第30話 孤独のイデム
「先を急ぐ旅なんだ。手短に頼む」
「そんなに急かなくても良いと思いますよ。貴方々達にとって、分の悪い話ではありません」
アナは片手を上げると、極天人形は空いたカップを片付け始めた。
「自立式人形が暴走したのは見ましたね」
「見たわ。やっぱりそうだったのね」
「今は上手く隠蔽出来ていますね。世間には陰謀論として出回っている様ですし。......が、これがバレるのも時間の問題でしょう」
「何か問題があるのなら修理すれば良いんじゃないのか?」
「それが出来ない、ちゃんとした理由があるんですのよ」
ヨハンの質問に、アナは勿体ぶる。
「もう間もなく……マリア・ステラがやってくる。それに呼応して自立式人形は暴走しているのです」
「マリア・ステラ……?」
老婦人の聞きなれない言葉にロジェは首を傾げた。
「えぇ。グランツヒメルの山道から少し離れた場所に、崩れかかった広場遺跡があります。彗星と共に、七十年に一回 『それ』はやってくる」
アナは白黒の写真を出した。何の変哲もない、雪に埋もれた広場らしき遺跡だ。
「ファクティス家の自立式人形が何故あれだけ精巧なのか。それは超古代文明の技術を魔道式に封じて人形に刻み込んでいるからなのです」
「それ、企業秘密なんじゃ……」
「言ったところで真似できませんよ。探しに行って見つかるものでも無し」
かたかたと何かが揺れる音がする。『極天人形』が震えているのだ。アナは手を下げて、二体を影に仕舞った。
「彗星が、彼らの故郷が近づいているが故、暴走する……今回は邪教絡みの事もあってそうした形で処理されているようですが」
アナはすっかり冷めきった紅茶を床にこぼした。床に跳ねた水音の後に何かがそれを舐めている音がする。大方先程の極天人形だろう。
「貴方々は何かワケありの様子……そうですね?」
「……まぁ、そうね」
「貴方々に解決して欲しい事案があるのです。それを解決して頂いた暁には、望むものを何でもお渡ししましょう」
「国家機関に顔は効くのか?」
意図を隠さなくなったヨハンにアナは嘲るように言った。
「えぇ。それはもちろん。ノルテの産業はなんと言っても我がファクティス家の自立式人形ですから」
「なら、戸籍が欲しい」
「ご用意しましょう。他には?」
「超古代文明について知りたいの」
いつの間にか注がれていた紅茶をまたすすりながら、断りたそうにアナは言う。
「……真似できるものではありませんが、具体的に話すのは企業秘密に関わりますので……それ以外でお願いしたいのですが」
「ではこの案件は受けない。さっき言ってた、マリア・ステラ号について知りたいだけなの。それでも駄目かしら」
「なるほど。それだけなら構いません。私の知っている限りでお教えいたしましょう」
老婦人は指で独特の形を作ると、極天人形の片手が地面から伸びて来た。その手には丸められた茶色い紙がある。
「もう教えてくれるの?」
「私が知っている話は大した話ではありませんもの。前金としてお話しましょう」
人形に紅茶と皿を片付けさせると紙を広げる。無限の夜空を背景に白い卵型の絵が描かれている。
「これが 海の星の
「なぁ、自立式人形と超古代文明と何の関係があるんだ?ピエールが作ったものじゃないのか?」
ヨハンの質問にアナは淡々と答える。
「基礎を作ったのはピエール様でしたが、更に発展させたのは数代後のことです。広場遺跡に封印されていた技術を解読したところ、人と変わらない自立式人形を作れるようになったそうですよ」
アナは袖を上げて老婦人とは思えない様なハリツヤのある腕を出した。一瞬黒い紋様が浮かぶ。
「それを魔道式化し、血に刻み、人形を創ることで……ファクティス家は人形師の意志を持つ者だけ、技術を伝承することに成功したのです」
「なぁるほどね。殺しても奪えないってこと……」
「この宇宙船には超古代文明の全てが刻まれているそうです。そして、それら文明の記録を『ラプラスの魔物』様は改ざん出来ない……」
「何でなの?」
