出立前に紅茶でも
「体の調子はどう?フィリア」
芳香のような紅茶の香りが染みついた声が、私に話しかけてきた。
「お姉様が治ったのなら、私も治ってるよ」
「そ。なら……紅茶を飲むのに苦労は無さそうね、お互いに」
カップを顔に近づけ、漂う湯気を鼻腔に転がすお姉様は、自由の利く右手で紅茶を、一口飲んだ。動きに合わせて、私も右手でカップを口元に手繰り寄せ……夏日の反射する紅い、半透明の液体を、歯の裏に触れる程の量、流し込む。優しい舌触り。やっぱり、ルッカお姉様の淹れる紅茶はいつも格別の味だ。
この紅茶を飲むのも……しばらくできなくなるのか。
まだ、出発まで二時間あるというのに、何故かすでに郷愁の念に駆られてしまった。
「ふふっ。そんな悲しい顔して……自分で決めたことでしょう?」
「顔に出てた……かな?」
「それはもう、はっきりと」
少し顔が紅潮するような感覚に陥る。一か月かけてゆっくりとお姉様に私が旅をすることを納得させたのに、これでは私の方が心の準備ができていないみたいじゃないか。
「実際……本当にお姉様と気軽に会えなくなるって思うと、少し寂しいって感じたから」「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
「私も、同じ気持ち。多分、先月までの私だったら。こんな事考えなかったから」
一か月間、私とお姉様は世間一般で言うところの『姉妹喧嘩』というものを初めて行った。
私のやりたい事を抑圧している(と思っていた)お姉様に本音をぶつけるために行った幼稚な行動だったが、私たちにとっては気軽にお茶会をしあえるような関係へとなったきっかけになったので、悪い選択ではなかったのだ。
まぁ……その過程で私屋敷内の人間(司書除く)が怪我を負う事態とはなったが……
「そういえば、セッカの容態は……」
「お呼びしましたか……妹様」
「きゃっ!」
先月の喧嘩で一番の重症を負ったメイド長についてお姉様に訊こうとした瞬間、後ろからダウナーボイスが近くで聞こえてきた。私がお姉様の部屋に入った時には二人っきりであったにも関わらず、だ。
メイド服の上に、パーカーを着た、猫耳と尻尾の付いた灰色髪の少女。メイド長のセッカが、いつも通り無表情で私の姿を見ていた。
「ふふっ。さっきので分かったでしょう?」
誇らしげな表情で、お姉様が自慢する。実際、メイド長と言ってもメイドはこの屋敷に一人しかいないし、ほとんどお姉様の専属メイドのようなものだから、間違ってはいないが……
「『
まるで、二週間前まで寝たきりだったとは思えないほど平然とした態度で、セッカはさらりと言いのけた。
やっぱりウチの屋敷の人間は、憧れるべき人間が多すぎるものだ。
「それと……妹様、ツクヨムがお呼びです。ティータイムを堪能のところ申し訳ありませんが、お開きという形にしていただいてもよろしいでしょうか」
もう、そんなに時間が経っていたようだ。時計を見ると、長針が一周している。時間が経ってしまうのはあっという間だ。
「そっか……じゃあ、最後にこのケーキだけ……」
ティーテーブルに置かれた、食べかけのショートケーキを一口で頬張る。普段はクラッカーだけで用意されていないが、出立の記念としてお姉様のが用意してくれたらしい。
「もう……みっともないわよ、フィリア」
「はむぅ……ごめんなさい、お姉様」
甘さと、苺の酸味が口いっぱいに広がり、湧き上がる幸福感で穏やかに溺れてしまいそうだ。特別な日だからこそ、美味しさがより際立つ。
「それじゃあ、一旦離れるね、お姉様」
席を立ち、お姉様を見つめると、笑ってお姉様が話しかけた。
「ふふ、なんで名残惜しそうにしているの?お見送り位するわよ?」
「ううん。お姉様の顔を見てたら、迷惑をかけ続けちゃったなぁって感じてね」
「……実際、私は業務が出来なくなりましたからね」
視線を逸らしながら、メイド長の棘が横から飛んできた。
「うっ。セッカにも申し訳ないって思ってるよ」
「あははは!別にいいのよ、フィリア。今までできなかった分、いっぱい迷惑をかけて、いっぱい誰かの事を愛してあげなさい。偏執と言われてもいいの、貴女にはその権利がある。それが『フィリア』の意味なんだから」
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