第8話 疼く恋心 ―ユリウスside―
「ユリウス、どこに行くの?」
「…………」
「ユリウス!」
旧校舎の屋上からだいぶ離れた廊下の片隅で、ようやくユリウスは、セレナから手を離す。
「どうしたの、突然」
普段、こんな風に強引に、セレナを連れ出すことなんてないから。
彼女は、よほど大事な用件でもあるのだろうと、緊張の面持ちで、こちらの言葉を待っている。
(別に用事なんて、ないんだけどな)
ただ、あの男とセレナを、あれ以上二人きりにさせたくなかっただけだ。
そんなこと、口が裂けても言わないけど。
「……別に、なんでもない」
「え?」
「もう行く」
そっけなくそれだけ言うと、ユリウスはセレナを置いて、その場から立ち去る。
ぽかんとしたまま立ち尽くすセレナの視線を、背中に感じても、ユリウスが振り返ることはなかった。
「おいおい、ユリウス。さっきは、よくも邪魔してくれたな」
「…………」
むしゃくしゃする感情を鎮めたくて、人気のない場所を求め歩いていたユリウスの前に、いじめっ子みたいな笑みを浮かべたフレッドが現れた。
セレナや女子生徒たちの前でだけ見せる、紳士的な仮面を外した、いけ好かない態度で。
「なんだよ、その生意気な目は」
フレッドが馴れ馴れしく肩を組んできたので、ユリウスはその腕を払いのける。
相手にしたくないので無言でいるのに、目つきがどうとか、いちゃもんをつけてくるあたり、子供時代からなにも変わっていない。
そう、この男の性根は昔のままだ。
ただ、女性が喜ぶような外面を、身につけただけで……。
「なにか、言いたいことがあるなら言えよ」
「……別に」
面倒ごとに巻き込まれないうちにと、フレッドの横を擦り抜ける。
だが。
「いい加減、義姉離れするんだな。セレナは、もう僕のものなんだから」
「…………」
思わず足が止まる。
「彼女はすっかり、僕に夢中さ。僕の言うことなら、なんでも従順に聞く」
「…………」
ぐっとこぶしに力を入れ、堪える。
気に食わない。どんどんセレナが、フレッドの好みに染まってゆくのが。
「明日はデートの約束をしてるんだ。その時にでも、今日の続きを――っ」
背中に投げかけられた言葉に堪えきれず、殺気を放ってしまった。
感情が荒ぶると、魔力を暴走させてしまう癖は、決して完全に直ったわけでは無い。
こんな風に喧嘩を売られると。
「な、なんだよ! 僕を呪い殺すつもりか? そんなことしたらっ」
――セレナが悲しむ。
睨みをきかせながらも、思い留まるユリウスを見て、フレッドはまた薄ら笑いを浮かべていた。
ほら、だから貴様は僕に手も足も出ないだろ。
そんな台詞が今にも聞こえてきそうだ。
苦虫を噛みつぶしたような顔して、その場から立ち去るユリウスの後ろ姿を、フレッドはずっと勝ち誇った顔で、ニヤニヤしながら眺めているようだった。
◇◇◇◇◇
数年前。ユリウスが十四歳の誕生日を迎えた当日のこと。
「眠るまで、わたしがずっと側にいてあげる」
成長し、だいぶ体力もつけたユリウスは、昔のように体調を崩したり、魔力を暴走させることもなくなってきたのに。
久々に高熱で倒れたのは、よりにもよって、自分の誕生日当日のこと。
夜に予定されていたパーティーは、主役不在で開催されることになったようだ。
だが、集まった客人たちの目的は、ユリウスを祝うことじゃない。竜殺しの一族を率いている養父スタンリーと交流を持ちたいがために、集まっている大人たちばかりだ。
だから、正直そんな集まり、どうでもよかった。
「辛くなったらいつでも言ってね。喉が渇いたら、お水を用意するわ」
それより、セレナがつきっきりで看病してくれるのを、内心喜んでしまっている事実の方に、ユリウスは罪悪感を抱いていた。
「オレと一緒にいて大丈夫? 少しは、パーティーに顔を出した方がいいんじゃない?」
