第18話 痛覚のシンクロニズム

『よし。ぼくの身体も元に戻った事だし、そろそろ戻らないとあの二人心配しないかな?』


「そうね。一応一緒に行動するって言ってたから」


ロジェは足で雑に魔法陣を描くと、使い魔を引き連れて中に入った。転移魔法が発動してロッジの部屋に戻る。気が抜けてベッドの上にへたりこんだ。


「遊びに来たのにもう疲れちゃったわねぇ」


『変な事に首突っ込むからだよ。あんなのほっときゃ良かったのに』


「反論出来ないわぁ。だけどこう、言いたくなっちゃったのよねぇ」


何かに取り憑かれたように、静かに少女は呟く。


「『特異点』は、お前ではないと」


昔私が見た『特異点』は輝いていた。黒く明るく、七彩が煌めく星があったのに。触れれば直ぐに弾けて世界を全て引っくり返す星。あれでは何処にでもある塵芥ではないか。


『……ロジェ……?』


「『特異点』はあれではない……。もっと煌めいて、そして私が壊さなくてはならないもので……」


『な、何言って……?』


少女の視線は中空をさ迷っていて、でも何かに焦点は合っている様な、何かを見ているような目で。サディコの鼻先にはらりと何が落ちた。花びらだ。ロジェの周りにはらはらと舞っている。


『ろ、ろじぇ……しっかりして、しっかりしてよぉ……』


「ロジェ〜?いる?入るよ?」


「鍵空いてんじゃん」


「あれほんとだ。大丈夫?」


廊下の方からヘティとルネの声が聞こえる。サディコに出来るのはこうなってしまった主人を助ける為に二人を呼ぶ事で。なりふり構わず部屋に入って来た二人に駆け寄る。


『助けて!二人とも!』


「な、何コイツ!悪魔じゃない!」


「おいお前!ロジェから離れろ!」


臨戦態勢で悪魔を見つめる二人に、サディコは慌てて状況を告げた。


『ぼくのことは後で良いから!今はロジェを助けて!何だか様子が変なんだ!』


「お前のせいじゃないんだな?」


「そうじゃないみたい。魔力が暴走してるんだわ」


ルネは獣から目を逸らさずにロジェへ近づく。少女の周りには宝石や花がごろごろと落ちていた。


「魔法使いの子供によく見られる症状だわ。でもお嬢様は魔法が使えなかったはず」


ヘティはロジェを横にして、額に指を当てる。ほのかな光が現れてゆっくりと少女は目を瞑った。静かな寝息が聞こえてくる。


「ふぅ。これは詳しく聞かなくちゃダメみたいね。お嬢様にも、それと……」


隅っこで縮こまっていたサディコに、ヘティは視線を移した。


「あんたにも」


『きゅうん……』


とぼとぼと歩いてサディコはロジェの傍に座る。ヘティが向ける視線は痛い。


「どうする?ヨハンって奴も連れてくるか?」


「本家の許可がいるわ。今は都が騒がしい。連れて来るにしてもいつになるか……」


ルネはカーテンと窓を閉めると、ヘティと同じ方に座る。


「それじゃ、聞かせて貰おうか。お前が誰で、どうしてロジェスティラお嬢様は魔法を使えるのか」







「静かだな」


ヨハンはぱたりと本を閉めた 。ロジェが来るまではこれが普通だったのに、その普通に戻ってしまうと些か静かすぎるように思える。


首にかけていたドッグタグを弄りながら別の本に手を伸ばした瞬間だった。


「ヨハン?いるかい?」


「ばあちゃん?」


近所に住むマヤばあちゃんの声が玄関からする。マヤとは彼女が赤子からの付き合いだ。いつ『ばあちゃん』と呼んでいいものかと苦心した覚えがある。書斎を出て階段を降りた。


