第21話 終末のソルシエール

「侵入者だもの。お出迎えするわ」


親衛隊の前に出て来た少女は、アリス。意地悪い笑みを貼り付けて中庭に立つ。


「とっくに寝て夢でも見てるのかと思った」


「今見るところだったのよ。ところで……」


ふわぁ、と大きな欠伸をして優雅に笑う。


「やってくれたじゃない。何しに来たの?」


「知れたことを。言うまでも無いわ」


ロジェはサディコの傍から立ち上がって、兵士が山のようにいる中庭に悠々と歩いて行く。


「そうね、貴女を捕えれば幾らでも聞く機会があるわね」


そうだ、とアリスはにこやかに微笑んで。


「一応聞いておくわ。貴女、ミカエル様の配下になる気はない?」


「なによ。アンタアイツの配下になったの?」


「目的は違うけど途中までは一緒だから。それに神託者を放ったらかすことは出来ないの。私達レヴィ家は『ラプラスの魔物』の右腕なのだから」


アリスの目は明らかにロジェを見下した瞳だった。その調子で続ける。


「その様子じゃ『ラプラスの魔物』が会議で何をやらかしたか知らないみたいね」


「知ってる方が少ないと思うわよ」


「口だけはよく回る……」


憮然としたロジェは、寄ってきた衛兵を一瞥する。


「まぁいいわ。衛兵、捕らえなさい。あんたは負けたのよ」


「いいえ。私は負けない。代わりに、絶対にあんたが負ける」


ロジェは自分を軸として中庭に結界を貼った。兵士はその余波に吹き飛ばされて、広いそこにロジェとアリス二人きりになる。


「随分な物言いじゃない。未来予知でも手に入れたの?」


「はぁ?あんたこんな簡単なロジックも理解できないわけ?」


『ラプラスの魔物』の右腕お嬢様が聞いて呆れるわね、とロジェは嘲笑した。


「何故なら私が勝つからよ!」


ロジェは結っていた髪を緩めると、黒く魔法で染めていた髪が赤く紅く光る。薙ぐようにして手を動かすと、魔法が炸裂した。が、いとも簡単にそれは弾かれる。


「やっぱり『ヴァンクール』の力は素晴らしいものがあるわね。魔法が使えない者を使えるようにする、なんて」


アリスは感慨深げに呟いた。


「だけど、私今日はもう疲れてるの。さっさと終わらせてもらうわ」


胸にかけていたロッドのネックレスの蓋を開けると、中の宝石がむき身になる。そしてアリスの胸元で赤い魔法陣が輝いた。


「魂の宿る運命の調べよ、この地に切り裂ける振り子の時間軸よ。我が召喚する使い魔の姿を具現せしめよ。霊魂の契約を結びし者よ、我が血に応えて現れん」


あの宝石を媒介にして何か召喚するつもりだ。ロジェは間髪入れずに攻撃を飛ばすがアリスの結界に弾かれて通らない。恐らくあの石から魔法が漏れ出ているのだろう。止めるには遅かったか。


「出でよ、ヴリトラ!」


召喚された魔物は天へと届くかと紛うほど、巨大な牙を持った巨躯の黒蛇だった。かなり分が悪い。となればアリスと戦う前にさっさと逃げてしまった方がいい。こっちは怪我人を一人連れているのだし。足に違和感を感じて見下ろした。解呪に時間がかかるトラップが足に仕込まれている。


解呪しながら、少女は思考した。逃げなければならない時に逃げられないとなれば、それは負けに近しい状況だ。不利である。増してや相手はヴリトラ。旱魃かんばつを司る魔物。ロジェの主属性とする水属性では太刀打ち出来ないのは明白だ。


