異聞録 第一話 後悔噬臍のイミテーション

もう、どれくらい昔の事か、誰も彼も顔を覚えていない。ただ少なくともあの瞬間扉を開けたことが今に繋がっていると思う──



「おいおい、コイツはひでぇな」


馬に乗った壮年の貴族の遣いは荒地に足を踏み入れた。正しく言うと、荒地ではなく『農村だったもの』だ。農地は荒れ果て、それを照らす太陽もない。もうじき雨が降りそうだ。


「そう言いやしたでしょ。農地を買ってもねぇ」


遣いを連れて来た貧相な農夫が、赤べこの様に頭を下げながら馬の傍を歩きながら言った。


「とは言ってもお上の命令だからな。来ない訳には行かないんだよ」


蹄の音が枯れ果てた農村に響く。崩れた家の間からは白骨化した遺体が転がっていた。


「流行病のせいかい」


「その様でさぁ。じゃ、あっしはここで……」


ぐるりとUターンして帰ろうとした農夫を止める。流行病に怯えて先払いした金を持って逃げ出そうとしているのだろう。


「待て。商品の場所まで案内しろ。それが約束だろう」


「へ、へぇ……言ってたガキの事ですかい。こ、こっちでさぁ」


大通りを曲がり、蝿もたからなくなった路地の奥から、一匹の蝶がふわりと飛んで来た。


「あの奥でさぁ」


農夫は痩けた手を上げて、比較的綺麗な家を指さした。


「案内しろ」


「へぇ」


陰鬱な路地を抜けると、村から離れた少し広い土地に出る。農夫は乱暴に扉を叩いた。


「おぉーい!いるかぁ!」


その声に返答は無かったが、代わりに扉が開いた。


「なに」


「コイツか」


「そうでさ」


扉から出て来たのは、九、十歳くらいの少年だった。かなり暗いダークブロンドの髪を持ち、琥珀色の目をして農服を着ていた。じっと淀んだ目をあげる。


「何しに来たの」


「口の利き方に気をつけるんだな。このお方は偉い方だぞ?」


「……話に聞いていた通り、賢そうな子だな」


「小賢しいんでさ。オレがこうやれって言ったことを──」


「もういい。ご苦労」


遣いは背後から農夫を刺した。一度彼は後ろを向いたが、そのまま少年の方に倒れる。


「その皮袋を拾え。代金だ」


「ぼくを、買うの」


少年はそう言いながら大きくずっしり重い皮袋を拾った。視線は男からずらさない。


「そうだ。お前、歳は幾つだ?」


「今日十(とお)になったばかり」


「名前は」


「……ヤン。ヤン・コヴァルスキ」


「はっはっ!ヤン・コヴァルスキとはな!どこにでもある平凡な名前じゃないか!」


少年は眉をひそめて吐き捨てるように言った。


「そうかもね。ぼくはこれからどこへ?」


「城だ。一日あれば着く」


男はヤンへと手を伸ばした。その手を少年は掴む。そして男の前に乗った。


「城って、この土地を治めてる領主様の?」


「そうだ」


「何でおじさんは、あのおじさんを殺したの」


「金は無駄に使わん主義でな」


ヤンは手のひらを見詰める。その肌にぽつりと雨粒が落ちた。


「お前、何で流行病にかからなかった?」


「お父さんとお母さんが流行った時にぼくを置いて家を出て行ったから、かからなかった。」


「随分白状な親だな」


「ぼくを人から遠ざけて助けたかったんだって。でも、隣の村で死んだみたい。あのおじさんはお父さんとお母さんを看取った人。金で頼まれたんだって」


「そこからはずっと一人か?」


「二ヶ月だけ。一ヶ月で村がダメになって、二ヶ月であんたが来たから」


雨は本降りになった。男は少年にマントを被せた。商品が濡れるのは痛い。


「何であんたはぼくを買ったの」


「流行病のせいで人手不足でな。領主様は使用人をお望みなんだよ」


「病気になってるかもしれないのに、よくぼくを買ったね」


「言わなきゃ分からんさ。領主様もご承知の通りだろう」


農道には死体が転がっている。中にはまだ辛うじて生きているものもいたが、恐らくこの大雨で死ぬだろう。


「城の方は……都会?」


「この辺じゃ一番の都会だ。何だ、農村は嫌だったか?」


「うん。外に出てみたかったから」


「そうか。そいつァ良かった」


ヤンは揺れる心地に気持ちが良くなって、そのまま目を瞑った。







「ヤン!何してんのー?」


「見りゃ分かんだろ。仕事中だ」


ヤンは城に連れてこられた。あの日からはや八年。ヤンは十八歳になっていた。普通なら十五を超えたら過酷な城の奉公から抜け出して自分で仕事を探すのだろう。


しかし、ヤンにはある特別な任務があった。それは、この城の城主の息子の影武者。顔つきは似ているとは言えなかったが、背格好やよく似ていたらしい。特に玉虫色の輝きを放つダークブロンド。それがお眼鏡に叶った。


