ダジャレー・ヌーヴォー

鷹仁(たかひとし)

第1話 ここ十年で最高のダジャレ

“眠らない街、東京に舞い降りたエンジェル”


 ここは銀座二丁目のとあるビルの一室。赤い刺繍が入った暖簾をくぐると、そこに僕のバーがある。十畳の店内には席が四つあり、客はいつも決まって二人だけだ。そして、床の下からは熱狂と興奮が混じった大勢の笑い声が聞こえてくる。

 ちなみに客が二人しかいないのは、席の二つは別れた彼女が置いていった中南米の変な置物に占拠されているから。アステカの神を信仰していた彼女は、いつも身元不明の心臓を愛していた。

 そして、かつてオシャレなバーでダジャレをダーしたくてこの店を開いた彼女はもういない。

 彼女がいなくなった後に店を引き継いだ僕は、特にしたいことも浮かばないまま、うだつの上がらない日々を送っている。


 この妙な店のコンセプトと名前は彼女が考えた。

 名前を変えようか何度も迷ったが、彼女が帰ってきたときのことを考えて変えられないでいる。もし帰ってきたら残念な顔をするだろうから。それに、別れた彼女の名前を右肩に彫り、携帯の暗証番号を彼女の誕生日にした若き日の過ちが、今も尾を引いている。


「今年も素晴らしい出来だ。山本さん」

 どこのブランドか分からないスーツを着た常連の――さんが、バーのカウンターで空のワイングラスをくゆらせながらそう言った。

 よく来てくれるが相貌失認そうぼうしつにんなので名前を覚えられない。そのため、彼に話を振るときは「お客様」でごまかしている。


 今年もダジャレー・ヌーボーが出回る時期だ。

 今でいうコンセプト・バーとして僕の店ではダジャレを提供している。外では白眼視されるようなダジャレも、僕の店では気兼ねなく言えた。おかげで解放感を求めるお客様が毎日、途切れることなくやってくる。

 サービスは明朗だ。二時間三千円でダジャレ言いたい放題。ついでに僕の愛想笑いが付いてくる。氷点下で冷やしたワイングラスに新鮮なダジャレを注ぎ、お客様にテイクオフ。これがすべて。そのため、お客様の皮膚は冷やしすぎたワイングラスにいつも酷くくっついていた。


 常連の――さんとの出会いは、三年前にさかのぼる。

 彼が初めてこの店に来て「五十年物のボジョレー・ヌーボーを貰おう」と言ってきたときはどうしようか迷った。

 何故なら、ボジョレー・ヌーボーは毎年出る新酒のことであり、五十年も放置されたワインは新酒と呼べないから。


「イイデスヨ、ヤマモトサン」

 日本語が怪しい外国籍の男が、インプレゾンビのように――さんの言葉を繰り返す。どこでこの店を知ったのか、彼は一見客だ。アロハシャツにヤシの木みたいな髪型なので、おそらくハワイ育ちだろう。観光地で売ってそうな顔の半分はあるサングラスが小憎らしい。どことなく財布を持っていなさそうなので、僕は先ほどから会話の中で身元の確認をしている。

 しかし、どこから来たか、パスポートは持っているか。そういった個人情報に触れそうな領域の質問は、聞いても日本語が分からないふりで答えてくれなかった。

 ちなみに僕は山本ではなく高橋である。


「ここ十年で最高の出来です」

 小学生の図工で使う水を張った筆洗いバケツに赤い絵の具を溶かし、それをワイングラスに注ぐ。サクラクレパスの水彩絵の具だ。

 酔いつぶれた客に出すと経費が浮くが、以前バレそうになったので今は――さんだけに提供している。

 ちなみに常連の――さんはダジャレー・ヌーボーを飲むふりして床に捨てている。

 長年の信頼関係が生み出した、二人だけのだった。


「つまみはないのか」

 ――さんがカウンターのつまようじに腕を差しながら催促をする。以前、店に横柄な客が来た。それ以降、僕は「お客様は神様だ」と自称する客が鼻についている。そのため、嫌がらせにつまようじの鋭い方を上にしてカウンターの中央に置いていた。


「サーモン食べたいもん」

「モン」

 ――さんが上目遣いでそう呟いた。怪しげな外国人もそれに続く。

 お通しが、マリ共和国から取り寄せただったので、小腹が空いているのだろう。ちなみに現地では、ゲセを歯みがきならぬ歯みが木として使っていた。

 僕は、二人のぶりっこを鼻で笑い、代わりにつまみをそっと差し出す。アラスカのキングサーモンを凍らせ、削り取った破片だ。


「鮭の身好む酒飲み」

 ――さんがサーモンを唇につけると、彼は思わずカッと目を開いた。

「冷たすぎて、こーるど~」

 ――さんの親父ギャグを、僕は鼻で笑う。

 どうやらサーモンが冷たかったらしい。

 彼はハフハフしながら口の中でサーモンを溶かしている。

 ちなみに、会社のおっさんが親父ギャグを言うのは、ハラスメント社会で部下と無難にコミュニケーションを取るためである。清潔感を保ち、無害を演じなければ中年に発言権はない。薄暗いおっさんに、この社会は冷たかった。


「美味しいもん」

「オイシイモン」

 サーモンを口にした常連と外国人が味のない感想を言う。

 凍ったままのサーモンを食す、アイヌのルイベは寄生虫対策に有効であった。


 ――さんは満足したのか「釣りはいらない」と丁度のお金を置いてさっさと出ていく。回転率を上げるため、椅子をヒマラヤ山脈の頂上と同等の角度にしたのが功を奏したのだろう。

 ついでに隣の外国人はトイレに行くと言ってそのまま店を出ていった。

 ちなみに、この店にはトイレがないので食い逃げである。


「チッ。あの外国人、やっぱり金を支払わずに帰っていったな」

 舌打ちをして、僕は机の下に隠してあったボタンを押す。生活がかかっているのだ。彼女が働いていた頃から、無銭飲食は厳しく取り締まっていた。

 無銭飲食を捕まえたら、まずは身ぐるみをはぎ、続いて皮をはぐ。神への供物は余すことなかれ。これがアステカの神を信仰していた彼女の教えだった。


 ウイイイ……。


 ボタンを押すと、店から警告音が鳴り始める。狩猟の時間だ。

 まるで羅生門の下人のように、彼女に教わったすべてが今の僕を生かしていた。

 実際、この店の主要な収益は、この追剥にかかっている。


 ズズズ……。と音がして、部屋が下がっていく気配がした。


 この店は、地下コロシアムに繋がっている。

 そこでは毎晩、己のダジャレを競い合うダジャレー・ヌーボーが行われていた。

 無銭飲食をしたまま店を出ると、階下の階段から凹凸が消え、そのままこの地下コロシアムに直通する仕組みになっている。


 ……ガコン。と、地面が接地する音がした。


 店がダジャレ・コロシアムに下りると、僕は扉を開ける。

 そこには、見慣れぬ二人がいた。

「ダジャレ警察だ‼」

 どうやら今日は先客がいたようだ。

 やれやれ。最近読んだ村上春樹の真似をして、僕は極真空手の構えを取る。

 邪魔者は排除しなければならない。


「ダジャレを言うのは……誰じゃ――‼」

 ダジャレ警察の二人が、一斉に飛び掛かってくる。


 ――お前じゃ――。

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