第7話 婚約した理由

 フレッドが連れてきてくれたのは、旧校舎の屋上だった。

 彼が穴場と言っていた通り、人気がなくて貸し切り状態だ。


「知らなかったわ、屋上が開放されていたのね」

「開放されているというよりは、鍵が壊れたまま、放置されているだけのようだけどね」

 だから二人だけの秘密だよ、とフレッドが人差し指を唇に当てながら言うので、セレナは素直に頷いた。


 二人はベンチに腰掛け、買ってきたサンドイッチを袋から取り出し食べ始める。


「その指輪、ちゃんとつけてくれているようだな」

 セレナは「もちろん」と笑った。


「肌身離さず身につけているわ」

「そう。セレナは本当に、素直なところがいいよ」

「…………」


 それは、褒め言葉と受け取っていいのだろうか。

 フレッドに深い意味はないのかもしれないけど、昨日ユリウスから、散々なことを言われたせいで、なんとなく喜べなかった。


「どうした?」

 セレナの浮かない表情に気付き、フレッドが不思議そうにしている。


「いいえ、なんでもないの。改めて、素敵な贈り物をありがとう」

 フレッドの言葉に裏があるんじゃないかだなんて、一瞬でも疑ってしまったことを反省して、セレナは気持ち切り替えた。


 せっかく二人で過ごせる時間なのだから。


「今でもまだ、たまに不思議な気持ちになるわ」

「なにが?」

「フレッドと婚約して、こうして一緒に過ごすようになったことよ」


 数ヶ月前までは、彼との結婚なんて、考えたこともなかったから。


「そうだな。君は最初、僕との縁談を、断ろうとしていたようだし」

「そんなことは……」


 彼の言うとおり、フレッドと婚約の話が上がった時、正直あまり乗り気でなかったのは事実だ。


 両親も、セレナの気持ちを大切にしていい、嫌なら断ってもいいんだ、と言ってくれていた。

 一族の結束を高めるために、必要だったからあがった、結婚話にも関わらずだ。


「それなのに、なぜ振り向いてくれたんだ?」


 どうしてセレナがフレッドとの婚約を、受け入れたかと言うと――。


「あなたが、わたしの命の恩人だからよ」


 きっと彼も、あれがきっかけだったことは、なんとなく分かっているはず。

 そう思っていたが、ちゃんと口にしたことはなかったので、セレナは改めて自分の気持ちを伝えた。


「学園の訓練中、一人はぐれて溺れたわたしを、あなたが見つけて、助けてくれたことがあったでしょう」

「ああ……」


 ペアを組んでいたクラスメイトとはぐれ、魔物に襲われ湖に突き落とされた。

 そんな踏んだり蹴ったりな状況で、溺れたセレナは、このまま自分は死んでしまうのかと思いながら、冷たい水の中で意識を無くした。


 だが、その時、誰かに力強く引き寄せられたのを、覚えている。


 冷たい水の底から、自分を引き上げ助けてくれた、あの手のぬくもりと――。


『死なないで、セレナ――愛してる』


 そう言われ、口づけられたような感覚を。


 記憶はかなりおぼろげだったが、後に自分を湖から引き上げ助けてくれたのは、フレッドだったという事実が判明した。


 まさか、彼が、自分をずっと想っていてくれていたなんて。

 そして、人工呼吸までして、命がけで自分を助けてくれたなんて。

 その事実と彼の想いに、心が動かされたのだ。


「あの時、朦朧とする意識の中で、わたしを呼ぶ声が、わたしを死の淵から救ってくれたの。こんなわたしを、ここまで想ってくれている人がいたなんてって、わたし……」


「そうか……あれがきっかけとなったなら、あの時、君を助けたのが僕でよかった」


 頬を染めて語るセレナを見つめ、フレッドは綺麗な笑みを浮かべながら、そっと手を伸ばしてきた。


「フレッド?」

 突然、頬を指で撫でられ、セレナは肩を竦める。


「もし、あの時、君を助けたのが別の誰かだったなら……その男に、君を取られていたかもしれないってことだろ?」

「っ!」


 言いながら、フレッドの綺麗な顔が近づいてきた。

 こういったことに疎いセレナも、キスをされるのだと察する。


 婚約してから、初めてのキスを――。


「ゴホンッ!」

「「っ!?」」


 だが、突然聞こえてきた咳払いが、そんな二人の邪魔をする。


 自分たち以外、誰もいないと思っていたのに。セレナとフレッドは驚いて、身体を離し物音のした方へと顔を向けた。


「ユ、ユリウス!? なんでここに……」

 よりにもよって義弟の登場に、セレナは顔から湯気が出そうになった。


「ここ、オレのよく使う昼寝場所だから」

「そう、なの……」

 気まずい。気まずすぎる……。


「やあ、ユリウス。だからって、こういう時ぐらい、空気を読んでくれてもいいんじゃないか?」

 フレッドは、セレナとは違い、動揺することもなく、涼しい顔をしている。


「は? なんでオレが、そんな気を遣わなくちゃいけないわけ?」


 顔を赤らめるセレナと、余裕を見せるフレッド。

 どちらの態度が癪に障ったのか、ユリウスは不機嫌そうだ。珍しく、誰が見ても感情を読み取れるぐらいに。


「わっ」

 そして、セレナがなにか言う前に腕を掴まれ、フレッドと引き剥がされてしまう。


「ユ、ユリウス?」

「……来て」

「え、ちょっと!?」


 わけが分からないまま、ユリウスに強引に連れて行かれる。

 そんな二人を見ても、フレッドは余裕の表情のまま、特に追いかけては来なかった。

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