第6話 奴隷が回す謎の棒

 僕の名前は今日から“間男”になる。代わりに、頼みにしていたジョセフィーヌに杏里ちゃんの面倒を見てもらうことになった。これで、彼女の安全は確保できる。

 そして、今後は二人分の生活費を稼がなければいけない。果たして無敵艦隊ジ・アルマダの活動だけで賄えるだろうか。

 それに、杏里ちゃんの親。とりわけ殺血孤を探さなければいけない。

 彼女の学校はどうするか。そもそも親族でもない僕が杏里ちゃんを匿っていて法律的に問題はないのか。

 今の僕には知らなければいけないこと、やることが山積みだった。

 階下でジョセフィーヌと寝ている杏里ちゃんを起こさないように、僕はアパートの階段を下りる。


 季節は冬になろうとしていた。

 早朝、白い息を一つして、僕は北千住のアパートを出る。無敵艦隊の仕事に、杏里ちゃんを巻き込むわけはいかないと僕は判断した。

 二人に内緒で出勤するので、帰ってきてからなんて言い訳しよう。

 考えながら、僕は駆け足で駅まで向かった。


 朝六時にオーナーに呼び出され、銀座の地下コロシアムへと向かう。

 ダジャレ・コロシアムの中央には二人の影があった。オーナーは僕を見つけると、「早くしたまえと」こちらを手招きする。

 僕が小走りで近づくと、オーナーの隣に立っている男が、黒いビガリのフェルトハットを脱ぎ、恭しくお辞儀をした。

「やあ、高橋君。ごきげんよう」

 僕の名前を呼んだ紳士は、黒のスーツとポマードで頭を固めていた。

「タカシさん……?」

 顔を見てまさかと思った。彼は昨日とうってかわって爽やかな体臭をしており、おっさん特有の加齢臭を感じさせない。どうやら香水らしい。ブルガリ・マンの樹木の香りが、大地を包み込む大樹海のように辺り一面を支配していた。これが、大人の余裕というやつか。


「あの、昨日の冴えないおっさんはどこに?」

 僕が失礼な聞き方をしても、タカシさんは怒らなかった。むしろ彼はそれを楽しむように「冴えない、か」と、自嘲し、目を伏せて含み笑いをする。

「ダジャレー・ヌーボーのチャンピオンともなると、年収は一億を超える」

 オーナーが、タカシさんの肩をポンと叩いた。

「俺は郊外に一軒家を持っている。空き部屋もあるから数人程度であれば泊めることもできるよ」

 タカシさんは、品のあるバリトンボイスで「俺に任せてくれても杏里ちゃんを幸せに出来たんだがね」と、口角を上げてニヒルに笑った。

「じゃあ、昨日のあの姿は……」

「もちろん、高橋君を無敵艦隊に引き入れる為の策だ」

 僕の疑問に、オーナーは意地の悪い薄ら笑いを浮かべる。

 その瞬間、僕は彼にまんまと一杯食わされたと悟った。

「流石の君も、身元不明のおっさんに女子小学生を預ける勇気はなかった、ワケだ」

 オーナーが僕の顔を覗き込むように見てくる。明らかに勝ったと確信したその顔に、僕は苛立ちを覚えた。

「卑怯じゃないですか‼ ユニット辞めます‼」

 寝起きでかすれた声で叫ぶと、オーナーはまた「ははは」と笑った。


「君は十年間、自己都合でユニットを解消することは出来ないよ」

 そして、オーナーは一枚の紙を僕に見せつけてくる。

「もう契約書にハンコ押したもんね」

 そこには、昨日目を通し、確かに僕自身が記名と押印した書類があった。確かに、小さい文字で脱退の禁止事項が明記されている。

「もんね~」

 タカシさんも、オーナーに被せて念押しする目をこちらに向けた。

「くっそぉ‼」

 僕が思わず自分の腿を殴ると、その痛みが眠気から現実へと引き戻す。

 覚醒したついでに、何故か頭の片隅に、殺血孤が「杏里を任せる」と僕に伝えるイメージが浮かんだ。彼女の顔が出てくると、何も言えなくなる自分がいる。

 僕は、ため息をひとつして、天井を見上げた。自分のした選択にちょっとだけ勇気が出て、また前を向けるような気がする。そう思わないと人生をやっていくのが難しいことが、大人になってからたくさんあった。


「ところでその杏里君はどこかね?」

「頼りにしている知り合いに預けました。彼女を無敵艦隊に巻き込むわけにはいきませんし」

「まあ、いい。私には高橋君がいればそれでいいんだからね?」

 オーナーは杏里ちゃんを特に心配していなかった。どうやら僕が彼女の面倒を見ているということに、一定の信頼を置いているらしい。何故、こんな無職の僕が信頼されているのか疑問だけれど。


