第17話 パウロは伝えない
「お嬢様!知らせです!知らせでございます!」
「なぁに」
オルテンシアは紅茶を飲みながら呟いた。崖面に立っている部屋はマグノーリエの激しい往来とは裏腹に、冷んやりとして薄暗い。その僅かな光に照らされて、ストロベリーのタルトがてらてらと光っていた。
「壁外で天使が現れたと……!アウロラと名乗る天使だそうです!」
「神託かなぁ。そんなことたのんでないんだけど。聞いたことのない名前の天使だし」
フォークをタルトに刺す。ぐしゃりとそれは潰れた。オルテンシアは視線だけ遣いに動かす。
「神託の内容は」
「し、神託の内容は!ミカエルという少年を王に選んだと……!『ラプラスの魔物』が不当に力をせしめており、それを奪還すべきと……!」
「あはははははっ!面白い天使ね!思いっ切り
少女はお腹を抱えて笑う。それはそれは愉しそうな表情だ。遣いは顔を強ばらせる。
「ど、どうなさいますか……」
「いいわぁそのままで。その代わりぺスカ国王に通達を。壁外の難民を全て首都マグノーリエの市民としなさい。今すぐよ。ふふ、よろしくねぇ。下がっていいわぁ」
短く返事をすると、遣いは頭を下げて下がった。天使か遺物か政治家か。存分に潰しあって、最後に遺ったヤツを倒せば良い。
オルテンシアは頬杖をついて、ガラス越しに激しい往来を見詰める。眼下には王宮と城下が広がっていた
「マグノーリエはまさしく夢の王国。だけどその影にはいつも惨さが隠れている……」
少女は影の落ちた白い皿を見詰めると、最後の欠片を口に放り込んだ。
ロジェは荷物をまとめると、ふぅ、と息をついた。
「はー……疲れた。一応は実家に帰って来てるだけなんだけど」
『気休まらないのもしょうがないよ。ロジェは今追われてるからねぇ』
ルネとヘティはロジェの意思を汲んでか、「一人で楽しんでね〜!」と言ってどっかに行ってしまった。ロッジのような宿泊先は木の香りが心地よい。
問題は通りに面したこの部屋は通りの声がよく聞こえることだ。こんなに騒がしくて夜は眠れるだろうか。
「……何だか賑やかね?」
『お祭りかなんかじゃない?』
「うーん……なんかお祭りっていうか、ざわつきっぽいけど」
ロジェは魔法で髪を黒にすると、窓を開けて外の様子を確認する。石畳の上に立った人々は左右脇に移動して何かを待ちわびている様な焦燥感があった。
『ロジェ。なんか神っぽい匂いがする』
「神っぽい匂い?どんな匂いがするの?」
『胃もたれしそうなくらい油っぽい匂い。近付いたら分かるかも』
ロジェは部屋から出ると転げそうになりながら階段を下り、人混みを押しのけて人々の真ん前に出た。そして周りの人の声に耳を傾ける。
「いやぁ、まさか見れるなんてねぇ!生きててよかったよ〜」
「神託が降りるなんて……神代が終わってからって考えるとかなり珍しいものじゃないのかい?」
「神託……?ねぇ、おじさん、おばさん!皆どうして集まってるの?」
夫婦で身を乗り出して城壁の門の方を見ている二人にロジェは声をかけた。夫人の方が言う。
「壁外の難民に信託が下りたのさ。新しい幸せな国の王になるとか」
「『ラプラスの魔物』がいらっしゃる神の国がぺスカだけど、それが変わっちまうのかねぇ」
「おい見ろ!来たぞ!」
誰かが指をさして叫んだその先を見やる。ぞろぞろと歩いてきた行列の先頭には白髪の少年がいた。目には神の輝きを宿している。
「あれがミカエル……マグノーリエのミカエル様だ!」
少年は十五歳くらいで防護服をまといながら両側に立つ人々に手を振っている。彼の後ろには難民も晴れやかに歩いていた。
『ふーん。あれかぁ』
ロジェの影に溶け込んだサディコは、影の中でもぞもぞしながら言った。
「どう?何か分かりそう?」
『わかんない。神の匂いが強すぎて。少なからずアイツ、『ラプラスの魔物』が選びそうなヤツじゃなさそーだけどねー』
ロジェの前を少年は通過していく。太陽の光に反射して、背に負った剣が光り輝いている。
