第47話 揺れるソルウェ・メトゥース

ヨハンは何も言わずに景星の書いた文字を見た。当の本人は異様な雰囲気に苦笑いする。


「えーっと……そんなにオレの字が珍しい?」


「ねぇ詩星。ギルトー・エイルズって知ってる?」


ロジェの険しい表情に景星は気圧された。何とか笑みを作りながら仙人は返す。


「なんか、名前だけ……長年正体不明の強い魔法使いだっけ」


「そう。その人を追ってるの。貴方の筆跡がそっくりだったから聞いてみたんだけど」


まるで追い詰められた犯人かのように景星は狼狽える。割と、結構、かなり怪しい。


「いやいや!違うよ?オレそんなんじゃないって!」


疑念の眼差しが向けられた仙人は弁明を続ける。


「考えてみなよ。オレが仮にその……ギルトーさんだったとしてさ。長い間分かんないってことはバレたくないワケじゃん。筆跡なんて一番クセのあるもの、人前で書かないと思うけど……」


「それらしき人物に会ったことはあるか?」


ヨハンの広すぎる質問に景星は必死に首を傾げた。


「さ、さぁ……そもそもそのギルトーさんの筆跡はどこで見たんだい?」


「私に宛られた手紙と、この『ヴァンクール』の作成依頼書を作った時のものよ」


「手紙ねぇ。手紙には何て?」


「『秘密を知るにはまだ早い』って……強力な書き換え魔法がかかってて、元には戻せなくて……」


少女の訴えに景星は顎を撫でる。心中でも何となく不可解なのだろう。表情に浮かんでいる。


「ふぅん。で、君の持ってる『ヴァンクール』の依頼書……そもそもその神器?は何なの?」


ロジェが口を開く前にヨハンが返した。迂闊なことを言って追求されると非常に宜しくない。


「それは俺がレヴィ家に頼まれて作ったものだ。『力無き者に力を与え、守護する神器』。どうやらギルトーも一枚噛んでいるらしい」


「じゃあ君の方が詳しいんじゃないのかい?」


「それが……」


景星の当然の疑問に、ヨハンは気まずそうに額を撫でた。


「記憶が、無い。全く」


「……え?」


突然の告白にロジェは目を見開く。何とか思い出そうとしている様だが、ヒントも手に入れられない焦燥が見て取れる。


「作った時のことは覚えている。誰かに指示されながらあの家で作った。だけどそれが誰か分からない」


ふぅむ。景星は呟く。


「『力無き者に力を与え、守護する神器』。聞く限りとてつもなく因果をねじ曲げているように思うけどねぇ」


景星は少女を見詰めた。彼は仙人だ。恐らくロジェが魔法関連に何らかの支障があることを見抜いている。


「……ギルトーは『マクスウェルの悪魔』なんじゃないの?」


感情が向けられる前に景星は淡々と返す。


「仮説だよ。高名で行方知れずな魔法使いってのは多くいる。だけど、因果をねじ曲げる神器を作れるほどの魔法使いはいない」


だから、と景星にしては珍しく険しい表情でロジェに告げた。


「あまりギルトーのことは追わない方が良いんじゃないのかな?」


『旅人の勘ってヤツ?』


「そーいうやつ」


サディコの言葉に景星は軽く微笑み返した。だけど直ぐに心配そうな顔をして、


「少なくとも、ロジェ。君は神器越しにギルトーと接触している。いつか彼と交わることがあるかもしれない。危ないと思ったら直ぐ逃げるんだよ。世の理をねじ曲げることが出来る者にろくなヤツはいないからね」


