第16話 歪な愛の世界で

 ――セレナ、セレナ!


「うぅ……」


 ユリウスと、デートを楽しんだ夜から数日。

 あの日以来、誰かの声で深夜に目が覚めるようになった。


「また、聞こえた……なんなのかしら」


 夢うつつの時だけ聞こえる声は、意識がはっきりとすると途切れてしまう、いつもは……。


 けれど、今日は違った。


『セレナ、返事をしてくれ!』


「っ! 誰?」


 はっきりと聞こえた。自分の名前を呼ぶ声が。

 けれど、辺りを見渡してみても、薄暗い部屋に人の気配はない。


『セレナ! 僕の声が聞こえているのか?』


「だ、誰、ですか?」


 呼びかけてくる声が、どこから聞こえているのか分からず、おろおろとしてしまう。

 まさか、幽霊だったらどうすれば……魔物退治ならばお手の物である竜殺しの一族も、幽霊退治は専門外だ。


『僕だよ、フレッドだ!』


「フレッド?」


 誰だっただろう。

 セレナは、首を傾げる。知り合いならば、名前を聞けば分かるはずだが。


『まさか、忘れたなんて言わないよな。僕は、君の婚約者さ!』


「え……」


 自分に婚約者などいない。

 魔力を持たない、一族の面汚しである自分には、縁の無い話だ。

 そう……そのはずだけど。


(わたしの、婚約者……?)


 セレナは、無意識に自分の薬指を指でなぞっていた。

 なにかが足りない気がした。

 決してはずさないでと約束した、例の指輪を今の自分はしていない。


(あ、れ……?)


 パッと浮かんできた記憶に、理解が追いつかず混乱する。


『しっかりしてくれ、セレナ! 君はユリウスに騙されているんだ!』


「な、なにを言うの?」


『あいつが得体の知れない呪いを発動したせいで――に、閉じ込められて――』


 男の声は、途切れ途切れとなり、肝心な部分が聞き取れない。


 ただ、男が言っていることが確かなら、自分は……。


『とにかく、僕がセレナを助ける。だから――』


 そこで、男の声は、完全に途切れた。


「うっ、頭が……」


 頭が、割れそうに痛い。

 セレナは唸りながら、フレッドの声が引き金となり、流れ込んできた記憶に耐える。


「わたし……、どうして……っ」


 どうして、フレッドのことを、忘れていたのだろう。

 いや……そもそも、『この世界』には、フレッドなんて青年、存在していない。


 ピタリと頭痛が止んだ瞬間、なぜだがセレナは言いようのない恐怖から、肌が粟立った。


 その時――。


「セレナ」


 突然、部屋に飛び込んできたのは、ユリウスだった。

 こんな深夜に、不自然すぎる。


「どうしたの、セレナ」

「それは、こっちの台詞よ。こんな時間に、どうしてわたしの部屋へ?」


 セレナは、動揺を悟られないよう、精一杯いつも通り振る舞ったつもりだった。けど。


「……あいつの気配を感じたから」

「あいつって?」


「セレナにも、聞こえたんだろ。そして、思い出したんじゃない?」

「っ……」


 セレナのいるベッドに腰掛け、ユリウスは探るようにセレナの顔を覗き込む。

 もう、知らないふりはできなさそうだ。


「ずっと……なにか違和感があったの、この世界に。ここは、どこなの?」


 あの日、旧校舎の屋上で、フレッドの本心を知ってしまったセレナは、泣いていた。

 ユリウスが、そんなセレナに告白してきて……そこに、フレッドがやってきたところまで思い出せたが。


 次に、気がついた時には、ここにいたのだ。

 フレッドの存在が根こそぎ消えた、この世界に。


 フレッドが消された。そうとも考えられるが、違う気がした。

 そこまで多くの者の記憶を操作する魔術など、さすがにユリウスでも扱えないだろう。


 ならば、もう一つ考えられる答えは……。


「ここは……言うなれば、オレの望んだ箱庭の世界」


 やっぱりと、セレナは思った。

 ここは、自分たち二人しか実在しない、幻の世界なのだと。


(そうまでして、フレッドが存在しない世界を、ユリウスは望んでいたの?)