「我がレヴィ家は家自体でヴリトラと契約しているの。あんたの弱っちい悪魔と違ってね。だから私を倒しても無駄よ。諦めてさっさと捕まることね」


ヴリトラ、やりなさい。とアリスが指示すると、蛇は言われるがままに動いた。一々癇に障ることを言う奴だわね、とロジェは思いながら、攻撃一つ一つを避けていく。


しかしキリが無い。攻撃を抜けた隙間を通ってヴリトラに星の魔法をぶつけたが巨体はビクともしなかった。


「くっ……」


「諦める気になった?今ならミカエル様に従うって言ってくれたら、今回の件は不問にしてあげる」


またその名前。何故人間はあの者を信奉するのか。あれはニセモノだ。神託者ではない。


「ちがう……違うのよ、あれは違う……」


『特異点』はもっとキラキラしている。星の終わりと始まり、それが同居した無限の光。


「は?何がよ?」


「あれは……『特異点』ではない。貴女はまだ分からないのですか」


「分からないって……なにが……」


アリスはヴリトラを召喚する際に、運命と時間軸に祈った。それを束にしたのは、『ラプラスの魔物』が司る『コード』だけ。


「お前には分からない。お前は人の子だから」


ゆっくりとロジェは手を伸ばす。それは何かの緑色の細い糸に触れた。思い切ってそれを引きちぎると、ヴリトラが目に見えて苦しみ始める。


「……見えた」


「あんた、何を!?」


ぷつんと切れた糸は、直ぐに溶けて液体になり、指を銃の形にして構えたロジェの指先に集まる。


「星は全ての人の上にあるもの。導き、破壊するものよ。数多の時空を超え、星辰の導きに従って進むべき道を示し、天命はこれを持って進め。運命と時は神の上にあらず、常に人の上にあらんことを。固有魔法『終焉もたらす弥終の凶星シュペルノヴァ・マレフィック』!」


星の力が指先に集まり、小さな小さな光は全てを飲み込む。それは音さえも破壊つくて。


そして。





何とも形容し難い、それでいて時空が切れるような、やっと音が戻った頃には。


「がはっ……」


爆風で吹き飛ばされたアリスが、柱で頭を打って血を流していた。ヴリトラの身体も当たった一部分だけ血が吹き出ている。やはり肉体の硬さはそこらの獣と桁違いだ。


光線が突っ切った場所は土が剥き出し、ロジェを中心にして建物も半壊している。震えながらアリスは顔を上げた。


「……あんた、今何を……」


結界は先の攻撃を受けてからばらばらと崩れた。撃った本人であるロジェも、もう限界だ。


「糸よ。糸を切ったの。何も見えてないから分かんないでしょうけどね」


ロジェはゆらゆらと宙に浮く星の輝きを持った薄緑の糸を触った。


「あんたの使い魔契約を消去した。そんな怪我してる状態で契約履行し続けてたら死ぬわよ」


「私のだけ、きっても……家族の分があるもの……」


「家族の分も切ったのよ。今日はもうこれで終わりにしてあげる」


よろめきながらアリスは立ち上がる。ヴリトラは煙のようになって宝石に戻った。


「……そうね。今日は……」


ははっ、とアリスは笑った。


「なんて、言うと思った?」


アリスの殺気にロジェが逃げる間もなく、その身体は何重も鎖で拘束される。


「は、はぁ……何にも分からないわ、どうして『ラプラスの魔物』はレヴィ家を助けて下さらないの……」


鎖はキツく胴体にくい込んでおり体力も無ければ魔法も無い現状、脱出は難しい。アリスのぼやきにロジェは言い返した。


「薄々分かっているんでしょ。これは『ラプラスの魔物』が認めたことよ」


「やっぱり、そうなのね……それなら……」


アリスはロジェを睨んで。


「人を助けない神に用はない。コイツを連れて行きなさい。私はお父様に報告するわ」


駆け寄ってきた従者に少女は寄りかかる。甲斐甲斐しく世話されながら去っていく少女をロジェは睨みながら、その視線を近寄ってくる衛兵にずらした。


「ロジェスティラ。お前をアリス様殺人未遂で逮捕する」


「お好きなように」


サディコをちらりとみると、迫ってくる相手に孤軍奮闘しているのが見える。あの子には悪い事をした。契約を解除して逃がそう。諦めて目を瞑ったその瞬間だった。


ピューヒィョロロー……


遠くから大きな羽音と共に聞こえて、それはどんどん近づいて来る。誰もが固まった。ロジェを捕らえていた衛兵も手を止める。


「王師じゃないか?」


「羽音の大きさ的にはヒッポグリフの様に聞こえるがな」


「なんだ、てっきりレヴィ家は天に見放されたのだと……」


やいのやいの言いながら、そのまま引っ張って行こうとする兵に対して必死にロジェは抵抗する。あの特徴的な鳴き声は違う。ヒッポグリフではない。


「全員、逃げなさい!」


どうやらそれはアリスも気付いたようで。口端に血を濡らしながら、ふらつきながらも走って兵に近寄る。


「お嬢様……?どうし」


「あんた達分からないの!?あの鳴き声は王師じゃ、ヒッポグリフじゃない!」


音はどんどん近くなる。


「グリフォンよ!」


「グリフォン……?朧月夜家のものでは……」


まだ理解していない兵士に、血が混ざった唾を飛ばしながらアリスは言う。


「あの糞ガキも持ってるけど違う!もう一人いるでしょ!今あんた達の目の前に!」


兵士は恐ろしいものを見る様な目でロジェを見た。没落した家がグリフォンを所有しているとは知らなかったらしい。


「よくも謀ってくれたわね!」


「さぁ?何の事だか」


憤怒と憎しみに塗れたアリスの視線はロジェとかち合った。睨まれたロジェは素知らぬ振りをしてニヤリと笑う。実際何でウチのグリフォンがいるのか知らぬのだし。冷や汗出てないかしら。


