第32話 好奇心のヘーリオス

次の日ヨハンが部屋の扉を開けると、そこに居たのは少女だった。この国の温度までも上げてしまいそうな髪色とその目。不機嫌そうな顔をしていても爛々と輝く好奇心。


「……ねぇ。ちょっと」


「なんだよ」


「なんかほら、言うことあるでしょ」


げしげし、とロジェはヨハンの足を蹴った。慌てて男は後ろに下がった。


「分かったから足を蹴るのを止めろ。靴が汚れる」


ヨハンが口を開こうとした瞬間、それを遮ってロジェは言う。


「良くって?またあんなイジワルしたら承知しないんだから!」


「……ふっ……」


「何よ」


「あっはっはっ!錯乱していたのを『イジワル』か!君は面白いヤツだな!」


顔を覆って爆笑しだしたヨハンに、ロジェは一瞬だけ面食らう。そして直ぐに怒りを顕にした。


「ま、また私をバカにして!」


「いやいや、バカになんてしてないよ……いやはや、本当にお前は面白いヤツだ。一緒に旅が出来て光栄だよ」


何だかバカにされている気がする……のだけど、そういうものにしては暖かすぎるような物の気もする。


「どういう意味よ、それ」


分かった、とロジェは自慢げに返した。


「神代流の嫌味って言うつもりなんでしょ?」


「はははっ!嫌味じゃないよ。本当だ。本当にお前のことは見どころのあるヤツだと思ってる」


二人が初めて会った時よりも随分良くなった顔色が、嘘偽りなく述べていることを示していた。


「いやはや……精神性が脆いなんて言って悪かった。お前は間違いなく魔女だ、ロジェ」


ふらりと男はロジェの横を通って、先を進む。


「ほら、稀代の魔女様。さっさと行くぞ。あの老婦人が待ってる」


すたすたと歩いて行った男を見ながら、ぬるっと影から出てきたサディコは若干引いて呟いた。


『ヨハン、超ごきげんじゃん。こわぁ……』


「昨日あんた、ヨハンと何か話した?」


ぽんぽん、とロジェは使い魔の頭を撫でる。何となくそんな気がするのだ。魔女の勘ってやつ。


『……まぁ話したは話したかな』


「教えてよ」


『大した話はしてない。あれはヨハンから言うべきことだから』


「勿体ぶらなくてもいいじゃない」


『また気が向いたらね』


はぐらかされてしまった。やっぱり魔法使いとしてはまだまだなのかもしれない。食堂からは良い匂いがする。フライパンで何かを焼いている匂いだ……。カリッとした暖かいパンの匂いが、冷たい風に乗ってくる。


「あ、ロージー!御早う御座います!」


温い食堂の中に入ると開口一番そう言われる。発言者はアイリス。両手に美味しそうな彩りのある皿を乗せて、顔をくしゃくしゃにして笑う。


「おはようロージー。朝から賑やかね」


食堂を見回すと、観光客らしき老若男女がたくさんいて、和気藹々と話している。


「昨日団体で泊まりにいらしたんです。丁度朝ごはんが出来たんですよ。さ、お席にどうぞ」


部屋の隅で二人席に新聞を読みながら座っているヨハンが見える。


「『ノルテ失踪事件 犯人は機械人形か?』。物騒な見出しねぇ」


ロジェが来たことが分かると、見出しが見えるように小さく折り畳んだ。アイリスが暖かい朝食を机の上に置く。


「物騒ですよね。昨日の夜、母から外に出ないようにって言われました。私は身を守る術がないから……戦闘人形でもあったらいいんですけど」


「戦闘人形?」


「えぇ。ファクティス家が作っている戦闘を行う専門の人形です。仕事人形、介護人形なんかもいて、それぞれ組み込まれた信条を元に動いているんですよ。介護人形は『主人と介護者の幸せのために働く』ことがプログラミングされているので、その通りに動きます」


