第29話 人間のアパタイト

「……恐ろしいな」


「うふふ。まずは受付にどうぞ。展示場には『クララモデル』の初期の試作他、老若男女、最新の試作機まで御座いますよ」


それでは、と人形は頭を下げて元の持ち場へぎこちなく戻って行った。光が溢れるクリーム色の壁のエントランスでも同じ顔をした自立式人形が接客をしているのが見える。


「……私、今までファクティス家の作る人形は完璧だと思ってた」


だけど前言撤回するわ、と少女は付け加えて。


「何だか、すっごく妙ね」


「不気味の谷は越えられんかったか」


「多分ファクティス家は皆フランケンシュタイン・コンプレックスの持ち主なのよ。考え方ってそうそう変えられるものじゃないわ」


ぽつり、と少女は呟くようにして。


「由緒正しい家なら、なおのこと」


ロジェの瞳は遠くを見詰めていた。その目に映るのは過去か未来か現代か。少女らしくらぬ表情に、ヨハンは笑みを零した。


「……なるほど。ココがウケるのが何となく分かった気がする」


ヨハンはロジェの手を引いて、


「行こうぜ。俄然興味が湧いてきた」








うふふ、あはは、と笑っている。ら〜ら〜、る〜る〜、という歌声も聞こえる。海を模した縦長の大きな水槽の中、人魚の自立式人形が自由気ままに歌い泳いでいて、その前に二人は座っていた。


ここは折り返し地点。人魚の水槽の前には座ったり寝転がったりする空間があって、たくさんの人がぼおっと空を見詰めていた。クララモデルの現在に至るまでの改良を見て、老若男女のモデルも見た。モーションの改善、あまりにも人形人形していた関節を人間的に変化させ、燃費の良さも年々更新していった。


泳いでいる人魚は皆、それぞれ違う姿をしている。長い黒髪をたなびかせ泳ぐ者、金髪を濡れた肌に張り付かせ岩の上で休む者、短い茶髪を不満そうに水中で触る者、銀髪を浜辺で編む者。


……その水槽の説明書きには『近年開発された人魚自立式人形。汚染された海を美しい海に復活させるろ過装置を持っている。人魚自立式人形をインテリオール海沿岸に放ち神代の海を取り戻す『エンシャント・コーリング計画』が進行中である』と書いてあったのを、ロジェはさっき見た。


