第34話 雪解けのアングリア
散々見聞きした事件概要の下には調書があった。証拠品は『なし』。ヨハンは一瞬怪訝そうな顔して次のページを開いた。証拠品は無いが、証言はあるらしい。
「証言から見るしか無さそうだな」
「証拠品が無いなんてこと有り得るの……?」
「『日記』も充分に証拠品だと思うんだが、警察によると妄言として扱われたらしい」
ここにそう書いてある、と証拠品の頁を捲って綴られた文章を指す。
『妙なことを言うもんだねぇ』
暖炉の前で丸まりながら、サディコは呟くようにして言った。
「ともかく証言から見てみよう。事実をはっきりさせなきゃな」
「ええっと、まずは大家さんの証言よね。夫婦は仲睦まじく二人暮していたけど、不倫の噂があった……」
「月初めに病院から帰って来ている、と。事件概要の通りだ」
「次は同僚のエルキュールさんね。なんかこう、大変そうな人だけど」
こういうヤツはどこにでもいるさ、とヨハンは続ける。
「俺はこの世界の大学に詳しくないが……。この言い方だと、『ゴドフリーの学歴の方が低いのに自分より出世してる』って言ってるように取れるな」
「確かにエルキュールさんの大学は優秀だわ。首席なんて凄いことよ。対してゴドフリーさんの大学は普通の大学よ」
「ただ、コイツの証言は感情的だ。そんな人間の証言なんてアテにならん。実際コイツの証言は推測が多い。ただ、事実を読み取ると……」
ヨハンはペンを取って大家の証言と合致した部分に線を引く。
「『サザーランド家は二人暮しだった』『メアリーはエサリッジと恋仲だった』『ゴドフリーは二日間出勤していなかった』『エルキュールは第一発見者だった』、そして……」
「『エサリッジは土日しか会えなかった』のよね」
「あぁ。次は配達人の証言だ。彼は日用品と小包を届けていた。小包の正体は分からずじまいだな。そしてエサリッジとメアリーが不倫していたのを見た。つまり、エサリッジは確実に存在していた」
ふむ、とヨハンはペンを置いた。
「ここまで照らし合わせたが……エサリッジの存在に揺らぎが生じる」
大家の証言のある部分を、彼は指した。
「大家は不倫しているという噂を知っていたが、実際には二人しか見ていないから、噂を否定している」
その証言と合う同僚の証言を指した。
「同僚は不倫を事実だと認めているが、それはエサリッジとゴドフリーとの不倫だとしている」
そしてまた同じことを配達人にもした。
「配達人は実際の不倫の現場を見たが、エサリッジとメアリーだった、と言っている」
ただ聞いているだけだったサディコが温もりを毛皮に乗せて二人に近寄る。
『……なんかこれ、一人いなくない?』
「一人いないって?」
『だってゴドフリーかメアリーかがいないじゃん。問題なのはエサリッジじゃなくて、この二人なのかも』
「誰かが嘘をついているということか?」
伸びをしながら使い魔は呑気に答えた。
『嘘つく必要があるならそうしているだろうけど、お互いがお互いのこと知らないんでしょ?面識のない人同士、偶々利害が一致するなんて有り得るかなぁ』
サディコの言うことは正しい。夫婦は賃貸料を延滞していた訳でも無いようだし、職場でも問題は無かった。配達人だって変なクレームを言われていた訳でもない。
何かしら恨みがあったとしても、夫婦は奇跡の夫婦として有名になったのだ。有名人を殺すということはそれだけ衆人環視の目が増えるということ。その行動に合理性は認められない。
「ともかく日記を見てみましょう。何か分かるかもしれないわ」
そうだな、とヨハンは静かに頷く。
「エサリッジからの申し出があって、日記を書いた訳だ」
日記の注釈部分を見て、ロジェはそれを読み上げた。
「『エサリッジ記載の日記部分は全て切り取られ暖炉の隠し棚に仕舞われていた。また、購入物が不明な高額の領収書も同時に仕舞われていた。日付はフィナル・マンス 2th。』。高額?何を買ったのかしら」
ヨハンも注釈を見やる。
「ノートの裏には黒いペンで塗り潰された何かしらの跡。また、『……リー・サザーランド』と記載の処方箋も発見された。日付が数ヶ月前で高額な為、メアリーの物だと考えられる、ねぇ」
