第7話 殺血孤の手紙

 オーナーから渡された無地の封筒を、僕は両手で受け取る。表には、黒のインクで“河本宗助様”と書かれていた。河本宗助オーナーの顔を見ると、彼は静かに頷く。

 癖も少なく、あまり崩れていない読みやすい字だ。封筒の中には一枚の紙が綺麗に折りたたまれて入っている。広げると、朴訥な書体が目に飛び込んできた。凛として殺血孤らしい人好きが出ている筆跡を見ると、僕の眼からはなぜか涙が出てくる。涙が手紙に落ちないように、僕は天井を見た。そしてもう一度、僕は手紙に目を落とす。日付を見る限り、手紙の書かれた日は一週間前だろう。差出人の住所は書かれていない。

 手紙には、以下のことが書かれていた。


 *


拝啓


 すがすがしい秋晴れの続く季節となりましたが、河本様におかれましてはいかがお過ごしでしょうか。

 東京で過ごしていた時、河本様に実の娘のように愛してもらった恩がありながら、長い間、連絡を寄こせず申し訳ございません。

 私がエンタメ業界から足を洗って三年が経ちました。私の身体はとりあえず問題ありません。

 ただ、一つだけ気がかりなことは、私の娘についてです。


 山本杏里について相談があります。不躾なお願いで申し訳ありませんが、私の娘をお願いします。

 私が彼女を手放したのは、私の心を切る選択でした。何度も自分の元で育てられないか考えましたが、 私の周りは敵が多すぎます。私の拙い頭で彼女が育つ場所を慎重に選びました。そして、河本様以外に頼るあてがいなかったのです。


 おそらく、杏里は私に会いに来たがると思いますが、私のところへ寄こさないでください。詳細は書けません。私の願いは、杏里には、私が手に入れることができなかった、穏やかで幸せな未来を生きて欲しい。それだけです。


 そろそろ、先払いしておいたテナント料も底をつく頃だと思います。

 気がかりなことが一つだけと言いましたが、やはり、高橋聡に関しても気がかりです。

 もし、聡が私のことをまだ思っているようであれば、店を私の所有物ごと処分してください。どうせ今頃、帰らない私のことをいつまでも待ち続けているに違いありません。高いテナント料も払えず、居心地のいい場所にしがみつくのはもうおやめなさい。

 彼は、私一人に縛られるべき人間ではありません。いい歳なんだから、新しい未来を生きて、ちゃんと自分のやりたいことを見つけなさい。と、厳しく! お伝えください。


 河本様に助けてもらったにも関わらず、夢だったエンタメ業界を辞めてしまい、申し訳ありません。ただ、後悔は全くないです。私は杏里を守るために決断が出来てよかったと思っています。


 私のもう一人のお父さんへ。杏里と、聡のことをお願いいたします。


敬具


令和六年十月十三日 山本幸子

河本宗助様


 *


 これは、確かに殺血孤の字だった。彼女は確かに、河本オーナーに助けを求めてこの文章を書いている。

 僕は、読み終えた手紙を静かに折りたたみ、河本オーナーの顔を見た。

 彼は、ため息を一つして、口を開く。

「幸子君の事情は分からんがね……」

 河本オーナーは僕の眼を見て、涙腺を緩ませた。そして、眉根を寄せて辛そうに言葉を振り絞る。

「子どものいない私を“お父さん”と言ってくれた彼女の頼みは何が何でも聞かなければいけないのだよ」

 河本オーナーは、まるで父親が子どもを慈しむように、手紙と僕を見比べていた。

「杏里ちゃんが幸子に愛されていたのは、彼女を見ればわかります」

 杏里ちゃんの髪は、風に揺れるとさらさら流れるほど手入れされていた。あまり高い服ではなかったが、年相応の綺麗なワンピースと防寒用の上着も持たせて。

 傷一つない白い肌に悲壮感はない。ジョセフィーヌと会ったときもちゃんと甘えられていた。小学校に通う同年代の子たちと比べても全く浮くことはないだろう。

 幸子は、杏里ちゃんをこの歳までちゃんと育てていたのだ。


「それでも、幸子君は愛する娘を手放す決断をした」

「幸子は一人で何か大きなものを抱え込んでいる。僕は、彼女の口からことの真相を聞きたい」

 手紙を読んで、僕はそう思った。おそらく事情があるのだろう。まわりの人を第一に考え心配するくせに、自分のことはまるで話さない。アイドルとして、母として強い殺血孤の姿が、この手紙にはあった。