『神って平凡な人間は選ばないんだよ。『ラプラスの魔物』の……オルテンシアの差し金じゃあ無さそうだけど、注意するに越したことないよ。だって新たな国の王になるって言うんだから』
「……あの子、どこ行くんだろ」
『あんな厄介なの関わらなくていいって。もー……』
ロジェは列から抜けると、ミカエルの後を追う。彼ら一行は市場の中へと入って行った。その足取りに澱みは無い。
『なんか目的があるのかな』
「分かんないけど。多分そうなんじゃない?」
密度が高い市場の中にロジェも足を踏み入れる。何本目かの石柱に、『暁の星魔法騎士団本部はコチラ→』と書かれたポスターがあった。
「『暁の星魔法騎士団』?」
『のを入れるところに並々ならぬこだわりを感じる……』
「『魔法使いになったのなら、初めはここに!貴方の魔法使い生をサポート致します』へぇ。こんなのがあったのね」
ポスターの下の方には『財団法人 銀の星』とある。ロジェはこれがレヴィ家の管轄の法人だったと思い出した時に、顔をぎゅっと顰めた。
『ロジェも行ってみたら?何か有益な情報を手に入れられるかも』
市場の奥には教会らしき建物がある。行列はぞろぞろとその建物の中に入って行った。ロジェも扉の傍に隠れてミカエルの姿を見詰める。
「ここが『暁の星魔法騎士団』ですか?」
ミカエルは二階のバルコニーに立つ神父へと大きな声を上げた。神託を受けた噂を聞いたのだろうか、人々は遠巻きにミカエルを見る。
「相違ありませんが……。神託を受けたミカエル様がどうしてここに……?」
「たった今、神託が下りました。貴方達は不正をしていますね。今すぐこの場所を僕に明け渡して、出て行って下さい」
少年は腕を真っ直ぐ伸ばすと、神父を睨みつけるようにして言った。呆れた口調でロジェは呟く。
「あんなので出ていくヤツっているの?証拠も何も無いじゃない」
『タシカニー……』
しん、と辺りは静まり返った。そして、大笑いが起こる──と思いきや。
「み、ミカエル様……!」
「ミカエル様!ミカエル様!ミカエル様!」
「ミカエル様が正しい!今すぐどきます!幾らでも使って下さい!」
「私を下僕にして下さい!使って下さい!」
「神の化身!ミカエル様!」
教会にいた者達、後ろに続いた行列の者達は、虚ろな目をしてミカエルを称え出した。ミカエルは天使のように微笑んで神父が座っていた椅子に座る。
『ロジェ。逃げよう。多分何かしらの魅了魔法を使ってる。ロジェなんて魔法使い慣れてない小娘だから直ぐに喰われちゃうよ』
「うん。なんかちょっとヤバいわね」
そっとその場を離れようとした瞬間だった。
「待って!ロジェスティラ!君と話がしたい。急いでたら、悪いんだけど……」
背中を向けていたロジェはぴたりと足を止めた。ここで逃げてしまうと逆に目立ってしまう。幸いこちらには使い魔(サディコ)もいることだし、
それに、私には策がある。
「……急いでないわ。ミカエル、だっけ。こんにちは、神託が下ったヒト」
ロジェは協会の中に入って、ミカエルを見上げながらそう呟いた。にこりとミカエルは微笑み返す。
「こんにちは、ロジェスティラ」
「ロジェでいいわ」
「じゃあ……改めて、ロジェ。君と話したいと思っていたんだよ」
「それはどうも。それで何を話したいの?」
くす、とミカエルの顔に笑みが零れた。彼は緩やかにロジェの影を撫でるような手つきをした。
「出てきたら良いのに。おいで、サディコ」
ぐちゃぐちゃと音を立ててサディコが現れた。とんでもなく嫌そうな顔をしてミカエルを見つめている。
『ねぇロジェ。もう行こうよ。何で戻ったのさ』
「策があったんだけど、段々ムカついて来て忘れちゃった。なんか手付きとか言い方とかキモイから一発ぶん殴ってやらないと気が済まないわ」
「そんな酷いこと言わないで、ロジェ。ふふ、ごめんね。仲良くなれると思ったんだけど……」
やっぱり妙だ。コイツさっきから話の本題を話そうとしない。それに何より、『ヴァンクール』の気配に気付いていない。ミカエル自身に特別な力は無いようだ。
「ロジェ。僕と君は似ている……違うかい?」
「お互いが人間って点では確かに似てるかもね」