故にヤンは城付きの図書館の窓の下、長い髪を絹のリボンで一纏めにし、豪奢な貴族服を着て地質学の本を読みながら日銭を稼いでいた。著者はバックランド。そんなヤンに飛びかかって来たのはパウラ・フェルドマンだ。


ヤンが聞くところによると、彼女は貴族とまでは行かないが、城主が贔屓していた豪商の娘だったらしい。花嫁修業の為に十歳の頃、ヤンが城に来た日と同じ日に来たそうだ。


パウラの家は十五の頃に没落して豪商から庶民になってしまった様だが、彼女はこの〝修行〟をいたく気に入り、城にずっと奉公している。……彼女は「私がお金を稼げば、家族は病気を恐る事は無い」と言っているが。


故にヤンとパウラは家族の様なものだ。歳も同じで、何より気が合う。


「いいなぁ。私もそんな呑気な生活してみたいわ」


栗毛を後ろに一つ纏めて侍女服を着たバウラは、ヤンに乗りかかってくる。


「命削ってやってるんだ。これぐらいの自由は無いとな」


「不老不死になったら影武者やりまくりだね。稼ぎ放題じゃん」


ちょっとした冗談だったのに、ヤンは乗り気になって答える。


「不老不死か。いいな。俺は是非なってみたい。世界の秘密を解き明かすんだ」


星が輝く目をヤンは外に向けた。また黄金は作られていないし、流行病を防ぐ方法は完璧では無い。知りたいことは沢山ある。


「私はいいかな……。大切な人にずっと置いてかれるもん」


「パウラ・フェルドマン」


「ひいっ!?」


執事長(ランド・スチュワート)の声にびしっとパウラは背筋を伸ばした。ヤンは素知らぬ顔で頁を捲る。


「ヤン・コヴァルスキ。貴方もですよ」


「……失礼致しました、ランド・スチュワート」


ヤンは本を閉じてランド・スチュワートの方へ立ち上がって頭を下げた。二人の前に立つ優しそうな老齢の男は、城に仕える従者の統括者だ。幾ら城主の息子の影武者たるヤンでも、そううかうかと顔をあげられる存在では無い。


「いいですか、二人とも。もうすぐ何が起こるか知っていますね?フェルドマン」


「はい、執事長。殿下の結婚式に御座います」


深々とパウラは頭を下げて、芯の籠った声で 答える。


「えぇ。そうですね。きちんと仕事に励むように。コヴァルスキ」


ヤンの名を呼んで、視線を動かした。凍てつくような表情が青年の背を真っ直ぐにさせる。


「はい」


「貴方の事ですから心配はしていません。しかし、もしもという事もあります。図書館で日銭を稼ぐのは構いませんが、婚礼の練習もして頂きたいものですね。幸い本日は練習があったはずですから、しっかり参加するように」


うぐ。サボっているのがバレている。このお爺さん、のんびりした顔して何でも見透かすから怖いんだよな。


「……はい、その様に」


「では各自仕事に戻りなさい」


二人はグリフの背を見つめながらほっと力を抜いた。


「ふぅー。まさか執事長がいるなんて」


「ほら仕事に戻れ」


「あんたいっつもそう言って戻らないじゃん」


ここに残って本を読もうとしていた魂胆を見抜かれたのと最近儀式の練習をほったらかしていたので居心地が悪くなったヤンは、渋々本を閉じた。


「……やれやれ。分かったよ。婚礼の儀式の練習する。いいだろ?」


「いいだろ?じゃないのよ。上手くやるのよ、〝燕石王子様〟」


はぁ、と深くため息をついた。一瞬だけぎゅっと目を閉じてまた開けると、顔つきが変わる。


「すまない、無駄話をしてしまったね。僕はもう行くよ」


「……いつ見てもびっくりする燕石っぷりねぇ」


立ち振る舞い、その仕草、全ての表情。この城の王子様に寸分違わぬ完成度。目の輝き、焦点の合わせ方、指先の僅かな痙攣に至るまで。同じ人間がもう一人いるように思ってしまう。それこそが燕石王子と呼ばれる所以。