「全員逃げなさい!死ぬわよ!」


言葉が届くか届かないか、それはレヴィ家の壁を蹴ってレンガを尽く破壊し、独特なあの鳴き声を上げて庭に降り立つ。


黄金の月色をして額に傷のあるグリフォンは、周りの人間を睨みつけた。殺気だけで腰を抜かして兵は去って行く。そして背に乗っていた人間は、ロジェの知っている男だった。


「遅くなって悪かった。ちょいと手間取ってな」


ヨハンの死角に居た兵がゆっくりと魔法をかけようとした瞬間だった。発砲音が響いて、その後兵の悲鳴が静かな夜に轟く。


「全員動くな」


そのまま青年はゆっくりとアリスに銃口を構える。グリフォンは兵を睨んだ。


「よは、ん……」


ぽかん、とロジェは口を開けた。それに対して、アリスは怒りながら吐き捨てる。


「貴様……何者だ!不敬であるぞ!」


「貴方か。俺に兵を差し向けたのは」


「何を腑抜けたことを……不法侵入した挙句濡れ衣を着せると申すか?」


「知らない?連絡申し上げたのに?」


ヨハンは無造作に無線機を放り投げた。


「……そう、お前が」


「即刻その子……ロジェスティラの身柄を解放してもらいたい。俺が引き受ける」


一拍置いて、


「俺はコイツの先生だからな」


「返すわけ、ないでしょ……コイツは犯罪者なのよ」


「そうか。返して貰えないんだな」


「当たり前でしょ」


そうか、そうかそうか、とヨハンは顔を覆って喉を鳴らして笑っている。その手が無くなった時、深海の様な瞳でロジェを射抜いた。身体が動かない。そして発砲音が響く。


「はっ……!?」


ロジェを縛り上げていた鎖は銃弾によって破壊されたらしい。瓦礫になったそれがロジェの足元に散らばっている。


「逃げるぞ!ロジェ!」


「う、動けな……」


身体は自由になったが、魔法陣はまだ足を掴んでいる。兵と揉み合っていたサディコは何とかそれから抜け出して、少女に突進した。


『うごけーーーー!』


突進のお陰で吹っ飛ばされたロジェは、疲労困憊の使い魔を自分の影に隠してヨハンの元へ駆け寄る。グリフォンの奥に押し込まれ羽を掴むと、それは高く飛翔した。暫くすれば後ろからヨハンの声が聞こえる。


