第16話 陛下の授業

 翌朝、朝食の後、勉強をしてから帰る予定になっていた。昨日同様、神父が教典の読み書きをおしえるものと思っていたのだが、教壇に立った人を見て俺は驚いた。周囲からもざわざわと声が聞こえる。


「おはようございます。イリエス・ファイエットです。」


 陛下はいつも通り、落ち着いた口調で挨拶をする。

 そう、今日、教壇に立ったのはイリエス陛下だったのだ。陛下は子供たちにわかりやすく、経典についてそれに付随する神話などを分かりやすく話して聞かせた。至極まじめな話ではあったが、ところどころに教訓や笑いもあり、子供たちも俺も陛下の話に引き込まれていった。


 陛下は講義の終わりに、子供たちに語り掛けた。

 

「我々、ファイエット国教会の信者は同じ神の教えのもとに集う家族…。私はファイエット国教会の首長だから、あなたたちの父だ。その私と婚姻を結んだアルノーは、ファイエット国教会の母になったということ。だからアルノーと離れて暮らすことを…悲しまないでくれ。アルノーと私たちは、ずっと家族だから。」


 これは結婚式で俺に「愛するつもりがない」って言った人のセリフなんだろうか?後宮の官吏たちは俺はこのままここに置いて行かれて、ナタを側室か愛妾にするって噂しているらしいのに…信じられない。

 それなのに壇上の陛下と目が合った気がして、俺はまた身動きが取れなくなった。

 

 講義が終わって、お世話になった孤児院の神父たちに挨拶をしていると、「アルノー!」と大きな声で俺を呼ぶ声が聞こえた。

 やって来たのはまだ神父姿が初々しい青年、マルセルだ。

「アルノー、お帰り!」

 マルセルは走って来た勢いのまま俺に抱き着いた。

「マルセル…!久しぶり!半年ぶり…?見違えたよ!」

「馬鹿!もっとだよ!もう俺、十六になったんだから!」

 マルセルは俺が孤児院にいた時期に一緒に過ごした子供で、一番懐いてくれていたのだが、十五になる年に教会の見習いとして働きだして以来、会っていなかった。

「そっか、もう十六か…。」

「そうだよ。教会に勤めて給料も貰ってるから大人と一緒だぜ?!アルノーが戻ってきたら俺が恋人になってやるよ!」

「え?!」

 俺が捨てられそうなの、こっちでも噂になってるの?!俺が動揺していると、慌てて周りの神父が止めに入った。

「お、おいマルセル!陛下の御前でなんてことを言うんだ!」

「陛下?でも教会で、そう聞きました。アルノーが帰って来て、そのままここにいるって。」

 やっぱり噂になってたんだ!!俺はより一層動揺した。このまま帰っていいの?馬車に乗ったらついてくるな、みたいな顔されない?大丈夫?

 俺が混乱していると、リリアーノとリディアがいつも間にか俺の隣にやって来ていた。

「私も聞きました!」

「私もです。でも、アルノーは私たちと帰りますよね?」

 リリアーノに問いかけられても、俺は答えが出せない。俺がなにも言わないでいると、シャーロットが涙目で俺の手を引いた。


 俺、帰ってもいいの?どうなんです、陛下…。

 俺はシャーロットの手を握りながら、面影の陛下に聞いてみた…すると。


「アルノー、帰ろう。」

 本物の陛下が俺の問いに答えたので、俺は精一杯の笑顔で頷いた。




 王女達は昨日の夜更かしが響いたのかぐっすり眠ってしまい、帰りの馬車の中は静かだった。


 俺と陛下は起きていて時間があったので自然と、以前から悩んでいた後宮のことを相談した。


「後宮の予算のことは心配しなくていい。必要なものは買ってくれ。私の私財から補填しよう。」

「ありがとうございます。それと、王女たちの家庭教師の事なのですが…。今のままでは後宮に家庭教師を呼ぶことは難しいと思うのです。それで…。」

「それで…?」

「呼ぶのが難しければ、こちらから行くというのはどうでしょうか?警備的に毎日は難しいと思うので、週何回かでも。足りないところは宿題として出していただき、後日添削していただく。宿題があれば勉強の指針も出来て後宮で遊んでばかり、という事も無くなるかと。」

「なるほど。今までの教師に頼むのか?」

「ええ、一旦声を掛けてみてダメなようでしたら別の方を探します。」

「分かった任せる。教師はお前が選んで見極めてくれ。アルノー…自分で見たこと以外、他人の言うことを信じるな。全てを疑うこと。いいな?」


 陛下は真剣な表情をしていた。


 自分以外、他人の言う事を信じるな、全てを疑えって…それは陛下も含めてってこと?今日、教壇で言ったことも?

 俺の頭に疑問符が大量に浮かんだ事を察した陛下は、俺の疑問に答えるように言った。


「私は私のことも信じていない。だからお前も、私を信じないでくれ。」


 それって、どういうことですか?普通、逆でしょ?一応、俺は妻なんだからそこは「他人は疑ってもいいけど俺のことは信じてくれ」じゃない?


 俺はその疑問を口に出来なかった。

 ましてや…じゃあ、結婚式の日「お前を愛することはない」って言ったことも、信じなくて良いんだろうか?

 疑問は口にできなかったので、今度教会で行われるバザーに行っていいかどうかを聞いてみた。陛下は「考えておく…」と答えただけで、すぐに許可をくれない。


 陛下の態度に戸惑う俺を乗せた馬車は、あっという間に後宮に到着したのだった。

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