第25話 天変のデーフェクトゥス

「良いんじゃないかしらぁ。少なくとも理由つけは出来たでしょう」


オルテンシアはすっと立ち上がった。茶器もテーブルも全て消える。


「ですが、レヴィ家はお嬢様の『秘密』を知っています」


「それでも、よ。事実、あたしが『マクスウェルの悪魔』に会いたいのは本当のことなんだから」


テュリーを横切ってそのまま部屋を出ていく。執事もその後を着いて行った。


「こうすれば、ロジェスティラお姉ちゃんとあの子達が出会うでしょう。相打ちになってお互い死んでしまえばそれだけだったという事よ」


「何故お嬢様はそこまでして、『マクスウェルの悪魔』にお会いになりたいのですか?」


オルテンシアは先程居た部屋と同じ様な廊下の途中で、俯きながら止まった。


「あたしには野望があるの。その野望が正しいのか間違っているのか、それを知りたい」


テュリーはぼんやりと虚ろな目で此方を見ている。それが示す答えを少女は分かっている。のに、天意を計る行動を取っているのは、自身が神たる故なのか。


「行きましょうテュリー。もう一度お茶を淹れて頂戴」


「畏まりました」









扉を開けた先は店だった。正しく言うと、物置地味た店だったが。ありと凡ゆるものが所狭しに置かれ、奥に座った人影が見える。


「ね、ヨハン。あの人?」


その人影をじっと見ていたロジェは、ヨハンに尋ねる……が、当の本人の姿はどこにも見えない。視線を下げると足元に飾られていた剣に釘付けになっている男がいる。


「……あんた、何してんの?」


「いや、良い武器だと思ってな……買おうかな……」


「持ってる分で充分だって言ってたじゃない」


うーん、とヨハンは唸る。粘らないで欲しい。渋々諦めた彼は、身体を起こした。その視線の先にあった、陶器の写真立てに飾られた写真に動きを止める。


「この写真……」


「珍しいだろ、あんちゃん」


人影が身体を起こした。その影は男だった。歳は五十代くらいで古ぼけ煤けたスーツを身に纏い、肌は異様に白く痩せこけ、ちょび髭を生やして紅い目を爛々と輝かせている。


「それは別世界の写真だ。向こうの世界から来たヤツが持って来た」


「転移者が来たのか?」


ヨハンは目を見開く。ロジェはそれを横目に写真に手を伸ばした。古写真で、青と赤の国旗の前で微笑む少年少女の写真だ。


「来たと言っても大昔の話だ。向こうの世界はもう魔法が無いからな」


服も景色もこの世界とそう変わらない。決定的なのは魔法がない、ということだけだ。


「別世界の写真はとんでもなく高くつく。幻視を持ってないモンはそういうのに憧れる」


「なるほどな。ソイツは何か言ってたか?」


「何も無かった。ただ金が欲しいからこれを売ったのだと。……そういえば名を聞いたな」


「何て名前だったの?」


「確か……ギルトー・エイルズだったか。変なヤツだったよ」


ロジェはヨハンを押しのけ店主に近づく。


「ね、ねぇ!その人、どんな人だったか覚えてない!?些細な事でいいの、お願い!」


「えぇ?どうしようかな……」


「金は出す。そもそも俺達は『扉を通る為の古い鍵』が欲しくて来たんだ。……これで戸籍を作ってくれるんだろう?」


「はっ!なるほどね、いいぜ。二百はかさ増しで出せよ」


「……足元見やがって」


ヨハンは睨みながら二百と幾ばくかを渡すと、店主はそれを数え始めた。そしてそれがぴったり当て嵌ることを知ると、とぼけた顔をして話を続ける。


「あー、でなんだ。ギルトーだな。変わった名じゃないか?しかも偽名だしな」


『偽名?なんで分かったの?』


「使い魔だったら分かるだろ。名を縛ろうとしたんだよ。大した理由じゃない。買取で揉めたんだ」


よくある事だよ、と店主は続ける。


「で、失敗した。聞いたら偽名だとよ。先を急いでいるから早く済ませて欲しいとも」


店主は写真立てを浮かせ、手元へ手繰り寄せる。男はその中の写真を取りだした。


「それなら契約だ。奴は自身の血一瓶と引き換えに莫大な金を手に入れた。これはぼったくりじゃないぞ?血と写真を合わせた分、きっちり渡した」


写真の裏を、一行に見せる。そこには『あなたの助けに M』と書かれていた。


「余程身元が割れるのが困るらしい。血を飲んだあと瓶ごと消滅しやがった。変な奴だったよ」


「容姿はどんなのだった?」


「それが……覚えていない。小柄だったのは覚えている。ただ見た目だけ、くっきり抜けている。まぁ考えられるとするなら……」


ロジェにはメッセージに何か覚えがあった。筆跡が姉の物と似ている。手を伸ばそうとすると、写真を片付けられてしまった。


「まず一つ目はこの世界に来てまだ日が浅い、転移者だという可能性。二つ目はその他の、『その時間に存在が許されない』者だ」


「……例えば、どんなのがあるの?」


「お嬢ちゃんは魔法使いだろう。授業で習ってないのかい?」


顎に手を当てて思案する。世界の移動を伴う空間転移魔法の範囲でやったやつだ。


「んー……あ、確か……。まずは過去に飛んでいる者よね。他者と関わりが深くなればなるほど、その記憶があっては困るから、いた事は覚えていても詳しいことを覚えられない」


