第24話 北空のルーナ

「ここが、ノルテ……」


ロジェはフードをとって、関所を抜けた先の城下町を真ん丸な目で見る。


空は曇天で、雰囲気としては陰気だ。しかし、機械人形の馬がそこかしこの馬車を引き、至る所から蒸気が出ている。街全体が工場だ。


「物騒って聞いてたから身構えていたが、パッと見は大丈夫そうだな」


「全てが、機械だわ……機械人形の燃料は魔法みたいだけど……」


ロジェの横を通った馬車から、何かが金属音を立てて落ちた。それを拾ってゆっくり止まった馬車に駆け寄る。


「あ、あの……これ、落とされましたよ」


「おぉ、ありがとう。これが無いと動かないからね」


御者はロジェが拾った金属を受け取ると、そのまま走って行った。影に潜んだサディコが呟く。


『あれ、何だったんだろう。鍵っぽかったけど……』


「螺子巻きじゃないのか?」


「仰る通り、螺子巻きです」


一行の背後から、凛とした少女の声が聞こえる。振り返ると、ロジェと同じくらいの歳の少女が立っている。薄水色の髪を一つに高く束ね、真ん丸の溌剌とした金色の目が、じっと二人を見詰めている。


「ご、ごめんなさい……突然話かけちゃって。ご迷惑じゃないですか?」


「いいえ、大丈夫よ。貴女は?」


「私、ノルテで観光業をしているんです。最近はあんまりお客さんがいなくて……」


髪色と合わせた服をぎゅっと握って、少女は思い切って言った。


「貴方達のこと、関所を通るとこからずっと見てました!旅人さんをずっと待ってて……!」


「押しかけガイドだな」


「お、お金は取りません!ちょっとでもノルテが良くなったこと、貴方達旅人に伝えたくて、伝えて言って欲しくて!」


「……ガイドは取らない。悪いが他所を当たってくれ」


歩き始めたヨハンの前に少女は慌てて躍り出る。


「じゃあこれだけでも!何かあったら連絡して下さい!いつだってお仕事、待ってますから!」


少女はロジェとヨハンに名刺を手渡した。そこには『ノルテ観光協会所属 PLATINUMガイド アイリス・ローズマリヌス・ジャンド』と書いてある。少女は深々と頭を下げて、そのまま走り去って行った。


「花束みたいな名前だな」


「今はノルテの評判が良くないから、こうして営業してるのでしょうね」


『頼ったら良かったのに。何か有益な情報が手に入るかもしれないよ?』


おちょくるような声音でサディコはヨハンへ告げる。


「馬鹿言え。俺達は今から戸籍作りに行くんだよ。非合法のな。そんなん聞いた傍から通報もんだ」


ヨハンはぴん、と使い魔の額にデコピンした。


「作るのは良いんだけど……あんた、心当たりか何かあるの?」


「百年ちょっと前にそういう事をしてる奴らがノルテに居るって聞いた事がある。今もやってるだろう」


店主が確か純血の吸血鬼だったからな、とヨハンは付け加えた。薄暗い大通りの更に暗くなった路地に、一行は足を踏み入れる。


「ノルテは吸血鬼の国よね。今は人間の首相が立って久しいけど、未だに吸血鬼の雰囲気が色濃く残る国」


『昔は大帝国だったんでしょ?』


「そうよ。だけど武力で支配し続けるのに限界が来た上に、吸血鬼の支配力が弱くなって来て、人間の民主主義による政治が始まったのよ」


何回か路地を曲がった所に、赤いボトルが山積みになって置いてある。中には液体が揺れていた。


「だけど、吸血鬼はまだこの国にたくさんいるわ。まぁ吸血鬼って言っても、人間とのハーフであるダンピールが殆どだそうよ」


ヨハンが足を止めた。煉瓦路地の突き当たりに、紅い扉がある。


「ここだ」


古ぼけ錆びたドアノブを回して、ヨハンは中に入った。









「お嬢様。検査報告書が出ました。ご確認を」


アリスは陽だまり溢れる自室で、部下から渡された書類に目を通した。先に結果を見る。それは陰性を示していた。やはりそうだったらしい。早めに検査しておいて良かった。後は隠滅するだけ。


検査報告書のタイトルは『本邸の庭で検出された被検体Aの魔法因子と某所における魔法因子の照合』だった。魔法には因子があり、強い魔法を放てば放つほど長くその場に留まる。


検査は、ロジェに破壊されたあの場所で残った魔法因子と、某所──つまりミカエルが居住している教会──に残った魔法因子の照合だった。


教会における螺旋状に記された結果には、所々ロジェの因子が残っていた。凡人である彼女と比較しても、ミカエルの教会の魔法因子には神性が宿っていない。神託者を受けたにしてはあまりに凡人過ぎるのだ。