 自分は今、ユリウスの見る都合のいい夢のような世界に、閉じ込められ囲われているのだろう。


 政略結婚の重圧もないこの場所は、セレナにとっても、優しい夢のような、居心地の良い世界だったけれど……気付いてしまった以上、もうこの場所には留まれない。


「ユリウス、元の世界に戻りましょう。戻る方法を知っているんでしょ?」


「知ってるよ」

「どうすればいいの?」


 セレナは、必死の思いから前のめりになる。

 ユリウスも、同じくセレナの方へ顔を傾けると、囁いた。


「じゃあ……キスして、セレナ」

「……へ?」


 あまりにも想定外の言葉に、セレナは間抜けな声が出た。


「いつの時代も魔法は、愛の口付けで解けるっていうのが、お決まりだろ?」

 そう言われ顎を掴まれるが。

「ま、待って、待って、待って!?」

 迫ってきた顔を押しのけ、セレナは仰け反る。


「なに? 早く、解きたいんじゃないの?」

「で、でも……」


 キスなんてしたら、その瞬間、完全に義姉と義弟という一線を越えてしまう。

 少なくとも、セレナの気持ちは、変わってしまう気がした。


 そんな状態で、自分はフレッドと、愛のない結婚ができるのだろうか。

 その先の未来を想像するのが、怖くなった。


「オレとは、出来ない? 義弟だと思ってる男とするのは、いや?」


 なんと答えて良いか分からず、口ごもるセレナの反応を拒絶と受け取ったのか、ユリウスは冷たく薄い笑みを浮かべた。


「別にオレはいいよ、このままでも。このまま、邪魔者のいない世界で、セレナと一生二人きりで添い遂げるのも、悪くない」


 仄暗い瞳に見つめられ、背筋が冷える。


 ユリウスの望みは、フレッドのいない世界というより……セレナを、誰も手の届かない、見えない檻のようなこの箱庭に、閉じ込めることだったのではないか。


 そんな気さえしてきて……。


「……少し、時間をちょうだい?」

「もちろん」


 震える声でそう伝えるのが、今は精一杯だった。

 だから、セレナは答えを先延ばしにした。



◇◇◇◇◇



「はぁ……逃げたって、なにも解決しないのに。わたしの、バカ」


 次の日の早朝。


 一睡も出来なかったセレナは、自己嫌悪に陥りながらも、気分転換に散歩へ出かけたのだが。


「…………」


 屋敷の中でも、すでに違和感はあった。そして、外に出て確信する。


「誰も、いない」


 無人の屋敷に、無人のレンガ通り。

 早朝とはいえ、それなりに人口の多い本当のサンセリア街でこの光景は、ありえない。


 昨日のユリウスの言葉通り、ここは邪魔者のいない、二人だけの箱庭と化したようだ。


 それは、まるで歪な愛の世界。


 セレナしかいらないという、ユリウスの強い執念を感じる。

 もう自分の想いを隠す気はないと、開き直っているようだ。


(やっぱり、このままじゃダメだわ)


 こんな世界に一生留まるなんて、不健全すぎる。


(でも……元の世界に戻ったら)


 自分は、愛のない結婚を強いられる。


 前よりも、それを苦痛に感じてしまうのは、きっと……。


『セレナ!』


「フレッド!」


 姿はないが、また声だけ聞こえる。

 この世界の外で、フレッドは何日も自分を、待ち続けてくれているのだろうかと思った。だが。


『いいか、落ち着いて聞いてくれ。セレナが魔法陣に飲み込まれて、もうすぐ三時間が経つ』

「三時間?」


 この世界では何日も過ぎているのに、現実では、それだけしか経っていないらしい。


『急いで調べたが、この魔法陣の呪いは厄介だ。その呪いにかかり甘い夢の世界に囚われた者は……数時間で精気が枯れ果て、灰になって消える』


「え……」


『その世界は、呪いを受けたものの精気を吸い上げ出来ているんだ! ユリウスは、そんな恐ろしい呪いをセレナにっ』


 フレッドは、勘違いしている。

 ユリウスは、セレナを呪ったのだと。

 だが、違う。ユリウスは、父との契約の下、他人を呪い殺せないはずだ。


 だから――自分はユリウスの見る夢の中へ、道連れのようにして、囚われただけ。

 呪いがかかっているのは……。


「もうすぐ灰になるのは、ユリウスの方だわ!」


 血の気が引いて、セレナは駆け出す。

 朝からユリウスを見かけていない!


『どういうことだ? 自分で自分を呪い殺す術をかけたとでも? そんなバカな』

「ええ、そうよ! ユリウスの、バカ! 嘘つき!」


 一生この世界にセレナを閉じ込めるようなことを言っておいて、本当はもうすぐ終わりが来ることを知っていたのだ。


(なんで、どうしてっ)


 どうか消えないで。

 

 昨日、キスしなかったことを後悔しながら、セレナは必死でユリウスを探し、走り続けた。

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