「ふふ、ロジェはユーモアがあって面白いね。僕、そんな人とは初めて会ったよ」
椅子から立ち上がると、ミカエルは間近に近づいた。
「神から選ばれて、目的が一緒。そうでしょ?」
「目的が一緒なんて初めて聞いたわ」
ロジェは瞬き一つせず、紅い瞳でミカエルを見返す。そして溜息を一つついた。
「話は終わり?」
「一緒に来てくれないの?」
「行くわけないでしょ、気色悪い」
「僕はロジェが心配だったのに……」
弾かれたようにミカエルはロジェから距離を取る。その表情は寂しさに満ち溢れている。
「あんたはもっと別の心配をする方がいいわ」
ギシギシ、と床が揺れ始める。直ぐにそれは大きな地響きとなって、雷の様な音が鳴りだした。
「例えばトイレが流れるかとかね!」
水柱がロジェの周りに立ち込めて、サディコの声が辺りに響いた。
『逃げるよ、ロジェ!』
「りょーかいっ!」
ぎゅっとサディコの毛を掴むと、水流を感じて身を任せる。それが無くなると、ロジェは湖の真ん中にいた。マグノーリエ近郊の湖なのだろう。辺りには紅葉の葉が落ちている。
「ぷはっ……どう?神の遣いか分かった?」
一人と一匹は泳いで岸まで辿り着く。サディコはぶるっと身体を震わせた。
『神じゃないねー、アレは。多分ぼくと同じじゃないかな。』
「悪魔が神の振りしてるって訳ね」
『にしてもロジェ、やったね!逃げる時のあのぽかんとした顔!見た?』
「あの会話、内容が無さすぎたから禄な事ないと思って逃げてきて正解だったわ」
びしょびしょのロジェは立ち上がると辺りを見回した。何だか時がゆっくり流れている。ロジェが出た湖も、未だ水が揺れている。
「ここ……多分『
『良いじゃんロジェ。ちょっと魔法練習しようよ!』
ロジェはポケットに入っていた『ヴァンクール』を取り出して腕に着けた。
『いい?ロジェ。君の得意魔法は『水』。これ、凄くいいんだよ?』
「万物の根源たる属性だものね。」
『そうそう!だからこうやって……』
サディコは湖の上を歩いている……がしかし、普通に歩いているのではなくて、歩いたところがクッションの様に凹んでいる。
『まずは歩くことから始めよう!』
「それ、どういう魔法でやってるの?呪文が分かんないんだけど……」
『呪文とかないよ。属性と心を通わせる。自分の手を使う時に呪文は唱えないでしょ?』
属性を心を通わせるとか言ったって、と思いながらロジェは水の上に右足を踏み入れた。ぶにっとした感触が足から伝わる。
そして左足、またぶにっとした感覚だ。これは足、これは足……と思いながら、ロジェは引き続き湖の上を歩いていく。
『おー!やっぱり才能あるねぇ』
くるっとロジェはサディコに振り返った。が、後ろ向きに歩こうとしたら、水が抜ける。
「そりゃどう……うわぁっ!」
ざぱん、と水の中に潜ってしまう。水草や魚が信じられない様なものを見るような目でロジェを見た。
がぱ、と彼女は肺から空気を出すと、水と一体化する感覚を目指して手を伸ばした。直に息ができるようになる。ロジェがいるところが窪んだのだ。
『そうそう!そういう感じ!感覚掴むの上手いじゃん!』
「えっと……こういう感じ?」
水にぐにっと背を押してもらい、また水面へと押し出される。そして服からも水を落とした。さっぱりと綺麗に乾く。おずおずとサディコはロジェを見上げた。
『ぼく、教える必要なかった?』
「ううん。ありがとう。なるほど、こういう感じなのね……」
『そうだ。ロジェ、使い魔も同じ感じだからね。ぼくに一々命じなくても、自分の身体と同じ感じで遣えばいいから。』
「なるほど。つまり……こう?」
きゅっ、とロジェは手をグーにした。サディコの下身体だけが透明になる。
『失敗してるけど』
「ふふっ……失敗してて悪いんだけど、その姿めちゃくちゃ面白いから今日はそのまんまでいて欲しいものね」
『やだよぉ。かっこ悪いじゃーん。戻してロジェ』
「仕方ないわねぇ。戻してあげるわよ」
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