がたん、ごとん。無限にも思えるような電車の音のあと、ロジェは肺から息を零した。


「……分かった」


良かった、と景星は言って立ち上がる。さっきの感情は何処吹く風で、いつものような気持ちの良い青空みたいな表情を浮かべている。


「それじゃ、オレは行くよ。相も変わらず君達は面白い事に巻き込まれてて良かった。また話を聞かせてくれ」


昼飯を食べて嬉しそうに歩いて行く景星の背を見て、サディコはしみじみ呟いた。


『嵐のような仙人だねぇ』


「ほんとにそうね。手がかりを見つけたと思ったのにまた遠ざかっちゃった」


「アイツが騙くらかしているって見方も出来るな。景星はギルトーの部下で、君に宛てた手紙も彼が代筆していた、とか」


確かにそういう見方も出来る。出来るが……


「それにしたって行動が不可解だわ。長い間所在が分からないギルトーがそんなお間抜けさんなことする訳ないし、決め手がない。どうにだって取れるもの」


ロジェは目の前に鎮座するストロベリーケーキにフォークを刺した。ムース状で美味しそうだ。


「困るわね……」


「とても困っている様に見えないな」


口周りにクリームを付けまくったロジェを見てヨハンは微笑む。


『こーゆーときは悩んでも仕方ないよ。ゆっくり出来るし、そうしよ』


「そうねぇ」


ケーキを綺麗に平らげて、カップに残っていた温くなった紅茶を飲み干すと、


「この後はどうする?」


「私、図書館に行くわ」


『ぼくもついてく!』


「俺は部屋に戻ってる。何かあったら呼んでくれ」


各々立ち上がって、向かうべき場所へと向かった。










「……ハルパス。あった」


図書館で『悪魔の偽王国』を広げたロジェは、目的の悪魔を見つけた。鴉のような姿に獣のような体躯を持ち、赤い目を持った悪魔。相手の情報を教え、戦略的建築にも長けている……。