「どうした?旦那と喧嘩でもしたのか?だからアイツと結婚するのはやめろってあれだけ……」


妙だ。いつもなら何も言わなくともロビーに入ってくるのに、それがない。


「……ばあちゃん?」


玄関を開けると、老婆を拘束した何人かの男が居る。ヨハンは腰に手を回したが、今日は拳銃を携帯していない事を思い出して、そのまま手を下ろした。


「老人相手に穏やかじゃないな」


「お前に話がある」


「マヤばあちゃんを離せ。話はそれからだ」


必死に微笑みを称えながら顔が強ばっているマヤは、乱雑に離された後よろめく。


「ばあちゃん。怪我ないか」


「大丈夫よぉ」


と言うものの心配だ。ヨハンは扉を大きく開けると、


「先に中に入って待ってろ。俺はこの人を送る」


男を屋敷に詰め込むと、マヤの手を引く。そして馬屋の前に立って、ハンスの紐を緩めた。


「厄介に巻き込んで悪かったな。ほら、これに乗ってお帰り」


「またそんな年寄り扱いして……私はまだまだ元気よ」


「年寄り扱いなんてしてないさ。ばあちゃんはどんなに年取っても俺よりは年下なんだから」


マヤを支えて、ヨハンは馬に乗せる。ぽそりと老婆はヨハンに耳打ちした。


「どうやらアイツら、都の人らしいのよ。あんたの事を探して来たと言ってたわ」


なるほど。思い当たる節が山のようにある。屋敷に戻るのが億劫になって来た。


「ありがとう。話してくるよ。さ、早くお行き」


ハンスの尻を叩くと、心地よい蹄の音が響いて、農道を歩いて行くマヤの後ろ姿が見える。それを見届けたあとヨハンは屋敷に戻った。男達の姿は見えない。書斎に直行したらしい。


「家主の許可無しに漁るとはねぇ。主人の顔が見たいものだ」


書斎の中に入ると、汚かった部屋が更に汚くなっている。男の間を抜けて、椅子にどっかりと座った。


「要件はなんだ」


「約束の品を受取に来た」


「人違いじゃないか?何も依頼は受けていないが」


男は書類の束を机に投げた。それを受け取ると、確かにヨハンの名前がある。日付は二百年ちょっと前のもの。『ヴァンクール』の製造依頼書だ。つまりこの男達はレヴィ家の遣いの者らしい。


「……なるほど確かに、俺の名前があるな」


「約束の品は?」


「さぁ、どこに行ったかな……覚えがない」


そこまで躍起になってここまで探しに来るとは、都で何かがあったに違いない。男はヨハンから視線を動かさない。


「ではぺスカ王国まで来てもらおう。大口の依頼だ。食うには困らんだろう?」


「断る。生憎普通の人の身では無いんでね。そういった物には困ってない」


周りにいた男達が全て、拳銃をヨハンに向ける。やっと目的を晒しやがった。


「ヨーハン=絽紗ろしゃ・バックランド。出生地は天慶国。天慶国では絽紗と名乗っていたらしいな」


「そうだ。よく調べたな。丁度干していた所に俺が倒れていたらしい」


「それ以前の記憶は?」


ヨハンは一拍おいて、


「黙秘する」


男のうちの一人が今にもヨハンを打ちそうだったが、それをリーダー格の男が止めた。


「次は俺から質問だ。単刀直入に聞く。都で何があった?」


「何が、とは?」


ヨハンはくしゃくしゃにする勢いで契約書を男に突き返した。


「惚けるなよ。こんな時効の契約書まで持って来やがって。なんかあったんだろうが」


「『聖定』が始まったくらいだ」


「馬鹿言えそんなもん知ってる。もっと他にあったんだろう。例えば……」


酷く意地の悪い薄い笑みを浮かべた。


「……『ラプラスの魔物』が、予言を外したとか」


図星の様だ。男が小さく口を開く。


「お前には関係ない事だ」


「関係大アリだよ。お前、自分が矛盾したこと言ってるのに気づいてないのか?」


予言を外したとか、恐らくオルテンシアは皆の前でポカをかました。それは『わざと』だ。アイツはそんなヘマを犯さない。


だがそれを『そうだ』と思考した貴族達は、絶対的であった創造神の力が揺らいだと勘違いした。それ即ち『創造神の力は何か根源があるものであるのならば、それを封殺出来るマクスウェルの悪魔も同じであるに違いない』と思ったのだ。それで動いた。


