異聞録 第三話 後悔噬臍のイミテーション
「んー……収穫はぼちぼちかなー……」
紅葉が森を染めている中、少女はバスケットに食べれそうな薬草と木苺を詰めに詰めて、小川のほとりに座った。休憩がてら、かがんで水を飲む。
「つめたぁ。元気でるわぁ」
身体を起こすと、倒れた流木の傍に何かが見えた。近づいて被っていた葉を退けると男が倒れている。肌は冷たい。少女はしゃがんで首を傾げながら問うた。
「ねぇ。貴方ここで何してるの?」
木の枝でつんつんと男をつつく。煩わしそうに開かれた目が少女を射抜いた。それに気づいて、少女は。
「あそっか。倒れてるから運ばないといけないんだ。おーい!グンナルー!」
人を呼んだ。
男が目を開けるとそこは厩舎だった。藁の匂いが心地よい。ベッドを誂えてくれたらしく毛布が温い。
「あ。起きた?」
少女が嬉しそうに近寄ってきた。手元には暖かいスープとスプーンがある。
「あ……その……」
「さ、食べて食べて。お腹空いてるでしょ」
半ば押し付けられるような形でスープを受け取った。新鮮な野菜と肉が浮かんでいる。痛む頭を抑えながら、男はスープを口に含んだ。
味は塩味だった。飲む仕草をして、家畜の世話をする少女を盗み見る。鮮烈に赤い髪は腰まで伸び、瞳は世の神秘を探る金色。純粋で無邪気でありながら、諦観を思わせる顔立ち。首にかけられた手鏡の首飾りは牛を写していた。
「ねぇ。貴方名前なんて言うのー?」
牧草を牛の前に置きながら少女は問うた。
「ヤン・コヴァルスキ」
「何それ!ちょー普通の名前じゃん!」
あはは!と大きな声を上げて少女は笑う。ヤンは静かに空になった皿を置いた。
「そういう君はなんて名前なんだ」
「マリアよ。マリア・エリックスドッター」
そうか、とだけ言ってヤンはベッドから立ち上がった。足は泥まみれで、身体のあちこちが痛む。
「ありがとう、マリア。世話になった。もう行く」
「え!?もう行くの!」
「あぁ。それじゃあ」
厩舎の玄関まで進んだヤンを、マリアは慌てて先回って止める。
「いーいやいやいや!ちょっと待ってよ!死んじゃうって!怪我してるでしょ!それに……!」
「もう良くなった。気にしなくていい」
マリアが止めに入るのを無視してヤンは足を厩舎の外にやった。歩くはずだった、のだが。
「ッ!?」
激痛が足に走る。膝から土塊に崩れ落ちた。マリアは呆れた様に近付く。
「あぁもう言わんこっちゃないよ。さっき貴方の足を診(み)たけど、肉離れ寸前だったんだから」
心配そうに少女は手を差し伸べる。
「貴方に何があったのかは知らないけど、とにかくそれが治るまではここにいた方がいいよ……」
ヤケになっていたのだと思う。今すぐにでもここを去りたかった。しかし足が言う事を聞かないのならそれは無理な話だ。諦めて少女の手を取る。
「……すまないがそうするよ。ありがとう」
嬉しそうに少女ははにかんだ。明確に感情を動かした表情を見るのは初めてかもしれない。
「そうと決まればまず着替えなきゃね。着替えと水タオルを持ってくるわ。グンナルー!ねぇ!」
マリアはヤンをベッドに座らせると、誰かの名前を呼びながら外に出て行った。直ぐに誰かと一緒に帰ってくる。茶髪の男の子だ。
「分かってるってば母さん。持って来たよ」
「ありがと〜!やっぱグンナルは頼りになるわぁ」
「はいはい……」
グンナルと呼ばれた男の子は、どうも、と言ってヤンの傍に着替えと水タオルを置いた。そして何も言わず厩舎を出て行く。
「本当に頼りになるわぁ。うちの長男なんだけどね」
「みたいだな。君にいい感じに振り回されてる」
マリアはヤンの足元に膝をつき、タオルを水につける。
「足、触ってもいい?」
「構わない」
少女はゆっくりと靴を脱がしたが、ヤンはにわかに顔を顰めた。思っていた以上に痛めているらしい。
