お兄様の荷造り

「それで、お兄様は何してたの?」

 司書に撫でられる私を、唇を軽く嚙みながら見つめるお兄様に話しかけると、お兄様ははっとした表情で、自分がやっていたことを話し始めた。

「あぁ。魔法陣のメンテナンスをしていたんですよ。僕の使っている魔法陣はだいぶ擦り切れて使えなくなっていたので」

「メンテナンスっていうよりは、ほとんど取り替えみたいなものだけどねー」

 なるほど、二人が持っていたのは魔法陣が刻印された紙だったのか。実際、机の上に置かれているのは使い古された紙束と、新品の紙束が麻紐で縛られている。

「触ってもいい?お兄様」

「はい。ただ、魔力は込めないように気を付けてくださいね、まだ錠(ロック)を設定していないので」

 そういえば、刻印魔術は刻印プログラムさえ組めれば誰でも使える反面、特定の刻印パスワードを組み込まないといけないんだ。

 ぺら……ぺら……

 うーん……捲ってはいるけど、同じような魔法陣(同じ大きさの正三角形を二つ重ね合わせた六芒星と呼ばれる星の模様を円で囲んだもの。空さんの魔法陣はこの基本形の魔法陣の外側に一回り大きい円を描いて、外円と内円の間にⅠからⅫの数字が時計みたいに書いてある。インテリアでも使えるし、おしゃれだよね)が並んでいるだけにしか見えない。

 よくよく見たら形状だったり、魔力の含有量が変わっていたりするけれど……全く分かんないんなぁ……

 魔術に関する勉強を始めてから、私が習った大まかな魔術の種類(生成魔術、錬成魔術、錬金魔術、刻印魔術)のなかで、唯一習っていない科目だけど……こんなの一年かけても分かる気がしない。

「あ、そうだ。フィリア様、自分のお荷物を僕に渡してくれませんか?」

「え?うん。どうぞ」

 お兄様に机の脚に立てかけたリュックを手渡す。

 手に持ったお兄様は、魔法陣の綴った紙を一枚ちぎり、机に置いた後にさらにその上に私のリュックを置いた。

「『解錠アンロック』」

 お兄様の短い詠唱の刹那、下から広がった半透明の魔法陣がリュックを通過し、音も無くリュックを消し去った。『転移魔術』の過程はあまりにも簡潔であるにも関わらず、恐ろしい芸当を行っている。

「では、これを濡らさないように気を付けてくださいね」

 お兄様は、そう言って質のいい紙を私に手渡した。とりあえず、保護魔術でもかけてドレスに付いた内ポケットの中にでも入れておくことにしよう。


「それで……月詠夢クン。たしか向かう都市は、『ハルモニア』だったよね?」

「はい。近場ですし、ここと同等の人口と経済力を持つ都市はなかなかありませんからね、フィリア様とルッカ様からも許可は貰っています。ルッカ様は……少し渋っていましたが」

「へー。まぁもっと近場にも小規模とは言え村や街はあるからねー」

「いえ……それが……ルッカ様は『もっと遠くに向かいなさい』と言ったんですよ」

 いつものほほんとした緩い表情の空さんが、眼を少し細めた。

「ふぅん……珍しいね。あのシスコンお姉ちゃんのことだから、直ぐに会える近場を薦めそうだけど」

 ごもっともな意見を空さんが口にした。

「でも、お兄様が言うにはハルモニアより遠い都市になると、移動時間が倍以上になるらしいんだよね。旅をするとは言ったけど、近場は正直空さんに頼めば一瞬で行けそうだし、遠すぎると旅路自体が大半の内容になりそうだから……」

「というわけで、結局最初に提案した『ハルモニア』に向かうことにしたんです。僕も本来向かいたかった所ですから」

 旅の相談の時に聞いたが、お兄様は『ハルモニア』を永住地にし、旅人を辞める予定だったようだ。

 気まぐれで入ったこの屋敷近くの村で、郷愁の念に駆られる事無く去っていたら、今の私は存在しないと考えると、聞いた時は少し恐怖を覚えたものだ。

「なるほどねー」

 まぁ、そんなことに興味が無い空さんは、いつも通りのふわふわ反応だが。

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