今まで『神の力は絶対だ』として『ヴァンクール』を嘲笑っていたのに。元いた世界の教会も、こちらの貴族も、何も変わらない。


「ヨハン。お前の真名は『アダム・マズル』。来ないというのであれば、来てもらうようにするしかないな」


名を縛って傀儡とするつもりなのだろう。しかしヨハンは顔を覆って笑うだけだ。


「ははは……!アダムの事を調べているのは驚きだ。だがな、俺の真名はアダムじゃない。コイツは友人の名前だ」


「ハッタリを……往生際が悪いぞ」


「最初から名乗ってるだろ?俺はヨハンだ。それ以上でもそれ以下でもない。それに本当に往生際が悪いのはどっちだ?」


ヨハンは立ち上がった。片手には拳銃がある。そして見えない様に水晶の玉をねじ込んだ。


「えぇ?埃被った契約書を嗤っておきながら、価値があると分かった途端崇め奉ってレヴィ家を手っ取り早く神にしろと?元の世界に帰れるとしても願い下げだね」


どの世界も一緒だ。こんなヤツらのせいで、俺は今ここにいると言うのに。


「あれは『力無き者に力を与える』神器。お前達みたいに力を持て余して振り翳すヤツはお呼びじゃない」


そして拳銃をしっかりと構える。相手は五人。銃弾なぞ当たっても問題無い。何故なら自分は不老不死なのだから。


「お前達はロジェスティラをあれ程まで虐め抜いた挙句、まだこんな事をするのか?そこまでして得た権威に一体何の意味がある?」


「所詮農民出の貴様には分からんさ……!」


「そんなゴミみたいなもん、分からなくて結構だ!」


書斎の机を飛び越えると、まず前に立っていた男の足を撃ち抜く。扉側に回り込むと、銃で頭を撃たれた。何回やってもやられても、これは慣れない感覚だ。


「ぐっ……」


ぐるんっと一回転した目に焦点を合わせると、また銃弾が飛んで来る。


「不老不死ってのはマジだったのかよ!」


と呑気な叫び声を上げている男の肩に一発。滑り込んで顔を打ちぬこうとした男の足に一発。捕まえるしか無いとわかり、呪文を詠唱し出して隙だからけの奴に一発。


「……ふぅー……」


「ひ、ひいっ!?」


部屋の隅っこで怯えの表情で硬直している男が一人。


「不老不死を見ただけで腰を抜かすとは。最近の若いのはそういうのを見ないのかね?」


足首に一発くれてやった。部屋に呻き声が響く。


「こ、殺さないのか……?」


「動くなよ。動くと撃つぞ。まぁ動かんくても撃つが」


部屋の中のうめき声達は、まだ反抗の意思を持っていて、それらは銃の引き金に指をかけていた。


「代わりに『死ぬ』よりも、もっと辛い目に合わせてやる」


ヨハンは拳銃を自身の頭に当てると、


「『同期(シンクロニズムス)』!」


「待て!止めろ!」


銃から魔法陣が現れて、銃弾は発射される。男が駆け寄るよりも早く魔法が発動して、ヨハンの脳漿を飛ばした。その刹那、男達はぴくぴくと痙攣を起こして倒れ付し、ヨハンも後ろに仰け反って倒れた。数刻して、むくりと起き上がる。


「やれやれ。……げほっ」


口の中から唾液に塗れた水晶と金の銃弾が出て来た。頭が金の水晶の弾丸には魔道式が書かれている。


「適当に作ったものが役に立つとは……」


水晶の弾丸は全部で六発。六発目の弾丸が撃たれた相手と、五発目までの撃たれた相手とで痛覚を共有する。ヨハンは頭を撃ったから痙攣を起こして転がっているコイツらは擬似的に死を体験している筈だ。


『ジジっ……ジッ……せよ──』


「これは……」


ぴくぴくと動いている音がしている死体もどきに手を伸ばすと、そこには無線があった。こんな魔法が発達していてもこれなのか。距離がかなり持つ事を考えれば普通の無線とは違うのだが。


『応答せよ。計画はどうか、オーバー』


「計画は無事完了。今から護送する、オーバー」


『了解。通話を終了する』


ぶつん、とそれは音を立てて無線は途切れた。


「……ここももう駄目だな」


遣いが帰って来ないとなればまた追手がやって来るだろう。ヨハンは立ち上がると荷造りを始めた。必要なものは多くない。武器と数日分の着替えくらいだ。後は追手に見られては困るもの。


ロジェの部屋に入って片っ端から引き出しを開ける。若干の罪悪感はあったがこれも致し方ない。身元が分かるものがあると不味いからだ。


「どうやら大事なものは全部持って行ったみたいだな」


荷物をしょって玄関前の部屋の前に立つ。そしてゆっくりと寂しそうに口端を上げて扉を撫でた。


「結局お前は使わず仕舞いだったな」


ぴり、頭に痛みが走る。よくよく思い出して見れば、この扉に術を掛けてもらった時の記憶が無い。


「身体の修復がまだ完璧じゃないのか?いや、まさか俺に限ってそんな事は……」


痛みは消えた。首を横に振ってその扉に錠をかけて、玄関にも錠をかける。外に出ると馬のいななき声が響いた。


「ハンス。帰ってたのか」


「ふるる……」


嬉しそうにハンスはヨハンに駆け寄った。よしよしと撫でると蹄を土に打ち付けた。


「都まで行きたいんだ。乗せて行って欲しい」


ヨハンはハンスに乗ると、手綱をしっかりと握る。そしてちらりと長い間住んでいた家を一瞥すると、


「……行こう」


それだけ言って、屋敷を後にした。

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