「貴方、背中も怪我してた。少し大きめの切り傷だったけど……何かあったの?」
この服は切ってしまうわね、とマリアはズボンの裾を切った。布の下には酷く内出血した足がある。男からの返答は無い。
「私は逃げて来たの。戦争があってね」
「……俺も戦争に出てたんだ。逃げて来た」
零れるような声を聞いて、マリアは治療する手を止めて顔を上げた。
「何回も、色んなところから逃げてきた」
表情は見えないが声はくぐもっている。マリアはまた足に視線を戻した。
「……しばらくここにいなよ。丁度男手が欲しかったんだ」
足には湿布が貼られ、綺麗に包帯で圧迫されている。立ち上がってマリアは大きく笑った。
「はい!治療かんりょー!さ、今日は着替えてもう寝ちゃえ!ご飯もまた持ってくるからさぁ!」
じゃね!とマリアは元気よく声を上げて厩舎から出て行く。ヤンはまだ痛む足を撫で、着替えの為にボタンに手をかけた。
寝ては起きて、起きては寝て。いつの間にか、マリアの所に流れ着いてから三ヶ月経っていた。三ヶ月も経てば色々わかる。彼女曰く、歳は十六で四人子供がいるし毎日たいへーん!とのこと。長男がグンナル、次女がカロラ、三女がヘルミ、四男がラルフと言うらしい。
ラルフに至っては今年産まれたばかりで、マリアはいつも大変そうだった。だからマリアの母であるマリンがよく面倒を見ていた。マリンは魔女みたいな風貌を持った老女で、度々俺を睨みつけていた。二人で口論していたことも知っている。
彼女は村の外れに住んでおり、信頼を勝ち取る為に医者の真似事をしている。面倒を見てもらったお礼として、俺も薬草摘みの手伝いをしていた。
手伝いが終われば直ぐにここを出るつもりだった。何となく居心地が悪かったという、単純な理由で。だけど一人だけ心残りがいた。ヘルミだ。そう、お前……ロジェの祖母。早死したエリックスドッター家の二代目当主。
「ねぇヤン!何してるの?」
家から少し離れた池のほとりのトチノキの傍で作業している俺に、ヘルミはよくやってきた。あの子はどちらかというと可愛らしい顔立ちをしていた。太陽よりも真っ赤な髪に薄い紫色の目。
「トチノミ取ってるんだ。君のお母さんに頼まれてね」
「『あの人のせいで在庫が無くなっちゃったー』ってお母さん、言ってたもんね!」
ヤンはこんもりトチノミを載せた籠を置いて近くの池に座った。傍にヘルミも座る。こうしてこの子が遊びに来る時は家にいたくない時だ。
「……ヤンはいつここを出るの?」
「さぁな。暫くはいるだろうよ」
この会話も変わらなかった。マリアが家で何をしてるかは知っていた。村で彼女は魔女と呼ばれていたし、家を出入りする男を何人も見たから多分そういう事なんだろう。
他の兄弟達は母親が何をしていても何とも思っていなかったが、ヘルミだけは耐えられなかった様だった。素性も知れない男に懐く子供など、俺のいた世界では信じられない事だったから。
「もし。もし出ていくならさ。あたしも一緒に連れてってよ。あたし旅をしたいんだぁ」
「ヘルミが夜一人で寝られるようになったら考えてやる」
「ね、寝れるもん……!」
ここは静かだった。風に揺れる草の音。暇を持て余したヘルミが髪先をいじる音まで聞こえる。当の自分はどうしていたかというと、いつここを出ていくかの算段だった。確かにヘルミは心残りだったが、行く宛てもない旅に連れて行くことは出来ない。
波立つ湖面を見ていると、家からカロラが出て来た。こちらに手を振っている。終わったらしい。
「帰ろう、ヘルミ」
「うん!」
元気よく返事をしたヘルミは、籠を持って家に走り寄る。ヤンも音をかき消す様な足取りで後を追った。
その日の真夜中。ヤンは厩舎の中で目を覚ました。外からは獣の声と虫達の合唱が繰り広げられている。
