第35話 禁密のオクルス

「それでもこんな……こんなことって……」


適当に作られた人形が、未だ人の味方ヅラして国中うようよしているのだ。アナは優しくロジェに告げた。


「貴女は正義感が強いのですね」


「あんたのミスをそんな単純な言葉で片付けないで欲しいわね」


きつく睨みつけてもアナは眉一つ動かさない、変わらぬ笑顔のまま。慣れているのだろう。そうしてずっと、踏み潰してきた。


「おやおや、元気なこと」


さて、話は戻りますが、とアナは続ける。


「サザーランド夫妻は最期を家で迎える為に月初めに帰って来ました。しかし、『奇跡』を境に話は変わっていきます」


婦人は軽く腕を降ると、下から『極天人形』達が出てきた。


「『奇跡』が起こる直前のこと。ゴドフリーが発狂して家を飛び出したあと、メアリーは死の淵に瀕していました。息も絶え絶えに、じっと見下ろす介護人形にこう頼みました。『どうか私がいないあの人を助けてあげて欲しい』と」


その人形達は『精巧に作られた』ことを忘れたようだった。人形らしい動きをしながら、死体と廃棄物を回収していく。


「『主人と介護者の幸せのために動く』というプログラムの名のもとに、介護人形は痛みで苦しんでいたメアリーを殺害。死体を隠してメアリーに成り代わり、ゴドフリーの帰りを待ちました」


残った血溜まりには雪が積もっていく。桜色の雪だ。何も知らなければ綺麗だと思うかもしれない。


「ゴドフリーは人形だと気付くことなく、メアリーを模した人形と暮らし始めました。しかし……内心分かっていたのでしょう。ゴドフリーは逃避を始めました。エサリッジを生み出したのです」


死体の方に視線をずらしていたロジェは、アナの何も語らない表情に戻した。


「同時に自立式人形の故郷である彗星が近づき、これ以上治る見込みは無いのに生きさせるのは非情であると判断し、この様に」


一呼吸おいて、仰々しく彼女は言った。


「これが『奇跡』の全貌です」


辺りは沈黙に包まれた。その沈黙すらも雪に埋もれていく。少女は息を吐きながら問う。


「一つだけ、聞いてもいいかしら」


「何でしょう」


「介護用人形の判断は……医療知識を元にして行われているのよね?」


そうだと言って欲しかったロジェの思いは、淡々とした喋りで粉々に砕かれる。


「素人判断ですよ。あれらには専門知識を搭載しておりませんので」


「……そう。もういいわ」


一瞬我を忘れたが、声が絞るようにしか出せない。何か叫ぶ気にもなれなかった。怒る必要もないし、何の権限があって彼女に物を言えるのだろう。


「エサリッジはゴドフリーのもう一つの人格で、人形はメアリーに成り代わったと。なら一つ疑問が残るな」


ヨハンも声音にどこか疲れが見える。話が通じないと思ったのだろうか。


『うん。ぼくも気になってたんだけどさぁ。メアリーの死体ってどこやったの?』


「メモリによると、イーリス教に死体を寄付したそうですよ。メアリーはゴドフリーを助けるのと同時に死後役に立ちたかったそうなので」


『……なるほどねぇ』


いつもの口調でサディコは答えた。悪魔はこの無慈悲な所業に何を思ったのだろう。『妻に生きていて欲しい』という単純な願いだったのに、それを叶えたのは人外でなくタダの物だったのだ。それは願いを叶えるに値するのか。


