第20話 招きのアポストロス

「ん……」


ぱち、とロジェは目を覚ました。ベット傍の時計を見ると、九時。慌てて窓を開けると真っ暗だ。やらかした。苦い表情をしてロジェは項垂れた。


「あー……」


『んー?ロジェ、おめざめ?』


「随分とよく寝ていたみたいね、私」


『魔力が暴走起こしてたんだよ。だからルネとヘティに頼んで止めてもらったんだ』


掠れた声で眠そうな目を擦るサディコは、きまり悪そうに、


『まぁ、だからちょっと厄介な事になっちゃったんだけど』


サディコは倒れてから二人に纏わる話を告げた。それと、と付け加えて、


『それにロジェに星の魔法があるって事も伝えたよ』


「え!?私に星の魔法あるの!?」


『あるよ!気付いて無かったの!?』


「いやこれ私が先に気付いて『そうよ。私には星の魔法が扱えるの……』とか仰々しくやる展開の筈なのに!順序が逆なのよ!」


『いや自然に使ってるからてっきり知ってるものだと!』


「知らないわよ!なんかすっごい力の強い魔法出るなーくらいしか思ってなかったわよ!」


『えぇ……うん……まぁ……ほら、言ったから。よろしく。適当に話合わせといて』


「えぇ……困惑なんだけど」


ふぅ、と少女は深呼吸した。そして、


「うん、そうね、えぇ、はい。状況を理解したわぁ……うん、分かった」


とりあえず感情を落ち着かせると、あることを問うた。


「……よし、うん。まずはヘティとルネよね。どうしたらいいのかしら」


『闇に紛れて逃げちゃうとか』


「ねぇサディコ。家に連れ戻される確率ってどれくらい?」


『八割くらいじゃない?』


「行きましょうか。書庫、着いてきてくれる?」


『ぼくは君の使い魔なんだよ?許可なんていらない』


ロジェは軽く荷物を纏めると、恐る恐る扉を開けた。外には誰も居ない。そして花瓶が飾られている清楚な廊下に出た途端、辺りに金属音の様な音が響いた。


「あ、これ、結界破った時の音……!」


『へー。あの人達ほんと凄いんだね。ぼくでも貼ってること全然分かんなかったよ』


「そんな呑気なこと言ってる場合!?まずいわよ!」


廊下の向こう側からルネとヘティの声が聞こえる。


「はーーーー。やっぱり結界貼ってて良かった」


「案の定逃げ出したな」


サディコはあたふたしているロジェに、


『花瓶の水をかけてみて』


「わ、分かったわ!」


ロジェは言われるがままにサディコに水をかけると、ぐん、と人一人乗れるくらいの大きさになる。


「……ウォータービーズ?」


『早く乗ったら?逃げられなくなるよー?』


ふわふわの毛を掴んでサディコに跨ると、獣は部屋に戻って窓から飛び出した。城下はもう街灯が明滅している。


「王宮の近くで下ろしてくれる?」


『ん、りょうかーい!』


屋根を駆け抜けて、獣は王宮がある岸壁にくっついた。防護結界に触れないギリギリの場所だ。


『こんな所でいいの?』


「大丈夫よ。行きましょう」


ロジェが使い魔の背中から離れると小さくなった。いつもの大型犬サイズだ。


「それにしても、あんたって水含むと大きくなるのね」


『水属性の悪魔だからね。体積が増えれば、その分大きくなれるんだよ。ぼく成長期だし吸収も早いから』


「それ関係あるのかしら」


侵入者を阻む為、崖は険しい。浮遊魔法を使って門兵にバレないようゆっくりと降りていく。


『省庁に行くの?』


「あれはレヴィ家の依頼だったのでしょう?それなら家に行った方が早いわ」


『そうぱっと見つかるもんかなぁ』


「見つかるわよ」


『何それ。魔女の勘ってやつ?』


「そう。魔女の勘ってやつ」


麓近くまで下りると、サディコは小さく声を上げた。


『おぉ……。すごい、この辺は大きな家がいっぱいなんだね』


「そうよ。今私達がいるマグノーリエ……首都は、階級ごとに居住区が分けられているの」


ロジェは街灯りの方を順繰りに指さした。


「私達が泊まってたのが市民区。その次が貴族区。岸壁に王宮があって、その上に『ラプラスの魔物』が住んでる」


『なるほどねぇ。それでレヴィ家のお家はどこにあるの?』


「政界に強い影響があるから、確か麓のすぐ側じゃなかったかしら。……あぁほら、あるじゃない」


麓からふわふわと浮かびながらその家に近づく。ロジェが言った通り、家は麓の傍にあった。貴族の家の高さごとに黄金の柵が取り付けられていて、結界が貼ってあるのがうっすらと見える。