水槽の隣には尾びれだけ置かれた展示もある。内容は忘れたが、尾びれの動きが未だ不自然なので、改良の余地がある……ということらしい。ロジェはあまりそう思わなかった。


思っていたよりも、この博物館は精神的にクる。自己同一性が揺らぐのだ。人魚の歌を聴きながら、ロジェは呟いた。


「……私も歌おうかな」


「得意なのか?」


「魔法使いは呪文の詠唱をするでしょう。中には吟遊っぽいのもあるから、基本的に歌は得意なの」


得意げな表情を作って、


「ま、私が一等上手いんだけどね」


「……ふふ。是非いつか聞かせて貰いたいものだな」


「じゃあ歌ってあげ」


「よし次見に行くぞ」


「ちょっとお!」


スルーしたヨハンを追って、ロジェは人魚エリアを出る。次の展示は『自立式人形のこれから』だ。残り半分を最終章に使うとは、かなり贅沢な構成だ。


「もうちょっと構成あっただろ」


「歴史とか詳しく知りたかったなぁ……」


静謐に満たされた展示場を切り裂く声が二人の耳をつんざいた。


「なぁ!『あの質問』聞いてみようぜ!」


「じゃあ俺が聞くわ!」


若い男二人が博物館にそぐわぬ大声でクララモデルに話しかけている。


「何かお困り事でしょうか?」


「『最近の事件について、どう思いますか?』」


男達は下品な笑いを堪えながら問うた。人間が欲しい会話の間の後に、クララモデルは答える。


「その質問にはお答え致しかねます」


ニヤニヤしていた男の顔が、直ぐに苛立ちに変わった。


「なんだよ。エラーにならねぇじゃねぇか」


「おもんな。行こうぜ」


不思議そうに見ていたロジェは、男達が行ったのを見計らって廊下で案内していたクララモデルにおずおずと声をかける。


「あの……さっきの質問って……」


「あら。二時間五分四十三秒前に来館された方ですね。お楽しみ頂けていますか?」


ヨハンは苦虫を噛み潰したような表情で言う。


「……記録を共有してるのか?」


「勿論でございます。共有しておけば、緊急時にも対応しやすいので」


にこ、とアンドロイドは微笑んだ。そこにいと険しき不気味の谷がある。


「あぁええっと、さっきの事なんだけど……」


「ああ、あれですね」


くすくす、とスタッフは笑い続ける。


「最近の事件……ファクティス製のアンドロイドが暴走してるって事件があるんです」


先程のスタッフ用の表情に戻して、


「そんな事ある訳ないのにねぇ。あの質問をした際に何かのミスでエラーが発生したようで、イタズラ目的で質問される方が多いんです」


「物はいつか壊れる。ファクティス家だって完璧じゃない。妄信するのは愚かじゃないか?」


笑顔を浮かべてアンドロイドは首を傾げた。ヨハンは揶揄のつもりで言ったのに、そんなよく分からない表情──揶揄や暴言に対して、分からないふりをしているとか、そういうものではないなんとも言えない表情──をするなんて。


「……そこは嫌そうな顔をするのが普通だと思うんだがな」


「そうなのですか?学習しました。それではごゆっくりどうぞ。何か質問があればお答えいたします」


アンドロイドは廊下に向き直ってまた観覧客を案内し始める。


「アンドロイドの暴走と、邪教……何か関係があるのかしら」


「どっちにしろ物騒な国ってことだ。行こう」


ヨハンはロジェが来るのを待って歩き始める。『自立式人形の脳』という展示には、水槽に浮かぶ脳がある。脳といっても人間のような肉々しいものでなく、楕円の鉄球に魔道式書かれた細い布が幾重にも巻き付けられているものだった。手前には『歩行』『手の握り返し』『腕』の三つのボタンがある。


「歩行……」


ヨハンはそう呟いて、『歩行』と書かれたボタンを押した。魔道式が緑に光り、隣にあった足がゆっくりと動く。何回も連打すると、その分早くなった。ていうか押しすぎ。ボタン壊すつもりか。


「ちょちょちょ!押しすぎよ!壊れちゃったらどうするの!」


「近くにいるクララモデルが直してくれるだろうよ。ほら、お前も押してみるといい」


「えぇ……あんまり気持ちのいいものじゃないわ……」


恐る恐る、ロジェは『手の握り返し』を押した。開いていた手はぎゅっと握られて、また伸びる。


「これは思考をするものなのかしら」


「反応を見やすくしているだけて、思考はしないらしい」


ここに書いてある、と彼が指したその先には同じ文言が書いてあった。


「じゃあ実際の脳とはまた違うのね?」


「そうだろうなぁ」


次の展示を見に行こうとした瞬間だった。刹那、発砲音の後に女の悲鳴が轟く。二人は顔を見合せて人をかき分け声のする方へ走った。展示が終わったミュージアムショップの前で、脇腹を撃たれたらしい女は倒れ、撃った男は周りを睨んでいる。