「過去があまりにも膨大すぎるからです。それを弄るとなると、とてつもない時間がかかる。何か探し物をするならここに行くしかないでしょうね。それにしても、当代になってから現実世界の改変が起こりすぎている……」
アナは頬杖をついてどこを見ることも無く答える。その様はまるで人形の様だ。
「それを感知出来るのは、『マクスウェルの悪魔』だけと聞いたんだが」
「うふふ。私も感知出来ません。ですが、『ラプラスの魔物』の行動から予測はできる。議会でも神託を外したり、この世の救世主として少年を祭り上げたりと……万軍の為政者たる冷静さを完全に失っている」
アナは絵を閉じてまた地面に落とした。今度は落ちる前に腕が生えてきて、それを地面に飲み込ませていく。
「彼女には恐らく何か企てがあって、それに『聖定』がある。天意を測ろうとしているのでしょう」
『ラプラスの魔物』は万軍の王。現世のありとあらゆることを自由に行えるが、それが摂理に反した時、『マクスウェルの悪魔』がこの世の全てを破壊してでも止めに行く。
「幼いから仕方ない、という者もいますが『ラプラスの魔物』を継承した時点で何歳であっても関係ないのです。全てを識るのですから」
「祭り上げられた少年って……」
問うたロジェの頭の中には一人の人物が浮かんでいた。無邪気に笑い、子供の価値観で権力に溺れる人間。
「ミカエルというそうですよ。各地で奇跡を見せて回っていて、とうとうこのノルテにも来たとか。私も一度会ってみたいものです」
ミカエル。あの少年の笑みはどことなく不気味だ。無邪気さの裏に大人らしい感情を隠している。
「さて。私からの話はここまで。事件についての資料は準備しておきますから、明日また来なさい」
「……あ。アイス食べるの忘れてた」
「呑気だなお前は」
ロジェとヨハンは逃げる様にしてファクティス邸を後にした。あの屋敷にはファクティス一族以外に人間はいないらしい。普通の屋敷には無いような部屋……『油差し部屋』とか、『付属ネジ室』とか、『充電室』なんてのがあった。
庭には零れんばかり薔薇が咲いていたが、よくよく見ればガクに蝶番がついている。それを庭師の人形が世話していた。機械が機械を世話している。
「もうあの家を博物館にした方がいい気がするんだが」
夕日で伸びた影に、ヨハンは石ころを蹴った。煉瓦の音を跳ね返して、道行く道へ転がっていく。その道の先はどんどん細くなって行き、人一人が入れるかどうかぐらいの狭さになった。その向こうから賑やかな声が聞こえる。
「……何だか賑やかね」
「祭りか?」
ロジェはゆっくりと路地裏から視線を伸ばした。人々はある人物を祭り上げ、丁度少女の前で神輿に担ぎ上げられている。
「いいえ……」
神輿に乗っていた少年はゆっくりと、少女と目を合わせた。
「救世主サマ、よ」
それはスローモーションの光景だった。少年は真っ直ぐに路地の方を指す。慌ててロジェが離れてももう遅い。人形みたいな漆黒の人間の目がロジェを凝視する。
それはさながら宗教画。聖水のような透き通った目に、金剛石の髪。なにも知らなければ正しく彼は王子様であり、それこそロジェは貶めんばかりの魔女だった。
ロジェとヨハンは走り出した。ファクティス邸に行くまでの道を右に曲がり、複雑に入り組んだ路地を走りに走る。
「魔法で飛べないのか!」
「今この状態で飛んだら間違いなく乱戦になるわよ!」
「要するに相手が魔法使いじゃなければ良いんだな!?」
「それはそうだけど!」
そんなことって出来るの?と言う言葉は、ヨハンの急停止によって遮られた。路地の壁に隠れると、三、四人の老若男女が二人を探している。
「お前、俺をミカエルの姿に変えれるか」
「出来るけど……それで欺くつもり?無茶よ!」
「静かにしろ。出来るかどうか分からないが、やるしかない」
ヨハンの強い視線と迫り来る足音に、ロジェは『ヴァンクール』を起動した。可能な限りミカエルの姿を思い浮かべてそれをヨハンに投影する。服も変えさせた。先程の神輿に乗っていた少年と瓜二つだ。
