第33話 犯行現場のアイステーシス

「それもそうね。どう?いそう?」


メルビン街982aは住宅街であった。横並びで立てられた平屋に家が区分けされてある煉瓦造りの街。治安はこんな事件が起こるような悪さではなく、周りの住民が不安そうに犯行現場を見ている。


『いなさそうだねぇ。匂いしないもん』


ロジェは手前で見張っている警察官に声をかける。


「すいません。中にファクティス様はいらっしゃいませんか?」


「……失礼ですが、どういう関係で?」


ロジェは懐から紋章が見えるように手紙を出した。


「ファクティス様にここに来るようお手紙が届いたのです。お目通りを願いたいのです」


それを見た警察は怪訝そうにしたが、ふとロジェの向こう側に視線をやった。先には昨日と変わらない美しさを称えた老婦人がいて、優雅な笑みを浮かべて二人に近寄って来る。


「御早う御座います。お待たせしましたか?」


ロジェに挨拶をしたのを見届けると警察は頭を下げて犯行現場の道を譲る。


「いいえ。大丈夫よ」


「それでは中に入りましょう。事件内容はご存知ですか?」


アナは事件現場の扉を開けた。部屋の中の捜査官は慌ただしく働いていた。


「新聞で軽く読んだくらいだ。詳細を頼む」


「ええ。畏まりました」


部屋には特段変わったものは無かった。慎ましやかな、シンプルな部屋。ただどこも手入れが行き届いていて不衛生な感じは全くしない。


「事件は四日前に起こりました。この部屋に住んでいたのはサザーランド夫妻。ミスター・ゴドフリーとミス・メアリー。二人とも三十二歳で、慎ましやかに生活していたそうです」


三人は廊下をぬけてリビングに入った。二人分のテーブルに、二人分の椅子。物が良さそうな椅子はつやつやと輝いている。薄緑のカーペットに、若草色の壁紙。部屋の奥側には大きな窓から庭が見え、部屋を眩く照らしていた。テーブルの近くには暖炉があった。淵は白。さぞ手入れに時間がかかるだろう。


「ミス・メアリーは病気を患っていました。病気は快方に向かうことなく、悲しいことに少し前に余命宣告をされたのです」


「余命はあとどれ位だったの?」


「もって二ヶ月だと言われたそうです」


二ヶ月。一体そんな短い間に、何があったのだろう。


「ミスター・ゴドフリーは妻のことを大変愛していましたおり、宣告以前より気を病んでいました。ですから、更に病状を悪化させてしまいました」


部屋の右手奥側には階段があった。上に登ると二つ部屋がある。一つは物置で、もう一つは寝室だ。


「ミス・メアリーはせめて最期は自宅で迎えたいという思いから、支度を整えて帰ってきました。それが今月の初めの話です」


寝室には介護用ベッドと普通のベッドがぴったり、くっついていた。傍の机には薬や水瓶がある。ここも日当たりがよく、気持ちの良い部屋だった。


「残りの日々を粛々と過ごしていく中、ある日奇跡が起こりました。なんとミス・メアリーの病気が完治したのです」


アナは一行に写真を見せた。夫婦が嬉しそうにケーキを囲んで笑っている写真だ。


「また二人は幸せに暮らし始めました。しかし……ミスター・ゴドフリーと連絡が取れない日が続き、同僚が警察に通報したところこのような有様で……」


「なるほど。この事件が注目されてるのはそういう訳があったんだな」


『それにしても完治したってのは変な話だねぇ』


「魔法でも治せないものなのか?」


ロジェは顔を顰めながらヨハンに答える。


「私は基本の治癒魔法しか習得してないから応急処置しか出来ないけど……魔法って技術なのよ。『その病気を治癒する』っていう、ちゃんとした理論がなきゃ詠唱出来ないの」


「高度な治癒魔法だったら免許も必要ですしね」


頷きながらアナは言った。一通り家を回った一行は玄関まで戻る。外にはアナの馬車がある。くるりと振り返って老婦人は笑った。


「この事件を貴方々に解決して頂きたいのです。お願いできますね?」


「拒否できないわよ、私達」


「それもそうでしたね」


にこっと毒のない笑みをロジェに返すと、今度はヨハンがアナに問うた。


「内容は分かったが証拠はあるのか?参考に見たいんだが」


「少ないですがあります。取り調べもしました。参考にご覧下さい」


ぽんぽん、とアナはロジェに書類を投げた。馬車に足をかけると、


「さて……それでは私はここで」


「え?もう帰るの?」


「えぇ。仕事がありますので。あとは捜査官と貴方達で済ませておいて下さい」


アナは馬車に乗ると、さっさと事件現場から離れてしまった。ガラガラと重々しい音が静かな現場に響く。


「そそっかしいヤツだな」


『今日もうこれで終わり?』


「みたい、ね……」


道の向こうに消えていく馬車を見て、ヨハンは現場からくるりと背を向けた。


「帰ろうぜ。寒い」


「もう少し証拠を探しましょうよ。想像力で補ってたら論理性に欠けるわ」


ヨハンはぴた、と足を止めた。寒さからか鼻を赤くし肩を竦めてじっとロジェを見ている。


「そういう事なんだろう」


「そういう事ってどういう事よ」


「今のところ分からないから断言はしないが……」


また前を向いて、ため息ひとつ。


「まぁ、相も変わらず禄でもない事に巻き込まれたってことだ」


『どうするの?』


ロジェはサディコの声を受けて一瞬だけ中に戻ろうかとも考えたが、戻ったところ得られる確証は無い。それにヨハンは何かに気づいている。少女は何も言わず、男の後を追った。




「これが証拠だな」


今日は一段と冷える。ヨハンの部屋の中で、小さくなりながらロジェは思った。グランツヒメルは雲におおわれて見えない……大方吹雪いているのだろう。


「『日記』と『調書』……こんなので本当に分かるの?」


「さぁな。調べてみるしかない」


一行はほんのり暖かいテーブルの上で証拠を開いた。

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