第9話 宣戦布告と呪いの口付け

 ある日の休日。

 今日は、午後からフレッドと、デートの約束をしている。


 そのため普段なら、粗相のないよう無事デートを終えられるか、午前中から緊張しているセレナだったが。

 今朝は別のことが気がかりで、意識がそちらに向いていた。


 食事は、なるべく家族揃って食べるのが、セレナの家の決まりだったが、今日はユリウスの姿がなかったのだ。


 使用人に聞くと、体調不良で、まだ寝ているとのこと。

 幼い頃のように、魔力を暴走させることはないとは思うけれど、寝込むほど体調が悪いというのは心配だ。


 セレナは、ユリウスへ朝食の果物を届けに、部屋へ行くことにした。

 少しは、胃に何か入れないと、薬も飲めないだろうから。






「ユリウス、入るわよ」


 ドアをノックしても返事はなく、寝ている可能性もあるので、なるべく物音を立てないように、忍び足でユリウスの枕元まで向かう。


 サイドテーブルに果物がのった皿と、お盆を置くと、セレナは静かにユリウスの顔色を覗き込んだ。


「寝てるの?」


 そっと額に触れてみるが、熱はなさそうだ。顔色も悪くない。


(思っていたより、ひどい体調ではなさそう)


 幼い頃、すぐに体調を崩すユリウスを、毎回看病していたセレナには、なんとなくそれが分かり、とりあえずほっとした。


(風邪かしら。使用人からは、頭痛がするらしいって、聞いたけれど)


 冷たい水に浸したタオルを絞り、額にのせてあげようとしたところ、突然手首を掴まれ、セレナは「ひゃっ」と声を上げた。


「ユ、ユリウス、起きたの?」

「……姉上」


 セレナの顔を見て、一瞬表情を和らげたユリウスだったが、掴んでいた左手に視線が向くと、すぐにその表情は冷たくなって、手を離される。


「体調は、大丈夫? 熱はないみたいだけど」

「……たいしたことない。少し、寝不足だっただけ」

「そう……」


 強大な魔力を、身体の内側に抑え込むには、相応の体力と気力が必要らしい。

 そのためか、ユリウスは気怠そうなことが多いし、よく昼寝をしている。


 果物は食べられるかと聞くと、彼は無言のまま起き上がり、サイドテーブルに置かれたリンゴとイチゴに視線を向けた。


 だが、いつまでも手に取ろうとしないので、セレナは首を傾げる。


 ユリウスの好きなものを選んで、持ってきたのに、食欲がないのだろうか。


「食べられない?」

「……ん」


(え? もしかして、食べさせろっていうこと?)


 ユリウスは、なにか待っているようだ。

 そいうえば、幼い頃は寝込むたびに、食べさせてあげていた。


 けれど、もう子供じゃないのに。


 いつもそっけないくせに、こんな時だけ甘えてくるのか……と思いつつ、僅かに口を開けて待っている姿が可愛くて、セレナは彼の思惑通りに動いてしまう。


 フォークにイチゴを刺して、口元まで持ってゆくと、大人しくユリウスはそれを頬張り咀嚼した。

 普段、あんなにツンツンしているユリウスが、大人しくイチゴをもぐもぐしている。

 ただそれだけのことだけど。


(なんだか……かわいい)


 二人の間に会話はなかった。


 無言のまま、セレナは果物を、ユリウスの口元に運び続ける。


 餌付けしている親鳥の気分だ。


 ずっと目も合わないまま、無言が続いていたが、最後のイチゴを食べ終えたところで、ようやくユリウスがこちらを見たので、目が合う。


「美味しかった?」

「……ん」

「そう、よかった」

「…………」

「な、なに?」


 義弟といえども、その綺麗な瞳で見つめられると、なんだかどぎまぎしてしまいそうになる。


「今日、これからあの人と約束?」

「え……」


 フレッドとのデートのことだろうか。

 まだおめかしもしていないのに、なんでユリウスが、そのことを察したのか謎だが。


「そうよ。午後からだけど」

「……そんなにあの人が好き?」


 今日のユリウスはどうしたのだろう。

 いつもなら、自らフレッドの話題を振ってくることなんて、無いに等しいのに。


「……好き、よ」

 フレッドとは、政略結婚ではあるけれど、普通の恋人と変わらないと、セレナは自分たちの関係を、そう自覚している。


 彼はずっと自分を想ってくれていたそうだし、自分もそんな彼の想いに、心打たれ惹かれたのだから。


「せっかく忠告したのに……いつまで、騙されてる気?」

「え?」

「言っただろ。もう少し、男を見る目を養った方がいいって」


「別に、騙されてなんて」

 ユリウスは、なにを根拠にそんなことを言ってくるのだろう。

 セレナは、不安を誤魔化すよう、無意識に薬指へ触れた。フレッドから贈られた、指輪を確かめるように。


「フレッドは、命の恩人だから。わたしのこと、命がけで助けてくれた人だから……あの時、運命を感じたの」


 運命なんておおげさかもしれないけど。


 ――死なないで、セレナ――愛してる。


 あの瞬間、心を動かされたのは事実だ。


「っ……そう」


 ユリウスはセレナの言葉を聞くと、俯いてしまった。


(どうして、突然辛そうな顔をするの?)


 フレッドを好きだなんて、趣味が悪いとでもいいたげな、責めるような目をしていたかと思えば……今は、泣きそうな顔をしている。


 ユリウスの気持ちが分からない。


「だったら……なおさら、許せない」


 ユリウスがなにか呟いた。

 その言葉を聞き取ろうと、セレナが耳を傾けた瞬間だった。


「きゃっ!」


 突然、腕を掴まれたかと思うと、強引に引き寄せられ、ベッドに押し倒される。


「っ……ユリウス?」


 さすがに姉弟とはいえ……いや、姉弟だからこそ、こんな状況を誰かに見られては、いけない気がした。


「なにをするの? 離して、ユリウス」

 そう訴えても、上から押さえつけてくるユリウスが解放してくれる気配はない。


 見上げた彼の目が、なんだか仄暗くて、ゾクッとする。


「なにか、怒ってる?」

「怒ってるよ……ずっと、内心腸が煮えくり返りそうなぐらい」


 そんなにユリウスを、怒らせていたなんて……いったい、なにが原因で?


「そこまで、あなたに嫌われるようなこと、わたし、なにかしちゃった?」

 ショックと戸惑いで、僅かに声を震わせたセレナへ、ユリウスは悲しそうに笑った。


「そうじゃないよ。気づいて」

「なにを?」


 問いかけに答えることはなく、ユリウスは強引に掴んだセレナの薬指に、口付けをする。


 ビリッとした刺激が、一瞬セレナの手に奔った。

 するとユリウスは、なぜか満足げな表情を見せ、その後あっさりとセレナを解放してくれた。


「あの……今のは?」

 恐る恐る、ベッドから起き上がり尋ねる。


「……呪い」

「え?」


「今、呪いをかけたんだ」


 呪い? 混乱で頭が上手く回らない。


「ざまあみろ」

「っ!?」


 憎しみの籠もった言葉に、セレナは驚いた。

 そんなに自分は、嫌われていたのかと。

 けれど、彼のその目は、セレナじゃくて遠くを見ている。


 まるで、ここにはいない『誰か』への、宣戦布告のように。


 ユリウスは、不敵な笑みを浮かべると「今日のデート楽しんできて」と、セレナを送り出してくれた。


 わけが分からないまま、けれど約束の時間に遅れるわけにもいかず、セレナはユリウスの部屋を後にしたのだった。

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