第4話

 この世には、生物学的な男女といった性の他に、「第二性」というものが存在する。

 それが、α・β・Ωだ。

 

 αは、男女問わず生まれつきありとあらゆる才能に恵まれた存在で、人口は全体の約20%だ。αはその才能から、社会的に高い地位を得ることが多い。有名な俳優、アイドル、医者、学者等など……天才と称されるスポーツ選手などはほとんどがα性だ。

 そしてβは特出した能力を持たない、いわゆる一般的な男女のことで、人口の約70%を占める。

 数年前首相となった男性も、一時期「史上初のβ首相誕生!」いうことでかなり持て囃されたが、結局1年も経たずに首相の座から退いてしまった。

 さらにΩはαよりも数が少ないため希少な存在だ。人口の約10%にも満たない。

 しかしその能力はαやβよりも劣るとされ、社会的にも地位が低い。

 この世に絶対的強者として君臨するα、その特性から差別を受けるΩ。両者は真逆の存在なのだが、とある事情により深い関わりを持つ。

 いや、持たざるを得ないと言うべきだろうか。

 Ωには年に3,4回ほどの地獄のヒート(発情期)があり、己の意思に関係なく発情フェロモンを出してしまい、ところかまわずαを誘惑するのだ。

 理性でもってΩのフェロモンを撃退できる相手であれば問題はないのだが、αの中には、欲望のままΩに乱暴してしまう人間もいる。αとしての素質が強ければ強いほど、フェロモンの誘惑に抗い切れないらしい。

 そして、αに犯されたΩに待ち受ける未来は、地獄だ。

 ヒート中にαに襲われた場合、うなじを噛まれるのがほとんどだ。性行為中にそこを噛まれると、Ωは相手のαと強制的に「番」関係を結ばされることになる。

 Ωは男女問わず子宮があるので、出産や妊娠が可能だ。

 そしてΩは一度でも誰かと番うと、番以外との性交に生理的に強い嫌悪感を覚えるようになる。あまりの気持ちの悪さに嘔吐したり高熱を出したりと、身体的な苦痛に苛まれる体質となってしまうのだ。

 もちろん、番となったαと一生を添い遂げることができればそんな苦しみは背負わずともすむ。

 しかし、現実はそう上手くはいかない。

 αの生涯の相手は、基本的にαだ。αとβのカップルもいなくはないが、価値観や体質の違いからすぐに別れる。なので、ほとんど見かけないといっていい。

 ましてやΩなんて、αにとってはただの性欲発散道具、よくて愛人だ。

 無理矢理番うだけ番って、飽きたからと捨てられてしまうΩもいる。そのため番に見捨てられたΩは、何年も何年も地獄のヒートに苛まれ、行き場のない熱に苦しむ。

 熱を鎮めるため、吐き気を催すほどの不快感に苛まれながらも、誰彼構わず足を開くようになり。


 最終的には、狂い死ぬ。


「お、噂をすれば……本物のα様のお出ましだ」


 物思いにふけっていると、ふいに入口がざわつき始めた。


「あ、姫宮ひめみやくん来たっ」

「えっうそ」

「マジ? 今日は絶対来ないと思ったのに」

「ヤバい、美月たちが突撃しにいった」

「は? 抜け駆けズルッ、うちらも挨拶しにいこ!」


 血眼になった四方の女子が次々と立ち上がり、スカートなど気にも留めずにだだっと階段を駆け下りていった。


「相変わらずすげーのな、姫宮の人気」

「てかさ! 頭も顔もよくてしかも華族の末裔ってなんだよ、どこの漫画の主人公? ずるっ」


 ばんばん机を叩きながら憤慨している瀬戸を、風間がまぁまぁ、と笑って宥めた。前の方にはあっという間に人だかりが出来て、ここからだと艶のある黒髪がよく見えた。

 ちらりと見え隠れするゴールドのネックレスが、チカッと眩しい。


 広い教室で注目の的となっている青年の名前は、姫宮樹李じゅり

 亡き母親の先祖は旧華族。父親は、洋装化が始まった明治時代に立ち上げられた大手会社の社長で、ファッションブランドの他にも料亭やレストラン・旅館やホテルなど多岐に渡り経営している。

 姫宮はそこの一人息子で、いわゆる御曹司というやつだ。

 姫宮は眉目秀麗、文武両道、温厚堅実を絵に描いたような美青年で、実家は金持ち中の金持ちで、500坪の大豪邸。貸している分も含めれば2000坪以上はあるらしい。教科書に載っている偉人も結構な確率で血縁だとか。

 絵に描いたようようなお坊っちゃまのくせに、誰に対しても物腰柔らかで、常に微笑を浮かべている穏やかな人物だ。一人称は「僕」で、今時珍しいほど言葉使いも丁寧で、女性相手には「さん」付けで、男性相手には「くん」ときたものだ。

