぽす。こつ。

「だからこそ、難しいことであり、簡単に破ることが出来ることでもあるのですが」

「む……そんなにもったいぶらないで、直ぐに教えてよ」

 ……。こつ。

 先導していたお兄様が、足を止め、こちらを向いた。

 刺すような、翡翠の瞳の持ち主。従者である旅人の月詠夢は、私に、フィリアに対して言った。

「少なくとも国に着くまでは、必ず。僕のそばを離れないで下さい」

 大きな声ではない。そこまで強い語気でもない。

 だが。

 その朗々とした言葉遣いは、私の否定的な見解や言葉を遮るほどの、深く、鋭い説得性をもってして、私の耳に届いてきた。

「……うん」

 それでも、私の返事は小さく、曖昧なものだった。

 どれだけ正しい言説でも、どれだけ身に染みた経験則でも、外の世界を知らない私にとって……お兄様がここまで真剣な表情を行う理由が分からなかったからだ。

「……今は知らなくても大丈夫です。しばらくしたら分かりますから」

 そんな私を見てお兄様は、優しく、柔らかい、いつもの笑い方をして、私を撫でた。


 約二百歩分の期待を踏みしめると、ようやく外へ繋がる玄関扉の前へと到着した。普段から歩き慣れた距離だというのに、今日に限っては煩わしさを感じてしまう。

 お兄様が、玄関の重く大きな濃い褐色のドアをゆっくりと開ける。

 少し眩しさを感じさせる光の先にある景色は、雲一つない……と言いたいところだが、白と青のコントラストが映える晴れだった。

 大きな期待と一つまみの不安を持つ私の旅路においてはちょうどいいくらいだ。


「庭、見に行っていい?お兄様」

「はい、別に問題はないですよ。余裕はいくらでもありますし」

 玄関を出て、踏み慣れた屋敷周りの芝をお兄様と歩いていると、お姉様が庭を歩いていた。

「初めて見たけれど……頑張っていたのね、フィリア」

 三か月ほど前から、少しずつ作り続けていった屋敷を取り囲む色彩の絨毯を、お姉様は見て、私に言った。

 ……この姉は、本当にずるい。

 普段は私の事を滅多に褒める事無く成長を促そうと𠮟咤する癖に、こういうときだけ素直に褒めてくる。

 せっかく出た出発の気ぶりが、無くなってしまうじゃないか。

 まぁ、こんなことで「やっぱりここに居たい」と言えば、お姉様から失望されてしまうだろうが。お姉様はそういう人だ。

「……ありがと。まぁ、いつかは枯れちゃうだろうけどね」

 喉……いや、もっと手前か。気管位まで出てきそうだった言葉を堪えて、純粋な感謝の気持ちと、もったいなさを含めた言葉を吐く。実際、私の数少ない心残りの一つがこの花畑の存在だし、どうするべきか自分で考えてはいたが……

「心配そうな顔は必要ないわ、フィリア。大丈夫、面倒くらいは見てあげる」

 流石はお姉様だ。


「それで?見送りの言葉は準備したの?お姉様。『道の先』を見れるお姉様の事だから、とってもいい言葉をいただけることを期待してるね」

「へぇ、言うようになったわね」

「そう?……そっか」

「まぁ……褒められるとすぐ緩むあたり、子供だけど」

 夏のせいか、顔が火照る。そう、これは暑さのせいだ。

 お姉様の方を見る。あぁ、やっぱり私の顔を見て愉しそうにしている。琥珀の瞳で、安全な遊戯場で転ぶ児童でも見るような表情だ。

 だが、これも旅の終わりにはそんな眼で見られない……はずだ。

 お姉様にも伝えたのだ……えっと……

「いいのよ。貴女は『自分らしさを知りたい』から旅に向かうんでしょ?旅をするなら、可愛い子供のままが丁度いいじゃない」

 私の思考をよんだかのように、お姉様が私を励ますような口調で言った。一応目で辺りを見てみる。心を読むメイド長セッカはいないようだ。

 なるほど、『自分らしさ』を知りたい。か。いろんなものを知って、自分が出来ることを見つけて、幸せなことを見つける。私の中で浮かんでいた旅の目標を一言で表すのなら、『自分らしさを知る』というものはとても的確な気がする。

「……お姉様って、言語化上手だね」

「一応、お姉ちゃんだから」

 お姉様は、珍しく子供っぽい無邪気な笑顔を見せながら、誇った。

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