第四章 夢心遺却列車 最果鉄道
第41話 休暇のシディロドロモス
「そう、ね」
ヨハンはロジェの手を引いて馬車へと向かう。そこにはいつもと変わらぬ笑みを浮かべたアナがいた。茶化されていると感じたヨハンは、軽く老婦人を睨みつける。
「あまり遊んでいる余裕は無いぞ」
「安心して下さい。元より貴方々を国外に逃がすつもりですから」
開けられた馬車に押し込むようにして乗る。ロジェは小窓から宿屋を見るが、直ぐにアナの言葉で意識が削がれた。
「先にお渡しするものがありますね」
袋から二つ何かを取り出した。紐の間に石が括り付けられていて、ノルテの国章が彫られている。
「警察は貴方々を正式に『ノルテ名誉国民』として表彰することにしました。これはその証です」
通行証を傾けると国章が消える。偽造防止の技術だ。がたん、と大きく馬車が揺れた。
「通行証です。荷物につけておきなさい。これでノルテ国民を名乗れる」
「ありがとう、アナ」
力無くロジェは呟くようにして礼を述べた。
「さて……私は全てを話す、といいました。貴方々が求めているものが何であるか……超古代文明に興味を示しているのを見ると、『タイムマシン』を探しているのですね」
あっさり目的が見破られてヨハンは目を見開く。
「そんなに有名な代物なのか?」
「えぇ。彗星の使者達が言うには、『タイムマシン』を作って旧人類は滅んだのだと」
「彗星の使者?」
ロジェは不思議そうに声を上げた。そんな存在、魔法使いをやっていても貴族同士の話し合いでも聞いたことが無い。
「はい。我々に自立式人形の知識を与えた者達です」
「ヤツらは在処を知っているのか?」
「知りません。しかし彼らは言っていました」
アナは厳かに歴史の秘密に近しいそれを告げる。
「『『タイムマシン』は実在する。我々はそれを持っている』のだと」
ヨハンが息を飲むのが聞こえた。窓から見える空はもう闇にとっぷりと溶けている。
「曰く『地上に置いておけばまた争いのタネになる。旧人類はアレで滅びた。だからここで守っている』と」
必要なことは分かったが、問題はなぜ彼女がそんなことを知っているのかである。言わんとせんことを察したのか、アナは弁明のように言った。
「ファクティス家は代替わりごとに使者に会うのですよ。だから知っているだけ」
本当のところはどうか分からないがそういうことにしておこう。アナはお尋ね者のロジェ一行のことを知らない演技をしているだだ。何かの拍子でバラされるのは面倒だし。息を吐くのと同時にロジェは声を絞り出した。
「……つまり、私達の旅の最終目的地は『マリア・ステラ号』ってことね」
「えぇ。ですが、アレに乗り込むには手順がいるのです」
目的が決まったところで、アナが更なる情報を提供する。
「『鍵』と『歌』。あの広場にこの二つを持っていかなければなりません」
やはり神代からの貴族だ。持っている知識が膨大である。何でもファクティス家は異界の貴族とも言われているから、何か特別な方法で世界を見ているのかもしれない。
「あなた……それが何処にあるか知ってるんじゃないの?」
「いいえ。私共は代替わりごとに広場に行って、ホログラム状の彼らに会っているだけ……ファクティス家にとって、彼らもまたお客様ですからね」
「客だと?」
「会ってみれば分かりますよ。彼らは不平等を無くすために、どこまでも均一な使者ですから……」
アナにしては珍しく辛く、苦しそうな表情を零した。何となく馬車からの反動が柔らかく、スピードが落ちたように感じる。
「着きますよ」
ヨハンは窓のカーテンを開けると、外には砂が広がっていた。地平線の向こうまでずっと続いている。
「砂漠だな」
馬車から降りると、そこは一面の砂。
「えぇ。お望みの場所ですよ」
アナはヨハンへ視線を動かした。その視線を辿って、ロジェは問う。
「砂海だけど……何か手がかりがある場所なの?」
「ああ。砂漠と海底には超古代文明の遺跡がある。探すならそこだ」
