第39話 詐欺師のウォカーブルム

「こんなものを舐めても仕方ないんですけれど……」


相手は名高いマルコシアスと言えど、成体でもない未熟な個体だ。こんな精霊なんて喰っても仕方ないが無いよりマシだ。薄汚い教会の床に四つん這いになって舌を伸ばす。


犬のようにかがんで舐めていればもちろん首も痛くなる。身体を伸ばそうと起こすも、前が見えない。


はて。確かにこの教会は薄暗かったが、前が全く見えないほどだっただろうか。思っていた以上に水溜まりが大きかったらしく、腹を濡らしている。……腹から何か、冷たいものが生えている。


「ま、まさか……」


目を触ると同じ。冷たいもの。それは氷柱の様であった。粘り気のある暖かいものが伝う……血だ!


振り返ろうにも頭を動かせない。そんなことをしたら頭蓋骨が粉砕される。狼狽えていると、上の方から楽しそうな笑い声が聞こえた。


『あははっ!お前ってほんとバカだよねぇ〜!こんな初歩的な罠にかかってさぁ!』


無邪気に人を馬鹿にする嗤いが上から振ってくる。アウロラは透視を発動させた。上から獣が座って見下ろしているのが見える。


『ぼくはね、わざと攻撃を受けたんだ。お前の中の『自信』を増幅させる為にね』


『自信』を増幅させて、正常な判断力を失わさせる。慢心があれば尚効きやすい。


『そして倒されて……隙を作った。いやぁ大変だったんだよ?お前には魔眼があるらさぁ、チャンスを逃せば終わりだし』


アウロラは氷柱を必死に抜こうとするが、抜こうと思えば思うほど、どんどん深くに突き刺さっていく。


『で、氷柱を作って身体を串刺しにしたワケ。分かる?分からないか。見えないもんね。まぁつまりは……』


したり顔で悪魔は嘲笑を零した。


『確かめもせずにぼくを喰おうとした時点でお前の〝負け〟だ』


『負け』という言葉にアウロラは強く反応した。眼孔がぐちゃぐちゃになるのも厭わずに歯を食いしばり上を見上げる。


『いやぁ、それにしても痛覚がイカれてるなんて思わなかったなぁ……いい発見をしたよ。お前の魔眼も強いってだけで物理的な破壊も出来るみたいだし』


「小賢しい真似をしやがってっ!」


アウロラは氷柱を折ると拘束から逃れ、サディコから距離を取る。が、そこはもう悪魔の掌の上。四角形の連続した結界の中に炎を閉じ込めた氷柱がある。いつの間にか、そこに押し込められていたのだ。