「高橋君」

 ダジャレ・コロシアムに、河本オーナーの渋い声が響く。

「はい」

「君の思い出を奪って悪かった」

 そう言って、河本オーナーは頭を下げた。彼が謝るところなんて、僕は初めて見る。驚く僕の姿を見て、オーナーも申し訳なさそうな顔をした。

「顔を上げてください。全部、幸子の意思だったんでしょう。だとしたら、お礼を言うのはこちらの方です」

 僕がそう言うと、河本オーナーは顔を上げてにっこり笑う。

「ありがとう」

 オーナーが感謝の言葉を述べるのを見て、そして、幸子の手紙を読んで。僕は、人生が新しいステージに来たのかもしれないと思った。幸子の痛みを知るためには、僕は今までの自分を捨てなければならない。店はなくなったし、戻ることもできないのだけど。しかしこれは自分が変わるきっかけだった。

 今僕がこの状況に置かれているということは、やはり僕は、幸子を探さなければいけないのだと思った。


 何故ならば、僕は幸子に多くのものを貰ったから。それに事情があるとはいえ、親と子どもが離れ離れになるのはきっと悲しいことだから。

 今の僕は、彼女が抱えているものを知らなければいけない。そして、彼女がまた幸せになれるように、僕が貰った分を返してあげなければいけなかった。


「無敵艦隊も、アイドル活動も、幸子の願いを叶えるために必要なことなんですよね?」

 僕の言葉に、河本オーナーは深く頷く。

「君がアイドルとして世に知られれば、幸子くんの方から何か連絡が来るかもしれない。それに、頼りになる大人が周りにいれば、杏里君も寂しがらずにすむだろう?」

 僕は、河本オーナーの言葉に納得した。

「それに、滞納しているテナント料も君の給料から天引きできるし……」

「払いますよ! ちゃんと!」

 僕は、大声で言い返した。

 考えてみると、無敵艦隊に入ったのは意外と悪い選択肢ではなかったのかもしれない。

 河本オーナーの言う通り、メディアに出れば、幸子に僕の存在を知ってもらえる。それに、安定した給料と杏里ちゃんを見てくれる目が増えれば、彼女が孤独に飲まれてしまうことも無いだろうから。

 タカシさんのギャンブル癖は目に余るけれど、それでも子ども相手に配慮はしてくれるだろう。何せ、彼はこのダジャレー・ヌーボーのスターなのだから。


「彼女は、いや、僕に関わる人は、何故僕に期待してくれるんでしょうか」

 人生を諦めかけた時に幸子に会って、店をもらったから今の自分がいる。

 それに、何もない僕でも無敵艦隊に誘ってくれる河本オーナーやタカシさん、それに杏里ちゃんやジョゼフィーヌも僕を受け入れてくれた。

「みんな、少しずつ足りなくて、それでも誰かに分け与えながら生きているからだよ」

 オーナーの言葉に、僕は胸が熱くなった。

「僕も、誰かに何かを与えていけるでしょうか。今は、何も無いけれど」

「これから見つけるんだよ」

 タカシさんが僕の肩を抱いてそう言った。

「僕、もう四十ですよ」

「関係ないさ。私がこのダジャレー・ヌーボーを始めたのも、今の君より歳をとっていた」

 河本オーナーは、スーツの胸ポケットから煙草を出して火をつける。

「これから、忙しくなるぞ!」

 タカシさんは、嬉しそうに叫んだ。

 五十を超えているだろうに、このバイタリティは見習いたいと思う。

「無敵艦隊も、幸子君を探すのも!」

 三人のおっさんはコロシアムの真ん中で、天に拳を突き上げる。

「「「おー‼」」」

 叫ぶおっさんの姿を見て、何人かのスタッフがこちらを見つめていた。

 僕は、少し恥ずかしくなって、拳を引っ込める。

 それでも、一度鳴り出した胸の鼓動はドクドクと響き続いていた。


 ――この二人となら、僕にも何かができるかもしれない。そう思った――。

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