「そうなのね。昨日行った時にそんなの無かったわ」


「あら、人形博物館に行かれたんですか?」


「えぇ、そうよ」


「あそこは面白いところですよね……って、そうだ!」


思い出したようにアイリスはポケットから手紙を取りだした。真っ白い封筒は柔らかく、上質な手触りだ。宛先には『赤髪のロージー』にと書いてあって、何となくロジェは顔を顰めた。


「そういえば今朝、皆さん宛の手紙が届きました。送り主の名前が書いてなくて誰か分からないんですが……」


ロジェが裏面を覗くと紋章がある。手と糸の形だ。食堂の反対側から観光客が呼ぶ声がして、アイリスは飛び上がった。


「ご、ごめんなさい私ったら話に夢中になっちゃって……食べて下さいね。今日の朝ごはんはハムとソーセージ、パンとコーンスープになります。お紅茶はおかわりできるので、遠慮なくがぶがぶ飲んでくださいね」


ありがとう、とヨハンが言うと、ロジェの手に握られた手紙に視線が向けられる。視線に合わせて、一瞬だけ黄色の魔法陣が見えた。


「魔法はかかってないわね。変なものも入ってないみたい。正真正銘、ただの手紙だわ」


『……たかそーな香水の匂いがする』


手紙に描かれた紋章も相まって、送り主は分かっている。ロジェはジューシーなソーセージを口に入れながら、手紙の封を切った。


【 犯行現場を見て頂きたいので、

メルビン街982aで待っています。

アナトリエヴィナ・ファクティス 】


「メルビン街982aってどこか分かる?」


「知らんな。後でアイリスに聞くか」


『なに?そこに来いって?』


「そう。犯行現場を見て欲しいのだって」


ロジェは懐に手紙をしまった。カリカリに焼けたパンにバターをべっとり塗って油っこさを味わう。


「ジャムは?塗らないのか?」


「私パンはバターオンリー派なの。あんたはジャム塗るよね」


「ジャムティーが美味いからな」


この人一応美味しいとか感じる味覚あったんだ、なんて思いながらロジェも紅茶を飲む。外は相も変わらず寒そうだ。部屋は朝の気だるさが増すくらい暖かい。あぁ、外に出たくない……。




「……ねむ。外に出たくないなぁ」


外に出たくないのはロジェだけでは無かった。ハリボテみたいな急拵えの荘厳な寝台の上で、ゆっくりとミカエルは身体を起こした。ここはノルテの住宅街にある教会の中。ロジェが居るところと違って、少し賑やかだ。


「ミカエル様。御早う御座います」


「おはよ。アウロラ」


ミカエル一行もロジェとヨハンを追ってノルテに入国していた。しかし、あと一歩のところで取り逃したのだ。家を滅茶苦茶にされたのも相まって、よっぽどレヴィ家の逆鱗に触れたのか、今はアリスも一緒に旅をしている。


アウロラに顔を拭かれながら、ぼんやりとミカエルは考えた。こんなふかふかの寝台、難民生活をしている頃には考えられなかった。


顔を拭くのが終わったら、今度は着替えなくてはならない。シルクの手触り。貴族はこういったものを好むらしい。意匠は村民が着るような服と大差ないが、所々繊細な刺繍があって、お金がかかっているのが分かる。


