第17話 義弟の愛に堕ちてゆく……

「どうしよう、ユリウスがどこにもいない」


 屋敷に戻ってみたが、自室にもバルコニーにも中庭にも、ユリウスの姿はなかった。


 両親も使用人たちも、誰一人存在しなくなったこの世界で、彼の居場所を聞ける者もいない。


 もし、ユリウスが消えてしまったら……。

 そんな、焦りと不安から、セレナの手は震えていた。


『落ち着くんだ、セレナ』


「でも、このままじゃっ」


『大丈夫、君の言っていることが本当なら、もうすぐ灰になるのはユリウスの方なんだろ。それなら、このまま安全な場所に隠れて、セレナは時間を潰していたほうがいい』


「え……なにを、言ってるの?」


『自分の呪いで灰になるなら、自業自得だ。それより、今はセレナ自身の安全を考えるべきさ。ユリウスが消滅すれば、現実に戻ってこられるはず!』


 どうして、そんな冷たいことを言うのか。

 セレナは突き放されたような気持ちになった。


 だが、冷静に考えれば、フレッドの言い分は、もっともなのかもしれない。

 ユリウスは、誰に命じられた訳でもなく、自らに呪いをかけたのだから。


 それでも、セレナからしてみれば、そんな簡単に割り切れない。


「ユリウスを助けられる方法があるのに、見捨てることなんてできなわ」


『助けるって、どうやって? それに、相手は、呪いを使うような野蛮な男だぞ!』


「野蛮だなんてっ……ユリウスは、わたしの大切なっ」


 大切な人だから。そう言いかけて、セレナは言葉を詰まらせる。


 それは、義弟としてなのか。異性としてなのか……。


『目を覚ますんだ、セレナ! これからのことを考えたなら、ユリウスにはここで――方が都合が――』


 フレッドの言葉が途切れ出す。


『僕たちの将来のためにも――セレナ、聞いてるのか。セレ――』


「みつけたっ、ユリウス!」


 そして、ユリウスの後ろ姿を発見した瞬間、フレッドの声は完全に消えた。


「ユリウス」


 彼がいたのは、幼い頃に度々幽閉されていた地下牢だった。


 屋敷中を探したので見つけられたが、正直ここにいたのは、予想外だ。


 ユリウスにとっては、閉じ込められた嫌な思い出しか残っていないはずなのに。


「どうしたの、セレナ」


 彼は、もうすぐ灰になって消えるかもしれない事実など、知らないかのように平静な様子だった。


「どうしたのじゃないわ、探したのよ」

「そっか、ごめん。今日は、なにして過ごそうか」

 これからデートにでも行くような雰囲気だが、そんなユリウスの態度に、セレナは眉を寄せる。


「フレッドに聞いたわ。この世界にいたら、もうすぐユリウスは、灰になって消えてしまうんでしょ?」


「ああ……でも、あと一日デートする余裕ぐらいなら、残ってるから大丈夫」

「ちっとも大丈夫じゃないわ!」


 セレナは「お願いだから、現実世界に戻りましょう」と、ユリウスの腕を掴んで訴えたが、彼は静かな笑みを浮かべただけで、首を縦に振ってはくれない。


「どうして、自分に呪いなんてかけたりしたの? それも、こんなっ、命に変わる呪いを」


「邪魔者のいない二人だけの世界を作るには、この呪いが最適だったんだ」


「そんな理由でっ」


「だって、現実世界のしがらみがあると、セレナはオレを見てくれないから」


「だからって……いくら理想の世界を作っても、灰になるなら意味ないじゃない!」


「セレナがオレを好きになってくれなかったら、その時は……灰になって消えた方がマシだ。オレにとってマイナスなことは、なにもない」


「なんてことを言うの!」

 セレナは怒った。そんな風に、自分の命をぞんざいに扱って欲しくなくて。

 でも、ユリウスに、後悔なんてないのだと、その顔を見れば分かる。


「だって、セレナが他の男のものになる世界線では、生きていけないから。腸が煮えくり返って、魔力を暴発させる未来しか見えない」


 今の自分が魔力を暴発させたら、最悪国が一つ滅びるかもしれないと、彼は言う。

 確かにそれは、想像しただけで恐ろしい。


「なんで、こんなわたしのことを、そこまで……」


 ユリウスに好意を寄せる女性は、たくさんいるのに。

 よりにもよって、自分をここまで求めてくる理由が、分からない。そう思ったのだけれど。


「恋に落ちるのに、理由なんて必要ないだろ。それともセレナはまだ、そんな恋をしたことがないの?」


 いつもクールな彼を、こんな風に変えてしまう恋の相手が、自分だなんて。


「だって、わたしは、魔力を持たない役立たずで」

「オレは、セレナの存在に何度も救われてきたよ」


「っ……本当は女の子らしくないし、大男でもねじ伏せちゃうほど怪力だし」

「セレナの言う女の子らしさってなに?」

「そ、それは……」


 聞かれても、咄嗟に答えられなかった。

 そんなの女性らしくないよと、フレッドに否定されるたびに、罪悪感を覚えてきたけれど。

 いつの間にか出来ていた、セレナの中の女性らしさとは、全てフレッドの理想のタイプでしかないのかもしれない。


「セレナは、自分で卑下しているような、欠けた存在なんかじゃない。充分過ぎるほど、かわいいよ。目が離せないぐらい」


「っ……わたしのこと、そんな風に思ってくれていたの?」

「そうだよ。ずっと、見てたから。セレナのことだけ」


 そっと頬に手を添えられても、セレナは抵抗することが出来なかった。


「セレナが、こんなわたしって卑下する部分も、全部オレが愛してあげる。もっと自分に、自信が持てるように」


 鼻の奥がツンとして、涙が零れそうになる。


 フレッドに嫌われないよう、ダメな自分を隠して、彼の望む完璧な女性でいなければ、愛されない、一族の役に立てないと気を張ってきた。


 それでも愛されていなかった事実を知って、なんて自分は惨めなんだろうと、心は折れかけていたのに。


 そんなことしなくても、自分を愛してくれていた人が、こんな身近にいたなんて。


「でも、このままじゃ、もうすぐユリウスは消滅しちゃうんでしょ?」

「うん。だから……オレの愛を受け入れる覚悟があるなら」


 ――キスして、セレナ。


 求められ、セレナは困り顔で俯いてしまう。


「そんな覚悟……急に、持てないわ」


「まだ、怖い?」


 ユリウスは、責めることも急かすこともなく、優しい声音で聞いてくるので、セレナは素直に頷いた。


 だって、キスなんてしたら、姉弟の一線を超えてしまう。

 そうしたら自分たちは……どうなってしまうんだろう。


「そっか。残念だけど……時間切れだ」

「え」


 そっと頬に触れていたユリウスの手が下ろされ、セレナは違和感に顔を上げる。


「ユリ、ウス……」


 彼は、穏やかな笑みを浮かべていた。


 その身体は光の粒子に包まれ、さらさらと砂のように風に流され……ユリウスの身体が、薄くなってゆく。

 そして地下牢も、そこに広がっていたはずの世界も、崩れ始める。


(ユリウスが、消えちゃう……そんなのっ)


「大好きだよ、セレナ……呪いたいほど、愛してる」


 セレナの胸の奥から、抑えていた感情が溢れ出す。


「消えちゃ、いや! ユリウス!!」


 ――これからも、側にいて。


 そう祈るように、縋るように手を伸ばし、彼の顔を引き寄せると、めいっぱいの背伸びをして――セレナはユリウスへ唇を寄せたのだった。

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