第40話 偽典の捕囚

目を瞑って集中して魔力源を辿れば胸元にそれはあった。正体は太陽のブローチ。幻惑なる紫紺の宝石はいやらしくロジェを嗤っている。


「紫、ねぇ。嫌なヤツを思い出したわ」


少女は結界でミカエルの魔法を押し出した。金色の炎は鳴りを潜める。この世の何からも浮きながら少年は自慢げに言った。


「オルテンシアがくれたんだ。僕に魔法が使えるようにってね!」


今度は炎がロジェに集中するが水の剣を作って捌いていく。空いている手に魔力を込めて浮かんでいるミカエルを叩き落とした。


呻き声を上げて蹲っている少年の下には青い魔法陣が浮かぶ。ミカエルは慌てて顔を上げたがもう遅い。ロジェお手製の数珠繋ぎ弾幕が空気と一緒に浮かんでいた。


「もう私達を狙わないってんならここで逃がしてあげる。どうする?」


「逆に聞くけどそうしますって言うと思う?」


そうよね、と心の中でロジェは呟いた。剣を構えて立ち向かってくるミカエルに、お得意の水魔法を繰り出す。呪文を思い出す前に無言詠唱で魔法陣が出て来てしまった。水のように自由に動き回る爆破結界、『擬似水面爆破魔法アルコ・シュルファス』だ。


「僕が空飛べるって忘れちゃったの〜!?」


スーパーヒーローの様に浮かびながらそのまま少年は向かってくる。同じ魔法を天井側から展開するが、振り上げた剣で壊されてしまった。


迫り来る感情を伴った刃にロジェは眉一つ動かすことなく、目の前にまた結界を貼る。


「また結界?斬れるってのを学ばないわけ!?」


目の前の激情に反応しないまま、静かに『擬似水面爆破魔法アルコ・シュルファス』を纏めてミカエルの背を貫こうとした、が。


「だー、かー、らー!」


ミカエルの背には結界があった。発動させようと思って発動させているわけでない。恐らく、あのブローチが勝手にそうさせている。


「これはオルテンシアから貰ったって言ってんじゃん!」


「なっ!?」


ロジェが気づいた時には遅かった。既のところで剣を避けるも、衝撃波で後ろに吹っ飛ばされる。今度はロジェが叩きつけられる番だ。


長年の積もり積もった埃がただ、聖人の立ち姿を写していた。背中を思いっきりぶつけて痛い。ふらふらになりながら立ち上がった。


「あんた……げほ、ここまでして何を、求めてるの……」


「さっきから言ってんじゃん。お礼して欲しいだけなんだけど」


「……はは……マジ?それだけの為に?あんた相当クレイジーね」


「だってそうじゃん。僕は救世主。崇められて当然の存在だよ?」


その『救世主』は埃の中から現れた。あの優しい笑みを称えて、口からは不相応な言葉が出てくる。


「ずっと思ってたんだよね。僕は流民だけど、実は凄い貴族の出身だって。ほら見てよ。凄い綺麗な見た目でしょ。いつか誰かが迎えに来るって思ってたんだよね」


「あぁ……全てが最悪の形でマッチングしたってことね……」


ロジェは伏せ目がちにため息をついた。そして視線をブローチに動かす。魔法は自動で発動しているのか、意識的にしているのか。体制を整えて立ち上がった。吹っ飛ばされた反動で身体が痛む。


目隠しのため霧を充満させて、居場所を撹乱させるために部屋中を飛び回る。その最中、ロジェはミカエルに魔弾を打ち込んだ。初めは遠く、段々近く。


魔力を通してミカエルを見ると、当の本人は音のする方へ魔法を使っているのが見えた。魔力はオルテンシア由来のものだが、使うのは本人の意思によるものらしい。


ロジェの考えなど露知らず、ミカエルは軽く剣を薙いだ。衝撃波が霧を晴らす。靴の音を立てて地面に降りた少女をじっと見ていた。


「もうそろそろ終わりにしようよ。こんなの意味が無い。でしょ?」


「何で私が悪いことになってんのよ。喧嘩吹っかけたのあんたでしょ」


「それは……そんな化け物を庇うから……僕は悪くないよ」


ミカエルの目は正しさを示していたが、僅かに救いを求めている。


「人の話を聞かないあんたの方が化け物よ。そもそもアイリスは被害者なの」


「被害者……?」


「アイリスはこの宗教団体に誘拐されたのよ。無理矢理イーリスを降ろされていたの」


ミカエルの顔はみるみるうちに青ざめる。自身の勘違いと現実に耐え切れない表情をしている。


「だ、だけど……悪いやつは殺さないと何回も繰り返すよ。君もそう思うでしょ?」


「極論そう思うこともあるわ。あるけどね。罰を下すのは私達みたいなトーシロがやる事じゃないのよ」


ロジェは二回目のため息をついた。感情が昂っているからか、ミカエルは震える手で剣を構えながら裏返った声で叫んだ。


「他の人間なんてアテにならない……僕が絶対、正しいんだ……!」


「脅されながら信仰してる人もいたかもしれないじゃない」


「そ、そんなわけない!絶対無い!有り得ない!僕が絶対正しいからだ!」


止まらない冷や汗。青白い顔色。目はつり上がっているものの、口は不気味なくらい微笑んでいる。今のミカエルの表情は、とても『神託』を受けた人間がするそれでは無かった。


