第2話 無敵艦隊

 ダジャレ・コロシアムに下りた僕に、ダジャレ警察の二人はいきなり飛び掛かってきた。向こうは警察のコスプレをしているだけあって、手には警棒と腰にはピストルを差している。一方こちらは丸腰で、防具もつけていない。強いて言うならエプロンだが、これは揚げ物の油を防ぐ程度の防御力しかない。


 徒手格闘の心得はあるといっても、僕は通信講座で習ったのだ。まさか実戦で使うとは思いもしない。三万円の教材費が運動不足解消以上の価値を生むとは。

 僕は拳を握り、ダジャレ警察に向かって突き出す。しかし、その拳はあっさりと空を切り、こちらの隙を見逃さない二人が僕を取り囲んだ。

 今にも、ダジャレ警察の二人は警棒で僕を滅多打ちにしようとする。

 もう駄目だ。僕は死を覚悟した。その時だった。


 上空から、機械の駆動音がする。見上げると、天井の一角に線が入り徐々に観音開きになった。そして、ボッ。という破裂音と共に、何か黒い物体が射出される。

 射出された物体は空中で二手に分かれ、ダジャレ警察の頭に直撃した。

 ガイン。と鈍い音をたてながら地面に転がるそれは、大人がようやく抱えられそうなほどの大きさをした金色のタライだった。


 金ダライをまともに頭に受けた二人が昏倒する。

「しめた!」

 悶絶しているダジャレ警察を見ながら、僕は拳を握った。そして、その拳を垂直にダジャレ警察の股間に向かって振り下ろす。

「やめろ! ゔっ……!」

 隣で命乞いしているもう一人にも、僕は拳を振り下ろした。二度。

「ゔっ……! ゔゔっ……⁉」

 “追い打ち”である。ダジャレ警察の二人は悶絶の後に気を失った。

 突然のハプニング。そして開始十秒の早期決着に、会場の観客たちはどよめきと歓声の混じった声を上げる。


 ホッと胸を撫でおろしたのもつかの間、地面に伏せているダジャレ警察の向こうから、一人の男がやってきた。


「素晴らしいダジャレちからだ、山本君」

「……高橋です、オーナー。その名前は、もう」 

 ダジャレ力とはなにか。手を叩きながらやってきたオーナーに僕が一礼すると、彼は「おやおや」と、アルマーニのスーツから葉巻を取り出し火をつける。

 彼は、このダジャレ・コロシアムのオーナーであり、僕にダジャレ・バーを貸してくれている恩人だ。

 オーナーは、葉巻を口に含んで鼻から二本の煙を吐く。そして、手に持った金ダライのスイッチを落とすと、スイッチはコンクリートにぶつかって粉々の破片に変わった。


「証拠隠滅だよ。そもそも二対一なんて卑怯じゃないか。おい、掃除」

 愉快そうに声を上げるオーナーの眼は笑っていない。

 ダジャレ・コロシアムでは暴力がご法度だった。ダジャレー・ヌーボーはあくまでダジャレで勝敗を決することが条件のゲームだが、ダジャレ警察のようにダジャレを良く思わない不穏分子も、この施設には混じっている。

 何より、この高橋はダジャレ・コロシアムの選手ではない。しがないバーテンダーだ。

「助けてくれてありがとうございます、オーナー。しかし、今は高橋と名乗っていて……」

 オーナーが寄こした掃除のおばちゃんは、ほうきとチリトリだけでスイッチの破片をまるでなかったかのようにしてみせた。このダジャレ・コロシアムは、東京ディズニーランド並みの清潔感をもって運営されている。

「そうだった。山本君は君の婚約者だったね」

 今でも、山本KIDの名前を聞くと、心の奥底がわさわさと蠢くいやな感触がある。

 それに普段なら、オーナーの前ではどんなことを言われても愛想笑いで通せる。しかし、今日はいつもよりも深くその言葉が刺さってしまった。

 体中からすべての水分が抜け落ちてしまうのではないかと思うくらい変な汗が出る。居なくなった彼女の記憶が呼び起こされ、僕はその場で吐血した。


「おい、掃除」

 呆れた目を僕に向け、オーナーが掃除婦に指示をする。

殺血孤さちこ……」

 山本殺血孤は、三年前、僕の前から突然姿を消した。ダジャレ・バーと、僕たちを残して。

 掃除のおばちゃんが、ほうきとチリトリだけで僕の吐しゃ物をまるでなかったかのようにしてみせた。このダジャレ・コロシアムは、成田国際空港並みの清潔感をもって運営されている。


