第10話 婚約者の本性

(の、呪いっていったい……)


 自室に戻ったセレナは、恐る恐る鏡台に映る自分を覗き込んでみた。


 容姿は特に変わっていないようだ。

 体調も悪くないし、なにも変化を感じない。


(冗談、だったのかしら)


 そうだ。そうに違いない。

 自分に言い聞かせるように、心の中で呟いた。


 呪いだなんて物騒な術、かけた本人にも代償が返ってくる可能性もあるのだ。


 危険を冒してまで、呪術に手を出すわけが……ないと信じたい。

 そこまで自分が嫌われていたなんて、思いたくないから。


(それにユリウスには、お父様との契約があるはず……)


 人を呪い殺すことはできないよう、魔術による契約をしていると聞いているけれど……じゃあ、呪い殺すほどではない、呪いは?


「お嬢様、いかがなさいました?」

「きゃ……な、なんでもないの」


 振り向くと、いつもセレナの身の回りの世話をしてくれているメイドが、不思議そうに首を傾げていた。


 まじまじと鏡の中の自分を覗き込んでいたところを見られ、少し気恥ずかしい気持ちになりながら、鏡台の椅子に腰掛ける。


「今日は、フレッド様と、お約束がある日でしたよね」

「ええ」

「それでは、こちらのおリボンを、編み込むのはいかがですか?」

「かわいい! お願いするわ」


 レースのついた黄色いリボンを見せられ、気分が上がった。


「では、失礼します」

 メイドは、いつものようにセレナの髪に触れ、丁寧にブラシで梳かしてくれる。

 心地よいその手つきに、身を任せていると。


『はぁ……お嬢様の身の回りのお世話ができるのも、あと数回かしら』


(え?)


 独り言にしては大きい溜息と、声が聞こえてきて、セレナはきょとんとしてしまう。


『お給金も良いし、お嬢様はちっとも我が儘をおっしゃらない方だから、仕事環境としてはなんの不満もないのだけど……』


 セレナに話しかけているというよりは、独り言のようだが、はっきりと聞こえてきてしまうので、反応に困る。


(いつもは、こんなに大きな独り言を、する人じゃないのに。疲れてるのかしら?)