「数ヶ月前っていつなの?」
「五ヶ月前だよ」
無骨な指が日付をなぞった。使い魔がテーブルに顎を乗せる。
『それにしても変だねぇ、その記述』
「そうだな。サザーランドに『リー』がつく人間は、メアリーだけじゃない」
ロジェは首を傾げたが、何かに気づいて勢いよく立ち上がった。
「ご、ゴドフリーさん……!」
「この事件には三人、登場人物がいる。メアリー、ゴドフリー、エサリッジ。だが、本来は二人しかいてはならないんだ」
「だけど証言にはエサリッジもゴドフリーもメアリーもいるわ。存在してる」
『ダブってるって事だよ、ロジェ』
ロジェにも段々わかってきた。とんでもない事を任させれてしまったのかもしれない。
「三人とも存在してる。だけどメアリーだけ不可解なんだよ」
「病気が突然快方に向かったことね」
「そうだ。『病気は理論だから、突然治癒することは奇跡だ』と、君が言ってた」
ヨハンは手を組んで座り込んだロジェを見る。どうやら彼には最初からある程度事件の形が見えていたらしい。ロジェは射抜かれる視線に返した。
「メアリーの存在が誰かと入れ替わったってこと……?」
あぁそうだ、とヨハンは頷く。
「それに、エサリッジは部屋から出られなかった。『恰幅の良い声の低い女』だったそうだな」
「あの部屋の中でしか存在できない女……」
「一人二役だ、ロジェ」
ロジェの頭の中にはメアリーが浮かんでいたが、ヨハンの言葉でそれは打ち砕かれる。
「ゴドフリー・サザーランドは、エサリッジなんだよ」
「……どういうこと?メアリーがじゃなくて?」
「自立式人形のカタログを持っておいで。介護人形の頁を開くんだ」
ロジェはヨハンの指した暖炉の上の方にある雑誌を持って来た。指定された通りの頁を開くと、『購入物が不明な高額の領収書』の数字と一致する。
「……値段が、一緒……」
ロジェは視線をあげると、男はグランツヒメルの方を見ていた。ますます山頂は白くなっている。酷く吹雪いているに違いない。
「それなら、メアリーはもう……」
「行こう。人形は遺跡に居る」
ロジェは厚着をして鞄を持った。いつもと変わらないヨハンに、少女は問う。
「ねぇヨハン。私、聞きたいことがあるの」
「なんだ」
「……こうなるって、分かってたの?」
「こうかもしれない、とは思っていた」
男の暖かな部屋から出ると、外は恐ろしく寒かった。風がびゅうびゅう吹いていて、どんよりとした曇り空が街を覆っている。
「寒かったらここにいてもいいんだぞ」
「嫌よ。捜査で何の役にも立てなかったんだもの。遺跡で力になってみせるわ」
ヨハンは仕方ないな、と満足そうに微笑んだ。後を追ってロジェは悴む手をサディコの毛並みで誤魔化しながら廊下に向かう。食堂の前を通った時、中で掃除をしていたアイリスが血相を変えて飛び出して来た。
「い、今からお出かけなさるのですか?今日はかなり荒れるそうですよ。明日にでも……」
「急ぎなの。どうしても行かなきゃいけないわ」
「そ、そんな……」
アイリスはロジェの手をぎゅっと握りしめて、何とか行かせないようにしている。洗い物をしていたのだろうか。少女の手を覆ったそれは、氷のように冷たかった。
「安心しろ。ロジェは魔法が使えるし、使い魔もいる。そうそう野垂れ死んだりしない」
その言葉でアイリスは弾かれたように顔を上げた。そして不安そうに、手に視線を戻す。
「で、でも……今日は都市部も吹雪くって……酷くなるんだって、父が……」
今にも泣きそうな、か細い声。ロジェは慈愛の笑みを浮かべて手を強く握り返す。少女の熱がゆっくりと手を伝わっていった。
「ごめんね。必ず帰ってくるわ」
少ししてアイリスは顔を上げた。涙と力になれないもどかしさを喉の奥に詰め込んで、ぎこちない笑みを零す。
「……ロージーは止められませんものね。……お気をつけて、必ず戻って来てくださいね!」
静かにロジェは頷くとアイリスは手を離した。見送りの言葉を背に受けて、一行は荒天に繰り出す。
アイリスの言った通り都市部でも雪がちらつき出した。もうすぐ暴風に乗って吹雪いてくるだろう。城門が閉まる前に外に出た一行は、膝くらいまで積もった雪の中を歩いていた。