「メモリには『イーリスが救ってくれるらしい』ともありました。一縷の望みをかけたのでしょうね」


事件は終わった。もうロジェ達が関わることは無い。少女は軽く俯きながら時が過ぎるのを待った。


「アナ。……俺は首を突っ込むつもりはない。ないが、これだけは言っておく」


珍しく声に怒気を含ませて男は告げた。


「こんな事をしていればいつか国は滅ぶぞ」


「面白い事を仰る。国は滅ぶものですよ」


それは貴方が一番良くわかっていらっしゃると思っていましたが、と老婦人は言うと、ヨハンは眉をひそめた。


「ノルテは我がファクティス家の自立式人形が一大産業。しかし、それだけでは賄えない……必ず歪みが来る。現に今回の失踪事件だって、国が隠蔽して終わる」


死体は見つからなかったのだから事件は起こらなかったのだ。これを決定事項として国は進めて行くのだ。


「だけどその滅びは緩やかに進めなければならない。いきなり滅ぶということは認められない」


彼女の言っていることは暴論だが、ある種正しい。老婦人の手には雪が積もって溶けていない。


「……さて。私からのお話はここまで。急がなくて良いんですか?」


「明日出るつもりだ」


くすくす、とアナは微笑んだ。その様はまるでこの世の悪を知らない幼子のようだ。


「そういう事では無くて。あなたのお友達、アイリスと言うのでしょう」


「そうだけれど」


「先の機械人形の手にイーリス教の集会のチラシが握られていましてね。どうやらそれが今日らしいですよ」


「イーリス教とアイリスに関係があると?」


ロジェは微笑むアナに眉をひそめた。メアリーの死体を戻してこいとでも言うのだろうか。


「おや。知らなかったのですか。あの子は──」








「みう?」


「……」


「みーっ!」


「……あぁ、ごめん。あんたいたのね」


教会の外の壁にもたれたアリスは、足元に擦り寄るの猫のような生き物を撫でた。身体は桃色、顔はうさぎのような顔で耳もそれらしく長く、額には赤い宝石が埋め込まれている。カーバンクルだ。ただ宝石にはヒビが入っている。


「クレーは大丈夫?寒くない?」


クレーと呼ばれたその使い魔は、嬉しそうにアリスの手に擦り寄る。アリスはゆっくりと抱き上げた。


「クレーはあったかいわね」


こうしてアリスが外で待っているのには理由がある。アウロラのイーリス教アジトの探索待ちだ。ミカエルが神託を受けるや受けないやでアリスを追い出した。そういう訳で、この寒空の下待っているわけだ。


「神託なんか下りないのに、バカなやつ……」


ねー?と使い魔に言うと、みー!と元気な声が帰ってきた。耳の間を撫でてやると、使い魔はすりすりとアリスの首に挟まった。ぬくい。


「アリス!」


けたたましく扉が開けられる音がして、アリスはクレーを下ろした。声の主はミカエルだ。血色の良い頬と顔色が結果を示している。


「神託が降りたよ!これのお陰だぁ!」


ミカエルの手にあったのは見慣れない宝石だった。魔力も何も帯びていない、何の変哲もない宝石。


「これを食べると神様の声が聞こえるんだよ。不安になると、これを食べるの」


青い宝石をミカエルは口に放りこんだ。無限の輝きを持った瞳が更に煌めく。


「アリスも良かったらどう?」


「いえ、大丈夫です」


「そっかぁ。美味しいのになぁ」


アリスの視界に雪がちらつき始めた。ミカエルも顔を上げる。


「雪だね」


「えぇ。寒くなってきましたね」


「入ろっか」


「そうですね」


やっと中に入れてもらえる。教会の中は芯まで冷えた身体を簡単に温めた。


「なんか変な感じ」


何がでしょう、とアリスは消え入るような声で問うた。


「僕、去年まではこんな寒空の下寝てたんだよね」


山積みにされた瓦礫みたいなものに座って、演技をするような声音で少年は続ける。


「寒さは辛くなかったよ。飢えが辛かった。雑草とか食べてたなぁ」


えへへ、と少年は続ける。


「救世主をずっと待ってたんだ。それが僕なんて。信じられない」


ミカエル出身の流民は色んな国から嫌われていた。というのも、施しを受けるのは『悪』だと感じているのかどんな支援も無視してしまう。挙句の果てには暴力で返したりと非常にややこしい流民だった。