「……かなり想像力が欠けてるわね」


「き、君が……仲間になるってんなら、ゆ、ゆるすよ……!?どうする……?」


「結構よ」


まだそんな事を思っていたのね。ロジェは返答を吐き捨てた。


「僕のことを否定したな!?許されないことだぞ!許されないんだ!お、終わりにしよう……!終わりにしてやる!」


ミカエルがまた宙に浮かんだ。気が狂ったかのように、ずっとずっと「お前が!お前が!」と叫んでいる。


「あれが神託者、ねぇ……」


ロジェは呟きながら蜘蛛の巣のように数珠状の水魔法を展開した。それは素早く数を増やして、ミカエルの動ける範囲を狭めていく。


計画性もなく魔法を出しまくるのは初心者によくやりがちなミスだ。魔法は出したらしまう、は絶対である。つまり弾幕戦はこの絶対基礎に真っ向から反発する戦法だ。


では何故行うか。理由は一つ。展開する魔法が多い分、撃破の可能性が上がるからだ。狭めて撃つ。必ず撃つ。ロジェは自分の周りの八方に魔法陣を置いた。


ミカエルは魔剣で数珠状の魔法で切り刻んでいるが、斬れば斬るほど魔法は裂けて、裂けた部分から新たな魔法が生まれていくから動ける範囲が減っていく。


「魔物の手先の癖に!お前には天罰が下るぞ!いや、この僕が下してやる!」


ミカエルも固有魔法を撃つらしい。良いだろう。相手をしてやる。ロジェは指を銃の形にして、迎え撃つ為に魔力を装填する。


ミカエルの青い宝石が輝いた。壊れた表情とは対照的に、麗らかに声を上げる。


「我が炎は断罪を示すもの。我が行為は正義を示すもの。我が心は悪しき囁きに屈することあらず。魔女よ、魔物よ、魔法使いよ、全ての魔なるもの共よ。悪逆なる心に唯一神の炎を思い出せ!『異端者砕きし偽善の鉄槌マレウス・エレティコス!』」


詠唱の後ミカエルが光り輝き、金色の炎弾が変則的に飛んだ。固有魔法とあって一撃が重い。ロジェの壁となっていた守護魔法には亀裂が入る。少年が構えていた剣を上げると、飛び去った魔弾は戻り光となってガベルの形をとった。世界の審判らしく、振り上げられる。


今しかない。ロジェは固有魔法以外を全て解いた。なけなしの魔力を指先に集め、力を結集させる。八方に陣にも同じ魔法を置くのを忘れない。


「星は全ての人の上にあるもの。導き、破壊するものよ。数多の時空を超え、星辰の導きに従って進むべき道を示し、天命はこれを持って進め。運命と時は神の上にあらず、常に人の上にあらんことを。固有魔法『終焉もたらす弥終の凶星 《シュペルノヴァ・マレフィック》』!」


