第26話 帰還すべきバシレイア

「……どうする?」


あの恐ろしい一言を聞いたロジェは、アイリスの誘いを断って欲しかった。が、それを聞いていないヨハンが拒否する訳もなく。


「世話になるか」


『やったぁ!久しぶりのふかふかベッドだね!』


ロジェの影の中から使い魔が飛び出してくる。何かあっても自分には魔法がある。戦うことにかけて誰かに迷惑をかけることは無いし、何より今日は宿がない。この承諾を受ける他ない。


「たくさんおもてなしをさせて頂きますねーっ!楽しみだなぁ、案内しますね。こっちです!」


二人の返答を聞くまでもなく、アイリスはさくさく先に歩いて行ってしまう。今日はもう街に用は無いし、怖いけどさっさと休んでしまおう。


噴水を抜けると大通りに出て、その大通りを真っ直ぐ行くと、人の往来と茶色の煉瓦造り建物がまばらになってくる。


何棟目かの先、開けている道がある。途中から農道になっているのが見えた。田んぼだ。少し農道を歩いた先に、灯りがついた綺麗な村が見える。


「俺の生まれたところもこんなところだったよ。懐かしいな」


「ヨハンは農家の生まれだったの?」


「そうだ。事情が事情だったから、直ぐにある人に引き取ってもらったがな。天慶国に流れ着いた時は懐かしくて堪らなかったよ」


あのう、と先導していたアイリスは恐る恐る二人に振り返る。


「お名前……聞いてなかったですよね。私ったら早とちりしちゃって……」


「構わないわ。私の名前は……」


言いかけてロジェは止めた。ちらりとヨハンを見ると、ヨハンも同じことを考えている様だ。自分達はお尋ね者だ。名前を言って売られることだけは避けたい。


「……えっと、お名前は?」


口を開かずにきまり悪そうに目をそらすロジェに、アイリスは何かを察した。


「何か事情がおありなんですね。それなら私、なにも聞きません。それに私も事情があるし……」


後ろ向きに歩きながらアイリスは名案を提案する。


「私の秘密を言ったら、名前も教えて下さいますか?」


「内容による、かしら。貴女がそれを言って、困るような……」


「契約ですね」


間髪入れずに返される。あぜ道が真っ暗になったような気がする。もしや、と思いながらロジェは静かに呟いた。


「……そうね」


「分かりました。家に着いたらお教えします。神に誓って言いますが、旅人さんがどんな人達であれ、絶対に売り飛ばしたりしません。それだけは信じて下さいね」


村はもう目の前だ。開いている門をくぐると、まだ少しだけ往来が残っている。


「さぁ、着きました。あの小高い丘の上にある家が私の家です。今日はゆっくりしていって下さい」








「ただいまぁ、お父さん。今日はどうだった?」


「お帰りロージー。おや、その人達は?」


玄関に入ってすぐのカウンターには、一人の父親らしき男が新聞を広げて座っていた。娘の声に呼応してそれを閉じると、二人を見遣る。


「泊まりたいんだって。お金は持ってないらしいから、代わりに働くって」


「ふむ……君、何が出来る」


「傭兵紛いの事は。……あぁそうだ、動物も捌ける。危ない仕事でも何でもしよう」


ヨハンは白衣を広げると、内布にくっついている短いナタを見せる。


「なるほど。君は?」


「魔法が使えるわ」


「魔女か。なら有難い。明日から頼もう。なぁに、仕事と言っても大したものじゃあない。ちょっと力仕事をしてもらうくらいさ」


男はカウンターの下に潜ると、何も聞かずに二人に鍵を渡した。


「食堂は廊下の途中にある。部屋はその奥だ。ゆっくりして行きな」


「旅人さん。こっちです!」


アイリスが二人に手を振る。言われるがまま少女について行った。廊下の突き当たりには古びた木の扉があり、その手前に食堂が見える。


ロジェはちらりと食堂を中を覗いた。広いキッチンには大窓がついて、夕暮れに揺れる村々が写っている。清潔感のある明るい白地の石造りの台所にはハーブの香りが漂っていて、ワインの匂いもする。ぐつぐつと大きな鍋がコンロの上で揺れていた。