『破るの?』


傾斜の厳しい崖に足をかけながら、魔物はのんびりと問うた。


「ばれちゃうから、すり抜けるの。今の私だったらきっと出来るはず」


ロジェは指先を結界に触れた。何かが爪に引っかかる感触がある。


「結界はね、自在に伸縮する布みたいなものなの。精度の高いもの程網目が細かくて、でも確かに網目がある」


その言葉の通りにほんの僅か、結界は小さな穴を作っていく。


「だからこうして、ゆっくり開ければ……」


もう片方の手でぐっと開けると、人一人入れるくらいの穴が開いた。


「ほら開いた。サディコ、先に入って」


使い魔は言葉のままに、結界の中に入った。ロジェもその中に入ると丁度良い茂みがあった。どうやら庭の様だ。


『走り回ったら楽しそうな庭だね』


「やっぱり都随一と謳われるだけのことはあるわ。珍しい薬草も生えてるわね」


広大な敷地の向こうに家が見える。あれが屋敷なのだろう。ロジェは茂みから出て小道に出た。小道の途中には噴水があって月夜に静かな音を立てていた。


『誰も居ないね』


「夜だもの。きっと皆寝てるわ」


『まだそんな時間じゃ無いと思うけどなぁ。日付変わってないし』


「私は健康優良児だから早く寝るのよ。というかそんな事はどうでもいいのよ。どう?近くに見張りはいる?」


サディコは目を細めて屋敷を睨む。


『居ないね。中には使用人がうろうろしてるみたいだけど』


「……これは嵌められたのかしら」


『そうだとしても帰れないでしょ』


「確かにねぇ」


そのまま足を進めると、庭の門が目と鼻の先に現れた。振り返るとさっき居た庭が遠い。


「空間魔法がかけられていたのね」


『境目で反復横跳びしたらどうなるんだろ』


「足が引きちぎれると思うんだけど」


庭の門とは思えないほど荘厳なそれに手をかけると鍵がかかっていない。そのまま屋敷の裏庭に入った。


「書類はきっと書庫にあるわね。書庫は恐らく一階にある……」


『そんな都合よく行くかなぁ』


「都合よく行くのよ。だって彼らはとっくに私達がここにいる事に気付いているのだからね」


屋敷の中を窓から伺う。書庫は中の文書が痛まない為に、大抵北向きに作られている。


『どうして?結界も上手く通れたじゃん』


「遅かれ早かれ破れたってことは屋敷の護衛隊に通知が行くの。レヴィ家は都でも有数の貴族でしょ。精鋭揃いの護衛隊が居るはずだわ。なのにそれが来ていないとなると……」


ふふん、とロジェは自信満々に笑って、


「ガバガバ警護で油断させておいて、一網打尽にするって算段じゃないかしら」


『それっぽいねぇ、だって』


サディコは幾つかある窓の一つに前足をかけて、ひょっこりと顔を出した。


『取ってくださ〜いって感じで置いてあるもん』


窓には薄緑のカーテンがかけられていて、中が見えない。サディコが足をかけていたカーテンを除いて。


窓の傍には机があって、その上には書類が知らん顔で置いてあった。ロジェは魔法を使って音を立てずに窓を開け、中の書類に手を伸ばす。


依頼主の名はレヴィ家でなく、代わりに名家の下請けの企業の名前になっている。受諾者は『ヨハン』。依頼名は『精密機器の製造』だ。


『ん?ロジェ、なんか落ちたよ?』


落ちたものは手紙だった。芝生に落ちたそれを咥えてサディコはロジェに差し出す。


「名前は GillTo・Ails《ギルドー・エイルズ》……男の人の名前だわ」


開けられていた封から手紙を抜くと、古ぼけた紙が出てくる。


