第36話 奇跡のマキナリウス

「よーっし!倒さなくちゃね!」


何の穢れもない白金の剣を掲げてミカエルは強く叫んだ。その輝きを示すかのように青い宝石も強く煌めく。


ここはノルテの西の端。城壁よりも手前の場所に、草原の中に小さな村があった。ミカエル達は何の変哲もない家々の前にいる。


「ここがアジトなの?とてもそんな風には見えないけど」


「そう思われるかもしれませんが、確認したところ間違いなくここだと」


アリスはアウロラの顔をちらりと見た。慈愛に満ちた眼差し。目には瞳孔が無いためか、生物らしさを感じない。


女から視線をずらして、貴族少女はミカエルを見た。先程までうるさかったのにやたら静かだ。手に握った剣をまじまじと見ているのが丸めた背中だけでも分かる。


「……どうしたの、ミカエル」


「緊張してるんだ」


口早に少年は続ける。


「初めて人を殺す訳でしょ。だからちゃんと……上手くいくかなって」


それはまるで、何かの発表会前の緊張のような、そういうことを発言するには似つかわしくない雰囲気だった。アリスはおずおず手を伸ばす。


「ちょ、何を言ってるの……?捕まえて引き渡すのよ。殺しはしないわ。私達は殺人が許されてるわけじゃ」


「こんなヤツらどうせ何回だって同じことするんだ!」


振り返って怒りの表情をアリスに向ける。あまりの気迫に彼女は少したじろいだ。


「だから死ななきゃいけない!分かるだろ!?」


「な、何を言って……」


「家に害虫が出たら快適とは言えない。良い状態にする為には虫を殺さなくちゃいけないんだ。でしょ?」


言い返そうとした瞬間、口が動かなくなる。魔法の気配を感じて後ろを振り向くとアウロラが人形のように笑っていた。


「分かってくれたのなら嬉しいよ。それじゃあ行こう」


颯爽と歩いて行くミカエルに声をかけようとすると、やっと口が開いた。いつの間にか背後に立っていたアウロラが少女の口に手を被せて耳打ちする。


「あまり口答えしないように。あれは容赦なく貴女を殺します」


「アイツの事はどうでもいいわよ。どうでもいいけど……」


アリスは口に添えられた手を掴んで、下げた。


「人を殺せば、戻れなくなる」


だからこそ、と修道女が続けるには。


「我々が止めるんでしょう」


アリスは何も言わずに歩き出した。村は清貧を体現したかの様で、物は少なくとも生活は苦しく無さそうだ。むしろそれを喜んでいるようにも見える。


ミカエルは何の淀みもなく教会に貫かれた道を歩いて行った。その道周りには不安そうに村民が少年を見ている。


「お待ち下さい!」


老婆が頭を地面に擦り付けてミカエルの前に跪く。少年は歩みを止めた。


「何だ」


「マグノーリエの救世主様と存じます!イーリス教のことは、どうかこれまでに……!」


「申してみよ」


冷酷に少年は告げた。はい、と震えながら老婆は続ける。


「イーリス教の行いは無法千万に過ぎました。しかし彼らはこの飢えていた村を寝城にする代わりに、食べ物を下さった。イーリス教の罪は加担した我々にもあります。ですからどうか、これまでに……!」


老婆は地面になってしまうかと思うほど叩頭していた。アリスは視線を移してミカエルを見ると、頭を下げているのをいいことに剣が振り上げられている。


「『植木魔法クラディ・ラームス』!」


咄嗟に叫んだアリスの指示に従って、枝がミカエルの手に絡みつく。


「なっ……!アリス!」


物凄い剣幕で振り返った少年に、アリスは感情を心の奥に押し込みながら引き攣った笑みで返した。


「言ったじゃない。別に殺す必要は無いわ。救世主だからって人を殺すなんてことは……」


やめた方が良い、と言いかけて止めた。この発言はミカエルの機嫌をかなり損ねるだろう。ふぅ、と息を吐いて更にそれっぽい笑顔を繕う。


「えっと。救世主だからこそ、人を殺す必要は無いんじゃないかしら。貴方にはその……言葉があるでしょ。素晴らしいのが」


ミカエルは眉一つ動かさなかった。アリスの引き攣った口角が最後まで下がりきる前に、少年はにこっと微笑んだ。


「そうだね!アリスの言う通り!君も偶にはいいこと言うじゃーん!」


さ、行こいこ!と遠足でも行くかのようにさくさくミカエルは歩く。アリスは肺に残っていた空気を吐き出して、新しくそれを飲み込む。


「あらあら……凄いですわね。あれを止めてしまうだなんて」


嬉しそうにアウロラが笑っているのが聞こえる。少女は心が冷たくなるのを防ぐ為に、胸を掴んだ。アウロラの言った通り、ミカエルは容赦なく人を殺せる。だからこそさっき少女の言うことを聞いたのだ。


人々は一行を震えながら見ている。衆人環視の中をアリスは歩いていた。ぐるぐると思考を回していると、何か固いものに足をぶつける。教会の石畳だ。中からオルガンの音が聞こえる。


「ここが本丸だね。入ってみようか」


ミカエルは扉を開けてずんずんと中に入っていった。教会の中にはたくさんの人がいる。縦に長い構造らしく三つに部屋が分かれているのが、各仕切り毎の窓から分かる。階級別で入ることの出来る部屋が決まっているのだろうか。