隣の部屋には横テーブルと椅子がある。おおよそ十人は座れそうな食堂だ。こんな雰囲気の良い宿にタダで泊まっていいのだろうか。


やっとのことで古びた扉を開けると、夕方のひんやりした風が頬を撫でた。廊下が外に剥き出しになっているのだ。柱にはツタが絡まって花を咲かせている。


「ここです!」


廊下には四つの部屋があり、その奥二つがヨハンとロジェの部屋だった。


「そうだ。私の秘密……少しお部屋の中で待ってて下さいね」


それだけ言うとアイリスは食堂の方へと戻っていく。後ろ姿を見ながら、ヨハンは呟いた。


「何はともあれ良かったな。衣食住の心配がない」


「そうね。久しぶりにゆっくり眠れるわ……」


『やぁっとふかふかお布団だよぉ』


ロジェは鍵を回して部屋の中に入る。縦長の部屋で、奥に窓、ベッド、机と椅子がある。ロジェは放心状態でマントを脱いで荷物を手から離した。


「……ふぅ」


一息ついた瞬間に扉が叩かれる。慌てて扉の方に振り向いた。


『旅人さーん!入っていいですか?』


「構わないわ。どうぞ。素敵な部屋ね」


「えへへ。私がレイアウト考えたんですよぉ」


ロジェはアイリスを招き入れると、部屋でぼんやりしていたヨハンを自室に引っ張る。戻ってきたアイリスの手には、掌くらいの黒い瓶があった。


「見てて下さいね」


きゅぽ、と景気のいい音がして瓶が開くと、何かの匂いが部屋に立ちこめる。アイリスは笑顔でそれを一気飲みした。そして飲み終えると、瓶の縁から口を離した。


「ご覧の通りです」


先程まで琥珀色だった瞳は真っ赤に変わり、獣の瞳孔が開いている。薄水色だった髪の毛は月の銀髪に満ち欠ける。


「……君は吸血鬼なのか?」


「そうです。私の家は吸血鬼なんです。といっても、半吸血鬼の半吸血鬼……ほぼ人間と変わらないんですが……」


中身は変わっていない、アイリスそのままだ。ガイドの時の口調と同じ様に、淡々と説明していく。


「先程も申し上げた通り、我が国では現在吸血鬼に対する風当たりが強い。バレれば恐らく連れて行かれるでしょう」


銀髪も獣の目もいつの間にか元の色に戻ったアイリスは、ロジェの顔色を伺う。


「これで、旅人さんの名前を教えて貰うに足りるでしょうか……?」


「もちろん、約束だものね。でも何で……」


高い金属音の様な音が聞こえて、慌ててロジェは耳を塞いだ。頭が痛む。


「……ロジェ?どうした?具合が悪いのか?」


『最近たくさん魔法使ってたからじゃない?』


ヨハンとサディコの声で耳から手をどかした。何だあの音。金属音のような、超音波のような……もう少し耳を澄ませば何か聞こえそうな……


「……ううん。大丈夫」


それなら良いが、と心配そうな顔を隠せないままに、ヨハンはアイリスへと告げた。


「……俺の名前はヨーハン=絽紗(ろしゃ)・バックランド。ヨハンでいい」


「私の名前はロジェスティラ・ヴィルトゥ。長いからロジェでいいわ」


『ぼくはサディコ!ロジェから名前を貰ったんだぁ』


「うふふ……皆さん良い名前ですね。私、名前を知れてとっても嬉しいです」


アイリスがまた口を開こうとした途端、向こうから男の声が聞こえる。どうやらアイリスの父親が呼んでいるらしい。


「行ってくる。サディコ。お前も来い」


『えぇ。やだよぉ。疲れるじゃん』


「護衛代わりだ。行くぞ」


やだやだぁ、と駄々を捏ねるサディコを引きずってヨハンは出て行く。ふとアイリスはロジェの髪を撫でながら呟いた。


「ロジェさんの髪は赤いんですね」


「そうなの。目立つから色を変えた方が良いかしら……」


「中央のマグノーリエだと目立つと思いますけど、ここだとそうでもないと思いますよ。ノルテは赤髪が多いですから」


「そうなの?」


「北の方は赤髪が多いんです。ほら、来て下さい」


アイリスに手を引かれるままロジェは外に出た。中庭を抜けると村の広場に出る。人の往来はもう残り少ない。


「あ!お姉ちゃん!」


幼女はアイリスの姿を認めると駆け寄ってくる。髪は赤色。確かに他の村民を見ていても赤髪を多く感じる。


「こんにちは、アイリス。今日もお母さんの言うことを聞いてお利口にしてた?」


「してたよ!」


幼女はロジェと目が合うと、アイリスの後ろに隠れる。


「……えっと……お姉ちゃんは……?」


ロジェは幼女に目線を合わせて微笑む。


「こんにちは。私は旅をしている者よ。この村は良いところね」


「……うん」


そのまま完全に隠れてしまった。アイリスは隠れた幼女の頭を優しく撫でた。


「すいません、この子ちょっと人見知りで……」


「気にしてないわ。私もこれくらいの歳の頃は碌に人と話せなかったもの」


幼女は固まって礼儀正しく頭を下げるとそのまま何も言わずに走り去って行った。ふと頭に浮かんだ疑問をアイリスに投げかける。


「そう言えば……あの子もアイリスなの?」


「そうです。この村には大昔、アイリスっていう女吸血鬼がいたんです。それにあやかって女の子にはよくアイリスって名前をつけるんですよ」


笑いながらアイリスは説明を続ける。


「ただ……なにぶん『アイリス』が多すぎて、ミドルネームで判別することが多くて。私だったらローズマリヌスだから、ロージーのアイリスって呼ばれたりするんですけど」


「……ロージー、ねぇ……家に居た頃よく呼ばれたわ。懐かしいあだ名ね」


ロージー。特に母と姉達がロジェを呼ぶ時に使っていたあだ名だ。寡黙な父はロージーともロジェとも略さずにロジェスティラと呼んでいた。今思えば、あれはきっと愛だったのだろう。あれほど疎んだ家さえも、今はもう帰りたい場所になっている。


「そうなんですか?ロジェさんも、ロージー……?」


「そうよ。奇遇ね」


「あ、あの……ロジェさんさえ嫌じゃなかったら、ロージーって呼んで良いですか?私……あんまり友達いなくて。ロジェさんと友達になりたいんです!」


「……私、旅人よ?いつか去ってしまうのに、仲良くなるのは辛くない?」


アイリスは真剣な顔をしてゆっくりと首を横に振った。


「何言ってるんです。別れだけが人生なんです」


頭の中に浮かんだ言葉を纏める間もなく、アイリスは続ける。


「わ、わたし……宿屋の娘だから分かるんです。別れは辛いけど、でもそれを踏まえても大事なことで……」


彼女は手をぎゅっと握りしめて、静かにロジェの目を見つめる。


「思い出は消えないから。だから私、貴女と友達になりたい」


ロジェは交互に少女の掴んだ手と顔を見詰めた。


「……ふふ。友達を作るのは久しぶりだわ。宜しくね、ロージー」


あだ名を呼ばれてアイリスは大きく目を見開いた。そして顔が綻ぶ。


「はい!宜しくお願いします、ロージー!ふふ、そうと決まれば……!」

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