足音はもうすぐ側だ。ヨハンは何も言わずにロジェを押し込み背にしてばっと影から飛び出す。
「ばぁ!」
「み、みみ、ミカエル様……!どうしてここに……!」
「僕もここ探してたんだ。ふふ、おそろい、だね」
ロジェは恐る恐る影からヨハンの後ろ姿を覗いた。なんだ、あれは。
「しかしミカエル様は先程まで神輿にいらしたはず……」
「君達が探してるんだよ?僕も探さなきゃね。羊飼いが羊を探さなきゃ、誰が羊を探すのさ」
ロジェは使った魔法を疑った。何もかもおかしいのだ。そこにいるのはミカエルに変じたヨハンなはず。なのに、寸分違わぬ『ミカエル』がいるのだ。声を上ずらせて『ミカエル』は続ける。
「大丈夫……僕達には、オルテンシアの加護がある。何にも心配することないよ。絶対に上手くいく」
ふとした瞬間に剣の宝石に触れる癖。よく分からない事をそれらしく言う仕草。態とらしく手を上げるその様。そよ風に揺れる髪も。全て狙ったかのように、想定されているかのように。何か祈るかのポーズをしているのだろうか……『ミカエル』は言う。
「オルテンシア様の加護は……もっと向こうを示してる。僕は後で行くから先に行ってて欲しい」
はい!と老若男女は声を合わせて、『ミカエル』の言った通りの方向へ走って行った。後ろ姿が小さくなったのを見て、『ミカエル』は深く息を吐く。
「行ったぞ」
「……なに、いまの」
「何ってなんだよ」
振り返った表情は正しくヨハンだ。ミカエルは間違っても、あんなひねた顔はしない。
「いまの……今のよ。その……えっと……」
「戻してくれないか。動きにくくて敵わん」
「え、えぇ……」
ロジェは魔法を解いた。姿形は間違いなくヨハンだ。恐る恐る、伸びをしている男に問うた。
「あの……貴方、ミカエルと面識があるの……?」
「ある訳ないだろ」
「じゃあ、なんで……その……ミカエルと、そっくりな……」
蒼い目が、深くなる。その目は探求を示す。それ以外の意思は無い。
「お前の真似もしてやろうか」
「……へ……?」
ヨハンの手は無遠慮にロジェの腹を押した。背後に路地の冷たい壁を感じる。不思議と吐き気は出て来ない。
「ロジェスティラの真似をしてやる。思考回路、息をする腹の膨らみ、心臓の鼓動、口に物を運ぶその瞬間まで」
腹、心臓、そして唇。触れられた傍からそこは冷たくなる。最初から無機質だったかのように、ロジェは自身を人形と錯覚した。ぐっ、と首を掴まれる。
「それこそ、あの屋敷の人形みたいに」
待って、と叫ぶ前に、思考回路が呟かれる。ヨハンは空いた手でロジェの髪を触った。その髪の触り方は間違いなく悩んでいる時のロジェの癖だ。次は『ヴァンクール』に伸びる。腕に巻き付くその手は戦闘の前の仕草。
「精神性が揺らいで……ロジェスティラは自己を保てなくなる……その時お前は……それでも君は……」
男はロジェの手をゆっくりと自身の胸に当てた。心臓の鼓動が、いっしょ。それに恐怖を感じて息を飲めば、それすらもいっしょ。
「本当に〝いる〟と言えるんだろうか?」
目の前の男は愉しそうに笑っている。拍動はずっと同じで何か考えようとしてもそれすらも同じだったとしたら。記憶が仕草が魂を作るのだとしたら、この男の中には少女の魂が確実にあるということで。それなら本当に、私は、あたしは、わたしは……!?
「ひっ……は、げほっ……!」
ヨハンは静かに錯乱してむせたロジェを離した。お辞儀をするような形で少女は男に倒れ込んだ。
「自己同一性が弱いなぁ。その精神性で魔女なのか?」
ロジェはヨハンの胸に手を当てた。鼓動は別だ。呼吸も別……。安心して、その手を下ろす。
「……おいおい。壊れるにはまだ早いぞ。俺を殺してくれるんだろう」
今のは魔法じゃなかった。何かの特異能力でもない。ヨハンのアレは、間違いなく特技に区分されるもの。だけどアレは〝特技〟とかいう言葉では括ることができない代物だ。
「……っ……あんた、一体何者なの……?」
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