「怪我してないか」


「私は大丈夫。助けてくれてありがとう。サディコが疲れちゃったみたいだけど」


夜風がひりひりする傷口に染みる。足元は星の海の様な城下町が広がっていた。宙ぶらりんの足が心許ない。


「でもどうしてヨハンがここに?家で待ってるんじゃ……」


「俺の家まで追っ手が来たんだ。だから都に逃げて来た。お前と合流する為に」


「ふふ、冒険らしくなってきたわね」


太ももに擦れる羽がくすぐったい。ふ、と柔らかに笑うヨハンの声が聞こえる。


「その様子じゃかなり元気そうだな」


「それにしてもびっくりしたわ。私の家のグリフォンを呼び出してくるなんて」


「都でお前を探していたら、お付の二人に会ったんだ。彼らもお前を探していると。恐らくレヴィ家にいると思ったから、連れて帰ることを条件に貸してもらった」


一段とグリフォンは高く飛び上がって、城壁を超えて森の上を飛ぶ。


「キングって言うらしいな、このグリフォン」


「そうよ。家の庭で弱ってるところを拾ったの」


「グリフォンは王族だけ飼ってるものだと思ってた」


「子供の頃から育てないと調教出来ないからでしょうね。グリフォンが我が家にいるから、お父様の紋章は双頭の鷲なの」


眠い目を擦りながらロジェはヨハンの言葉を反芻した。キングの主人は父だ。娘のお付きである一介の従者が引っ張ってこれるものではない。恐らく勝手に連れて来たのだろう。


「ていうか、私後でお説教コースじゃない」


「そうかもな。……ほら、見えてきた」


森の外れに二人の人間の影が見える。遠くからでもわかる、ヘティとルネだ。痺れるくらいの怒気が周囲を覆っていた。着陸したグリフォンからロジェは降りると、ヘティは一言


「お早いお戻りで、お嬢様」


ヘティは表情を崩さず主人を睨む。こうなった時は長いのだ。


「……ごめんなさい、ヘティ、ルネ」


「今度は何をしてたんです?」


ルネに問い詰められたロジェの代わりに、ヨハンが答えた。


「レヴィ家の重要書類を盗んで危うくアリスを殺しかけたって感じだな」


「……そもそもあんたのせいでしょ」


「それは否定しない」


ヘティの怒気に満ちた視線をヨハンは受けるがそのまま流す。何とも思っていない様だ。


「こんな事が旦那様に知れたら……」


「完全に勘当されるだろうな」


「でしょうね」


「それなら俺がこの子を貰っていく。それで構わないだろう」


詰められているロジェの間にヨハンは割って入る。ルネがおずおず口を開いた。


「そもそも、止めるつもりは無い。旦那様は……行けと仰っている」


「お父様が?」


ルネにロジェは飛びついた。未だに手紙を寄越した真意も分からない。そして、ヨハンと一緒に居ることを許すことも。


「名誉当主様……お嬢様の曾祖母様であるマリシア様に貴方とお嬢様が出会ったことを報告したところ、旦那様がそうしろと」


ヨハンの眉がほんの僅かに動いた。


「何でも『因果が私から始まったのだから、あの人を終えるのはあの子なのだろう』と。マリシア様は仰っていたらしい」


「……なるほど。ついぞその気にはならんかったか。残念なことだ」


珍しくヨハンは深い溜息をついた。落胆と不安を胸の奥から出したようなその声音。


「……お嬢様……いいえロジェ。本当は私達、連れて帰りたいの。都も世界もおかしい事になってる。外の世界は危ないのよ。そんなところに置いておけないわ」


絞り出したヘティの声に、ルネが被せた。


「この間の貴族の朝議で『ラプラスの魔物』たる朧月夜様の未来予測が大きく外れたんだ。それに、いつもの執事もついてなかった」


「態とじゃないのか?」


ヨハンの質問にロジェは首を横に振った。


「それは考えられないわ。だって今は『マクスウェルの悪魔』が決まるとても大事な時だから」


「ロジェの言う通りよ。それに加えて、神託が降りた。都も世界もおかしいわ。ねぇロジェ……」


縋る様にして見つめるヘティに、ヨハンは一言で遮った。


「悪いな」


「ごめんね、ヘティ、ルネ。行かなきゃ。このおかしい世界を止めに行ってくる。終わるのがいつになるか分からないけど……」


「そうか。……やっぱり、行くのか……」


渋々了承したのはルネだ。表情が悲壮感で満ちているヘティの肩に手を乗せると、ヘティは思い出した様に差し出した。星座占いの時に使う金箔で装飾された紙だ。


「……これ。力になるか分からないけど、二人で見立てたの」


赤く丸が記されているそれを、ヘティは指でなぞる。


「貴方が魔力暴走を起こした時に現れた花びらと水晶と、その時の星を鑑定したら、北の方を示したわ」


指さしたその先には黄白色に輝く星、北極星が瞬いている。


「貴方達の星は北の国……ノルテ・カーリン国を示している。気をつけてね。元々武器の生産が多くて物騒な国だったけど、最近は殺人事件が多いらしいから……」


何か言いたそうにしてヘティは言い淀んだ。俯いた彼女を見てルネが代わりに呟く。


「ロジェ。いつでも帰って来ていいからな」


「うん。ありがとう、ルネ。ヘティも……元気でね」


いつの間にか離れた所で見ていたヨハンを目指しながら、ロジェは手を振り続ける。


「ちゃんとお別れは言えたか?」


「言ってきたけれど……そんなに心配しなくても、もう会えないわけじゃないわ」


「お別れを言わないと、呪いだけしか残らない」


優しい顔をしながらヨハンは言う。何だかそれに寂しさを覚えてしまった。


「……それ、誰かに言われたの?」


「俺の経験則だ。後に残るのは、呪いだけ」


さて、とヨハンは遠い北極星を見上げてロジェに手を差し出した。あの瞬きの下に次の物語があるのか。


「さぁ行こう。世界を変える覚悟はあるか?」


「それ私のセリフだと思うんだけど……」


その手を握り締めて、ロジェは都から一歩遠ざかる。一歩ずつ、ゆっくりと。


「言ったもん勝ちだぞ」


その日は満月で、暗闇なのに昼間みたいに明るい夜だった。

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