第5話

 参考書をリュックに詰め込んでいると、「透愛」と階段を上がってきた小柄な女子に声をかけられた。


「あれ、由奈ゆな?」

「おはよっ」

「はよ。どした、次ここの教室か?」


 にこにこと明るく笑う少女は、来栖くるす由奈。

 ほんのり栗色の髪は肩に届くぐらいで、全体的にふわっとした見た目の女の子である。話しやすくて趣味も合うので、異性の中では一番仲がいいと言っても過言ではない相手だ。


「ううん、違うの。あのね……ちょっと透愛に、用があって」


 もじもじと珍しく言い淀む姿。

 ここ最近感じ始めた嫌な予感に、首裏が冷える。


「きょ、今日のお昼一緒に食べない? ふ、二人で。作り過ぎちゃったんだ、お弁当」


 嫌な予感は的中だ。

 くるんと上がったまつ毛の奥で、期待に満ちた眼差しを向けられた。

 へらりと、笑みを浮かべるのが数秒遅れる。


「……それ、全部炭なんじゃねぇ?」

「す、炭じゃないもんっ」


 くすんだピンク色のネイルがきらめく指が、ぎゅっとベージュのバッグを握る。きっと早起きして作ってきたに違いない。そう思うとずんと胸が重くなった。

 こういう時はいつも最悪な気分になる。自分が嫌で。


「あー、俺、今日弁当持ってきててさぁ」


 どうしたものかと、断る口実を必死に探していると。


「弁当同士テラスで食ってくれば? 昼の学食は席の取り合いになるし。なぁ綾瀬」

「同じく。別行動推奨」


 助け舟という名のお節介をかましてきた瀬戸と綾瀬。

 窓の外を眺めながら、「いい天気だなぁ、これならテラスもぽかぽかだろうなぁ」なんて呟いているあからさまな風間。

 全員に先手を打たれ、逃げ道を塞がれた。


「あー……うん。じゃあ食うか、一緒に」

「ほ、ホントに? よかったぁ」


 ぱぁっと嬉しそうな由奈に、苦いものがこみあげてくる。


「とりあえず、教室出よーぜ」

「あ、うん。そうだねっ」


 ここであからさまに彼女を拒めば、後々面倒なことになるだろう。どうしてと説明を求められても、適当にはぐらかせる自信はなかった。

 保身のために利用してしまった罪悪感が膨れ上がり、由奈の重そうなバッグをひょいと持ってやる。


「いいよ、参考書とかもいっぱい入ってるし」

「いいから貸せ。ただでさえおまえ生っ白いし細せーんだから、こんなもん持ってたら転ぶぞ……うわ重っ、おまえよくこれ持ってきたな!」


 兄からも、女性というのは繊細なんだから乱暴には扱ってはいけません、優しく接しましょうねと口酸っぱく言われているのだ。

 それに、自分の方が筋力はある。


「もぉ、そういうとこ……」

「ん?」

「なんでもない。ありがとっ」


 由奈と階段を降りていく。

 群がる女子、そして男たちの中心で、例の青年は相変わらず誰もが見惚れる微笑を浮かべたまま、周囲に相槌を打っていた。

 一歩一歩、階段を降りていく。奴を視界に入れないよう、あえて段差だけを見つめ続けた。しかし、会話は嫌でも耳に入ってくる。


「姫宮~、今度のバスケの練習試合なんだけどさ」

「ああ、もちろんお手伝いするよ、僕なんかでいいのなら喜んで」

「助かる~!」

「ちょっと浅海ぃ、姫宮くんに近寄らないで! 臭いが移っちゃうでしょ。姫宮くんは煙草なんて吸わないんだから」

「そ、そっか、悪い姫宮」

「ううん、気にしないで」

「姫宮くん、今日の授業って3限までだよね。午後からうちらと遊ばない?」

「ごめんね、今日はちょっと予定があって……授業が終わったらすぐに家に帰らなきゃならないんだ。また誘ってくれる?」

「じゃあ今週の土曜は? クラブで飲むんだけど来ねえ?」

「僕、あまりお酒は強くないんだけど、それでもいいのかなぁ……?」

「当たり前だろ、姫宮が来たらぜってー盛り上がるって」

「あはは、買いかぶりすぎだって! 僕なんて全然だよ」


 姫宮のキラキラとしたスマイル攻撃を受けた女子たちが、きゃーっと頬を染める。


「も~、姫宮くん優しい!」

「ちょっと抜け駆け禁止!」

「そうそう、姫宮くんはみんなの王子さまなんだから! ねぇパーティーは? 来週、大学生限定の集まりがあるの。ライブもあってね……」


 きゃっきゃ、わいわい、盛り上がる彼の横を通り過ぎた瞬間、視線が重なりかけた気がした。

 咄嗟に横を向いて由奈に話しかける。


「なぁ由奈、弁当にハンバーグ入ってる?」

「うん、入ってるよ! 透愛の好物ばっかり」

「よっしゃ」


 そのまま何事もなく前を通り過ぎようとしたら、ころんと転がってきた何かが靴先にぶつかった。


「──ああ、ごめんね、拾ってくれないかな? それ僕のペンなんだ」


 そんなの、言われなくてもわかってる。俺は、相手の顔も見ずに吐き捨てた。



「知るかよ。てめぇが拾え」



 我ながら随分と低い声が出たなと思った。思っていたより教室に俺の声が響いてしまい、ざわりと背後の空気が不穏気に揺れたが、どうでもよかった。


「えっ……ちょっと透愛?」

「いいから行くぞ、ほっとけそんなの」

「ほ、ほっとけって……ごっごめんね姫宮くん、はいこれっ」


 結局由奈が拾って渡したようだが、振り返る気なんぞさらさらないので足早にその場を後にする。


「……ヤバ、うける。僻み?」

「なにあの金髪、ダル。てか誰?」

「気にすんなよ、姫宮」

「そうだよ、あの人たぶん姫宮くんに嫉妬して……」


 言いたい放題言われていたが、決して振り返らなかった。

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