一行は砂海の中に足を踏み入れる。砂が足に引っかかって歩きにくい。アナは砂の向こう側を見つめていた。
「もう来るでしょう。貴方々には大変お世話になりました」
「こちらこそ、と言っておくわ」
ロジェは去りゆくアナに視線を向けると、老婦人は笑った。
「ふふ……やはり貴方はそうでなくては」
アナは馬車に乗り込んで、馬が何とか踏ん張って引っ張り出した。動き出した馬車の窓から声が聞こえる。
「それでは。貴方々の旅に幸多からんことを」
それだけ残して、アナはノルテの方面へと帰って行く。後にはもう夜風と足音しか残っていなかった。日が完全に落ちて、真っ暗闇だ。
「歩けるか?」
ヨハンは難しそうな顔をしてロジェに問うた。が、少女は疲れた顔で頑張って微笑む。
「歩けないわ。それに歩かなくていいの」
轟風が砂丘の向こうから吹いてくる。しかしその風は冷たいものでなく、生温い風……モーターらしきものが発しているような熱だった。
「もう来るから」
風は大きな線路を露わにして、駅の土台を作り出す。警笛とともに黒く煌めく城壁くらい大きな列車が二人の前にやってきた。あまりの衝撃にヨハンは呆然としている。
列車は金属音と共に動きを止めて、それこそ城門くらい大きな扉が空いた。豪華絢爛な車内から茶髪に青い瞳を浮かべたメイドの女性が、カンテラを持って嫋やかな笑みを浮かべて降りてくる。
「こんにちは。今日は特に冷えますね」
「……これは一体、どういう……」
「おや。『最果鉄道』のことをご存知無いので?」
ヨハンが呆気にとられて何も言えなくなっているのをメイドは笑った。女は降り口のボタンを操作すると二人が乗れるように階段を下ろした。
「何はともあれ早くお入り下さい。身体が冷えてしまいますよ」
二人は車内に乗り込む。豪華で瀟洒なエントランスには、水晶で作られたのかと見紛う程の眩いシャンデリアと幾つかのカウンターがあった。メイドは再び挨拶をする。
「『最果鉄道』へようこそ。私は車掌助手の茶器と申します」
「ここは……」
ヨハンの問いに、茶器ではなくロジェが答える。
「国なのよ」
「列車が国なのか?」
「左様に御座います。我が国は……」
茶器は説明を始めようとして、うとうとしている少女を視界に留めた。
「今日はもう夜も遅いですし、詳しい説明は明日に致しましょう。ですが我が国はコードネーム制ですので、偽名は考えておいて下さいね。お部屋に案内致します」
「ありがとう。助かる」
エントランスに入って右の車両へ進むと三部屋目のところで茶器は歩みを止めて、鍵をロジェに渡す。
「お部屋は応接室を挟んで二つ御座います。また明日参りますので、今日はゆっくりとお過ごし下さいまし」
ありがとう、と二人は言うと部屋に入る。机にソファ。奥には絵画みたいな夜の砂漠の風景が窓から見える。ロジェはソファに座り込んだ。
「……そうだ。説明よね」
「いいよ。見るからに疲れてるぞ」
「いーのよ。あんた、好奇心旺盛でしょ。知りたいことを放ったらかしてたら眠れなくなるわよ」
ヨハンは感情が出やすい自分の瞳を心底恨んだ。確かにまぁ、ロジェが寝た後に茶器に聞こうと思っていたのだが。好奇心は猫を殺すというが、少女を殺してしまいそうだ。
「ここは『最果鉄道』っていう国なの。ここではどんな荒事も認められない」
「荒事っていうのは?」
瞼がとろんとしているロジェに、静かにヨハンは受け答えする。
「私達の場合だと、追っ手を撒くために戦うじゃない。そういうことをしてはダメなの」
「荒くれ者が多そうだな」
「そうよ。身元が怪しい人が乗ってくるから本名は明かさない。代わりに偽名を使うの。コードネーム制ってことよ。本名の詮索はNG」
少女は身を乗り出して男へと問いかける。
「あんたは何か考えた?」
「俺か?俺は……」
名前を言いかけてロジェに視線を移すと、もう眠りの世界だった。そのまま机に突っ伏しそうになるものだから、慌てて抱き上げる。
