異聞録 第五話 後悔噬臍のイミテーション
「母にとって王や領主は『金を使って遊び続けられる職業』という認識でしかありませんでした。確かにそういう悪どい者達もいますが、乱を起こされないように真面目に働くのが常です」
ヤンは周囲を見渡した。ヘルミの部屋の本棚には、帝王学から経済に至るまでの分野の本が悲鳴をあげるほど詰め込まれていた。
「ですから仕事しろと言われると、とても嫌がって……言葉には不自由しませんでしたが、私達はこの世界の文化や常識を知りません。母は段々、難しい性格になって……」
ヘルミは俯いたまま、手の先を弄る。
「兄弟が逃げたことが拍車をかけたのもあると思います。だけど……母は自分が間違っていることを認められなかった。何より私が母の魔法の才能を上回ってしまった」
恐らくそれは努力の賜物だったのだろう。本棚の許容量を大幅に超えた魔法の本が所狭しと詰め込まれている。よく分からないが、水魔法が苦手なのだろうか。基礎本が至る所に入っていた。
「母の得意魔法は複製魔法です。でもこの世界じゃ初歩中の初歩。何より悪用できないように本や美術品には複製禁止魔法がかけられているのが普通です」
ヘルミは立ち上がって一番近くにある歴史の本を取った。奥付に『複製禁止』という文字の下、魔法陣が書かれている。
「母は自分が『凡人』であることを認められなかった。そして私に当たり散らす様になって……」
静寂は打ち破られた。扉の向こうから執事らしき者の声が響く。
「おやめ下さい奥様!」
「どきなさい!ヘルミ!いるんでしょ!」
「お母様……?」
いつもの事らしく、ヘルミはしょげることなく不思議そうな声をして扉に手をかけて外に出る。
「はい。お母様。ヘルミはここに」
扉越しでくぐもった声をヤンは静かに聞いていた。暴れているらしく、執事とメイドが苦しそうに声を上げて止めているのが分かる。
「誰か入れたんでしょ!通しなさい!」
「私の友人です。あまり声を荒らげると──」
「開けなさいよ!魔法のせいでしょこれも!皆して私をバカにして……!」
「違います!本当に友達しか……」
ヘルミはひぃっ、と声を上げた。ばしん、と平手打ちの音が聞こえて、ヘルミはメイドの誰かを心配している声がする。お許し下さい、お願いです奥様、と侍従が言っているのが聞こえて──
「いい。ヘルミ。庇ってくれてありがとう」
たまらなくなってヤンは部屋の外に出た。目の前には幾人の侍従によって取り押さえられた老婆……
「……は?」
ではなく、マリシアだった。計算して四十手前になるはずの彼女は、とてもそんな年齢には見えないしなびた顔をしていた。皺に苦労はしまわれず、ただプライドの高さだけが刻まれていた。皮肉にも醜悪さはマリシアを拾った老婆と瓜二つだった。
「マリシア。久しぶりだな」
「……ちょっと待って……どういうことなの……」
マリシアはヤンの頭の先からつま先を見て、唇を噛んだ。
「なに……?あんたも魔法を使えるの?神秘を否定したあんたが?」
「俺は不老不死になったんだ。オルテンシアの『呪い』だよ」
「『呪い』なんて言うなッ!『祝福』よッ!神から貰ったものは全て『祝福』!二度と間違えるなッ!」
唾を飛ばして叫ぶマリシアに、ヤンは若干の憐憫を抱いた。
「よくもこんなところにおめおめと!お前も私を嘲笑いに来たのね!」
よく見れば服装もこの屋敷に似合わず薄汚かった。何日も変えていないらしく臭いもする。これが本当にお前の望んだ姿なのか、とヤンは何回言おうと思ったか知れない。
「何で私には何も無いの!?どうしてあんた達が何でも持ってるの!私は、私がァッ……!」
マリシアは座り込んで咳き込み始める。背中を丸めてひぃ、ひいっ、と不気味な声で呻く。メイドが声を震わせながら言った。
「お、お医者様を……」
「奥様だ!医者を呼べ!」
マリシアがこんな事になるのはいつもの事らしく、手際よく侍従は運んで行った。とにかく今日は路銀を渡しますから良い宿に泊まって下さいとヘルミは言う。こんな所に泊めることは出来ないと思ったらしかった。
すっかり日の暮れた門に至る道を歩きながらヘルミは涙声でヤンに頭を下げる。
「……ごめんなさい。ごめんなさい、ヤンさん。こんな事に巻き込むつもりは無かったのに……ごめんなさい……」