藁ベットから起き上がると、蛍が飛び交う中森へと足を進めた。マリアやヘルミに止められるのは嫌だったから、夜に出るつもりだった。その下見だ。
松明をつけて獣道を進む。昨日は森が抜けるところまで進んだ。抜けたところには国が見えたからどれくらいで着くか概算するか……とか考えながら森の中を進むと、誰かが笑う声が聞こえる。
幽霊は信じていなかったから声の方へ近づいた。女の声だ。声の方は明るく、大きく火が焚かれている。
バレる寸前のところまで近づくと木の影に潜んだ。大きな火を囲んだ人影が幾つもある。
「うふふ……それにしても素晴らしいですわ、マリア様の魔法……」
「そうかなぁ。私はまだまだだって思ってるんだけど……」
「マリアの向上心、チョーいいね。皆も見習ってこー!」
逆光だから誰が話しているか分からないが、一つの声は間違いなくマリアのものだ。魔法、と言っていた。魔法を使う女、魔女。もし彼女がそうであるなら異端審問官が黙っていない。魔女裁判にかけられて処刑されてしまうだろう。
「ねぇ!もう一度見せて下さいまし!マリア様の魔法!」
「えぇ?出来るかなぁ。一応やってみるけど……」
ヤンはもう少し身体を傾けて様子を見た。マリアは首にかけていた手鏡の上に花を乗せる。少女が何か呟くと、手鏡の上に乗せられた花は二つになった。おぉ、と周りから大きな歓声が上がる。
「やはり素晴らしい!マリア様の『複製の魔法』!」
「えぇ!それに力も強くなっている……是非導師様に見て頂きましょう!」
影達は低い声で何か歌いながら火に薬草を焚べる。妙な匂いが辺りに充満した。麻薬の類か何かか?それを導師として崇めているのか?
ヤンの疑問は直ぐに解消される。焚き火の前に小さな人影が現れたのだ。煙を吸って自分も幻覚を見ているのかもしれないが、その影は妙なリアリティがある。
影はマリアより年若い少女だった。幼女に近い。紫の髪に夕焼けの瞳、見慣れない容姿だ。海外の人間か。服は随分と良いものを着ていた。貴族の娘か。
「今日も集まってたんだぁ。熱心だね」
甘ったるい声に影は群がる。
「あぁ!導師様!マリア様の魔法をご覧下さい!」
「マジやばいよ!あの計画に選ばれただけはあるね!」
「本当に羨ましい……!」
影達はマリアと少女を取り囲んで踊っている。輪の中の二人はいつものままだ。
「よく頑張ってるみたいだね」
「まだ大きいものは複製できないんですけど……」
「ううん。マリアは凄いよ。この調子ならあと一ヶ月くらいで呼べるかな」
「ほ、本当ですか……!」
嬉しそうに微笑むマリアの背後には、振りかぶった影が伸びていた。手には刃物が握られている。ヤンは隠れていたことを忘れて火の中に飛び出した。
「おい!こんなところで何してる!」
影はきゃいきゃい悲鳴を上げて草むらに走り去って行った。残ったのはヤンを凝視しているマリアと少女だけだった。
「あらあら、招かれざる客がいたとはね……」
「どうして、貴方、こんなところに……」
「それはこっちのセリフだ。何でこんなところで……何をしてたんだ」
ヤンは首を横に振って。
「いや、いい。答えにくいことを聞いて悪かった。それで……」
マリアの隣に立っていた少女を睨む。
「君は誰だ」
「やだ怖い。どうしてそんな目で見るの?私泣いちゃうよ?」
泣き真似をする少女をヤンは何も言わずに見ている。何となく白々しいし、胡散臭い。少女はくすくす笑いながら言った。
「面白い顔しないでよぉ。私の名前はオルテンシア・トラオム=朧月夜。魔女なの。別の世界から来たんだ」
オルテンシアの返答にヤンは顔を顰めた。さっきの薬物に当てられたのか。
「気の触れたことを。魔女だって?魔法なんてただの迷信だ」
「じゃあ貴方は神も信じてないの?」