「あぁほら、言わんこっちゃない……」
よく見れば髪が焼き焦げたり、手に痣が出来たりしている。オマケに魔法も限界まで使ったのだ。そりゃ寝落ちもする。
「……おやすみ。良い夢を、ロジェ」
幸いここには誰も来ない。しばらくゆっくり休むのもいい。ヨハンは片方の部屋のベッドにロジェを下ろすと、部屋の電気を消した。
「……んあ」
ロジェは間抜けな声を上げると、ベッドから身体を起こした。窓から見える外は明るい。時計を見ると早朝だ。耳には車輪の音。
そうだ、昨日は鉄道に乗ったんだ。それで寝落ちして……ヨハンに運んでもらったらしい。
「後でお礼を言わなくちゃね……」
掠れた声でそう言うと、また横になって眠ろうとしたが風呂に入っていないのに気づいて起き上がった。そう言えば着替えも洗い物が溜まっていたのだっけ……
「入るか……」
妙な浮遊感を感じながら、よく手入れされたキャビネットの上に置いてあったボトルに手を伸ばした。乾いた口に程よく冷たい水を流し込む。
鞄から着替えと洗い物を取り出し、脱衣所に投げた。洗い物はそのまま洗濯機の中にぶち込む。脱衣所は洗面所と洗濯機、足を伸ばせるくらいのタイルの浴室がついている。
「……噂には聞いてたけど、めっちゃ豪華ぁ……」
着ていた服も脱いで洗濯機に入れると、浴室に入った。風呂についていた蛇口をひねると乳白色のお湯が出る。何だかいい匂いがする。朝風呂でぐーたら出来るだけでも贅沢なのにこんな綺麗なお湯が出るとは。
ロジェはシャワーを使って水を被った。置いてあるボディソープは何回も固められた石鹸で、肌に使えば使うほどしっとり馴染んでいく。シャンプーも暴れん坊なロジェの髪を潤わせた。
一通り身体を洗うと、ざぶんと風呂に入る。手を伸ばすと、腕に巻き付く黒い影が見えた。一瞬驚いたが、原因が分かるとその影を撫でた。
契約印だ。人外と契約した者は皆、この印を身体に背負う。魔法使いは一般人と違って対価として支払うものを持っている──たとえば魔力とか、特別な体質とか。それこそ魂だって──から、よく魔物と契約している。
身体に載せるのは自慢をしたいと思われるから大抵指輪やら神器に仕舞うのだが、生憎今のロジェには実家から送られた魔法のかかった謎の指輪しかない。魔法は、一つの物に一つまで。だから封じることが出来ない。
もぞもぞと動く契約印にお湯をかけた。昔は無邪気に憧れていたけど、今は身体に載る責任に押しつぶされそうだ。外の動く景色をぼんやりと見ながら、ロジェは浴室から出た。
サディコに魂を渡したから、一番重い契約は出来なくなった。今度は何を渡そうかな……身体を拭きながらそんなことを考える。
部屋着に着替えてぱちりと指を鳴らした。濡れていた髪が一瞬で乾く。これが魔法使いのイイところなのよね、と髪を撫でる。
毛先が少しだけ焦げている。ちょっと火力が強すぎたのかもしれない。座ったベッドに身体が沈んで、眠気に誘われるまま目を瞑った。
ファクティス家本邸の穏やかな陽だまりの中、アナは目の前の『創造神』に口を開いた。
「遠路はるばるようこそ。ぺスカの方は変わらずですか」
「んー……ちょっと色々あるかも。世界が変わったからかなぁ」
机を挟んで向かいに座るオルテンシアは、にっこりと笑顔を作った。少女の笑顔とは対照的に、背後に侍るテュリーの表情は固い。アナも表情を緩くして本題に入る。
「本日はどのようなご要件で?」
「アリスが……レヴィ家の次期当主が捕まってるって聞いたから」
「あら。一貴族にそこまで?」
「……あはは。うそうそ。首相に会いたいって言われたからね。そのついでだよぉ」
建前にしては痛々しいそれがアナに返される。老婦人は立ち上がると案内を始めようとする。
「こちらへどうぞ」
「だいじょーぶ。その必要はないよ」
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