「神託を告げた天使も照合致しました。結果はご覧の通りです」


「妙だと思っていたけれど、ここまでとはね……」


天使、今は修道女の格好をして『アウロラ』と名乗っていた女は、普通の魔法使いであるロジェとも神性とも合致しなかった。唯一合致したのは、ロジェの使い魔であったあの悪魔だけ。


つまり、アウロラは悪魔だったという事らしい。


「これ、お父様に報告は?」


「致しました。大層悩まれておいでで……」


「でしょうね……」


天使に扮した悪魔というのは、相当な力を持っている。考えられるのは一つ。天使が悪魔になった──堕天したのだ。つまり、天界でも『ラプラスの魔物』に対する反逆が起こっているということ。


その上、オルテンシアが知らない神託が降りた。となれば、神ではない『ラプラスの魔物』など信仰に値しない。絶対であった神が揺らぐなど、このレヴィ家の将来にも関わる。


「時代は急に変わると言っても、これではあんまりだわ……予見が足りなかった……」


「当主様も『身の振り方を考えなければならない』と仰っていました」


「……そうね……有難う、下がっていいわよ」


『ラプラスの魔物』を倒すにも、『マクスウェルの悪魔』を捉えるにも。どちらにしたってミカエルに味方する他ない。それは間違っていなかった、と言えるはず。


レヴィ家がミカエルを保護すれば、その神託は神が下したと間接的に証明出来る。朧月夜家に忠誠を示すと同時に、体裁を守れると思ったのに。


『今大丈夫?入ってもいい?』


……そういえばミカエルを招いていたのだった。アリスは書類を直して、どうぞと告げる。


「アリスの家すごく大きいんだね!貴族って凄いなあ」


「お褒めに預かり光栄に御座います、ミカエル」


「えへへ。……そうだ、アリス。今日はどうして僕を呼んだの?」


ミカエルは不思議そうに首を傾げた。報告書が衝撃的過ぎてすっかり忘れていた。今日はオルテンシアとミカエルの面会なのだ。


「今からオルテンシア様との面会を行います。……そういえば、アウロラ様は?」


「協会で信者のみんなと一緒に居るって。アウロラもこれば良かったのにね」


確かにね。来てくれたら大分と仕事が省けたのに、とアリスは心の中で毒突いた。ただそんな心中をもちろん顔に出す事なく、立ち上がって足元に転移魔法を描く。


「この中へどうぞ。今から参ります」


「ありがと!楽しみだな……どんなとこなんだろ……!」


朧月夜の屋敷は、そんな期待に値するものではない。非常に冷たい場所だ。魔法が発動して、周りの景色が一変する。空の青い絨毯と、天井が高く広い部屋になった。


壁一面の硝子から溢れたまろい光が部屋を照らす。瞬きすると、先程までなかった白い小さなテーブルと、椅子に座ったオルテンシアが現れた。テーブルの上には紅茶が注がれ湯気立ったカップと、その紅茶を注いだであろうポットが一セット。