「殿下。ここにいらっしゃったんですね。お時間ですよ、参りましょう」


二人で話しているとメイド長が現れた。その声にヤンは振り返る。


「遅れて済まない。さぁ行こうか」


「パウラ。貴女もお供にいらっしゃい」


「畏まりました、メイド長」


歩幅、肩の揺れ方に至るまで王子と全く同じだ。俳優の方が向いているとパウラはいつも思う。王子の真似だけでない。どんな人間でもヤンは真似してしまう。


その完成度たるや、王子と一緒にいる時間が長いメイド長さえをも騙してしまうほど。だから彼女はヤンに敬語で話しかけたのだ。


木漏れ日が溢れる中庭に出ると、次期当主である王子が召使いに囲まれていた。王子とヤンを交互に見比べてメイド長が言ったことは。


「あれ?殿下がいらっしゃる……ということは!」


「いってぇっ!」


「そうならそうと早く言いなさい!」


思いっきり背中を平手打ちにされた。酷い剣幕の表情をしたメイド長が見える。


「ひ、酷いなぁ……練習ですよメイド長」


憤慨しながら歩いて行くメイド長の背を見ながら、ヤンは背中を撫でた。ひりひりする。


「また酷くやられたわねぇ」


「あの人手加減しねぇから嫌なんだよ」


まだ婚礼の練習の準備には時間がかかるようだ。ヤンとパウラは芝生に腰を下ろした。


「ね。相手のお姫様見た?」


「見た。綺麗な人だったな」


「いいなー。私もあんな風になりたい」


ヤンはちらとパウラを見たが、また視線を芝生に戻した。……庭に殿下と姫が見える。そろそろ練習が始まりそうだ。


「んー。でもなんで殿下は家の名前でお姫様のこと呼ぶんだろ。仲は良いし付き合いも長いみたいだし、愛称とかで呼んだら良いのにね」


確かに二人の会話は他人行儀だ。ぽつり、ヤンは言う。


「政略結婚も兼ねてるから家の名前で呼ぶのが良いんだろ。まぁ……それに……」


青年は目線をあらぬ方向に向けて、途切れ途切れに言葉を紡いだ。


「好きな人のこと名前とか、愛称とかで呼ぶのは……照れる、んじゃないかな……。付き合いが長いとなおさら」


「へー。男心ってフクザツなのね」


「……やれやれ」


なんにも分からずにオオバコで草相撲をしているパウラに軽くため息をつくと、彼女はそれをぽんっと投げた。


「近隣諸国も荒れてきてる。この国は緩衝国家だから、いつ殿下が狙われても不思議はないわ。気をつけないとね」


「どう気をつけるって言うんだよ。どうしたって俺は死ぬしか無いじゃないか」


「上手く怪我しろってことよ」


それが出来たら苦労しねぇよ、と言いかけた言葉は遮られた。


「やっぱりあんたに死んで欲しくないし」


彼女の笑顔は元気そのものだ。眩しい。太陽みたいな笑顔。


「フェルドマン!こっちに来なさい!」


「はぁい!それじゃあね」


ヤンはメイド長の声に立ち上がったパウラの腕を掴む。


「待てパウラ。なんか目にゴミみたいなのが……」


「へ?嘘!取ってよ。殿下の所に行くんだから」


「もうちょい屈め」


屈んだ拍子に鼻と唇が当たる。唇を寄せられたことを理解するのに時間はかからなかった。


「気のせいだった」


あっけらかんとしてヤンは手を離した。逆光越しに太陽みたいな真っ赤な頬が見える。


「あんたねぇ……!」


「ちょっと構って欲しかっただけだよ」


「はぁ。ホントあんたってやつは……」


向こうから急かす声が聞こえる。意地悪い笑みを浮かべてヤンは送り出す。


「呼ばれてるぞ。行けよ」


「あんたのせいでしょー!」


向こうでは姫と笑いあっているパウラと、こちらを肩を竦めて見つめる殿下の姿が見えた。何も変わらない昼下がり。麗らかな日差し、雰囲気、心。瞬きも惜しいくらいの幸せな日常。


……そうやって笑ってふざけ合っていたかった。変わらず、ずっとそのままで。思えば死ぬ機会は幾らでもあった。その時に死んでいれば良かったのに。


一回目に死にそびれたのは、結婚式の時だったと思う。

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