「さ、さむ……」
ロジェはぱちんと指を鳴らして、二人と一匹に保温魔法をかける。じんわりと身体が温まっていった。
『静かなところだね』
「時間が止まってるみたいだ」
暴風が吹いているのに、雪は垂直にゆっくりと地面に積もっている。
「あれ?」
「どうした?」
登山道の途中から右に逸れている足跡がある。確かアナも広場遺跡は脇にあると言っていた。
「これ、足跡じゃない?」
「……そうだな」
今までゆっくり歩いていた足を速めて足跡を追いかける。無限に続くかと思われた雪原のど真ん中に巨石が現れた。足裏も石を蹴る。
ぽつんぽつんと点在する巨石を追いかけるとそれは岸壁の狭間で群れになっていった。巨石群を抜ければ石灯篭が見えだす。真っ直ぐ敷かれたその道を辿っていくと、人影が見えた。その人影の先には魔法陣を模した広場がある。
「……おや、もうお着きですか」
傘を指した老女は、一行の方へと振り向いた。彼女の前には血溜まりがある。その上には二つの死体があった。
「ひっ……!」
飛び上がったロジェを後ろにして、ヨハンは睨むようにして老婦人に言う。
「メアリーは快方に向かってない。彼女はもう死んでいる」
まるで、オーケストラを聞いているかのような恍惚の表情をして、人形師は静かに話を聞いている。
「月初め、自宅で最期を迎えたいと思ったゴドフリーはメアリーを家に帰し、介護人形を購入した。介護人形には『『主人と介護者の幸せのために働く』ことがプログラミングされている』そうだな」
メアリーの血溜まりは寒さを忘れてどんどん広がっていく。エサリッジのそれは、すっかり凝固していた。
「ここからは推測だ。死期を悟ったメアリーは、介護人形に自分の成り代わりを願った。それをゴドフリーは奇跡だと錯覚したんだ。しかし、内心それは有り得ないと思っていた彼は……」
寒いからか腐敗はしていないようだ。もちろんのこと匂いもしない。
「二重人格を悪化させ、エサリッジを生み出した」
アナはヨハンの話を聞きながら、傘を閉じてエサリッジの足先をつついた。ぐちゃ、という肉の擦れ合う音が響く。少女は嫌そうに軽く耳を塞いだ。
「介護人形のプログラムはエサリッジを生み出すことを望んでいなかった。だから『こんなのは間違っている』と否定したんだ」
ヨハンの語調が強くなると同時に、真実をかき消すかのように風も更に勢いを増した。
「お前は……プログラムが甘かった事を認めることは出来ないから、隠蔽する為俺達に依頼したんだ。そうだろう?」
背を向け天を仰いでいたアナは、ゆっくりと、嬉しそうにロジェの方に振り向く。
「いい加減全てを話してもらおうか」
ははは、と少しかすれた老婦人の声がはっきりと広場に響く。それと同時に、ぴたりと吹雪は止んだ。
「……お見事」
ぱちぱち、とアナは貼り付けた笑みを浮かべて手を叩いた。
「仰る通り、正しくうちのロボットのエラーです。先程ブラックボックスを確認しました」
アナは懐からメモリを取り出した。
「介護用人形は政府に依頼されて作ったものでした。ある実験を兼ねてね」
「実験ですって?」
「自立式人形か『完璧』だと言われて久しいですが、人間を模したのなら自立式人形は『不完全』でなければならない」
ロジェは恐る恐る、しかしある種の確信を持ってアナを問い詰める。
「もしかしてその証明をするために『介護用人形』を自立式人形に作らせたっていうの……?」
「仰る通り。どちらに転んでも実験は成功でした。『不完全』であれば人々は人形を恐れず、『完璧』を示せばファクティス家は永遠になる」
反射的に少女は叫んだ。
「冗談じゃないわ。そんな適当な設計であんたは一人殺したのよ!」
「誰も気にしませんよ。人間というものは、儲かっていれば誰が死んでも気にしない」
言い返そうとしても何も言えない。実際、少女の置かれていた環境がそうだった。レヴィ家の寄付さえあれば、学長は見向きもしなかった。
「それが悪い事だと思いません。生き物というものは須らくそうですから」
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