廊下の前を過ぎる猫
お兄様が魔法陣の動作確認を終え、腰の左側に付いたポーチに収納して数秒後……
図書館に耳障りのない心地よい鐘の和音が十一度響いた。
そろそろ出発の時間だ。
「いこ」「ですね。では」
空さんにぺこりと頭を下げた後、図書館の扉に向かおうとした時……
「あ、そうだ。ちょっとお願いごとがあるんだけど」
空さんがお兄様を呼び止めたので、振り向くと、彼女は空中からポケットの中身を取り出すように宝石と二十数本の金属でできた棒をお兄様に手渡した。
手渡した……というよりは、お兄様の周りを浮遊させているといった方がいいだろうか。どんな原理なのかも分からない魔術で、浮いている物品の数々は、組み立て式の何かであることだけは分かる。
お兄様が浮いている物品の内、宝石を掴んで眺めると……
「……うわ。凄いな。これ」
普段の丁寧な口調が崩れるほどの、純粋な感嘆の声を上げた。
近づいて、お兄様親指、人差し指、中指の先でつまんでいるそれを注視する。
……たしかに、びっくりするのも無理はない。
空さんのイメージカラーに近い、濃い青……たしか、藍色と言うのだったか。正二十面体の、小さく半透明な宝石の中心部には、魔法陣が正面から映っていた。
お兄様が指で回したり、動かしたりしているにも関わらず、常に正面が映った魔法陣が、だ。
おそらくお兄様にも正面に映る魔法陣が見えているのだろう。どの角度、どの距離から見ても必ず正面の絵を映し続けるという、まさに神秘的な現象が起こり続けている美しい人工物は、効能が分からなくとも高い技術の凝縮された代物であることは容易に想像出来た。
「これ、宿泊先が見つかったら組み立てておいてね。それと、これ」
お兄様が空さんの今度は図書館に備え付けてある紙とペンで、二行ほどの文字を書き記し、これまた空中から取り出した封筒と共に空さんがお兄様に手渡した。
「街に着いたら、ここに行ってね。誰って聞かれたら『私の友人』って言ったら伝わると思うよ」
「分かりました。そういう仕事は任せてください」
「えへへ。足止めしちゃってごめんねー。じゃあ、二人共いってらっしゃい」
そう言うと、空さんは私の方を向いてきた。そういえば、空さんには出発の挨拶はしていなかったんだっけ。
「空さん、数か月の間、勉強教えてくれてありがとう」
「フィルちゃんの飲み込みが早かっただけで、私は何もしてないよ。なにより、勉強はまだ始まったばかりだし」
「そうなの?」
「だよー。魔術は座学より、実践で学ぶものだからねー」
確かに、その通りだ。屋敷の中より、外の世界の方が、魔術を使う頻度は確実に上がるのだから。
「……あ」
図書館から去り、正面ゲンカへと向かう途中、一陣の風と少し無気力的な声が私とお兄様の間を通り抜ける。
「相変わらず手際がいいね。セッカ」
風の発生源に声を掛けると、箒ととんでもなく大きい塵取りを持った汗だくのセッカが私に対して軽く会釈をした。この広い廊下を、夏の暑さの中掃除しているせいか、さすがに普段付けているパーカーのフードは外している。まぁ、メイド服を下に着ているのだから、上着を脱げばいいとは思うのだが。
「そういえば、二人は今日……出発でしたね」
相変わらずのマイペースだ。自分で言う事ではないが、一応主の妹の一大イベントなのだから、もう少し気にしてもいいと思うのだが。
「いつもお疲れ様です。セッカさん。すみませんね、今日から業務を一人で任せることになっちゃうので」
「別に……いいよ。元々この屋敷の仕事は私一人でやっていたし」
そこ?そこなの?
……うちの執事も大概マイペースだ。私たち姉妹は従者の趣味も似ているのかもしれない。
そんな事を考えていると……
「……妹様、お怪我にはお気を付けて」
私の方を見たセッカは、わたしこれだけ話しかけて、掃除の業務に戻ってしまった。
「ねえ、お兄様。あれ、掃除できてるの?」
あんな爆速で走りながら埃を拭き取っても、舞い上がって取り切れないと思うのだが、お兄様は勿論とれていると言わんばかりに頷きながら原理を話してくれた。
「セッカさんは、埃を舞わせないように、周囲の湿度を強烈に上げながら箒を掃いているんですよ。だから、髪の毛だったり服だったりに水分ついて汗だくみたいな感じになっちゃうんですよ。僕も同じ方式で掃除はしてますが……あそこまで速く作業はできないので、憧れますね」
「……舞い上がらなかったとしても、器用すぎるけどね」
「従者たるもの、できて当然の仕事です」
……やっぱりこの二人も十分変人だ。
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