星は遍く力を取り込んで、ミカエルの魔法をぶち抜いた。砕かれたガベルはまた炎弾になってロジェに向かって行くが、八方の魔法陣が全て打ち砕いた。


辺り貫く轟音のあと、ぶち抜いた魔法はそのまま天井を貫いてミカエルを崩れ落ちた瓦礫の一部とした。


魔法の反動でロジェは膝をつきながら少年を見る。ミカエルはもろに攻撃を受けたからか、意識を失っていた。


「……は、はぁ……やった……かな……」


ふらつきながら立ち上がって瓦礫を捲ると、煤けた手が出て来た。その手には剣があって、柄をしっかりと握っている。


「悪いんだけど、私はここで死ぬつもりは無いわ。だけどあんたを殺すつもりもない。一回だけ逃がしてあげる」


瓦礫は静かだ。無尽蔵だと言われる魔力を持ったロジェの攻撃を受けたのだから、こうなるのは当然だろう。ただ、今回のは流石に疲れた。


「だけどもう一度、アホみたいな理由で向かって来たら……」


瓦礫からミカエルが這い出て、悔しいのか悲しいのかよく分からない表情をロジェに向ける。


「その時は容赦しない」


睨みつけるロジェを少年は鼻で笑った。あれだけ美しいと言っていた容貌はボロ切れになっていた。


「いや、何言ってんの?思い上がりも程々にね。身を滅ぼすよ。今日は手加減しただけだから。じゃ」


ズタボロの服でミカエルはあさっての方向に飛び去っていく。胸元に光るのはあのブローチ。それをちらりとみたロジェは、静かに呟いた。


「ブローチに亀裂が入ってた……」


固有魔法を使う大変さというのは、一日仕事するくらいだ。一日休めば魔力は回復するし、連発するとか余程魔力消費が大きな物でなければ魂削るものでない。


「オルテンシア……何を考えてるの……」


なのに、ブローチが割れるとは。オルテンシアはミカエルに魔力を渡して何が目的なのだろう。


「……はぁ……アイツは腹立つし、身体はだるいし……なんとか皆と合流しないと……」


よろよろ歩きながら、ロジェは前の部屋へと戻ろうとすると扉から出てくる見慣れた人影があった。ヨハンだ。腕に小型犬くらい小さくなった眠るサディコを抱いている。


「無事か?」


「まぁ、そうね……サディコは大丈夫なの?」


「わからん。眠ってるみたいだが」


ヨハンに渡された使い魔を抱き締めると状況が分かった。魔力切れだ。


「魔力切れね」


「前の部屋じゃアウロラとやり合ってたからな」


男は扉の隣に座り込むアイリスの傍に寄った。


「傷は無さそうだが……」


「ミカエルに攻撃されてね。受けた傷は治癒魔法で治したわ。イーリスが降ろされてたみたいだけど、あのアホの攻撃で抜けたみたい。多分剣身が銀だったからじゃないかしら」


ヨハンはアイリスを背に乗せる。少女の身体は温い。眠っていればいずれ目が覚めるだろう。疲れた顔でロジェは自嘲した。


「熱烈なプロポーズを受けたわ」


「人外はどうしてこうも人に執着するのかね」


「……大方契約じゃないかしら」


「現実的だなぁ」


男か元来た扉に手をかければ、少女はいつもの溌剌さを失って申し訳なさそうに言う。


「……ごめんなさい、ヨハン。私も少し魔力切れをおこしてて……転移魔法が使えないの」


「気にしなくていい。早くかえ……」


そう言いかけて止めた。手が足首を掴んでいる感触がある。足元を見れば機械人形の手が、ロジェとヨハンの足元を暗くしていた。


「その心配は要らないみたいね」


力無くロジェは笑うと手に身体を委ねた。森のように生い茂る腕の合間から密やかに囁き笑う声が聞こえたが、それに気持ち悪いなどと思う余裕はロジェには無かった。


視界が開けると見慣れた景色だった。宿屋の前。視線を落とすと馬車が止まっている。あの紋章はファクティス家のもの。ゆっくり休んでなどいられないようだ。


「お前はアイリスをご両親に預けろ。俺は荷物を取ってくる」


ヨハンから渡された友達を肩に抱いて、走って行く男を追いかける形で宿屋の中へと入る。カウンターでは不安げな顔で二人がヨハンの行った方を見ていた。


「あの……」


「アイリス!」


ロジェなど眼中になく、母はアイリスを崩れるように抱き締めた。父は疑心暗鬼で少女を見る。


「申し訳ありませんでした。娘さんを巻き込むつもりは無かったんです」


頭を下げている上から、父は何か言いたげに息を吐き出した。


「君も……辛い思いをしたんじゃないのか?」


床がぼやける。震える声を押し込めて、か細い声で少女は続ける。


「していません。しなければいけなかったことを、したまでです」


何で泣きそうになってるんだろう。両親からしてみれば私が泣いていい道理なんてない。これから私達が泊まったことで、この宿屋にはとんでもない迷惑をかけることになるのだから。


「娘さんはイーリス教の信徒に誘拐されて、イーリスを降ろされたんです」


「イーリスを……!?でも息はしてるじゃない!ね、ねぇ……そうよね……?」


ロジェは顔を上げて悲壮な顔をしている母を見る。


「えぇ。退魔の銀剣で刺されて、イーリスは消え去りました。直ぐに手当てはしましたが……」


「そ、そんな私のアイリスが……!」


「落ち着け。息はしてるし顔色もいい。直ぐに一日二日で目覚めるよ」


娘の名前をうわ言のように言う母とそれを宥める父を、力無く見るしか無かった。居場所を無くしている少女に父は引きつった顔で告げる。


「君はもう行きなさい。お尋ね者のようだし」


「本当に申し訳ありませんでした」


また身体を折り曲げて謝る。もうそれしか出来なかった。足音を聞いて顔を上げると、荷物を抱えたヨハンがいる。


「謝ることはないよ。誰しも事情があるものだ。宿代もいい。彼に散々働いて貰ったからな」


二人のことなど忘れたように両親はアイリスに構っている。


「行こう」


「……」


少女は何か言いかけて、男はそれを静止した。


「ロジェスティラ。行こう」

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