各々部屋を通る度に信者は合わせていた手を解いて、異質な少年を見ている。一番奥の部屋に辿り着いた時、少年は勢いよく叫んだ。


「こんにちは!ここがイーリス教の本拠地ってことで間違いないかな?」


「お前、救世主の……」


司祭らしき男が戦きながら振り返った。歳は五十代くらいで、古ぼけ煤けたスーツを身に纏い、肌は異様に白く痩せこけ、ちょび髭を生やして紅い目を爛々と輝かせている。


救世主一行は知る由もないが、ロジェがノルテに入国して出会った店主だった。ミカエルは自信満々に剣先を男に向ける。


「お前が黒幕だな」


「黒幕とは酷い言い方をするじゃないか。我々は貴様のような偽物の救世主でなく、本当の救世主を降ろそうとしているのに!」


男は細く角張った指を壇上に向ける。天井の十字架の後ろにはステンドグラスがあったが、外は曇って薄暗く天井付近がよく見えない。大きな血に塗れた十字架に括り付けられた人が見える。足も細く、小さい。少女だろうか。


「依代を使ってイーリス様を降ろす。人外を拒むこの世を消し、もう一度神代を取り戻す!」


「その為に事件を起こして血を集めたんだね?」


「そうだ!依代にはイーリス様の血が流れている!それを目覚めさせる為には人間の血が必要だったからなぁ!」


「それで罪の無い人を殺めたのか!そんなこと、許せない!」


ミカエルは茶番みたいな会話をして剣を抜いた。信者達はすっかり腰を抜かしてさっさと教会の外に出ていく。


「よし!みんな、行くよ!」


つまらない正義を、剣を掲げたミカエルは叫んだ。








ミカエルが教会に着く前よりも、少し前。雪の中でようやっとアナが口を開いた。


「イーリスの依代ですよ」


「どういうこと、なの……」


「詳しく聞いていないのですね。イーリス教の教祖とされているイーリスは、あの村の祖。村に住む吸血鬼……つまりアイリスは、イーリスの子孫に当たります」


でもそれって別にあのロージーのアイリスじゃなくても名乗れるんじゃ、とロジェが聞こうとした瞬間、アナはそれを汲み取って答えた。


「アイリスは誰が名乗っても構いませんが、吸血鬼で『アイリス』を名乗れるのはたった一人。イーリスの正当な血族である娘にしか名乗れません」


確かに村の幼女がアイリスの事を『当代の依代』と言っていた。そういう事だったのか。


「邪教徒共はアイリスを無理にでも引っ張ってくるでしょう。そして、救世主達はそれを何があっても止める」


アナは何の感情を込めずに視線をロジェに動かした。


「……アイリスを、殺してでも」


「ころ、す……」


ミカエルは仮にも『ラプラスの魔物』から加護を受けた身。創造神を否定する神など、存在する価値は無いとして断罪するに決まっている。


「貴方々はコトワリの外側にいる。止められるかもしれません」


老婦人は続ける。


「終われば私の屋敷に来なさい。全て話して差し上げましょう。さぁ、今は急ぎなさいな」


ロジェが雪山でアナと話していた頃。アイリスはキッチンで拭き掃除をしていた。食堂には遅い昼食だということで、まだ人がいた。


外は雪がチラついていて、窓越しでも寒いことが分かる。ワインでも準備しておいた方が良いかもしれない。しかし、はぁ、とため息をつくことが一つ。自分の頼りなさだ。


「みんな凄いなぁ……私も何か新しいこと始めてみようかな」


料理とかも出来た方がいいのかな。良いんだろうけど、人間の味覚ってよく分からないし。人間の食事を作って、それで美味しいと言われている母親は凄いと思う。


「ガイドさん、だよね?」


物思いに耽っていると、背後から声がかけられた。振り返ってみると女だ。こんなに寒いと言うのに薄着で、身体のラインがよく分かる服を着ている。踊り子か何かだろうか。


確かこの人、団体客の一人だった気がする。


「そうです。団体でいらっしゃった方ですよね?どこかに行かれるんですか?」


そうよ、と女は喜色に満ちた笑顔を浮かべて。


「準備中なの。教会でも見て回ろっかなって」


「ノルテには教会がたくさんありますもんね。聖アントニウス教会がオススメですよ。ステンドグラスが綺麗なんです。ちょっと辺鄙な所にあるんですけど……」


アイリスはポケットから小さな地図を取り出した。城壁の外近くにある村だ。


「昔一度行ったことがあるんですけど、すっごく綺麗な草原の中にぽつん、ってあるんですよ」


「へぇー、面白そう。行ってみようかな。そうだ。あれ知ってる?吸血鬼伝説……」


「吸血鬼伝説……ですか?」


何となく女の雰囲気が変わった気がする。それは自分が吸血鬼だからか、はたまた事件の元になっているあまり気分の良い伝説では無いからか。


「うん。イーリスっていう吸血鬼がこの国のどこかに村を作ったんだって」


「えぇ、そうらしいですね……」


「人外は血に宿る。だからイーリスを復活させるんには子孫が必要なんだよ。ね、アイリス」


女は指を鳴らした。周りで昼食を取っていた男達が立ち上がってアイリスを取り囲む。


「あ、あなたたち!」


「イーリス様は皆を救うんだ。願いを聞かない創造神なんて必要ない。やりな!」


男に捕まる前にアイリスは助けを乞うた。安全だと思っていた家に敵が乗り込んでくるなんて。


「いや!誰か!たす、け……」


取り巻きは瓶を取り出し蓋を開けると、アイリスの頭に何かをかける。中身は聖水だ。そのままぐったりと男の手の中で倒れた。


「効き目凄いっスね、これ」


「弱りすぎなんじゃないのか……?」


「気にしなさんな。どうせこの後大量に人の血を浴びせるんだ。多少弱っても問題ない」


向こうから迫り来る足音を聞いて、女は顎で男達に指示する。取り巻きは少女を背負うと、さっさと宿屋を後にした。

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