 それに、ここを辞める気でいたなんて、初耳だ。


『けれど、突然彼に、仕事を辞めて自分に着いてきて欲しいって、プロポーズをされたら断れないじゃない。今朝は本当にビックリしたわ。でも、嬉しかった』


「まあ、おめでとう!」

「え?」


 思わず祝福の言葉を口にしてしまったら、今度はメイドがきょとんとした。


「あ、あの、なんの話ですか?」

「え、だって、今プロポーズされたって」

「えぇ!? あたし声に出して言ってました!?」


 まだメイド長にも、誰にも言っていない話だったらしく、彼女は動揺を隠せないようだ。


「ふふ、さっきから大きな独り言を、言っていたわよ」

「恥ずかしい……すみません、お嬢様」

「いいのよ。あなたには、いつもよくしてもらっているから。一番に結婚の報告を聞かせてもらえて、嬉しいわ」


 改めてセレナが祝福すると、メイドは照れ笑いを浮かべ、喜んでくれた。



◇◇◇◇◇



 メイドからの幸せ報告に、自分まで嬉しい気持ちになったセレナは、軽い足取りでフレッドとの待ち合わせの場所へ向かった。


 やはり、ユリウスが言っていた呪いなんて、たちの悪い冗談だったのだ。

 今のところ、嫌なことなどなにも起きていない。


「フレッド、お待たせ」


 今日の格好は大丈夫だろうか。おかしなところは、ないだろうか。

 前日にはお風呂上りにローズのボディオイルを塗って手入れをしたし、髪も服装もメイドと話し合って決めてきた。


 それでも、フレッドに残念そうな顔をされないか、緊張しながら彼の前に立つ。


「セレナ、今日も可愛いよ」

「っ……ありがとう」

 合格をもらえたことにほっとして、セレナの表情が緩んだ。


「それじゃあ、行こう」

「ええ! とっても、楽しみ」


 今日は、セレナが観たかった劇を、観覧しに行く約束だった。

 若い女性を中心に人気の舞台で、なかなか席が取れないものだ。

 それなのにフレッドが伝手を頼って、チケットを手配してくれたらしい。


 前に観たいと言ったのを、覚えていてくれたのだと思うと、その気持ちがとても嬉しかった。



◇◇◇◇◇



 観劇を楽しんだ後は、カフェでお茶をして過ごした。


 セレナは夕食も一緒にと思っていたのだが、今日はフレッドに用事があるらしい。


「まだ明るいし、送ってくれなくても大丈夫なのに」


 用事があるなら、現地解散でも良いと言ったセレナに、そういう訳にはいかないと、フレッドが送ってくれる。


 二人並んで、夕焼けのレンガ通りを、ゆっくりと歩いた。


 その時、当たり前のようにフレッドに手を繋がれ、セレナはドキンとして顔を上げた。


 彼は、なにも言わず微笑んでいる。

 傍からみたら、自分たちは幸せそうな恋人同士に、見えているだろうか。

 そんな風に意識してしまって、緊張しながらセレナも笑い返した。


「指輪、今日もつけてきてくれて嬉しいよ」

「言ったじゃない。肌身離さず身につけるって」

「ああ、約束だ。これは、君が僕のものだっていう、証なんだから」


 独占欲というやつだろうか。ちょっぴりくすぐったい気持ちになりながらも、セレナは頷く。


「ええ。約束」

「嬉しいよ」


『クク、これを見るたび、悔しそうに顔を顰めるユリウスの姿が、目に浮かぶな』


「え?」

「ん? どうかした?」

「……いえ、なんでも」


 フレッドの綺麗な笑みとは、似つかわしくない、意地悪な言葉が聞こえてきた気がしたが、戸惑いながらも、気のせいだと思うことにした。

 そう、気のせい……。


「きょ、今日は劇のチケットを用意してくれて、本当にありがとう。人気の劇だから、大変だったでしょう?」

「ああ、でもセレナのためだから、少しも苦じゃなかったさ」

「フレッド」


『なんてな。本当は別の相手にキャンセルされて、使いまわしたチケットだったんだけど』


「っ!」

 セレナはショックのあまり言葉を失う。

 もしそうだったとしても、わざわざ伝えないで欲しかった……。


『おっ、あそこにいる女、いいな』


(え?)


 フレッドが、チラッと視線を向けた先を辿ると、そこには艶っぽい女性の姿。


 一人でカフェのテラスに座り、優雅にお茶を飲んでいる。

 その妖艶さから、近くにいる男性客たちの、注目の的だ。


『やっぱり、遊び相手には、ああいう女が一番だ』


(遊び相手って、どういう意味? 確かに、すごく美人な女性だけど……)


 自分といる時に、他の女性をそんな風に言うなんて、複雑な気持ちになってしまう。

 いつものフレッドなら、絶対そんなことしないのに。

 よほど、あの女性がタイプで、思わず本音が出てしまったのだろうか。


『セレナも、容姿は悪くないが、物足りないんだよな。もう少し、色気を身につけてくれたらいいのに』


「…………」


(わたしは、なんて返せばいいの?)


「ん? どうしたんだ。難しい顔をして」

「どうしたって……だって、フレッドが、さっきからひどいこと言うから」


 セレナは、さすがにムッとした表情を、隠せなかった。


「僕が? ……君の機嫌を損ねるような言動をしてしまったなら、謝るよ。だから、落ち着いてくれ」


 フレッドが、少し困った顔でなだめてくる。

 申し訳なさそうにしている彼を見て、セレナは気まずくなりたくないので、先ほどの発言は水に流そうかと思ったのだが。


『チッ、なんだ、突然。面倒くさいな』


「っ!?」

 申し訳なさそうなのは表情だけで、ちっとも反省などしていないようだ。


 怒りというより悲しくなって、思わず繋いでいた手を振りほどく。


「セレナ?」

 フレッドは、驚いた顔をしていた。

 どうしてセレナに拒まれたのか、本気で分からない様子だ。


 そんな彼を、怖いと思ってしまった。

 今日は、これ以上、一緒にいたくない。


「あの……もう、すぐに家だから。今日はここまでで、大丈夫、です」

「そうか、じゃあ……」


 セレナは、気まずい雰囲気のまま別れたくなくて、最後は笑顔を取り繕った。


「今日は、ありがとう。それじゃあ、またね」

「……待って、セレナ」

「えっ」


 腕を掴まれ引き寄せられたかと思うと、フレッドの顔が間近にあって、キスされるのだと察した。


 セレナは心の準備も出来ぬまま、しかし拒めないので「受け入れなくちゃ」と、硬く眼を瞑る。しかし。


『なにで機嫌を損ねたのか知らないが、これで直るだろ。こいつの長所は、扱いやすいところだからな』


「っ!!」


 セレナは反射的に、フレッドを突き飛ばしていた。

 そんな理由で、キスなんてされたくない。


「……セレナ?」


 しかし、フレッドは、まさか拒まれるとは思っていなかったのか、意表を突かれたような顔をして、固まっている。


(フレッド……おかしいわ。さっきから、言動や表情がちぐはぐすぎる)


 そんな彼の態度が……いや、この状況が、セレナは怖かった。


 ――今、呪いをかけたんだ。


 ふいに、今朝のユリウスの台詞が蘇る。


(これが、呪い? だとしたら、なんの呪い?)


「いったい、どうしたんだ。セレナ」


「な、なんでもないの。ごめんなさいっ……ただ、まだ心の準備が……」

「ああ……そうか」

「……それじゃあ、またね!」


 もう、フレッドの言動に、これ以上振り回されたくなくて、セレナは逃げるようにその場から立ち去ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る