第6話
教室から出れば、困ったような顔をしている由奈と友人たちに問い詰められた。
「ちょっと透愛、なんであんな態度とったの?」
「……別に、拾うのが面倒だっただけだ」
「なにやってんだよ、今ので姫宮の取り巻き敵に回したぞ? 姫宮相手に嫉妬かよ~」
「──どした、お前らしくなくね?」
綾瀬ですらスマホから顔をあげて俺を訝しんでいた。
心配そうな視線が突き刺さってくる。
わかってるよ、今のがらしくない態度だったってことぐらい。俺だって、ペンを落とした相手があいつじゃなければ、「もう落とすなよ」ぐらいのノリで拾ってたし。
言えるわけがない。
普通の顔で渡せる自信がなかったなんて。
「ねぇ、透愛」
くん、と控えめに袖を引かれた。
由奈とは身長差がそこそこあるので、顔を寄せてくる由奈がつま先立ちにならないように首を傾けてやる。
「姫宮くんってすっごくいい人なんだよ? ゼミ一緒のグループなんだけど、私のことも助けてくれて。でも、でもね、私は姫宮くんよりも透愛の方が、か、かっこいいと思うよ。だから……」
頭一つぶん以上低い由奈の唇は、彼女の頬の赤みと同じくらいじゅわっと潤んでいた。
一瞬だけ目を眇める──こんな俺に、必死になってくれる異性がいるのかと。
「あー……さんきゅ。ごめん、俺、なんか機嫌よくなかったな。ちょっと腹減ってたわ」
がしがしと頭をかいて、あははと笑う。
「なんだよ、腹減って機嫌悪くなるとかガキかよ~」
「うっせ、悪かったなガキで」
安心したように学食に向かった友人と小突き合い、後でな、と背を向ける。
「ねぇ、本当にわかった?」
「わかったって」
「もうあんな態度取っちゃだめだからね。今度、姫宮くんにちゃんと謝るんだよ」
「げっ、それは勘弁」
「もぉ、姫宮くん本当に優しくていい人なんだからねっ」
「はいはい。ほら行くぞ、おまえの炭飯食うんだろ?」
「炭じゃないってば!」
「はは」
ぷりぷり怒る由奈の頭をぽんと促して、狭い歩幅に合わせて歩き始める。
皆が皆、あいつのことを優しいと言う──でも、俺は。
あのスカした
*
大股で商店街を歩いた。
早く帰路につきたかったので立ち止まるつもりはなかった、本屋の前を通り過ぎるまでは。
ぴたりと足を止めてしまったのは、最近話題沸騰中のドラマの広告が流れていたからだ。
そういや今朝、女子たちが話してたな。
「……えっと、結婚式一週間前で婚約者に裏切られて人生ドン底まで落ちた地味OLかっこアラサーの私が、ワガママ生意気ドSな御曹司かっこ高校生に一目惚れされて骨の髄まで溺愛されるなんて聞いて、ません。平凡に生きたいので全力で逃げます?」
なるほど、これで略して「地味逃げ」か。
「……情報量エグいな」
長いタイトルがぼんやりと上滑りし、そのでかでかと存在感を主張するフレーズだけが網膜に焼き付いた。
『隠れΩの地味OLと、御曹司αの運命の恋やいかに──!』
薄く、目を細める。
通称隠れΩ──正式名称は、「未分化Ω」。
未分化Ωとは、突然Ωへと変貌する特異体質を持ったβのことだ。未分化Ωである確立はかなり低いというのに、こと創作の世界においてはしょっちゅう登場してくる。
理由は単純明快、「運命の番」と出会わせたいからだ。
αとΩの間に限り、ヒートを迎えずともお互いに強く惹かれ合うことがあるという。
それが、運命の番と呼ばれるものだ。
もちろん未分化Ωとは違い、科学的には解明されていない眉唾ものの設定だ。
だが、これがよく出来ている。
頻繁に発情し、誰彼かまわず腰を振る穢れたΩをヒロインとして扱うのには抵抗がある。できれば処女性を保ったままヒーローとはできるだけ運命的にくっついてほしい、ヒーロにだけ淫らに足を開いてほしい。
そんな大人の事情から、大人になったβが突然、運命の番に出会ったことでΩへと変貌し、発情し、愛のある性行為中に生涯の番になるというとんでも設定が乱発するのだ。
Ωは、生まれ持った体質のせいで「セックス狂い」と揶揄される。
定期的に訪れるヒートに苦しむ。気も狂わんばかりの発情に、どんなに心が嫌がっていたとしても、誰かの体を求めてしまう。
けれども不特定多数の相手と性交し、性病に感染するΩだって少なくない。
望まぬ妊娠をすることだってある。
αの誰かと番になっても、いつかは相手にされなくなる。
少しでも苦しみを抑えようと強い抑制剤を使用しても、使い続ければ今度は強い副作用に苦しむ。日常生活だってままならない。
それ故に、アルコールや薬物に溺れるΩも多い。
日本のΩの自殺率は世界的に見ても高い。特に春になるとぐんと上がるので、よく電車が止まる。
Ωの人身事故のニュースを聞くたびに、胸が痛くてたまらなくなる。ネット上に溢れかえる、「またΩかよ」という呆れ声も。「もはや春の季語」という侮蔑も。「そんなこと言うなよ、Ωだって普通の人間なんだぞ」という慰めの声も、全てが全て、他人事だ。
Ωは生まれたその瞬間から、将来の不幸が約束されている。
誰かに寄生して生きていかねばならないことが確定している弱者だ。
それなのにどうしてだろう。
迫害され、蔑まれるΩが、創作の世界ではエンターテイメント性溢れる存在として扱われてしまう。この作品も、漏れなくそうらしい。
きっとヒロインは運命の番に溺愛され、生涯の幸福を約束されるのだろう。
「現実とは真逆だな」
ぽつりと呟く。
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