第38話 悪魔のアスチュート

「特攻かしら。その名誉を祝して花でも咲かしてあげてよくてよ!」


宙に飛び散った男の目は虚ろ。飛び散った鉄粉達はアリスの肩に触れるのを見届けると、男の口角がひく、と上がる。


背筋が冷たくなる。何かしら術を仕込んだのだろうと少女はもう一度ヨハンを貫く、も。それよりも男が復活する方がもっと早く、


同時に、鉈も復活した。


「あぁっ!?」


肩に降りかかった鉄粉達は、再生しようとしてアリスの肩を貫通した。


「引っかかった……」


肩を抑えて少女が崩れるのと同時に、ヨハンを貫いていた魔法も解除される。何かが蒸発する音と共に、男の傷は治癒した。首をぐるりと回す。


「な、何を……」


少女はべったりと手に着いた血に意識を混濁させながらヨハンを見上げる。


「大昔、コイツには強化魔法をかけてもらったんだ。俺が死ぬ時に壊れるようにってな」


早く抜かなければならない。痛い痛い痛い、治癒魔法をかけないと、でも敵が前にいて、逃げたらダメで、どうすればいいのか、わからなくて……!?


「それを応用した。こんなに上手くいくとは思わなかったが」


アリスは変わらず浅い息をしたままだ。そしてヨハンは静かに宣告を下す。


「観念しろ。お前の負けだ」


「く、くるなぁぁっ!」


少女の叫びとは真反対に男は靴音を鳴らせて黙って近づく。


「俺だって本当はこんなことしたくないさ。人を傷つけるのは本懐ではない」


「じゃあなんでっ!?」


痛い。目の前がぼんやりくらい。このまま死ぬ……!?


「アリス=ジャンヌ・レヴィ。レヴィ家の一人娘にして、次期当主」


「や、やめ、こっちにこないで……」


見下ろした目は獣の目。普段は明るい湖畔の目が、無限の知的欲求に堕ちるその恐怖。


「現在ぺスカ王立研究所に所属しており、歳は十八。聞くところによると中々横暴を振舞っているとか」


ヨハンは剣鉈の刀身に触って抜こうとしているアリスを見て、柄を握った。


「なんでっ!なんでぇっ!」


当の本人はヨハンが柄を握っていることにパニックで気付いていない。顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。


