第37話 不老不死者のサピエンティア
「アイリス!」
ロジェは宿屋に帰って開口一番叫んだ。宿屋の中は静まり返っていて誰の気配もしない。
「手分けして探そう」
ヨハンの言葉に少女は静かに頷くと、入れるところに入りまくる。自室、カウンター、ヨハンの部屋……。アイリスの母も父も出払っているからか、宿屋の関係者は誰もいない。
『……他の宿泊者がいないね』
「やられたわね」
ロジェは悔しさを滲ませながら二階にいた。傍にいたサディコは鼻をひくひくと動かして、一人勝手に一階に降りる。
「あんた、どこ行くの」
『しょくどー』
サディコの後を追うと、そこにはヨハンがいた。机の下に何か落ちていないか這いつくばって確認している。
『あ。この匂いかぁ』
サディコはちょいちょい、と地面に落ちているそれをつついた。透明な液体だ。
「何なの、これ」
『聖水だよ。吸血鬼には天敵……というか、魔なるモノにとっては全部天敵だけどね』
「襲われたのは確実みたいだな」
ヨハンは机の下から戻ってきた。
『追いかけるよ』
「出来るの……?」
『ぼくをなんだと思ってるのさ。天下のマルコシアスだよ?』
ロジェは魔法で恐る恐る水を浮かべた。チューブの形にして水道管に繋げる。サディコの小さな肉球がぽん、と聖水に触れると、焼けた匂いと音がした。
「サディコ!」
『心配するんだったら早く行こうよぉ。ちょっとくらい大丈夫だからさぁ』
ロジェとヨハンは顔を見合せて、サディコのもふもふの毛を掴んだ。ぐるん、と視界が一周して、ふらつきながらも地面に足がつく。感触は草。一行は池の傍に立っていた。
周りを見渡すと一面の草原。少し離れたところに村がある。
『匂いはあっちに続いてる』
「急ぎましょう」
肩を揺らして走れば直ぐに村へ辿り着いた。村民は家の中に隠れているのだろうか。広場には人の気配はしない。白い石畳に黒いシミが出来る。雨だ。
しかし、道の先には人だかりがあった。人々はここに集まっていたようだ。人混みの先に教会がある。
「ごめんなさい!通して!」
統率を失った民衆は、少女の声に驚いてあっさり道を作った。こべりついた埃でザラつく教会の扉を押し込み、思いっ切り飛び込む。
「やっぱり来たのね」
荒々しく扉を開けたその先には、見知った少女が一人。腕を組んで自信に満ち溢れた顔、アリスは一行を睨む。
「通してくれない?私、この先に用があるんだけど」
ロジェは水のチューブを奥の扉まで繋げた。サディコを使って飛ぶつもりだ。
「通してって言われて通すわけ無いでしょ!」
アリスが手を振りあげたその瞬間、発砲音が響く。銃弾は間違いなく少女の手を掠めて、ロジェは振り返る前に背中を強く押された。サディコの魔法が発動したのか、いつの間にか扉の前まで来ている。
「行け!」
ヨハンだ。ロジェは静かに頷くと、次の部屋に繋がる扉を押す。今度は外を見ている修道女だ。ロジェは再度水のチューブを使ってサディコに命じ、自身だけを奥の部屋に飛ばさせた。
成功したらしい。前の部屋ではサディコがアウロラと相見えているのだろう。とうとう一人になった部屋では、天井が崩れ落ちている為か部屋の真ん中だけ明るく、周りは見えない。
部屋の真ん中には足があった。そしてその足は、ゆっくりとロジェに向かってくる。その胴体の持ち主は。
「また会ったわね」
最初の部屋ではアリスが、随分な節回しでヨハンに語りかけた。
「そうだな。そこを通してくれると嬉しいんだが」
「無理よ。ミカエルがいるもの」
これは一筋縄でいかなそうだ。少しヨハンが怯んだのを見て、アリスは語り出す。
「貴方、別の世界から来たのよね。その時、マリア・エリックスドッターと共に来た……」
「そうだ。その帰り道を探している」
「一緒に帰らないの?」
「帰らない。ヤツは帰りたくないらしいからな」
アリスは素知らぬ振りをしている回答を嘲笑った。この前あんなにコケにされたのだから、こっちだってそうしても良い筈だ。
「貴方はマリアに随分な執着を抱いているのね」
「執着じゃない。郷愁だ」
「そうかしら。とてもそんな風には見えないけど」
ヨハンは軽く息を吐いた。
「確かに君の言う通り、前は執着だったかもしれないな。だけど今は違うと言い切れる」
アリスはわざと怒っているような素振りで、いやらしく男に語りかける。
「なによ。そういう話だって聞いたし、愛称で呼んでいたからてっきり……」
「悪いな。俺は大事な人を愛称で呼ばないタチなんだ」
ヨハンは剣鉈を取り出して、ニヤリと笑うと。
「なぁ、アリー?」
「『
その一言、その一瞬で憤怒したアリスは顔を顰めてヨハンのいた場所を枝葉で蹴散らした。刹那、男からは少女の周りに緑の結界が貼られるのが見える。
間髪入れずにヨハンの立っていたところがまた枝葉に覆われる。が、今度は鉈できる事が出来た。
「『
鉈を持ち直して正面から飛んで来た大樹を避ける。避けた傍から枝葉が生えてきた。どうやら足に魔法陣を仕込まれたらしい。ただ……何か……アリスの魔法には、気になることがある。
「油断をしない方が良いわ!」
「ぐっ!?」
思考する間もなく背後から枝が伸びて拘束される。やっぱり彼女の動きは変だ。変なら変なりに考えないと。
拘束は固く、身を捩っても抜けない。アリスは自信満々に微笑みながら近付いてくる。手で何か呪文を編んでいるのが見えた。
「屋敷では酷い目にあったけど、意外と大したこと無かったわね」
「油断はしない方がいいんじゃないのか?」
「減らず口を……!」
向かって来た鞭枝に対して、身を捩って左手に当てる。すぱっと綺麗に腕が斬れて、重力に従い身体は地面に落ちた。
これで腕が破壊されれば……!