彼女は何も変わっていなかった。兄弟は皆死ぬか生き別れ、いずれも何をしているか知らない。ヤンは肩に手を置いて、静かに語りかける。
「……ヘルミ。君さえ良ければなんだが、俺と一緒に暮らさないか」
「へ?」
「ここはその……君にとって少しやりづらいところだと思う。場所を変えてみないか」
ヘルミは屋敷を見た。今から戻らなければならない生家を。そして目の前のヤンに視線を戻す。
「俺は今まともな暮らしをしてないから落ち着いてからになるが。必ず迎えに行くと約束しよう。冒険したいって言ってただろ?」
ヘルミの瞳にじんわりと涙が潤む。
「そこでこれからの人生を考えないか」
「……ヤン、さん……」
何かの許しを得た顔。ヘルミはぐしゃりと顔を歪めた。
「……一緒に行きたいです。ここはもう嫌だ……元の世界に帰りたい……」
涙はぼろりと、重力に従って落ちた。目を擦りながら年らしからぬ声で泣く。
「私、あの世界で良かった。苦しかったし、お腹もずっと空いてた。けど、あの世界が良かった……帰りたい……帰りたい……ッ!」
帰る方法も探そうと言うと、ヘルミは涙を浮かべつつ笑顔になった。希望を見つけたらしい晴れ晴れとした表情だ。
「お手紙を出して下さい。必ず返しますから!」
そこから一年、必死に働いた。俺は不老不死だから衣食住には困らないが、ヘルミがいるとなると呑気なことも言ってられない。とにかく馬か牛かが居ないと話にならないと考えた俺は、働いて馬を買うことにした。ハンスだ。
もう一年は家の為に働いた。王都の郊外に住もうと思ったが、周辺の土地は皆貴族に買い占められていてとても住めたものじゃない。俺の住んでいたあの屋敷は、断絶した貴族が持っていたもので、辺鄙な場所にあるということから格安で売っていた。
衣食住には困らないし、俺が買った頃には近くにそこそこ大きな領地もあったから娯楽も困らなかった。そこでゆっくり過ごそうと思って、ヘルミに手紙を出した。
二年は充分早く準備出来たと思ったが、年頃のヘルミには縁談が来ていた。蹴って俺のところに来た方が良いか、と言うものだから、一度会ってから決めても遅くないんじゃないかと返した。
案の定、ヘルミはその青年のことが好きになったらしい。青年もヘルミのことを気に入った。ヘルミ曰く青年は心優しいのだが大のムカデ嫌いで、もし結婚するのなら私の家に住めるのかしらとそれだけが気がかりの様だった。
湖で遊んだ話、王都で少し変わった飲み物があるから試した話、二人でお祭りに行った話……どれも心地の良いものだった。青年がヘルミに酷いことをするならはっ倒してやろうかと思ったが、幸か不幸かそれは無かった。
結婚した報告があって、暫く手紙が途絶えた。次の知らせは良い知らせだった。ヘルミに子供が産まれたというものだ。子供を連れてぜひ俺のところに遊びに行きたいと書いてあった。二人で住むことは無かったが、ヘルミは自分の居場所を見つけたらしい。少し寂しさもあったが、ヘルミに帰る家が出来たと思うと安堵の気持ちもあった。
育児が始まってからは少し不安になりながらも、ヘルミなりに工夫して子供……男の子を育てていた。赤子がミルクを宙に浮かせた時は『親バカだけど、きっとあの子は天才だわ』と書いてあった。興奮して書いたからか字が少し乱雑で、情景を想像して笑った。
男の子が五つになった頃。俺のところに遊びに来たいとあった。この時を楽しみにしていた、いつにする?と手紙を返したが一行に返事は無い。彼女は筆まめだ。それに真面目。予定をほっぽり出すような性格では無い。
四ヶ月、五ヶ月経った辺りで、俺は荷物をまとめてヘルミの所へ向かった。領地は変わらず、むしろ昔より大きくなったような気がした。ヘルミが俺を嫌になって手紙を返さないのならまだしも、何かあったなら……何となく、俺の中で後者の予感の方が強かった。
ふと本屋が目に入った。領土誌か何かあるかもしれない。適当に見繕って返信が来なくなった辺りを見ると、『ヘルミ・エリックスドッター 死亡』と書かれている。
虚ろな目をしたまま、本を持って店主に問いかけた。
「なぁこの、ヘルミ・エリックスドッター死亡って書いてある……」
「あぁそれかい。知らんのかね。いや、あんたはここらの人ではなさそうだな…」
店主の男はまぁるい眼鏡を顕微鏡にして、俺のことを見つめていた。