「今から民の皆様とお話する時間で御座います」


「……ねぇ、ロジェ探しはいいの?」


「居所が掴めませんので」


にっこりと微笑む、いい匂いのする修道女。彼女がそう言うのならそうなのだろう。自分は魔法が使えないし、神に選ばれた自分に彼女が嘘をつくとは思えない。


扉を開けて外に出ようとするとアウロラが剣を差し出した。これは僕が僕であるための証。忘れてしまってどうするんだ。


「助かるよ」


「アリス様が御用があると仰っていました。また後でいらっしゃるかと」


分かった、と軽く返して、ミカエルは外に出た。待っていた民衆達は少年を見ると同時に目を輝かせる。


「ミカエル様だ!」


「救いを!ミカエル様、救いを下さい!」


「ままー!ミカエル様だよ!」


「あ、あれが……救世主、さま……」


ミカエルを見ては涙を流すもの、よく分からない大声を上げるもの、必死に手を伸ばす者……。それに対してミカエルは手を振り返す。そうするだけで、人々は喜色満面だ。


堪らない。どれだけ貴族が排除しようと思っても、自分の背後には『ラプラスの魔物』とレヴィ家がいる。排除しようと思っても出来ない間に、権力を振るい続けるその快感は、何ものにも勝る喜びであった。


「ミカエル様……昨日はよく眠れましたか?」


近寄って来た男は教会を明け渡した司祭だった。あの妙ちくりんな寝台を作ったのもこの男。


「うん。いっぱい休めたよ。これも神様の思し召しだね」


涙を流して喜ぶ男の次は、ミカエルの足元に傅いている老若男女だ。代表して老人が謝っている。


「ミカエル様、この間は本当に申し訳ありませんでした……私がしっかりしていれば……」


『この間』とはロジェを逃がした時のことだろう。確かに痛手であったが、あんなものは失敗のうちに入らない。だって僕は神に選ばれたのだから。


「ううん。君は悪くないよ。大丈夫、道は開けてる。きっと僕はまたあの子に会うことが出来るだろう」


ははーっ、と男はまた頭を下げた。次は人を押しのけて現れた血相を変えた女だ。手には赤子を抱いている。


「ミカエル様助けて下さい!うちの息子の熱が下がらなくて……!」


「大丈夫。ほら、こうすれば……」


差し出された赤ん坊に手をかざせば、魘され苦しそうな顔をした子は直ぐに笑顔に変わった。母親は半泣きでミカエルに縋り付く。


「み、みかえるさま……!」


「あとはゆっくり眠れば良くなるよ」


「あぁぁありがとうございます!良かった、坊や、ほらお家に戻ろう……!」


そそくさと帰って行った女にミカエルは若干の腹を立てる。何だよ。もうちょっと感謝してくれても良いのに。


「ミカエル様」


後ろを振り向くと、アリスが仰々しく頭を下げているのが見えた。やっぱり貴族はそうじゃないとな。


「『ラプラスの魔物』様から贈り物で御座います」


その名前を聞いてミカエルは飛び上がった。民衆との会話も忘れてアリスの傍に駆け寄る。代わりにアウロラが民衆と話していた。


「お、オルテンシアから……!待って、すぐに行く!」


慌てて薄暗い教会の中に戻ると、アリスが包みから開ける何かを待ち望んだ。贈り物ってなんなんだろう。


「も、もしかして……オルテンシアから、何か、ある……?」


ミカエルの興奮した問いに、怪訝そうな顔でアリスは返した。


「……何か、とは?」


「いやほら、手紙とかさ、なんかこう……メッセージ、みたいな?」


「……」


ため息をつかなかった自分を褒めて欲しい、とアリスは思った。傲慢の一言に尽きる。相手が『ラプラスの魔物』とか抜きにしても、幼いながらも彼女は当主なのだ。大した仕事もしていない、そこまで親しくない相手に何故時間が割いて貰えると思うのだろう。