「いつまであのバーを続けるんだね? 君もダジャレ闘士として一旗揚げないか?」

 オーナーの問いに、僕は答えられなかった。

 僕は手についた血をエプロンで拭う。この血は、自分のものかダジャレ警察のものなのかは定かでなかった。

「もとはと言えば、あの店も山本殺血孤に貸したものだよ? それが……君はいつまでしがみついているつもりなんだね?」

 観客たちの歓声が一際大きくなる。コロシアムの中央では、また新たな試合が始まろうとしていた。今度は、ペンネームを何度も変える小説家志望の男と、陰謀論者の対決だった。しかして、二人は決してダジャレを言おうとせず、それぞれ思い思いのパフォーマンスをしている。小説家志望の男は主人公の名前と物語のタイトルを変更した処女作を新しいサイトに投稿し、陰謀論者はレプリコンワクチンは危険だと必死に叫んだ。小説家志望の男は昔の作品を忘れて新しい話を書き、陰謀論者は小学生から理科の勉強をもう一度し直せばいいものを、気を衒ったパフォーマンスは、どちらも周りからの反応が芳しくない。数秒の審議ののち、レフェリーからの判定は双方失格となってしまった。

「嫌だ! 死にたくない‼」

 二人は、絶叫の後その場に崩れ落ちる。暴れる二人を、屈強な警備員が羽交い絞めにした。


「こんなに沢山の観客の前でダジャレを言うんですか?」

 僕は、コロシアムの中央で組み伏せられている二人を指さしオーナーに聞いた。

 コロシアムを埋め尽くすパピヨンマスクの客は、少なく見積もっても一万人はいる。しかし、その誰もがダジャレ闘士二人のパフォーマンスに眉すら動かさなかった。会場は葬式状態である。今すぐこの場から逃げ出したい。

「どう考えても大やけどだ!」「君は、アイツらとは違う……!」

 僕が言い終わらないうちに、言葉をかぶせたオーナーが僕の肩を掴んで大きく揺さぶる。

「それに、ここにいるお客様はダジャレで滑る闘士たちの惨めさを笑いに来ているのに……!」

「それを聞いて闘士になりたい人はいないでしょ!」

「ファイトマネーは弾むぞ……?」

 僕とオーナーの問答の後、コロシアム中央にいた小説家志望と陰謀論者は抜けた床の下に落ち、そのままいなくなった。

「ああ……! 私は、君の口から発せられるダジャレを、これほどまでに楽しみにしているというのに……」

 オーナーの表情は恍惚としていた。彼の性癖は異常だ。他人の人生を弄ぶことに感極まってプルプルと震えている。オーナーの眼は、狂気に染まっていた。

を辞めて、君も闘士になれ!」


 つまらない?

 僕の大切なものを汚された。

 僕の腹の底から煮えたぎったマグマが登ってくる。


「つまらないとは何だ! ダジャレー・ヌーボーなんていうバカげた催しの方がつまらない‼ あ……!」

 彼女が遺してくれたものを貶されて思わず沸騰してしまった。しかし、言ってしまってから僕は後悔する。ダジャレ好きのオーナーに向かって、僕はついに禁句を言ってしまった。僕は、恐る恐るオーナーの顔を覗き見る。オーナーは怒っていない。代わりに、寂しそうな顔をした。

 そして、うんうんと頷いた。

 

 オーナーはアルマーニのスーツから赤いスイッチを取り出す。

「そうか、それは残念だ」

 そしてそれをゆっくりと押した。


 ドォォォォン‼


 僕の背後にあったダジャレ・バーが、木っ端みじんに爆散した。

「だったらこうする」

「僕の店がァァァァ⁉」

 僕の今までの思い出が、跡形もなく焼け焦げた瓦礫に変わっていた。バーに残されていた彼女の形見の品はすでに熱で焼かれて炭になっている。

 脳が理解を拒み、息が吸えない。

「ヒュウウ……ヒュウウ……」

 過呼吸気味になった僕の背中を、オーナーは優しくなでる。自分の恩人であり、支配者であり、そして加害者に向けられる優しさが、酷く残酷に、僕の脳を揺さぶっていた。

「店が消えたぞ。これで君の収入源はなくなった」

 オーナーは、まるで一つの映画を見終えたような晴れやかな顔をしていた。


「そこまでするのか……?」

 僕はいまだに、事態が理解できていない。

「君のダジャレが見たい。安心したまえ……」

 どこをどう安心しろというのか。オーナーは話を続ける。

「一人では心細いだろう。まずは無敵の人を集め、ユニットを組ませる」

 意味が分からない。僕がオーナーの顔を見つめると、彼の支配者顔が無邪気な五歳の子どもに戻った。

を作るためだよ」

「……ッ‼」

 オーナーは、無敵の人を集めて無敵艦隊を作るそうだ。これは傑作だ。

「ふふふ……」

 僕は思わず笑ってしまった。今の自分を俯瞰してみると、あまりにも滑稽すぎた。

「ハーッハッハッハ‼」


 ――もはや笑うしかない――。

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