だのに、神からの神託やら救世主の打診は受けてしまう。矛盾を体形した民族だ。


「ミカエル。神託は?」


アリスはさらに続きそうな自分語りを静かにぶった切った。


「え?イーリス教徒がイーリスを降ろそうとしてるんだって」


「降ろす?イーリスはもう随分と昔に死んだでしょう?」


「依代に被せるんだって」


ふぅん、とアリスは適当に流した。静かになった部屋にノックオンが響く。


「ただいま帰りました」


「アウロラ!」


ミカエルはアウロラに抱き着いた。アリスよりはもう少し薄い桃色の髪がベールの中からこぼれ落ちる。同じように肩にかかった雪が地面に落ちた。


「ねぇ、イーリス教のアジトは見つかった?」


「えぇ。直ぐにでも案内出来ますよ」


「それじゃあ僕準備してくるよ!」


少年は瓦礫の奥の方へ走っていった。部屋の中にはアリスとアウロラだけが残される。救世主の姿が見えなくなると、少女は呆れながら呟くようにして問うた。


「いつまでこんなオママゴトを続けるつもり?」


「オママゴト……?酷い言い草ですわね」


神託が降りた時にコイツが何を言ったのかは知っている。『ラプラスの魔物』が偽物だから引き下ろさないとダメだとかそんなんだった気がする。しかし、少女が振り返ってソイツを見ると、あんまりわざとらしく目線をそらすので気が抜けてしまった。


「とぼけないで。……はぁ。何でもいいけどさ、なんであんたはあんな子に目をつけたの」


「神託があったからですわ」


「もう良いってそういうの。あんたが勝手に決めたことでしょ」


アリスは指を指した。その指先は天井を示している。


「聞いてるのよ、全部。あんたも私もオママゴトなの。この世界にあってあの目から逃れられることは無いわ」


「……特異点を、見たんです」


アウロラはどこを見るでなく、視線を宙に浮かせる。


「は?特異点?」


「えぇ。特異点。私がまだ天上にいた頃……それはキラキラと輝いていた。どんな宝石よりも眩く、無限の魂……」


「ミカエルをそうさせようとしているってこと?」


感慨深げにアウロラは目を閉じた。


「そうです。あの輝きを、もう一度見たい。そして……」


ゆっくりと瞼を開けたその目は、金色に輝く赤い瞳孔を持った目だった。その目にアリスは身構える。


「この世界を壊したい」


身構えたまま動けなくなった。あの『目』のせいだ。


「滅びの瞬間が一番美しく輝くものでしょう?あの神が大事にしているこの世界を壊せば、永遠の輝きを手に入れられる……そして……」


アウロラの瞳にいくつかの魔法陣が浮いて、


「この『目』も、完成する!」


アリスは何とか守りの決壊を貼った。床には亀裂が入って、少女の頬を切る。


「あんた、魔眼持ちだったのね!」


「ふふふ……」


その声音は男の物だった。姿は女だ。これは一体、どういう……


「あんまり俺を困らせるんじゃねぇぞ、お嬢さん?」


修道女は耳元で甘く、ぬるりとした声音で囁くと、そのまま瓦礫の奥へ向かった。力が抜けてアリスはへたり込む。


「あの魔眼は……全てを破壊するバロールの魔眼!」


教科書でしか見た事ない魔眼だ。修行か生まれ持つかでしか得られない。前者も後者も、それに耐えられるものでしか使えないというのに。


「アイツ、何なの……」


アリスはふらふらと立ち上がった。さっさとこんな事終わらせてマグノーリエに戻ろうと思っていた。戻れると思っていたのに。


「オルテンシア様に、報告しなければ。神様ならきっと助けて下さる……」


うわ言のようにアリスは言った。向こうからはミカエルの賑やかな声が聞こえる。足取りも覚束無いままに、奥へ向かった。

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