 朝の六時だというのに、ダジャレ・コロシアムの中は裏方のスタッフで活気に溢れていた。午後の営業のため、東京ドームと同程度の広さを誇る施設内を走り回る従業員たちに、思わず頭が下がる。

 僕はコロシアムを眺めた。せわしなく働く裏方とは別に、奇妙な集団が仕事をしている。僕が最もツッコミたいのは、コロシアム中央に設置された柱だ。屋久島の樹齢三千年になる縄文杉と同程度の太さのそれを、十人程度の男が取り囲んでいる。

 よく見ると、彼らはボロい革の腰蓑をしていた。鎖でつながれた労働者たちが柱に取り付けられた謎の棒を押し、運動エネルギーを別の何かに変換しているのだ。

「あ、あの外国人と小説家志望、陰謀論者は無事だったんですね……」

 昨日、ダジャレー・ヌーボーで穴に落とされた二人と、僕の店で無銭飲食を働いた外国人が労働に加わっている。どちらも、反抗的な態度を隠しきれていない。看守の目を盗んでサボろうとしていた。しかし、その度にSM調教で使うバラ鞭で彼たちの臀部は赤くなるほど叩かれている。

 僕は、オーナーの顔を見た。彼は親切にこのシステムの開設をしてくれた。


「新橋から銀座方面へ伸びる道路と並行して、昔はこの辺りに三十間堀と呼ばれる川が流れていた。今はコロシアムの下に水を流し、このダジャレー・ヌーボーで滑った選手は穴に落ちて、そのまま川に流される仕組みだよ」

 オーナー曰く、川に落ちた選手は川下に設置されたサバ用の魚網で捕らえられ、そのままこの労働施設に送られるらしい。

「水洗便所みたいな仕様ですね」

「ダレガウンコヤネン‼」

 僕の感想に、謎の外国人がツッコミを入れた。そして無駄口を叩いた外国人は、看守たちのバラ鞭で、尻をしこたま叩かれている。

「ちなみに、あの柱は一体何のために回しているんですか?」

 漫画だと、こういったシステムは奴隷の調教や、資本家の娯楽のために、何も意味をなさないのが通説だった。しかし、オーナー曰く、彼は無駄なことは嫌いらしい。

 労働力は、全て何かしらの価値を生み出していると語った。


「蕎麦を挽いている」

 オーナーが指を鳴らすと、個人事業主フードデリバリーサービス“であえ館”の配達員が蕎麦を持ってきた。

 プラのお椀に印字された“ダジャレ・ソヴァ”の文字が、何とも哀し気に見えた。

「ああ、ちゃんと利用意図があるんですね……」

「貴重な収入源だからね」

 オーナーは、蕎麦をすすりながらそう答えた。どうやら朝ごはんらしい。

 僕もジョセフィーヌに黙って出てきたので、朝ごはんを食べていない。

 であえ館は三人分の蕎麦を持ってきたので、僕もごちそうになることにした。

「ちなみに、来月ダジャレ・コロシアム関西支部を作るが」

「初耳ですね。ちなみに関西でも蕎麦を挽かせるんですか?」

 僕が聞くと、オーナーはもったいつけたように僕の耳に顔を近づけてこう言った。

「うどんをこねさせる……」

「そうですか……」

 僕は蕎麦をすすってそう答えた。囁くようなオーナーの声が妙にこそばゆかった。

 朝のダジャレ・コロシアムに、三人の男が蕎麦をすする音が響く。ここはまるで、新橋の立ち食い蕎麦屋だった。


「無敵艦隊の仕事だが、君たちにはアイドルをしてもらおうと思う」

 蕎麦をすすりながら、オーナーは出し抜けにそう言った。

「この、ダジャレー・ヌーボーの宣伝として、新しい広告等が必要なのでね」

 彼の言葉に、僕は思わず面食らう。そして、蕎麦を吹き出しながら思わず叫んでしまった。

「あ、あああ……アイドルですってェ~⁉」

 鼻から蕎麦が出ていたらしい。タカシさんが僕の鼻を指さしジェスチャーをした。

「何をそんなに驚くことがある」

 オーナーは、僕の驚きように驚いていた。

 僕は鼻から蕎麦を抜きながら、オーナーの質問に答える。

「だって……」

 アイドル……。当の昔に離れた存在だと思っていた。

 まさか自分がまたこの職業に関わる日が来るなんて……。

「殺血孤と同じ仕事だから……」

「そうだったね。殺血孤君もアイドルだった」

 僕の言葉に、オーナーは頷く。この人、まさか僕がアイドルから離れていたことに気づいていて、僕を無敵艦隊に誘ったんじゃ?

「そうだ! 杏里ちゃんが殺血孤の行方を知っているって!」

 僕は、話を変えるため、オーナーにそう聞いた。

「実は、私が杏里君を預かったとき、一緒にこんな手紙を貰ってね」

 オーナーは、スーツから一枚の紙を取り出す。


 ――そこには、とんでもないことが書かれていた――。

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