『ロジェが知ってるひと?有名な貴族かな?』


「エイルズ家なんて聞いたことないわ。日付は二百年とちょっと前……内容は……?」


『レヴィ家へあてて


次代の魔法使い──こう書けば、誰にでも当てはまる予言となってしまうため、オルテンシア嬢と記載するが──には大きな『秘密』がある。それは』


『内容はどんな感じ?』


「それが……」


ロジェが『それは、』まで読んだところで、文字が消えて内容が変わる。宛名は『ロジェスティラにあてて』になっていた。


「内容が変わった?とても高度な魔法だわ……」


『ロジェスティラにあてて


『ラプラスの魔物』についての『秘密』はまだ知るべきでは無い。お前はもっと他に、知らねばならないことがある。自身を知らない者に他者は知れない。


ギルトー・エイルズ』


「どういう意味なの……?」


その瞬間、けたたましいベルが鳴った。ロジェは慌てて手紙と書類をしまうと、空から飛び立とうとする。サディコが慌ててロジェの足を掴んだ。


『ダメだよ!結界が強固になってる!突っ込んだら焼け焦げて死ぬよ!』


ロジェは窓を壊して書庫の中に入った。魔法で水を集めてサディコにかけると、そのまま乗って書庫の向こうから走って来た警備員に突っ込む。


「中庭を目指して!そこからなら結界を壊せる!」


『なんでそう言い切れるのさ!』


「結界の軸とする場所は大体中庭に置くの!変な人はそうそう近寄らないでしょ!」


『分かった!』


果て遠き廊下には幾人もの警備員がいる。銃を持っていたり槍を持っていたりと様々だ。風の匂いを置いながら、サディコはそれを突っ切る。


『いてっ!』


「大丈夫!?」


深く毛並みに沈んでいたロジェは、降りて獣の足を見た。どうやら麻酔針が打たれたらしい。取り敢えずそれを抜いた。……中に魔道式がある!


『あれ……!?なんで……!』


サディコは中庭が見えた廊下の途中で急に立ち止まり、ロジェは慣性の法則で前に吹っ飛んだ。何とか受身を取って、魔道式の内容をよくよく確認してみると、『鳥獣捕獲式』と『魔法封印式』が書かれていた。


「いたぞ!こっちだ!」


背後から警備員の声が聞こえる。蹲って動けなくなった獣の背を、よしよしとロジェは撫でた。


「サディコ、大丈夫?動けそう?無理だったら私の影に……」


『だめだ……うごけない……く、るしい……』


「そんな……お願いしっかりして!置いてかないで!」


『魔法封印式』は悪魔にとっては辛いものだ。悪魔の見た目はあくまで『依代』だ。肉体が二十%、精神や魔力が八十%の悪魔にとって、この魔道式は死を意味する。


『ぼくだけでも置いて、早く逃げて。ぼくは何とかなるから、ね?』


浅い息をしているサディコは傍から見ると瀕死だ。蒸発する様な音がして、獣は元のサイズに戻った。魔力を使う量が減ったとて、それでも具合は悪そうで。ロジェは下唇を噛んで、敵を睨み立ち上がった。


「……分かった。追っ手をぶっ潰すわよ」


『ごめん、ごめんねぇ、ロジェ……』


「何謝ってるのよ。私達、短い間だけどこれまでも上手くやってきたでしょ」


ぽすぽすと優しく獣の頭を撫でる。サディコは嬉しそうに、しかし気まずそうに目を細めた。


「だからこれからも上手くやるの」


サディコの周りに結界を貼って、親衛隊に囲まれたとある人影に、一瞬だけロジェは面食らったが、言い放った。


「まさかあんたが出てくるとはねぇ」

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