「こんな技知らない!だって悪魔の辞典には、こんな事何一つも……!」


『そりゃそうでしょ。ぼくのオリジナル技だもん。ぼくが初出。『悪魔の偽王国』にも載ってないよ!』


「狡猾なクソ野郎がァァァッ!」


『当たり前だよ。ぼくは狡猾サディコ。お褒め頂き光栄だね』


封じ込められた炎は爆発四散し、割れた氷は全てアウロラを封じるように飛び散る。煙が静まった後にあったのは、封印を施された女だけだった。


『……大体、悪魔の辞典って何なのさ。悪魔にもちゃんと個体差はあるっていうのにねぇ』


さてと、とサディコはアウロラの前に蹲って。


『ロジェが帰ってくるまで待ってよぉっと』


もそり、丸くなって目を閉じた。









「あ?あぁ。うん。頼む。え?そうだ。なるべく今すぐ……出来そうか?」


アリスが目を覚ましたのはボロ屋だった。今にも底が抜けそうなベッドから身体を起こすと、部屋の中で男が電話をしていた。


「随分と揺さぶるな。恩を忘れた訳じゃないだろ。無かったことにしてやるんだからな。……分かった。待ってる」


ゆっくりと隠していた短剣を抜く。


「さて、と」


電話が一段落したヨハンは、受話器を置いて呟いた。


「そういう事は止めといた方がいいぜ、お嬢さん」


手早く奪い取られた短剣が突きつけられた先はヨハンの背ではなくアリスの首だった。震えていた持ち手はゆっくりと下げられる。


「……何故こんな真似を」


「俺が助けた命が無駄になるのは嫌だからな」


「こんな辱めを受けるくらいなら、さっさと……!」


「止めておいた方が良い。それとも……」


再びヨハンは復唱して、少女の手を掴んだ。反動で音を立て短剣は落ちる。


「本当に『辱め』を受けてみるか?」


アリスは慌てて手を抜いた。そしてそのまま俯く。あぁ、深く傷が痛む……。


「……どうして、わたしを助けたの……」


「人を殺すのは本意でないからだ。……本当は傷つけるつもりも無かった」


「魔法使いが、魔法使いの名家が……魔法すら持っていないただの一般人に負けて、それで尚、生きているなんて……」


少女は泣きながら顔を上げた。ここまで酷い扱いを受けていてもう表情を気にする余裕は無い。


「私はどうやって家に帰ればいいの!?教えてよ!ねぇ!」


「お前は名誉の為に生きているのか?」


ヨハンは壁にもたれながら静かに返した。


「へ……?」


「君は何のためにミカエルと共にいる。家名の為か?オルテンシアを弑す為か?それとも、何か君の信念の為か?」


「それ、は……」


どくん、と心臓が震えた。冷たくなった様にも、熱くなったようにも思える。必死に目を逸らしたその果ての答えを、アリスは持ち合わせていなかった。


「何を遂げたい。何を願う。家名の為と言うのなら、それは君がやるべき事ではなくて君の父君がしなければならないことだ。それこそが当主の役目」


ヨハンの言う通りだ。何も言い返せなくて、アリスは悔し紛れに言い返した。


「あんたに貴族の、何がわかるっていうの……」


「厄介事はよく知ってるさ」


その表情が『本当によくわかっている』表情で。あぁ、悔しい。悲しい。辛い。アリスは髪を掴んで、身も蓋もなくヨハンに縋る。


「あたしは、もう、どうすれば……いいの……こんな力もってたって……!わかんない、分かんないよぉっ……!」


男はアリスの様子に目を見開いた。少女の後ろに『何か』を見ている。アリスには分かる。その『何か』は、マリシアだ。こんな目で、エリックスドッター家の名誉当主を。


「……やはりアイツとロジェスティラは似てないな」


誰に聞かせる訳でも無いように、ヨハンの呟きは空に溶けた。


「魔法使いは哀れだ。人の身でありながら、この世の神秘を知り、それが故に地位と名誉に雁字搦めにされる」


人の身でありながら人外として扱われ、最初は頼られ自信だった力も最後は名誉心に変わる。可哀想な生き物。


「神秘はしがらみから解放される為にある。なのにそれに囚われるとは、つくづく君達は可哀想な生き物だと思うがね」


「知ったような口を!」


アリスは痛む傷を無視して短剣を拾いヨハンに飛びつこうとしたが、それは地面から生えてきた、人形の手に遮られた。


「迎えだ。君はもう一度……何を目的に生きていくか、考えた方が良い」


一本手が生えてきたと思ったら至る所から無限に現れる。アリスはパニックを起こしていて、もうヨハンの事はどうでも良さそうだ。ていうかもうちょっと出方は無かったのかということに思考を割いている。


