第31話 見出されしインサニア

ロジェはヨハンを睨みつけた。が、男は何も示さない。彼が介助するのをやんわり拒否して、少女は何とか自立する。


「その秘密を壊すんだよ。お前は何もかもを壊す魔法を持ってるんだろう」


「それは、そうだけど……」


「さ、暗くなってきたし帰ろう。夜は人外の時間だからな」


ロジェに向けられた背を睨みながら、呼吸を整えて、少しだけ震えた声で言った。そんな言い回しは今時古典の教科書でも見ない。


「……随分と古い言い回しね」


「神代は終わったのよ、ってことか?」


また、あの目。藍色の瞳が少女の身体の中身を舐め回すように向けられる。この男、やっぱりイカレてる。ロジェのことを笑えない異常な好奇心。そして他人の全てをトレス出来る自己の薄さ。


いや、薄くは無い。多重人格的に他者の人格を己の内に生み出せるのか……?彼の能力については検討の余地がある。


「帰ろう。人外不審者云々より、この国の夜は冷える」


満月の光がタイルに乱反射して鬱陶しいったらありゃしない。ロジェははためく白衣に手を伸ばした。


もしかしたら博物館で人形と入れ替わったのかも。これを握りしめて引き摺り下ろした暁には、ガラクタが残っていて、もしかしたらガシャンってそれが崩れて、それで──


「きゃあっ!」


見越したかのように男はそれを軽く交わした。居場所を失ってよろめいた手がヨハンによって拾われる。


「……あんまそんな事やってると嫌われるわよ」


ロジェは膝をつきながら、悔し紛れに言った。今のも思考回路を読まれた結果の行動だ。『ロジェスティラ・ヴィルトゥの思考回路』をトレスされたのだ。


この男は間違いなく……少女がそれを許可してしまえば、何を言うのも、何を考えるのも全てわかるのだろう。それこそ病気になるタイミングだって。


「……ふふ。かもしれないな」


深海の目はすっかりなりを潜めた。ロジェはゆっくりと熱い手から冷えた小さな手を抜くと、前を行く男の跡を追った。







『ろじぇー。何があったのさぁ』


「……別に。何でもない」


『何でもないって顔じゃあ無さそうだけどなぁ』


ロジェはすっかり寝る準備を整えて、ベッドの上に縮こまっていた。照明に当たって乱反射する赤毛をいじっている。


「……何でもないったら。少し一人にして」


『なんだよぉ。ツレないなぁ』


「少し……混乱してるだけ……」


ロジェはベッドに乗ってきたサディコの頭をわしわしと撫でる。


『みたいだね。夕方からずっと精神が乱れてる』


「分かるの?」


『分かるよ。魔法は精神に依存する。ヨハンになんかされたの?』


「……まぁ。ある意味では」


ロジェは使い魔をぬいぐるみのように抱き寄せながら今日のことを思い出していた。人の全てを真似てしまう。それは自他との境界が歪む。彼がロジェを真似すれば、自身が知らない一面を再現してしまうかもしれない。


『随分酷い目にあったみたいだね。殺されかけたりでも……』


下からちらりと見上げてきた使い魔に、少女はそうだと視線を返した。


『おやまぁ、当たり?』


「あの好奇心は狂人だわ」


『ロジェもあんま人のこと言えないけどね』


「……あそこまでは酷くないわよ」


サディコもすっかり我が物顔で、ロジェの足に体を乗せている。服越しに少し早い鼓動が伝わった。


『そうかな。ロジェは御稜威で何かの声を聞いたよね』


「えぇ」


『触れたら酷い目に遭うと分かっていながら、君はそれに手を伸ばした。普通だったら逃げると思うよ』


「……あれ、は……なにかの、力で……」


いつのまにかサディコの顔がぐっと近くなる。金の瞳がロジェを射抜いて、心の声を呟かせた。


『じゃあ、これはどう?』


すりすりと顔を寄せてサディコは続ける。ふわふわの毛が気持ち良い。


『君はヨハンの家に始めてきた時、扉を開けようとしたよね』


「あんた、なんでそれ知って……」


『使い魔だからね。君の記憶に強く残っているものは軽く見れる。つまり……』


「……」


ロジェはむっとしてサディコから離れた。使い魔って言うのに、全然言うこと聞いてくれない。何で私の嫌なことばっかり言うのかしら。


『ごめんごめん。意地悪言い過ぎたよ。今回のは好奇心の強さじゃ無さそうだね』


「たとえ私の基礎が〝ああ〟だったとしても、私は使わないわ……」


むすっとしているロジェに、サディコは布団を被せた。不機嫌な表情から驚きの表情に変わった少女に、使い魔は優しく告げる。


『今日はもうとにかく寝なよ』


「……ねむくないもん」


子どもはみんなそういう。全く世話の焼けるゴシュジンサマだ。


『いい子だからおやすみよ、ロジェ。目を瞑って?』


鼻先で優しく顔を小突くと、もぞもぞとロジェは布団の奥に収まった。弱々しくおやすみ、という声が漏れる。


魔法で電気を消せば小さな寝息が聞こえた。サディコは身体を水蒸気にさせて隣の部屋へ向かう。ヨハンの部屋に侵入したサディコは、部屋の奥に座る彼へと問うた。


『君ねぇ。ロジェに何したの』


突然現れたサディコに動揺することなく、視線の先の男は椅子にふんぞり返りながら雑誌の頁を捲っている。


「別に。何もしてない」


『してないんだったらあれだけ精神は乱れないんだよ』


ヨハンは雑誌は開いたまま、顔だけサディコに向けた。


「……俺の特技だよ。この世界風に言うのなら、『人間を一時的に生み出す能力』ってとこかな」


ニヒルに笑ってベスト姿のヨハンは続ける。


「ただし、色々制限がある。会ったことの無い人間はもちろん無理だし、完全にトレスするには一日片時も離れず一緒にいないといけない。それに、俺がトレスしてると知っている人には効果がない」