「くっ……あはは!あんた私の事舐めすぎよ!そんな事も知らないと思ってたの?」
膝をついて座り込んだヨハンを、アリスは高らかに嗤いながら見下ろす。無闇に生やされた木々は、悪魔の翼のように少女の背にあった。
「あんたは不老不死。だけど一個、厄介な欠点がある」
「死ねないことぐらいしかないな」
ヨハンは腕を抑えて立ち上がった。予想以上に出血が多い。鉈を持つ手が血でぬめる。
「お黙り。本当に減らず口が多いこと。あんた、身体の一部が原型を留めて死んだ場合、その一部の方へ復活するそうね」
「よく調べてるな。そうだ」
「じゃあこうしてみたらどうかしらぁって、私は思うのよ!」
枝はヨハンの腕をぽいっと捕縛結界の中に放り投げた。つまりヨハンが死ねばあそこに復活し、レヴィ家送りだ。なるほど。殺す気で来るらしい。
「オススメしないな、お嬢さん。俺が不老不死と言えども人を殺すと戻れなくなる」
ぽつり、ヨハンは語った。ミカエルは人の命なんて何とも思っていない。こうして凶行に進んでしまった少女は、それに心を痛めているはずだ。
「それは君が一番よく分かっていると思うがね」
先程からの違和感。それは魔法の発動の遅さ。先天性か、精神的なものか。どちらかは分からないが、やはり粗さが見える。
何も言わずに少女は魔法を発動した。壁の影に隠れて魔銃に弾を込めながら戦略を立てる。やらなければならないことは二つ。
一つ目は腕を破壊すること。あれがあそこにあり続ける限り、行動はどこまでも制限される。
二つ目は死なないこと。死んでしまえば即レヴィ家送りだ。それだけは絶対に避けなければならない。
ヨハンは鉈に書かれた文字を見る。刀身には『持つ者が死ぬまで壊れない魔法』と書いてある。これを応用して、挑むしかない。
伸びてきた枝葉を切って影から出れば、教会の中はもう森のようになっていた。試しに足元の石ころを茂みに投げると、茨だらけの太い枝が貫く。
「あはは!諦めて投降していいのよ?飼い殺しにしてあげる!」
「聞くが、俺を捕まえてどうするつもりだ」
血が垂れたことで枝に当たったからか、またさっきの枝が飛んでくる。
「ん〜、そうねぇ……オルテンシア様に差し出したあと、廃人にしてしまおうかしら。不老不死は使い勝手良すぎるもの。たっくさーん、実験に付き合って、ね!」
枝は一本だけでなく無限に出される。ほんの僅かな隙をついて、教会の二階に飛び移った。
前が見えないのはヨハンもだが、アリスも同じらしい。枝に意識を集中させて、ヨハンが二階から見下ろしていることに気づきもしない。
ここからは全貌がよく見える。アリスを中心に渦をまくように黒く太い枝が生えていた。あそこからまた小枝が生えているのか。
気が進まないがやるしかない。白い魔銃を取り出して、ヨハンは打った。
込められた弾は炎上魔法を有した弾丸。触れたところから辺りに火がたちこめる。針葉樹も広葉樹もよく混ざっているから、かなり燃えるだろう。
銃声でヨハンがいる方向に気づいたアリスは、細く鋭い枝を男に向ける。まるで星みたいだ。それを見下ろしながらヨハンは思った。
爆発した煙は星雲で、鋭く貫く枝は流星群──あぁいや、違う。傍にいる星には遠く及ばない。あの
淀みなくそれに突っ込むと、枝の間から腕を連続で撃つ。一発目は結界破りの魔弾、二発目は爆発の魔弾だ。
一発目は結界に亀裂を入れて、二発目は無事腕に着弾した。触れたところから火が爆発して、不快な音を立てながら腕は四散する。慌ててアリスは腕を捕らえようとしたが、その頃にはもう男には腕が戻っていた。
血の跡を見た少女は軽い舌打ちが一つして、顔を憎しみに埋めヨハンに向き直る。
「小賢しいこと……」
「悪態をつく前に、もうちょっと魔法が使えた方が良いぜ」
「黙りなさいッ!下等民が!」
黒い大木がヨハンを踏み潰そうと落ちてくる。それに軽々乗ると迫り来る枝葉を切り刻みながら、距離を詰める度に恐怖に滲んでいくアリスを目指す。
そして、とうとう男は彼女の目と鼻の先に迫っていた。木が生えているのは少女のほんの数歩先まで。その数歩先、男がいた。
これに圧されているのか。こんな、こんなものに。私の方が戦力的に間違いなく有利だったのに。
そんな思考は、視線と視線がかち合ったことで砕かれた。少女は真っ直ぐ、射抜かれる。その闘志と……間違いなく『激情』を示す瞳。無限の知的欲求。
しかし、コイツは最後の最後に油断した。私の勝ちだ。真っ直ぐ突き出された鉈は、アリスの結界から生まれた枝で粉々に砕け散る。貫かれたヨハンの血と共に、緩く笑った少女の前で花のように散る、その様。
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