もう一つはあれだ。平行世界を跨ぐ為の計算が良く出るやつだ。


「二つ目は……平行世界を跨ぐ者。その者に不可がかかりすぎるから、存在が揺らぐ」


そうだな、と店主は満足した様に呟いた。


「さて……もう良いだろう。商品は渡した」


「戸籍が欲しいんだが。さっさと渡せ」


ヨハンは語気を強めて店主に詰め寄る。


「そんなもん渡すとは言ってない。お前が勝手に無駄に金を渡しただけだ。久しぶりに人肉を食べたいところだったし、イーリス様に供物を捧げなければな」


「ロジェ、下がれ」


ロジェの前にヨハンは手を差し出した。いつも使っていない白い方の拳銃に弾を込める。銀製の銃弾ではなく、感覚を同期させる魔法弾しかない。二重の意味で『銀の弾などない』のだ。


「死ね!今度はお前らが商品だ!」


ヨハンが引き金に軽く力を込めた瞬間だった。扉が開いて、明るい少女の声が響く。


「待ちなさーいっ!」


袋状の様なものを、店主に目掛けて投げつける。


「お前は……い、いやまさか!」


何か言いたげだったが、袋状のものを投げつけられた男は、泡を吹きながらそのまま後ろに昏倒した。


「や、やっぱり着いてって良かった……。早く逃げましょっ!こっちです!」


少女の言う方に一行は走る。薄暗い店内を抜けると少女の姿がよく分かった。あのガイドの少女だ。人が多い広場へ辿り着くと、ロジェは肩で息をしながら呟いた。


「はぁ、あのっ……貴女、確か、アイリス……」


「まぁ!名前を覚えて頂けたんですね!嬉しいわぁ」


「助かったよ。吸血鬼退治が得意なんだな」


ヨハンは拳銃をしまってアイリスに礼を述べた。


「な、なんていうか……洗ってない十年前の靴下にニンニクと十字架詰めて、投げただけなんですけど……」


『それ普通の人でも死ぬよ多分』


「兎にも角にも助かったわ。ありがとう」


「えへへ。良かった。最近はああいった邪教が蔓延ってて……気を付けてくださいね」


「邪教?」


聞き慣れない言葉に、ロジェは首を傾げた。この世界には創造神が存在するが故、それを崇める宗教はもちろん存在する。


天慶国の様な自然を崇める宗教、特異なものとしては『マクスウェルの悪魔』を崇める宗教などもあるが、どれ一つとして邪教と戒められるものはない。


「イーリス教、というのです。過激な吸血鬼達が、人の手から人外へと政治を戻す為にイーリスという女吸血鬼を崇めているのです。だから吸血鬼の風当たりがかなりきつくって……。バレると禁固刑なんかもあるんですよ」


アイリスは広場の噴水へと腰掛けるよう促した。それに従って一行は縁に座った。


「ノルテの殺人事件の正体は全てこれなんです。イーリスに人の血を捧げば、願いが叶うと……政府はこの邪教を滅ぼすことに躍起になっています」


ガイドは雑誌の切り抜きを取り出した。その切り抜きの見出しは『この像に要注意!』と書いてある。写真には小さな白い像が映っていた。


人の手のひらくらいの大きさで、髪の長い少女が目を閉じて微笑みながら水瓶(みずがめ)を肩に乗せ、足元には動物が集まっている。何も言われなければ、泉の精霊か何かの彫像だと思うに違いない清廉さだ。


「戦争がなくなった今、ノルテの武器産業は斜陽産業です。政府は第二産業であった機械人形に注力しました。ですが、その機械人形すらイーリス教に使われていて……」


『風評被害を受けてるんだね』


「そうです。……そうだ。旅人さん達はどうしてあのお店に居たんですか?」


アイリスは疑いの眼差しを見え隠れさせながら一行に向ける。ロジェは微笑んで軽く首を振った。


「知りたい事があってあの人を尋ねたの。だから初対面よ。イーリス教信者でもないから安心して」


そんな一言で納得は出来ない、という文字がアイリスの顔に浮かび上がってくる。ヨハンがある紙を取り出した。


「これはある仙人の書付だ。ヤバい人間にこんなもん渡したりしない。……これで信じてくれるか?」


「仙人……ん?あ、これ景星様じゃないですか!景星様にお会いになったんですね!」


「景星を知っているの?」


アイリスは頭が吹っ飛んでいくくらい首を縦に振った。表情は満面の笑みだ。


「私のお得意様なんです。ノルテにいらっしゃった際は懇意にして下さいます」


身元が怪しいから景星に保証してもらったので、何だかアイリスには罪悪感が芽生える。しかしその感情は次の言葉で吹っ飛んだ。


「その目で景星様のことを見たんですね」


猫みたいな目で、じっとロジェの顔、もとい瞳を見られる。ヨハンやサディコには聞こえていない様で、ロジェは目をそらすしか無かった。


しかし、先程の雰囲気はどこへやら、ガイドはにこやかに告げる。


「あぁでも、旅人さんが変な人じゃなくて良かったぁ……そういえば旅人さん、もう日も暮れますけど、今日泊まるところはお決まりで?」


確かにぽつりぽつりと街に灯りがつき始めていた。ノルテは北方にある国であるし、山の麓だ。暗くなるのも幾分か早い。


「いや、野宿だ」


『雨降りそうだけどねー』


夕空には雲が多く、山にもかかっている。間違いなく雨が降るだろう。


「あの……もし良ければ、私の家に来ませんか?私の家、宿屋なんです。お金は取りません。代わりに少し、働いて貰うかもですけど……」

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