少しだけ考える素振りをして、


「んー……あぁそうだ、その人の全てを真似するから、臓器系の病気にも罹患する。これは俺の不老不死で克服出来そうだが……」


一拍置いて、


「時間的制約は……ほぼない。十年までは必ず持つ。記憶の共有も出来る」


『なにそのチート能力』


「そうか?基本的に使うことはほぼないぞ」


『何かの影武者だったらありそう』


「かもな」


一瞬だけサディコは目を見開いた。が、視線が伝えるのは怒りだ。それを汲み取ってヨハンは言う。


「ロジェには少し刺激的すぎた。悪いと思ってるよ」


『その『これで満足か?』みたいな顔じゃなかったら許したんだけどなぁ』


そんなつもりは無かったんだが、これも日頃の行いなのか?伏せ目がちに男は言い直した。


「……本当に悪かったと思ってる」


『ま、そういうことにしといてあげる』


使い魔が満足そうで何より、と思いながらまた雑誌に目を向けるとその使い魔が腕に乗っかってきた。


『ていうか何読んでのさそれ』


「食堂に置いてあったから拝借した。ぺスカ研究所の特集が組まれてるらしい。ロジェのいたところだろ?」


乗っかられた頭を何気なく撫でると、ぐいぐいと頭は乗っかってくる。いくらサディコと言えど人の膝に乗れる程小さい訳では無い。


『ふーん。こんな企画やってるんだ』


「『研究所をもっと近くに』がモットーらしい。レヴィ家のオジョウサマが生徒代表で答えてる」


見開き頁に渡って何枚も特集が続いており、その一番最初にアリスがいる。顔は端正そのものだが、大人っぽいとかではなく、年相応のあどけなさがなくて恐ろしい。前に会った時は分からなかったが、こんな顔をしていたのか。


「綺麗な顔をしているな」


『なに?ヨハンってばこういう子が好みなの?』


「そういうつもりで言ったんじゃないんだが」


この研究所は王都でも由緒ある研究所……もとい、研究所の名を持った高等教育機関なのだが、そこにはロジェと歳の変わらない名門家系の御息女御令息がいるという。


レヴィでも、エリックスドッターでもそうだ。こんな年若い子供に何を夢みているのだろう。何を、託しているのだろう。


『……そんな難しい顔して読むもんじゃないと思うんだけどなぁ』


「思うところがあるんだよ。俺もそうだったから」


ヨハンはぱたん、と雑誌を閉じた。


「主人のとこに戻りな。俺はもう寝る」


『睡眠はいらないんじゃないの?』


「ちゃんと生きることにしたんだ」


ヨハンは椅子から立ち上がって、寝台に乗った使い魔の顔をのぞきこむようにしてベッドに座り込む。


『ちゃんと?』


「そう。俺はロジェスティラが来るまではぼんやり生きてたんだよ。精神も肉体も永遠だから狂えないし。研究することで誤魔化していた」


手を鏡にしても、そこには何も映らない。最初の方は不老不死でも死に怯えて、恐怖のあまり訳の分からない行動をしたこともあった気がする。


「だけど……こんな俺でも、考えてくれる人が出来たから。あの子が歩みを止めても俺は止めないよ。きっかけをくれたから」


『そういうのはロジェに直接言ったらいいと思うよ。でも……』


にし、と悪魔は笑った。どう足掻いてもこいつは人外だ。聞いて欲しくないこと、言って欲しくないことを止める考えは無い。


『マリシアのことはもういいの?』


「もういいって何だよ。アイツは昔っからロクデナシだぜ」


目を伏せればあの時の情景が目に浮かぶ。あの時のマリシアはロジェよりかは少し若かった気がする。きんのひとみ。太陽よりもあかいかみ。


差し出された手を掴んだ時から……いやもっと前から、運命が変わっていたのか?


『ははっ!ロジェが聞いたらびっくりするだろうなぁ』


「どうだろうな。話は変わるが、研究所に入るための試験には魔法の実技ってのがあった」


特集には研究所の設備の他に、入試方法も書いてあった。随分と丁寧なコラムである。


「入った時、あの子は魔法が使えなかった。……どんな手段で入ったかは、言うまでもないだろう」


それはお前が一番よく分かってるんじゃないか、とヨハンはサディコの頭を小突く。


『まぁ、良い思い出は無さそうだね』


サディコは寝台が降りると未練がましくヨハンの方を振り返る。


『あーあ、それっぱいこと言っても全然動揺しないね。これだから不老不死の人間は嫌なんだ』


「そりゃあ人外おまえたちとやり合うのには慣れてるからな」


『……つまんない。ぼくもう寝る』


ヨハンの何だか嬉しそうな笑みが嫌になって、サディコは外に出た。多分あの笑みは自分が勝ったからとかそういうのじゃなくて、サディコが抱いている感情が何かが分かるのだろう。ちょっと腹立つなぁ。


部屋を出れば満点の星空。空気はどこまでも冷たいが、そのお陰か非常に澄んでいる。


『……なーんだか、流れでここまで来て、それに悔いはないけど……』


サディコが抱いている感情、それこそは。


『元気にしてるかな、おかあさん……』


若干のホームシックを誤魔化す為に、サディコはロジェの部屋に急いだ。

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