第3話 カケニモマケズ
「無敵艦隊?」
一五八八年にスペインがイングランドに侵攻したアルマダの海戦で、軍艦二八隻と武装商船一〇二隻で構成され一〇〇〇トンを越える大艦もあったはずのスペインが、逆にイングランドに返り討ちにされたあの
呑み込めない言葉を、僕はもう一度聞き返す。
「そうだ」
オーナーは、まるで聞き分けのない子どもに父親が諭すように、ゆっくりと、そしてはっきりと話を続ける。
「無敵の人は後がない分、生存本能に対する純度が高い。私は、その可能性を利用し、無敵艦隊を作る」
オーナーの返答に、僕は頭が痛くなった。オーナーの理屈はなんとなくわかる。
いや、理屈っぽく形成された何かであることは、この僕にもはっきりと読み取れる。
が、発想が突拍子もなさ過ぎて、何か大事なことを勘定に入れていない気がする。
しかし、一番大事な何かが僕には思いつけなかった。それがたまらなく悔しい。頭が悪いとはこういうことを言うのだと思った。
「何をするのか知りませんが、沈没しますよ」
必死に頭を巡らせて、僕が反論できたのはそれだけだった。
「しないよ、本当の船に乗るわけでもあるまいし」
しかし、僕の曖昧な反論はオーナーの前で立ち消える。
この男は僕の比喩を理解しない。いや、意図的に聴いていない。
オーナーの船は明らかな泥船だ。乗ったら遅かれ早かれ、僕は水底に消える。僕の勘がそう告げていた。
何とかしてこの状況から逃げ出さなければならない。
僕は、交渉の糸口を見つけようと、オーナーに従うふりをして話を聞くことにした。
「まずは、君の答えを聞きたい、山本君」
「高橋です。とりあえず、何も情報がない状態で答えを出せません。目的は何ですか?」
「目的はいずれ分かる」
取り付く島もない。オーナーの秘密主義に、暗澹たる思いがした。
すでに、彼の
「……メンバーはいつ分かりますか?」
多分この様子だとメンバーすらこれから探すと言いそうだ。
僕はオーナーに駄目もとで聞いてみる。しかし、オーナーの返答は予想外のものだった。
「他のユニットメンバーだが、すでに選定は済ませている」
話が早い。僕は瞠目した。
「え? 何やるか決まっていないのに人から集めたの?」
こうなってくると、逆に怖い。
「登場だチャンピオン‼」
オーナーが指を鳴らすと、コロシアムの巨大モニターの隅にワイプで実況の顔が表示された。そして、それに続いて会場のどこかが大画面に映し出される。
――チャンピオンの登場です‼
実況が叫ぶと、コロシアムの一角に十本のスポットライトが照射された。
目がチカチカするサイケデリックな照明と共に、火柱と爆発、そしてプロレスの登場シーンにありそうな海外DJの煽りが聴こえてくる。
そして場違いにもほどがある“うまぴょい伝説”がBGMで流れると、観客たちの熱気が最高潮になった。
中には、サイリウムを振るオタクの姿すらある。
火が何かに燃え移ったのだろう。コロシアムの中央は、スモークが炊かれて何も見えない。ざわつく従業員たちだったが、観客たちは唐突なハプニングを前に興奮が増す。そしてチャンピオンは、煙の中で立ち尽くしながら、トラブルを意にも介さず見事なマイクパフォーマンスを行っていた。
「ゴホッ――ニモマケズ……」
BGMにかき消され、チャンピオンの声が聞こえにくい。
しかし、断片から判断するに、チャンピオンは国語の教科書にも載っている、あの有名な詩を朗読しているようだ。
「この詩は、宮沢賢治!」
雨ニモマケズ。賢治の没後に見つかったメモの一文であり、僕が好きな詩でもある。
朴訥な賢治らしく、一人の人間が人生を歩き切ろうとする気概に、教科書を読んだ少年時代の僕の心はいたく熱くなったものだった。
僕は拳を握り、コロシアムの中央を注視する。
「カケニモマケズ……」
「……あれ?」
聞き違いだろうか。チャンピオンが発した一節は、雨ニモマケズに似ているが、どこか違和感がある。
「サケニモマケズ……」
何だか雲行きが怪しくなってきた。遅れて、スタッフが舞台裏からわらわらと火の手が上がっている方へと走っていった。
数秒経って、スタッフが無事、火元を鎮火する。
煙が晴れて現れたのは、なんと一人のおっさんだった。