人形がヨハンの耳元で何かを囁く。繰り返し同じ事を問うているようだ……『アリスをどうするか』と聞いている。


「監禁しておいてくれ。多分オルテンシアが迎えに来る。話すのが嫌って……俺だってあんなヤツと話したくないさ。だから頼むんだよ」


応か否かは分からないが、アリスを壁に吸い込んで手は全て消えた。承諾を飲んでくれていることを祈るしかない。


天井を眺めた。生まれた家も確かこんなんだった気がする。牛を飼っていたような……いや、もう覚えがない。……それにしても。


「『こんな力、持ってたってどうしようもない』か」


瞼を閉じて思い出すのは春の焚き火。火よりも赤い髪をした黄金の瞳を持った少女は、その髪をカーテンにして叫んだ。


【貴方に何がわかるっていうの!?こんな力、持ってても何にもならない!何も救えない!なのに……否定しないでよ!あたしはここにいるんだもん!】


〝あれ〟が起こったのは直ぐその後だった。ヨハンは軽く息を吐いて、目を開ける。


「……人の悩みは不変だな」


その男の呟きは、壁のシミへと滲む。











「あれー?ロジェさんじゃないですかー」


その胴体の持ち主は、アイリスだった。千鳥足に酔っているような声音。焦点は明後日の方向に向いている。


「あ、アイリス!貴方無事だったのね!」


「やだなーロジェさんはー。私の事はロージーって呼んで下さいって言ってるじゃないですかー」


「そうだけど……今はそんな事を言ってる場合じゃ」


「うるさいなぁ」


辺りに金属音が響く。ロジェはあまりの衝撃に耳を塞いで座り込んだ。


「……あれ?もう駄目なの?ねぇねぇ……」


「あなた、何をして……」


ロジェは目を見開いた。薄暗いながらも照らされた彼女の目は紅いとも紫とも見え、髪は白く輝いている。


「そうそう!その目で見て欲しかったの!」


見開かれた瞳孔を、アイリスは見入る。


「ずっと。ずーーーーーーーっとね。思ってたんだぁ。それこそ会った時からね」


ロジェは後ずさった。目の前にいるのは吸血鬼の友達なんかじゃなく、それを象ったバケモノだ。


「その目で見て欲しいって。その目が欲しい。だから景星様が羨ましかった。一緒にいる人も、使い魔も、この世界も!」


いつの間にかロジェの背には壁があった。サディコを呼べないこの状況下では、アイリスを傷つけて逃げる他ない。


「だからロジェ、契約しましょう。それが無理なら死んでその目を頂戴。全てを破壊する目を!その目で、私を壊して!」


ロジェが魔法を発動しようとした瞬間だった。がくん、とアイリスが固まる。


「こ、わ……あれ……?」


アイリスが腹部を見下ろすと、綺麗な剣があった。曇りなきそれにゆっくりと血の筋が出来ている。


「なに……?いたい、ロジェさん、たすけ……」


「アイリス!」


どさりと倒れて来た友人を抱えたその後ろには、にっこりと笑みを作る少年がいた。


「大丈夫だった?怪我は無い?」


「みか、える……」


ミカエルはアイリスの肩をぞんざいに持つと、向こうに放り投げようとする。


「怖かったよね……大丈夫。僕が側にい」


「止めて!離して!」


ロジェは慌ててミカエルからアイリスを取り戻した。ハリボテの笑顔がみるみる内に苛立ちへと変わる。


「……は?」


そしてまた笑顔を作ろうとする。が、保てずに口角がぴくぴくと動いていた。


「いやいや、訳わかんないんだけど。僕助けたよね?お礼とかなんか無いの?」


「なに、言って……アイリスが死にかけて……」


「だからもうそれ終わったじゃん!次だよ次!やること分かるでしょ?」


声を荒げて少年は叫ぶ。ロジェはそれを無視してアイリスに治癒魔法をかけた。


「……アイリス、大丈夫だからね……」


「いやいやちょっと何してんの?それイーリス降ろしたヤバいヤツなんだよ?殺すしかなくない?」


「あんたって会話とか出来ない感じの人?」


ロジェはアイリスを優しく扉の前に置いて、ゆっくりとミカエルに迫っていく。


「してんじゃん。出来てないのはそっちの方じゃない?お礼しろって言ってんじゃん。は?何?僕が悪いわけ?」


「そうね。貴方が悪いわ」


間髪入れずに返したからか、ミカエルが怖気付く。


「良かった……本当に……」


ロジェは自身の周りに水を数珠繋ぎに置いた。ムチのように使ってミカエルの右腕を掴む。


「こうやって戦うことが出来て」


「ひ、ひいっ……」


締め付けられた腕を見て、少年は素っ頓狂な悲鳴をあげた。


「……わたし」


持っていた剣にも巻き付けると、そのまま引き寄せようとする。


「お前のこと、許さないから」


腰が引けていたミカエルだったが、勢いをつけ剣で魔法を斬りつける。


「言うのは良いけど、勘違いしてない?」


その剣は、ぬるり、何かを纏う。


「僕だって魔法が使えるんだよ!」


少年は無邪気な笑顔のまま、ロジェに剣を振り下ろした。侍らせていた水魔法をぶつけるがあっさり断ち斬られる。思っていたよりも力をつけていたようね。


しかし、ミカエルをよくよく見てみると、剣を操っているというよりかは操られているの方が正しい。足は千鳥足だが、目には無限の自信がある。


気まぐれにもう一度振り下ろされた剣を、身体強化魔法をかけたロジェは素手て止めた。が、直ぐに払い除けて右に避けた。


「あれ?僕の強さわかっちゃった感じ?まぁそうだよね。」


「あんた、その、けん……」


少女は冷や汗をかきながら剣を睨んだ。無邪気の印だったミカエルの瞳が濁っている。いや、元よりそうだったのか、ロジェにも分からない。


「これ?欲しいって言ってもあげないよ。特別な剣だからね」


剣を高くあげ、見せびらかす。陽光は柄に嵌められた玩具みたいな青い宝石を輝かせた。


「……誰から貰ったの、それ」


「へ?アウロラからだけど」


何も言葉を発せなかった。まさか教科書に載っていた『あの魔剣』を、クソ天使が持ち出していたなんて。


「あぁ分かった……妬ましいんだね。そうだったらそうって素直に言えばいいのに」


「あんたがそう思いたいなら思っとけばいいわ。でも……その前に剣を捨てて欲しいわね」


「は?何言ってんのか分かんねーん、だけど!」


今度は横から剣を薙ぐ。泡のように消え去る水魔法を見て、剣のあまりの魔力量にロジェは震えた。


「その剣はバルムンク……!持ち主と周りに必ず滅びをもたらす魔剣よ!」


「だから何?ここで死ぬ君には関係ない事だよね?」


「私が死んだとしても、生きていく人に面倒かけるから捨てろって言ってんの!」


その返答には魔法で返された。高く飛び上がったミカエルから、黄色い霊弾が四方八方に発される。少女は冷静に防御魔法をかけた。


「へぇ〜……魔法って使うとこんな感じなんだ。いいじゃんこれ」


一人ぶつくさ呟くミカエルをロジェはじっと見ていた。あの子には魔力はない。誰かから力を借りて魔法を使っている。

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