 これが他の人間であれば、「なにスカしてんだよ」なんて白い目で見られそうだが、姫宮は別だ。別格だ。

 素行も良く、家柄を鼻にかけることもない、常に取り巻きたちに囲まれている人気者。


 そして、この世に絶対的強者として君臨する──α性を持つ青年。

 

 俺も、今日は来ないと思っていたから驚いた。


「あいつ、お金持ちのα様ご用達の聖稜高校出身だろ? しかも進学校でもトップだったって話じゃん。あーあ、なに食ったらあんな顔になるんだよ。俺、同じ男でいいのかな」

「いるんだなぁ、非の打ち所がない完璧人間って。あそこまで別格だと嫉妬の気持ちもわかないなぁ」

「あ、帝東大も受かってたって、上位で」

「マジ? なんでそっち蹴ってこんな三流大学通ってんだろ。滑り止めにしてもおかしいよなー医学部以外弱いし」

「んー……これは噂なんだけど、家を継ぐことが決まってるから本来なら大学に行く必要がなくて、たまたま実家に近かったのがここだったみたいな話を、聞いたことが……」

「なにそれ、御曹司による庶民の物見遊山?」


 頬杖をついた綾瀬の言い分もわかる。

 この大学は偏差値もそこまで高くないので、ここに通っている人間のほとんどがβだ。風間も綾瀬も瀬戸も、女子たちも。αは姫宮を含め数人しかいない。

 ましてやΩなんて。

 ここにいる全員、すぐそばにΩがいたとしても気付きもしないだろう。

 番を持たないΩのトレードマークでもある、首輪でも嵌めていない限り。


「でもさ、姫宮の彼女ってどんな子なんだろ。あんなに可愛い子たちに囲まれたらより取り見取りじゃんな」

「そういや、全然噂になんないなぁ……そもそもいるのか?」

「いないわけないだろ! あ、もしかして」


 ニヤっと笑った瀬戸が、声を低くした。


「Ωだったりしてー?」

「あはは、運命の番かぁ?」

「姫宮家の御曹司がΩと? 洒落になんね」


 くっだらないとばかりに、綾瀬が首を鳴らした。


「……そうそう、どーせαの美女とかなんじゃねぇの?」


 平静を装いつつ会話に混ざる。参考書をめくる手が、微かに震えてしまった。


「まぁ誰であったとしても、姫宮に選ばれるなんて幸せだろうなぁ。生涯安泰だ」

「人生勝ち組待ったなし?」

「はーあ、それに比べて俺らはよ」

「それはお前だけ」


 楽しいはずの友人たちの掛け合いに、どんどん目線が下がっていく。行き場のない感情が重く圧し掛かり、自然と首の後ろの皮膚が突っ張った。


「……ん?」


 ふと、風間が顔を上げて鼻を鳴らし、うーん? と首を傾げた。


「なんか甘い匂いするなぁ」


 内心、ひやりとする。


「甘い匂い? あー言われてみれば」

「橘の方からかな?」


 でも大丈夫だ、脳内で何度もシミュレーションしてきたんだから。

 バレたかと、いたずらが成功した子どものようにニヤリと笑ってみせる。


「あーやっぱわかる? 新しい香水使ってみてさぁ。いつものに重ねづけしてんの」

「うわオシャレぇ」

「だろー? 兄貴の香水、内緒でパクった」

「だからかぁ、爽やか系のおまえにしては意外だと思った」


 おっとりした風間の視線をしっかりと受け取り、表情筋を無理矢理動かし、「あはは」と笑みを深めた。


「俺も真似してみよっかな」

「やめとけ、チビが背伸びすんな」

「うん綾瀬スマホ貸せ? 中庭に沈めてくるから」

「てめぇは牛乳に浸ってこい」

「そうだ、間を取って今度みんなで乳頭温泉行くか」


 キラキラとした顔で天然ボケをぶちかまし続ける風間に、綾瀬が真顔のままジュースをぶふぉっと吹き出し、瀬戸が「みんなしてさぁ!」と四肢をぐでっと投げ出した。綾瀬が零したジュースは風間が拭いている。

 いつも通りの掛け合いに、長めの襟足で隠した首の後ろを擦りながら、吐息だけで笑う。

 ネックレスが、ちゃりと爪にまとわりついた。

 実は風間以外の二人に指摘された通り、つけているのはいつもと同じ香水のみだった。それでもわかる人にはわかるのだろう。

 昨日から体調が怪しくて、多めにつけてはきたけどたぶん足りなかった。


 薄々そうじゃないかとは思ってはいたが、風間はやはり寄りらしい。


 ──もっと気を付けて、隠し通さないと。

 友人たちとの何気ない日々が、心から大切なのだから。


 結局、勉強には集中できなくて。

 ぼうっとしたまま見当違いの部分を読み込みまくった結果、小テストはやらかした。

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