本心では側にいて欲しいけれど、取り繕ってそんなことを言ってしまう。
最近の自分は、本音と態度が真逆だなと、ユリウスは自覚しつつ、素直になれない。
いや、素直になってはいけない。そう思っていた。
「いいのよ。わたしがいなくたって、誰も困らないわ」
そう言って、自分から離れていこうとしない彼女を見て、内心ユリウスは嬉しかった。
最近、セレナが綺麗で、かわいく見えて仕方ない。
そんなセレナが着飾って、パーティーなんて出たりしたら……考えただけで、モヤモヤする。
感情が乱れ、また魔力を、暴走させてしまいそうだ。
特にフレッドなんかは、なにを企んでいるのか、最近やたら、セレナに優しく振る舞っているのを知っている。
おそらく、彼女の婚約者の座を狙っているのだろう。
ギリッと胸の奥が痛んだ。
こんなにも息苦しいのは、熱のせいなんかじゃない。
もし、いつかセレナが、誰か別の男のものになったりしたら……この力を制御できなくなって、なにもかも壊してしまいそうだ。
「苦しい? せっかくのお誕生日なのに、かわいそうに」
眉を顰めるユリウスを見て、セレナは心配そうに、そっと髪を撫でてくれた。
(気持ちいい……)
暴走しかけていた感情が、鎮まってゆく。
もっと触れて欲しいとさえ思った。この手を、声を、独り占めしたい。
「ずっと、側にいるからね。だから、安心して眠って」
ずっと――セレナの言うそれは、今夜だけのことだろう。
けれど、自分が望む「ずっと」は、もっと欲深いもので、一時だけの約束じゃ足りない。
「~~~~♪」
セレナが枕元で、静かに誕生日を祝う歌を、口ずさんでくれた。子守歌代わりに。
二人きりの誕生日。
なんて贅沢な時間なんだろう。
(セレナ……好きだ。ずっと、独り占めしていたい)
決して、口に出せない想いを自覚して、ユリウスは静かに目を閉じ眠ったふりをしていた。
この時間がずっと続けばいいのにと、願いながら。
「姉上、寝たの?」
やがて、静かな寝息が聞こえてきた。
セレナはユリウスの枕元に突っ伏して、いつの間にか眠ってしまったようだ。
「うぅ、ん……」
僅かに身じろぐセレナの、頬にかかった髪にそっと触れ、起こさないように耳にかけてやる。
まったく起きる気配のない、無防備な彼女の寝顔を、ユリウスは見つめ続けた。
(セレナ、かわいい……オレだけのセレナ)
どんなに見てても飽きない。思いが溢れて止まらない。
そして衝動的に思う。
――セレナに近づく男は、全員呪い殺してしまえればいいのに。
そんな考えが自然と頭を過り、ユリウスは、慌ててセレナに触れていた手を引っ込めた。
いつも寛大だった養父が、ただ一つ、ユリウスを厳しく躾けたことがある。
『君はもう、アーチデイルの人間だ。その力で、人を呪い殺してはいけないよ。もし破ったら……』
セレナと、一緒にいられなくなる。
◇◇◇◇◇
「っ……」
なんとも言えない切なさがこみ上げてきて、ユリウスは目を覚ました。
時刻は、まだ起きるには早い夜明け前だったが、再び寝付けそうもない。
十四歳の誕生日の夢を見たせいだ。
大切な、温かな思い出だったはずの記憶が、今は悪夢のように、ユリウスを不快にさせる。
あの頃は、まだセレナは、誰のものでもなかったのに。
『あの時』踏み出す強さがあれば、欲しいと望む勇気があれば、違う未来が手に入っていただろうか。
――自分は『あの時』たった一度のチャンスを、逃してしまったのだ。
それともまだ……付け入る隙はあるのだろうか。
(セレナが欲しい……どんな手を使っても)
そのためなら、代償を払ってもいい。
薄闇の中でそう願ったユリウスの瞳は、仄暗かった。
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