少女の背後に立っていた青年、テュリーがミカエルを席に促した。


「お座り下さい」


「アリスは座らないの?」


「招かれているのは貴方様だけですので」


少女は何も言わずににっこりと微笑む。そして少年が座ったのを見届けると、オルテンシアは口を開く。


「ようこそ、あたしのお城へ。歓迎するわ、アリス、ミカエル」


ちらりと脇に控えるアリスに目を遣って。


「アリス。ミカエルの保護のこと、本当に感謝しているわ。当主にも追って伝えます」


何を言う。レヴィが最早『ラプラスの魔物』の手から離れているということなど理解している癖に。


テュリーは白磁の皿に乗った色鮮やかなマカロンを、オルテンシアとミカエルの前に置いた。


「マカロンはお好き?」


「あ、えーっと……これ、なに……ですか?」


「ふふふ。マカロンよ。お菓子。甘いの。甘いのは好きじゃない?」


それに答えることなく、ミカエルは恐る恐る触れ、口に持って言った。マカロンに対する感想は無く、幸せそうな表情と食べるスピードが物語っていた。


「お気に召して何よりだわぁ。テュリー、たくさん出して差しあげて」


「畏まりました、シア様」


テュリーが完全に部屋を去った後、オルテンシアは口を開いた。


「……さて。話をしましょう。執事がいると話しにくいでしょう?」


「あれが、執事……」


ミカエルは見るもの触れるもの全て初めてだ。目をキラキラさせて、部屋のあちこちを見ている。


「そうよ。とても良い子なの」


「それで話とは?」


話が長くなりそうだったオルテンシアに、アリスは話を切った。


「あぁ、そうね。貴女にも聞いて欲しいのよ。まずはミカエル、貴方ね」


少女は笑みを崩さずに、目の前の神託が降りた少年へと語りかける。


「初めて神託を聞いて驚いたでしょう。だって神託は『あたしを倒せ』だったんだもの」


「驚き……ました。神さまは、好きで神さまをやっていると思ってたから……」


「ふふふ……そう思うのも無理ないわぁ。でもね、帝国だった国々が分裂して、人外じゃなくて人間が色んな政治を行っている。あたしはそれでもいいかなって思うの」


ミカエルの顔が驚愕を示す。アリスは横目に表情を表した少年に呆れた。貴族は相手に悟らせない為に、表情を崩さない。こんな事をしたら相手の思う壷だ。


「ミカエルには人外を見てきて、悪いと思ったら倒して欲しいの。これは神託よ。何も悪い事なんかじゃないわぁ」


オルテンシアはそっとミカエルの頬を撫でた。


「そしてその先に……どうかあたしを倒して、素晴らしい国を作ってね」


嬉しそうに静かに頷いたミカエルは、触れられたところをゆっくり撫でる。これが人の熱。貴族の白い、おさないて。


「ここからはアリス、貴女ね」


「……はい」


「貴女は先日の会議について気にしているのでしょう。そのせいで〝あんなこと〟を言ってしまった」


彼女の言う〝あんなこと〟は、恐らくミカエルを勧誘する為にオルテンシアを貶めたことを言っているのだ。静かにアリスは頭を下げた。


「……大変、申し訳なく……思っています」


「気にしなくていいわぁ。あたしは貴女に『マクスウェルの悪魔』になって欲しくて、あんなことをしたのだもの」


オルテンシアは静かに紅茶を啜る。


「あれをすれば、貴族からの信頼は潰える……博打に思えるかもしれないけれど、あたしの力を持ってすれば万一の事があっても問題ないわぁ」


紅茶に下ろしていた僅かに視線を上げた。


「あたしは一人でも多くの人に、『マクスウェルの悪魔』になる可能性を得て欲しい。……まぁ結果的にレヴィ家の信頼を再確認することが出来たし、嬉しい限りだけれどね」


「あの……話は変わるのですが、オルテンシア様は『マクスウェルの悪魔』になる為の条件を、しっておいでですか?」


そう言い切った後、アリスはそれを後悔した。が、間髪入れずにオルテンシアは返す。


「さぁ?それは秘密」


続けて聞こうとしたが、ミカエルが二人の会話に口を挟んだ。


「僕にはないの……じゃなくて、ないんですか?」


「えぇ。誰よりも特別な貴方には世界を見てほしいの。レヴィ家にはその補佐をして欲しい。あたしの代わりに」


とくべつ、という言葉にミカエルは揺れる。それは余りにも甘美だった。対してあたしの代わりに、という言葉にアリスは悩んだ。それは余りにも、厄介払いな扱いで。


「まずはノルテに向かって欲しいのよ。あそこは今、恐ろしいことで有名だから……」


「恐ろしいこと?」


「えぇ。吸血鬼を中心とする邪教が蔓延っているの。貴方達にはその教祖をうち果たして欲しい」


視線を落としていたミカエルは、控えめにそれを上げて。


「あの……」


「なぁに」


「もし、ノルテが終わったら……またここに来てもいいですか?」


オルテンシアは一瞬だけ目を見開いて、そして大きく笑った。


「あはは!構わないわよ。美味しいお菓子を用意して待ってるわぁ」


オルテンシアは最後のマカロンを口に放り投げた。そしてアリスへと告げる。


「今日はありがとう。大変だったでしょう。もう下がっていいわよ」


「畏まりました。ミカエル、行きましょう」


「あ、うん……」


ミカエルが椅子から退くと、アリスは転移魔法を展開してその場を去る。壮大な部屋にはオルテンシア一人だけ残る。


「出て来て良いわよ。お疲れ様。お菓子、とっても喜んでもらえたわ。ありがとう」


下がっていたテュリーは扉を開けて主人の傍に侍る。


「それは良う御座いました」


「途中からあたしの魔法で出してたんだけど、気付かないくらい彼夢中だったわ。また来た時は貴方が出して頂戴」


もっとも、とオルテンシアは冷酷に続けて。


「もう二度とここに来ることはないのだけれどね」


「……あれで宜しかったのですか」

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