よく見ると、彼は酔っているのか千鳥足でほのかに顔が赤い。
おっさんは、観客の大声援に応えるように、詩の続きを高々と諳んじ始める。
「東に性病のコドモあれば
行って看病してやり
西に春競馬でツカレタ母あれば
行ってジャパンカップの賭け金を負い
南にガチャで爆死した人あれば
行って怖がらなくてもいいと云い
北に新台に並ぶ者がいれば
行ってそれは
珍の棒と呼ばれ
そう云うものに私はなりたい」
マイクパフォーマンスが終わったチャンピオンはしたり顔で観客たちに投げキッスをした。女たちの嬌声と、男たちの野太い叫びが会場中に響く。投げキッスを受け取った夫人の何名かは、その場で失神し、担架に乗せられどこかへ運ばれていった。
「宮沢賢治じゃない! 何だこのオッサン⁉」
「彼は、このダジャレ・ヌーボーの覇者、不沈漢のタカシ!」
僕のツッコミに、すぐさまオーナーが解説をする。って、この人がダジャレー・ヌーボーのチャンピオン⁉
「冴えないですね。ってえ? まさかこの人が……」
「誰が冴えないおっさんじゃボケェ!」
不沈漢のタカシはこちらにツカツカと歩いてくると、わざわざ僕の耳元で大声でがなり立てた。そのおかげで、僕の耳は痺れたような変な感覚がする。
「はぁ~」
不沈漢のタカシはこちらを睨みながら生暖かい息を吐いた。
彼の口から放たれる悪臭は、まるで牛乳をしみ込ませた靴下を縁側で干したような刺激があった。
「さあ、こうして大変頼りがいのある人材をスカウトした! 高橋君。入るだろう? 無敵艦隊に」
「いやです」
「いやじゃない!」
オーナーは、僕の入隊拒否をことごとく拒否した。そして。
「いやじゃ~あ、ないっ!」
駄目押しとばかりに、僕にそう言い聞かせた。
「ちなみに、何故不沈漢なんです?」
僕は、タカシさんの口臭に気絶しそうになりながらなんとかそう聞いた。
「これ以上沈みようがないくらい沈み切っている男だから不沈漢だ!」
オーナーは嬉々としてそう断言する。
「うわぁ!」
もはや、何も言うことがなかった。
オーナーの言葉を聞いて、当の本人はうんうんと首を縦に振っている。
そして、タカシさんは僕の前に立つと、僕の肩をがっちり掴んでこういった。
「底辺というのは、いい。何故ならば上昇する未来しか見えないからだ」
「ポジティブだなぁ……いや、開き直ってるのか」
タカシさんの眼は嘘をついていない。もしかしたらタカシさんは本当に底辺から這い上がることで、今の地位を築いたのか。だとすると、確かにオーナーの言う通り、頼りがいはあるのかもしれない。僕はそう思った。
「だから、金貸してくれ。有馬記念で二倍にして返す」
タカシさんの言葉に、僕は耳を疑った。前言撤回する。タカシさんはダメ人間だ。
「これが無敵というものだよ。それじゃあ、高橋君。無敵艦隊に入るよね?」
なにが「それじゃあ」なのか。オーナーは僕の意向も考えず、懐から取り出した同意書を押し付けてくる。
「いやです!」
僕は、決してサインするまいと、同意書をオーナーに突っ返した。
「嫌なもんかね。こんなに素晴らしい仲間たちと一緒に人生を楽しめるんじゃないか! 青春しようぜ高橋君‼」
オーナーは、勝手なことを言う。流石の僕も堪忍袋の緒が切れた。
「僕は、あのバーでずっと殺血孤を待ち続けていられれば良かったんだ! それをオーナーの気持ち一つですべて灰にしやがって! 何が無敵艦隊だ馬鹿らしい! 返せ! 僕の思い出を返せェ!」
「待ってくれ、高橋君……これには訳があるんだ」
「訳ってなんだ! 他人の人生ぶち壊しておいてこれ以上の訳なんかあるかぁ⁉」
僕は激怒した。激怒して、オーナーの襟を掴み、何度も揺さぶった。
しかし、当のオーナーは僕の錯乱にも動じず、ふう。と一呼吸おいた。
そして、信じられないことを言った。
「ある」
「なにが⁉︎」
「なぜならば、山本殺血孤は生きているからだ」
「は?」
その一言で、僕は、心臓が止まりそうなほどの衝撃を受けた。
「もう一度言う。山本殺血孤は生きている」
――殺血孤が生きている――。
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