「口調は貴族らしく、使い魔に関する学問を履修しており、樹木を操る魔法は得意だが種から生やすことは苦手。奥の手はそのペンダント」


ヨハンはぴん、と首飾りを弾いた。


「以上を踏まえるに……」


ダメだ。その目で見るな。


「君、魔術がそんなに得意では無いな」


身体の中が冷たくなった。その瞳で射抜かれたからか。


「わた、わたしが……このレヴィ家の次期当主のわたしが、魔術が下手なんて有り得ないでしょう!?」


アリスは大衆にも聞こえるような大声で泣き叫んだ。その慟哭は無常に目の前の男しか聞いていなかったが。


「君は図星や想定外のことがあると怒る癖がある。今泳がせているその目は、誰かに頼ろうとしている感情を示唆している……」


ヨハンはぐっとアリスの目元を掴んだ。強制的に前を見させられる。


「君の身体は物理的に壊されている訳だし、今日はそれで退場してもらおう。安静にしているんだぞ」


「わたしか、この私がまけるなんてこと……!妙な情けをかけるくらいなら、さっさと殺してしまいなさいよ!」


「それはロジェスティラの役目だ。君を倒すのは俺じゃない」


アリスはその名に目を見開いた。思考する暇もなくヨハンは勢いよく剣鉈を抜くと、手刀で眠らせようとした。が、少女は疲労からかすっかり意識を失っている。


さて、こんな所に放っておいて死んでしまっては夢見が悪い。さっさと村の人に手当をお願いするとしよう。ヨハンはアリスを脇に抱いて、教会の外に出た。









「うふふ。貴方とこんなところで会えるなんて、ねぇ?」


修道女はフードを取って、桃色の髪を顕にした。相変わらず焦点のない目が虚ろを装ってサディコを見ている。


『それはぼくのセリフだよ。お尋ね者さん』


一拍置いて、睨みつけて言ったことは。


『……ルシファー。堕天して悪魔ぼくらの仲間になったと思ったら、こんなところで何をしてるの?』


「やはりマルコシアス。質問をするのが性なのですね」


でもその質問は悪魔らしくない気がしますわ、とアウロラは微笑んだ。


「誰が何をしようと、自分に関係ないと完全に割り切れるのが悪魔だと思っていましたから……」


『ぼくのおとうさんは冥府の侯爵だからね。あんまり変な動きをするとチクるよ』


まぁまぁ、それは怖いこと、とアウロラはくすくすと微笑んで意にも介していない。


「一つ……質問があります」


『ぼくらの性質的に断れないのを知っていていやらしい聞き方するね。なに?』


「何故、あの娘に力を貸すのですか?」


微笑みは消えて、のっぺりとした生気のない表情だけが残る。


「あの娘は……弱い。出処不明の神器をよく使いこなしていますが、魔法が扱えているとは思えない……」


落ち着いていた声が段々、上擦ったものへと……つまり小馬鹿にしているような声音に変わっていく。


「魔法の使い方が粗く、雑。知識だけが無駄に頭に入っていて、身体を動かすことに関しては未熟」


アウロラは古ぼけた教会の床に言葉を吐き捨てた。


悪魔われわれは力を求めます。猛き者、貪欲な者……そのどれもに彼女は当てはまらない。なんなら貴方の事も完全に使役出来ていない」


しかし、縋るようにしてサディコへと問うた。


「貴方は自由意志でここにいる。使い魔契約をしているのに貴方には意志がある。どうして貴方は、あんな不出来な娘と共にいるのですか?」


『それこそ何だって良いでしょ。『自分に関係ないと完全に割り切れるのが悪魔だ』って言ってたじゃんさっき。自分でさぁ』


でもそうだな、とサディコは付け加えた。


『強いて言うなら、惹かれたのかもしれない』


「何に?」


『ロジェは弱い。それは否定しないよ。……だけど』


まぁ確かに、あの水の遺跡でぼっこぼこにされたのもある。あるけど。目を閉じて思い出す、あの目。目の中に星を宿す。それが指し示すのは滅び。


あれこそ正しく『真昼の彗星ほし』。全てを弥終に導く、そして全てを明かし尽くす、全ての者達の道標。


『この世を遍く破壊し尽くす、紅く眩しい瞳。あれにやられたのかもね』


「……全く理解が出来ません」


紅玉みたいな目の憧憬から抜ければ、悪魔にも天使にもなれなかった哀れな存在と、埃まみれな壁が見えた。案の定な回答にサディコは鼻で笑う。


『いいよ。端から回答なんて期待してない。お前には一生理解できないさ。そういや、聞くところによると世界を壊したいんだって?』


「えぇ。平穏が約束された世界は間違っています。だからこそ、壊さなければ」


『堕天した割によく言うよ。その天使らしい紋切り型の言葉じゃなくて、もっと欲に素直になれば?』


アウロラは顔を伏せて一瞬だけ笑った。しかしその笑みを消して、神妙な声で呟く。顔は見えない。


「……昔、特異点を見ました。星がまばゆく瞬いて滅びる、あの色を」


震える手を伸ばす。しかしその手は何も掴むことなく落ちていった。


「あの色を見たい。もう一度だけ、その身に焼き焦がして死にたい。ただそれだけの事で……」


瞬きしたその目には瞳孔がある。金色の目に、幾筋も赤い線が入っていた。


「俺は神に反逆したんだ」


『随分と手の込んだことをしたね。何でミカエルを救世主に立てたんだ?』


凄い魔力だ。あの魔眼に捉えられるだけで、サディコの身体はずんと重くなった。あの瞳、この魔力量。間違いない、『バロールの魔眼』だ。


「『ラプラスの魔物』がどんな顔をするか楽しみだったからさ。ただまぁ、あの小娘もアホじゃない。んで、こういうことになったワケ」


先ほどの慈愛など微塵もない。声もすっかり男の声になっていた。サディコの額に汗が滲む。


「でもミカエルに仕えるのは面白いぜ。大した能力も無いのにプライドは高い。使い勝手がいいにも程がある」


身振り手振りが大きいことなど頭に入ってこない。コイツ、神に反逆してだけで堕天したんじゃない。恐らく身体は『どちらの機能』も有している。融合している。その融合の裂け目から、強い魔力を感じる。