「メッセージなら御座いますが」


一文だけ書かれたメッセージ。そこには『大変だけど頑張ってね』と書いてあった。それを見てミカエルはずっと微笑んでいる。コイツは何も知らない。


伊達に長い間貴族をやっていない。『ラプラスの魔物』に一番近いレヴィ家のアリスには分かる。そのメッセージは代筆。筆跡はオルテンシアのお付、テュリーのものだ。


「で!で!贈り物って何!?」


「……こちらで御座います」


ベルベットの小箱から取り出されたのは、紫の宝石がはめ込まれた太陽のブローチであった。


「これは『ラプラスの魔物』様がミカエル様の為お作りになったもので御座います。これには『ラプラスの魔物』様の魔法が込められており──」


「うわぁ〜!すっごい!これ作ってくれてたから、あんまり時間が無かったんだね!だからメッセージが短いんだ!ねぇねぇつけてよ!」


「……はい」


説明を遮られたアリスは、言われるがままにブローチをつける。つけられたミカエルは馬鹿みたいにぐるぐる踊っていた。


勇者然とした白いマントにつければさぞ美しく光るだろう。今の村民みたいな格好につけてもあまり代わり映えしない。


「そのブローチはミカエル様の魔法を安定的に使えるようにするもので御座います」


「あんてーてき?」


ぴたりと動きを止めて、ミカエルはアリスの方へ振り向く。


「えぇ。ミカエル様は本来、強大な魔力をお持ちです。その放出量を一定にするものでございます」


嘘だ。そもそもミカエルには魔力なんてない。奮っているキセキとやらは、全てアウロラかアリスの魔法で賄っているものだ。


このブローチの本来の役目は、ミカエルにも魔法を使えるようにするもの。『ラプラスの魔物』の魔力が込められている。


「ふーん。なんかよく分かんないけど、オルテンシアが作ってくれたしいいや。どう?似合う?」


「良くお似合いだと思いますよ」


にこ、と作ったニセモノの笑みでアリスは返した。少女は付属のメモの最後に書かれた文章を読み上げることはしなかった。


自分が一番偉いと思っているのに、本人が一番愚か者。まぁ、いっか。元よりこのブローチは……


「二回戦くらいしか持たないからね」


アリスが瞬きした瞬間、カウチに寝そべったオルテンシアも同じようにそうしていた。宙に放り投げた紅茶が魚の形をして、空を泳いでいる。ここはマグノーリエ。だだっ広いガラス張りの部屋からは王都が見える。今日も無意味なくらい賑やかだ。


「それにしても……やっぱりいたんだぁ、ロジェお姉ちゃん」


「はい。一度見かけたのだと」


「ふぅん」


オルテンシアは紅茶のカップを机の上に置いた。戻る場所を見つけた魚がその中にすっぽり嵌った。室温を泳いだからかすっかり冷めている。


「さっき渡したブローチは、私の魔力を込めたもの。アリスやアウロラからも『あんなヤツに魔力を使いたくない』ってクレームが来てたからね」


「あの少年は……難しい方ですから」


難しい方って言い方、とオルテンシアは嘲笑した。確かにアレは事情の知っている者からすれば笑いの的だ。


「だけど……問題は大技を使い倒して二回戦くらいしか持たないんだよねぇ」


そこそこの魔力を詰め込んでもオルテンシアの体調に何も問題は無かった。もしあのブローチが破壊されれば、魔力は少女の身体に戻る。


あの少年が死ぬのが先か、魔力が尽きるのが先か。


「ま、問題じゃないかぁ」


そういえば、と当主は無邪気を装ってテュリーの方を見やった。


「場外の難民ってどうなったの?あれ受け入れたんだよね?」


「あぁ。受け入れが終わった後に、直ぐに国から出て行きました」


「出て行ったって……なんで?」


「あれは多民族だったらしく、我こそはと神の御使いの一族であることを主張したためか、コミュニティが形成出来なかったそうです」


オルテンシアは王都の方へ目を細めた。過去視を使って難民を見るも、どれも城外で魔物に食われたり盗賊に身を落としている。


そんな不運な一族達を、ミカエルはすっかり忘れて生活している。彼にとっては自分以外どうでもいいのだろう。


「連絡、来るの楽しみね」


「楽しみにしなくとも分かるでしょうに」


「貴方の口から聞きたいのよ。ね、アミー」


オルテンシアがアミティエの頭を撫でていた頃、ロジェもメルビン街982aの前でサディコを撫でていた。


「ここね。警察が多いわ」


「まだ事件発生から二日だからな」


『まずはアナを探そうよ』

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