「いかにもな悪魔ね。味方にしたら強そう」


この列車もハルパスによるものなのだろう。故に城砦が動いているような列車なのか。


『ハルパスかぁ。朝なんか言ってたヤツ?』


「そうよ。ロタス車掌の使い魔。記憶を媒体に契約したんだって」


『ふぅん……』


「いやぁ!やはり図書館は最高だな!」


劈く様な声にロジェは耳を塞いだ。声の方を見るとロタスがいる。


「あ、相変わらず賑やかな人ね……朝はあんなに静かだったのに」


『静かだった?あんな煩いのに?』


ロタスは司書達に連れられて別の部屋に連れて行かれた。


「うるさい、まぁうん、そうね。静かな人だったわ」


『……ふーーん』


「どうしたの?」


含みのあるサディコの呟きにロジェは首を傾げる。


『記憶を対価に契約するのって良くないんだよ。感覚的に分かるでしょ?』


「まぁ、それは……記憶を対価にして契約結ぶ時って、命や持ってる物を対価として渡せない身一つの時ってことだもんね」


『記憶を無くすと精神なかみが抜ける。その中身に、悪魔は付け入る』


『悪魔の偽王国』を元あった本棚に片付けて寝心地の良い図書館を出る。


『あの車掌、悪魔に人格弄られてるかもね』


「そんな……」


『まいっか。ご飯美味しいし。快適だし』


何か言いたげなロジェにサディコは被せた。


『君は優しいから言っておくけど、彼は記憶を対価にしてまで悪魔と契約したかった訳だ。どうしても譲れない何かがあったんだよ、きっと』


どうしても譲れない何か。それであっても、ロタスは中身を差し出してまで、本当に得たいものがあったのだろうか。


『契約は自己責任だもん。契約するかしないかは決められて、対価も決められる。ロタスはそれを選んだんだ。だからそんな気にする事ないよ』


「……まぁ。私達だって食うか食われるかの関係だったんだし」


ロジェは半ば強引に自分自身を納得させた。


『そうそう!よく分かってんじゃーん!』


もこもこタックルを撫でくりまわしながら、自室の部屋を開ける。応接室には筋トレをしているヨハンがいた。


「あれ。あんた何してんの」


「見ての通りトレーニングだよ。久々に動かして筋肉痛になったからな」


腹筋から身体を起こしたヨハンは気怠そうに部屋に入ってきたロジェの方を見る。


「筋肉痛?不老不死なのに?」


「治癒するから直ぐに痛みは無くなる。それでも昔に比べると随分鈍った方だから」


「ふーん……」


腹筋をまた始めたヨハンをロジェは見下ろす。トレーニング。良い機会かもしれない。


「私もトレーニングしたい。『魔法は体力から』って言葉があるくらい、魔法と体力って密接な関係があるのよ」


「俺はスパルタだぞ」


「すっごい旅をして来たのよ。今さらちょっと身体動かしたくらいでへばったりしないわ」


ヨハンは少女の意気込みを試すか様な笑みを浮かべる。


「……ふぅん。その余裕がどこまで続くだろうなぁ?」


「へ?」




「はっ、はぁ、は、あ……し、しぬ……」


髪を束ねて動きやすい格好で人が少ない車両を肩を震わせ必死に走る。あまりの辛さに膝を着くと、ヨハンは器用にロジェの靴の踵を踏んだ。


「ロジェスティラ二等兵〜?余裕だったんじゃないのか〜?あ?」


「む、無理よこんなの……もう足が震えてるわ……」


踵ごと踏まれる前に生まれたての小鹿のような震える足を前に出すも、もう動けない。普段動いていないのに足が釣っていないのはヨハンの入念なストレッチのお陰だろう。


「私語はプラス十周だ」


ひいっ、と声を上げてロジェは立ち上がる。視線の先にはヨハンに買収されてジャーキーを食べさせられているサディコがいた。アイツマジしばく。


「ね、ねぇ……ヨハン大佐、ちょっと質問なんだけど……」


ふらふらと立ち上がるとヨハンはカウントを弄りながら返す。


「何だ」


「はーっ……ふぅ。あんたって軍にいたんだっけ?階級どうだったの?」


「狙撃部隊の上等兵だった」


「えっと……じょーとーへー、ってことは、」


必死に呼吸をして脳に酸素を送る。指折り数えても判然としない知識が脳内に揺れていた。


「お前の二つ上だ。無駄話はこれくらいにしてさっさと走れ。あと十五周だ」


「え?いやだって、あと五周よね……?」


「『私語はプラス十周だ』。……さっきも言っただろ?」


分かったらさっさと走れとゴミを見るような目で膝から崩れ落ちたロジェを見下す。


「ひ、い、う、いぃ……」


顔を引き攣らせた少女は通りかかった景星を見つける。


「この悪魔ーーーーーっ!助けてーーーっ!」


最後の全力疾走をかまして、景星の腰に突撃した。








「……と、言う訳だ」


「スパルタすぎじゃない?」


景星に助けられたロジェは、彼の部屋のベッドで息を絶え絶えに震えていた。


「悪魔を買収するなんて……悪魔の中の悪魔よ……」


「酷い言われようだな。俺は品行方正聖人君子だぜ」


「どの口が……」


視線を逸らした景星に、ヨハンは冷たく言い返す。


「そういや仙人は鍛えたことが無かったな」


カチ、と無慈悲にカウンターが押される。ロジェはぎゃあっと酷い声を上げて布団を被るし景星も肩を震わせる。


「い、いやぁ……オレは遠慮しとくよ……」


「冗談は抜きにして、人外が鍛えてるのは見た事ない。そういうことをしないのか?」


二人の会話を他所にロジェは匂いを嗅ぎにきたサディコの頭をぼん、と殴った。悪魔は何の悪気も無さそうにくるまった布団に突っ込んでくる。


「他の人外は知らないけど……少なくとも仙は成長がゆっくりだからなぁ。筋肉がつくのもそうだし、無くなるのもだよ。だから鍛える奴はあんまりいない」


へぇ、とヨハンはカウンターを押しながら言った。びくびく震える布団が面白いらしく、さっきからカウンターの音がうるさい。しかし、景星はその雑音に負けることなく記憶を探り当てた。


「あ、いや待てよ。いたな。武神に仕えてる仙で……確かここに乗ってたハズ……」


「……仙人って意外と多いのね」


『むぐぅ……』


ロジェは布団からやつれた顔を出した。一緒に出てきたサディコの口を器用に掴んでいる。


「そ。名前を教えるよ。多分直ぐに会えると思う」


「こんなに人が乗ってるのにどうしてわかるんだ」


「あの娘は変わっててね。秘密だらけのこの電車でただ一人、実名を明かして乗っている」


景星の言葉に二人と一匹は目を見開いた。そりゃあ間違いなく有名人になるだろう。


「名前を────」

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