「俺の魅了魔法で相手を服従させてるから、ミカエルが何を言ってもやっても誰も気にしない。知ってるか?アイツ絶対にお礼を言わないんだ。自分は感謝されて当然だと思ってるからな」


間違いない。コイツは『喰っている』。仙、小さき神、妖怪……ありとあらゆる魔力や霊力を持つ者を食い散らかして、魔眼を得た。


「それにアイツは自分を助けなかった貴族が大嫌いだ。いくら没落貴族だと言えども、エリックスドッターの嬢ちゃんを生きて返すかな?」


『詳しい説明どーも。お前を殺してさっさと行くことにするよ』


これはまずい事になった。負けるだけで済めば良いが、下手すれば喰われる。


「アッハッハ!お前バカか!?」


コイツを叩きのめして、ロジェとヨハンを助ける。こんな悪魔も名乗れぬ半端者に、『星』を喰わせてはならない。


「私がベラベラ喋ったのは、お前を地獄の手土産にする為なんだぜ!」


魔眼は真っ直ぐサディコを捉えた。瞬く間に動けなくなる。身体を分断する高エネルギー体が胴に置かれるも、何とか霧散して避けた。


サディコは五百年生きているが、悪魔の中ではまだ幼体だ。物理的な存在と言うよりも精霊の方が気質としては近い。


霧の状態でふわふわと浮きながら、だから最悪、死ぬ事があっても……と思いかけて止めた。主人は自分に命を預けた。そう簡単に死ぬ訳にはいかない。


「あら?お逃げになったの?」


アウロラは手を横に伸ばし結界を繰り出した。センサーのようにして捕まえるつもりだ。身体を霧にして希釈し続けるも、端に追いやられてしまう。


「あら。そこにいますのね」


機械のように動いた首が、実体化したサディコを捉える。あの目に捉えられたら終わりだ。あれを潰さなければ何も始まらない。


『くらえっ!』


悪魔は三つの大きな氷柱を作って視線を集中させる。その間にアウロラが身動き出来ない様に氷の弾幕を作った。


「これは……随分と激しい吹雪ですわね……」


マルコシアスは『自信』『快楽』『自画自賛』を操る。感情を増幅させたところで、これらを体現したようなアウロラに効くとは思えない。


だけど、『自信』なら。『自信』なら、可能性はある。誰もが持つ不変の感情。足元を掬われる感情。


身体を霧状にし避けながら少しづつアウロラの魂を見て、感情を増幅させていく。液体状のエネルギー体が避け続けるサディコに向けられた。


「ふふ……あんまり身体の中を弄るのは止めて欲しいですわ」


『何っ!?』


増幅に必死になっていたのが災いして、霧状になる暇もなく吹っ飛ばされて床に叩きつけられた。


『うぐっ……』


「やはりマルコシアスといってもまだ幼体ですのね……そうしていると変わった色の犬みたい」


立ち上がろうと思っても痛くて、魔眼に捕らわれて動けない。サディコは足をじたばたさせた。


「ふふ……それでは終わりにしましょう。お疲れ様でしたぁ」


悪魔が命乞いをするまでもなく、エネルギー体が発射され粉々になる。後には水溜まりしか残らなかった。


「意外と大したことありませんでしたわね」


アウロラはスカートを挟んで水の傍に座った。何の匂いも、動きもない。あるのはただの水溜まりだけ。

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2024年11月22日 16:00
2024年11月23日 16:00

ラプラスの魔物 Secret Seekers お花 @Ohana_ruberuku

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