「信じてないね」
くすくすと楽しそうにオルテンシアは笑った。
「うふふっ!そうなんだねぇ、うふ……」
少女は座り込んでいたマリアに視線を写した。
「決めた。この人も計画に入れるわ」
「計画って、そんな……どうして……彼は普通の人間ですよ!?」
「そうだ。何を企んでいるか知らないが、妙な企てに混ざるつもりは無い」
マリアはヤンを睨んで、オルテンシアに視線を戻した。絶叫する様な声で言う。
「わた、わたしは……こんなに努力して、やっと導師様に選んでもらえた、のに……ただ来ただけで、選んでしまわれるのですかッ!導師様ァっ!」
「それが運命(わたし)だって、マリアも分かってるでしょ?大丈夫。向こうに行ったら直ぐにそんなこと忘れるよ」
それじゃあね、とヤンに手を振ってオルテンシアは姿を消した。適当に話が畳まれた焚き火は残り火が僅かに残っている。すがる対象を失ったマリアは、蹲りながらすすり泣いていた。
「……帰ろう、マリア。身体が冷える」
「い、いやだぁッ……帰らな、い……グスッ……」
「俺も相談に乗るから──」
軽率に声をかけたヤンに、マリアは顔を上げて睨んだ。
「無責任なこと言わないでよ!」
唸っていた獣も、森の囁きも消える。諦観を込めた黄金の瞳が年相応に揺れていた。
「貴方に何がわかるっていうの!?こんな力、持ってても何にもならない!何も救えない!なのに……否定しないでよ!あたしはここにいるんだもん!」
うわぁぁぁん、と泣き始め力が抜けたマリアをヤンは静かに立ち上がらせた。空が白んできた。
「……帰ろう、マリシア」
腕の中でマリアが息を呑むのが聞こえた。少し落ち着いたらしく、子供のように駄々をこねる。
「……ぶがいい」
「何だ」
「おんぶがいい。連れて帰って」
両手を伸ばしたマリアは、とても傷ついているように見えた。オルテンシアの仕打ちが染みたというよりも、年相応に生きていけなかった苦しみ。
「……分かったよ」
さっきの焦りを返して欲しいな、と思いながらヤンはマリアを担いだ。家の方向へと足を進める。
「ねぇ。さっきマリシアって呼んでくれたね」
「俺は友人を愛称で呼ぶタチだからな」
「別にいーの。久しぶりに誰かが名前を呼んでくれたから」
マリアの身体は軽かったが、憎しみが重かった。こうやって親しみを持たせて後で殺すのかもとか、そういうの。
ヤンの疑念を感じ取ったのか、マリアは少しづつ昔のことを語り出した。母と呼んでいるあの老婆はおそらく実母ではないこと。たぶん実母は娼婦か何かで、邪魔になったから老婆に売ったのだろうと。
老婆は魔女だったから、マリアに魔法を教えた。彼女には才があったからメキメキ成長したこと。魔法を扱うには、男の気が必要だったこと。だから身体を売っているうちに、たくさん子供が出来たこと、大変だけど生きる糧になったこと……。
「本当はね。別の世界なんて行きたくないんだ。魔法も要らない」
家に着く間際になって、マリアは言った。それは心の底からこぼれ出た言葉だった。
「何もいらない。ここで静かに、暮らしてたいんだ……」
首に回された手がぎゅっと強くなる。
「貴方が森を歩いてたのは、ここから出て行く為だよね」
「……かもしれないな」
「ねぇ。一ヶ月待ってくれない?ヘルミが貴方と別れるの、とても寂しく思うから」
勢いをつけて少女は身を乗り出したので、ヤンは落とさないように抱え直した。細く骨ばった足が当たる。
「妙な計画には乗らないぞ」
マリアの話を聞いて、半分くらいは同情した。ヘルミが寂しく思うのはそもそも……と思いかけて、やめた。
「それは……分からない……あの人は運命だから……」
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