「ご病気だよ。胃の病気でね。旅行の準備をしてたらしい。まぁきな臭い噂もあるがね」
きな臭い噂って何だ、とヤンが詰める前に後ろからの視線に気づく。背後には何人もの人が並んでいた。
「あ、ありがとう……」
不完全燃焼のまま本屋を出る。人が沢山集まる酒屋だったら何か話が分かるかもしれない。路銀は少ないが粘れるくらいは飲めそうだ。人が多そうな酒屋を見つけて、店内に入った。水みたいな酒を頼む。それを二杯終わらせた時だった。向こうから欲しかった話題が飛んでくる。
「それにしても聞いたか?ヘルミ様の話」
「まぁーたそれかよぉ。もう飽きたよ」
「飽きたってなぁ。領主様だったんだぜ。興味無いお前の方がおかしいね 」
「あぁ?マリシア様がいるじゃねぇか」
「あんな老いぼれ何の役にも立たんわ」
「お前は若い女が良いだけだろぉ?」
ヘルミの話。三人組の男にヤンは静かに近付いて、隙を狙って話しかけた。
「なぁ。ちょっとその話聞かせてくれないか」
「なんだよ、お前も噂好きか?」
男がヤンの為に席をあけた。歓迎されているらしい。腰をかける。
「まぁなんだ。そんなところだ」
「いやぁなぁ。ホントかどうか分からないんだけど……」
噂好きの男は声を潜めて、
「何でもご子息を産んでからお母様の当たりが余計に強くなってなぁ。暗殺だって言われてる」
「病気だって聞いたが……」
「ありゃ嘘だな。お前らもそう思うだろ」
噂好きの男をバカにしていた別の男がそう言った。周りの男もうんうんと頷いている。
「解剖したらしいんだが、胃の中から暗殺用の毒物が見つかったんだ。マリシア様以外の臣も変な死に方してる」
噂好きの男がさらに加えて言うには、
「嫁いできた旦那様には生かさず殺さずしてる様だが、来た頃に比べるとかなり病弱になった。マリシア様が可愛がってるのは坊ちゃんだけだよ」
あれは言わなくていいのか、と別の男が言う。
「報道した新聞記者が死んだって話。あれも同じ毒物だったからな」
またその話か、と言った割には話がどんどん進んでいく。陰謀論で片付けてしまいたかったが、実際記者は亡くなっているし、ヘルミは毒殺されたという司法解剖の記事も見せてもらった。否定することが出来ない。
「は、はは……そう、なのか……」
ありがとう、と静かに言って外に出た。夜風が冷たい。嘘だと思う。きっと嘘だ。足がおぼつかないまま、家に戻った。記憶は無い。
帰ってからはヘルミのことについて調べ始めた。ヘルミは病気で死んで、毒殺は陰謀だということにしたかった。マリシアはそんな事しない、ヘルミが手紙に病気のことを書かなかったのは心配をかけさせたくなかっただけ、とか。そういう逃げ場が欲しかった。
だけど出てくるのは『マリシアがやった』というただ一つの回答だけ。
目を閉じればあの赤髪が思い浮かぶ。へルミの息子はどうしているだろう。きっと父親もいるから大丈夫だろうが。殺されることは無いはずだ。
ヘルミのことを思って息子を連れ出そうかと思ったが、それこそ俺の自己満でしかなかった。息子はきっと、家に帰りたいと言うだろう。言わなくとも『ここではないどこかへ』、母の故郷を願うに決まっている。
何か……何か、決定打があれば諦めることが出来る。ヤンの……その頃にはもうヨハンと名乗っていた気がする……手元には、封筒があった。送り主はレヴィ家。ペーパーナイフを使って封を切る。
もし。もしいつか、彼女の子供が来たら。その時は諸手を挙げて助けよう。殿下にも、パウラにも、マリシアにも、ヘルミにも、ヘルミの息子にも出来なかったことを。もう後悔しない様に。
……だからロジェスティラ。君が来た時は本当に驚いたよ。ヘルミやマリシアによく似た真っ赤な髪。だけど顔つきはエリックスドッター家の誰にも似ていない、全てを壊す星の双眸。
君の名を聞いて確信に至った。必ずこの因果を打ち砕く者だと。困っていた君を何の見返りもなく助けたとはきっと一生言えまい。自己満足と憐憫と期待が混ざった濁った感情では、言えない。
だけど、それでも。君がこの手を取った瞬間から、俺の終わりと、君の始まりが始まったと思うから。どうか全てを呪わないで欲しい。
この世界のたった一つの希望に宛てて。
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