「ち、近寄るなァ!」


「銃を置け」


ヨハンは銃を構えると男に近寄る。ロジェも『ヴァンクール』を起動して、倒れ附した女へ治療を施す。


「お、お前は何も分かってない……分かってない……」


「銃を、置け。さもなくば撃つぞ」


「イーリス様に助けて貰うんだ!彼女は救いを与える神だ!」


ロジェは何も言わずに雷の魔法を使って男の手を痺れさせた。激しい音を立てて銃は手から落ちる。


「な、なにを……!」


「手を痺れさせただけよ。命に関わるものじゃないから安心して」


男はとんでもないものを見る様な目で、ロジェを睨む。身体を痙攣させたあと、そして何かが割れたような……おおよそ人からしてはいけないような音がして、


「ええェえええ……ェrrrrrrrrrrr」


「銃撃隊!発砲!」


男は発砲によって痙攣した。首をゆっくり動かして、銃撃隊の方を向いて言うことは、


「お、おmえが……」


女の上に重なる様にして、倒れた。それを見てヨハンも銃を下ろす。


「処分しなさい」


男が視線を向けていた先には長身の老婦人が立っていた。目は強き薄紫色、良く手入れされた白髪は綺麗にまとめられ、細身の黒いドレスが存在感を放っていた。


心地の良いヒールの音を響かせて二人の前に立つ。ヨハンも大概長身だと思うが、彼と変わりない身長だ。


「貴方達がこの場をおさめて下さったのですね」


「私達はなにも。少し時間稼ぎをしただけです」


「お礼を言わせて下さいな。是非私わたくしの家にいらして欲しい」


老婦人はさっきの険しい表情を忘れたかのように、綺麗な笑みを浮かべて問う。


「……その前に。貴女は誰だ?」


「あぁ。申し遅れました」


老婦人は輝いている。しかしその足元には血溜まりが出来ていて、銃撃隊がそれを拭いているという……この博物館と良く似た、異質な光景であった。


「私は現ファクティス家当主、アナトリエヴィナ・ファクティス。アナで構いません」


「私の名前はロージー。この人はヨハンです」


ふふ、とアナは感情の見えない笑みを零した。


「こんな所で話すのもなんですし、早く私の馬車に乗って下さい。家で暖かいお紅茶をお出ししますわ」








「さぁ、温かいうちにどうぞ」


ロジェとヨハンはきめ細やかなふかふかのソファの上に座っていた。ここはファクティス邸の庭の奥。人工湖のほとりに立つ、小宮殿の中だ。その名の示す通り、装飾は豪奢だが丸い一部屋しかない。四方に付けられた窓には金の柱、絹のカーテンが取り付けられている。


「ありがとう。頂くよ」


ヨハンが紅茶を口で転がして、ロジェに一瞬だけ視線を動かした。


「美味しいお茶だな」


これは大丈夫ということだろう。ロジェも恐る恐る紅茶を口に含んだ。


「喜んで頂けて何よりですわ。お菓子もありますのよ」


銀皿の上には、ガレットに小さなケーキ、フロランタンにカップケーキまで、所狭しと並べられている。


ロジェはそれに手を伸ばそうとして、そのまま手を下ろした。


「お気に召しませんでしたか?」


「……いや。私、そんな呑気じゃないので」


ヨハンはアナを真っ直ぐ見すえるロジェに視線を動かす。


「何が目的なんですか?お礼をするにしては少々人が居なさすぎるように思えますが」


「……あら。見た目よりも話が早い子ですね」


「褒め言葉として受け取っておくわ」


微笑みを消してアナはカップから手を離した。


「別に貴方々の命を狙っている訳ではありません。そうだったら抵抗出来ないように “もう” してますもの」


老婦人は手を上げると、闇の中からぬるりと人形が這い出てきた。全ての指には光り輝く指輪、博物館でも見た神器『カンタレラ』。人形はアナの後ろにぴったりと張り付くようにして立ち、瞬きしながら虚ろな目で二人を見ている。


「水色のドレスが鉄礬柘榴てつばんざくろ。赤色のドレスが灰鉄柘榴かいてつざくろ。どちらもファクティス家の至高と呼ばれる『極天人形』です」


二体の人形は、高い背丈は同じだったが、鉄礬柘榴てつばんざくろは揺らめく水底の瞳に仙かと紛うほど煌めく金髪なのに対して、灰鉄柘榴かいてつざくろは夜闇を煮詰めた黒髪に燃え上がる夕陽の色だった。


服は前者も後者もフリルがたっぷり付いたドレスだったが、前者は水色で赤色だ。その色に合わせて各々、大きなリボンがあしらわれた女優帽を被っている。


「どちらもピエール様の生まれ変わりと言われたメアリー様がお造りになった人形です。大元は変わっていませんが、私の数代前から灰鉄柘榴の髪色を変えましてね。元は二体とも金髪だったそうですが……髪色が変わってもこの美しさは変わりません。それよりも一層、美しくなったように思える……」


やたら饒舌に語り出したアナを横目に、ヨハンは最後の紅茶を飲み干した。


「こんなことを話しても仕方ありませんね。貴方々はどうやら人形には興味の無い方々みたいだし」


ロジェもお菓子に手を伸ばしてぽいっと口に放り込んだ。


「興味が無いというか、顕世けんせの外側のヒトのようだから」


アナはちらりとヨハンを見やった。


「特に貴方とか 」


「……そういうって分かるのか?」


「人によりけりじゃないかしら。少なくとも私には分からなかったわ」


ロジェはぬるくなった紅茶に自身の顔を移した。茶と目の色が同化して、混ざる。


「ヒトを創るヒトは、そういうのに過敏なのでしょう。ヒトの役目の外側にいる」


「つまり俺が同族だと?」


「そう言ってるんじゃない」


「そこまで頭はイッてない」


「私から見ると同じだけどねぇ」


「貴女も人間らしい人外ですね」


口を挟んだアナに、ロジェは強く言い返した。魔女は人間であるから魔女なのだ。人外になって魔法を行使するのなら、魔女ではない。いやしかし、普通の人間から見れば魔法が使える時点で人外なのか……?


「心外だわ。私人間だもの」


「それ心外と人外掛けたんですか?」


「かけてない」


アホみたいな質問に、ロジェは紅茶を飲み干した。カップを下ろしたその先でアナは微笑んでいる。


「それで、私達に何の御用?」


「……これはこれは。立場が逆転しましたね」

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