第16話 天使のシンチシー
「つーワケで。行ってくるわね」
「気をつけろよ」
何にも変わらない昼下がり、ロジェは玄関前の魔法陣の上に荷物を置いた。まさか自分が魔法陣を描く事になるなんて。ヨハンは扉にもたれ掛かりながら、じっとその様子を見ている。
「向こうで友達と落ち合うのか?」
「えぇ。一週間泊まるつもりだけど……。それ以上に長くなるかも」
「待つのには慣れてる。気にしなくていい」
『お土産は何がいい!?』
サディコはロジェの背中からぬるっと現れた。勢いと重さで倒れそうだ。
「書類を探して来い」
『無かったら?』
「それはまぁ、その時だろ。ほらさっさと行け」
「ちゃんと良い報せを持って帰ってくるからね」
そのロジェの返答に、ヨハンは何も言わずに頷いた。彼女は指で作った円を通して、その様子を見る。
魔法陣が青く光り、線から零れた無数の粒が辺りの景色を変えて行く。光が剥がれた所から景色が現れた。都だ。
「サディコ。ちゃんと隠れててね」
囁くようにロジェは言うと何の返答も無かったが、感覚的にサディコが影に隠れたのが分かった。
辿り着いたのは路地裏だ。集合場所の噴水に一番近いところ。ロジェはトランクを両手に掴むと、光が示すままに表の通りに出た。
「えーっと。ルネとヘティは……」
「こっちこっちー!」
何で分かったのかしら、と一瞬だけロジェは思ったが、そりゃこんな髪色だと目立つだろう。髪色はこの際構わないが『ヴァンクール』だけは仕舞わないと。着ていた上着のポケットにそれを押し込む。
「早かったね。先に泊まるとこ行こっか。荷物重たいでしょ」
ヘティはロジェの右手に持っていたトランクを取り上げる。
「ロジェが元気そうで良かった」
ルネもロジェの左手に持っていたトランクを取り上げた。
「最近会ったばっかじゃない。荷物の事なら気にしなくていいわよ、私が持つわね」
二人の手からまた荷物を取り戻すと、両者は不思議そうに顔を見合わせた。ロジェは引き攣った笑顔を見せる。
「ほら、ホテル行きましょうよ。荷物を置かなきゃ、ね?」
「私達お付なんだから気にしなくて良いのに」
「私が気にするのよ。さ、行きましょ。都も少し居ない間に様変わりねー」
立ち止まっているヘティを押しのけて、ホテルがあるらしい先へと足を進めた。
「あははっ、今のロジェお登りさんみたいだなぁ」
「五月蝿いわね。田舎って本当に何も無いんだもの」
『ロジェ。話してるとこ悪いんだけど、後ろ見て』
サディコの声がして、言われるがままに後ろを見た。
『あれだよ。あれが、オルテンシアが住む御屋敷。悪趣味だよねぇ』
そびえ立つ岸壁には城があったが、その上にさらに大きな屋敷がある。壁は白磁で、蒼空とのコントラストが見事なもので逆に気味が悪いようにも思える。
『あそこからずっとぼく達のことを見てる。だけど手を出して来ないのは……何かあるんだろうね』
「ルネ。最近都で何か変わった事はあった?貴族が動き出したりとか、なんとか」
「貴族ぅ?あー、レヴィ家が大変そうかもなー」
「そうよね。アリスったらすっかりやつれて」
あのふてぶてしいアリスが?ロジェは二人の言葉の続きを待つ。ヘティが口を開いた。
「理由は分からないんだけどね、貴族の間で『ラプラスの魔物』絡みでなんかあったみたい」
「あんま創造神絡みでなんかあるって良くないんだけどな。国王も忙しそうだし」
『ラプラスの魔物』が、オルテンシアが恐らくロジェを待っている、がしかし、それ以上に動けない理由が何かある。
ホテルが見えて来た。ロッジの様なホテルだ。一週間泊まるのには十分過ぎるホテル。なんなら居心地も良さそうでもっと泊まれそう。長期戦を思いうかべてロジェは財布の残高に思いを寄せた。
「うっ……えぐっ……ひっ……」
「大丈夫だよ。アビー。何も怖くないから……」
マグノーリエ近郊、城壁の外の難民キャンプの中で少年少女は蹲っていた。アビーと呼んだ妹を抱きしめながら目の前に横たわる女を見詰める。
女は頬が痩けていて呼吸も浅い。もう先は長くないだろう。母親の死だと言うのに少年の瞳からは涙が零れなかった。
母親が死んだら妹や弟を食わせなければならない。でもどうやって?学もない、芸もない、何も無い自分に、一体何が出来ると言うのだろうか。
「大丈夫だよ、きっと、神様が救って下さるから。その為にここまで来たんだから……」
縋れるのは神だけだった。創造神の力が御座す朧月夜家が住んでいるマグノーリエに来れば何か救いがあるかもしれない。
……ここにいる全ての者が、救いを求めている点を除けば、だが。
最近は『嘆願』も聞き入れられていないようだし、もっと別の場所を目指して移動するしかないのかもしれない。
「みかえる……」
母は空を向いて手を伸ばした。此処で死ぬ者は皆そうやる。ミカエルと呼ばれた少年は力無く伸ばされた手に触れた。砂っぽくて、皺だらけの手。とても三十代の手とは思えない。
「……母さん。僕は此処にいるよ」
女は最後にちらとミカエルを見ると、そのまま涙を流して事切れた。死んだらしい。
「おにいちゃん?おかあさん、死んじゃったの?」
ぽそりと妹の一人が力無く問うた。ミカエルは肯定も否定もせずに死体を見詰める。
その瞬間だった。
『みつけた』
辺りを眩く照らす光が落ちて来たかと思うと、ミカエルの周りに轟風が吹き荒れる。
『貴方こそ我が君主。真の王』
風が止んだかと思うと、周りの人々は畏敬に震えながらミカエルに跪く光を見詰める。ミカエル自身も、その光に腰を抜かした。
「お、う?」
『途絶えし太古の月の国の、正当なる王。それこそが貴方様』
光は翼を持つフードを被った女の姿となった。風が止むとふわりと花の匂いが辺りに立ち込める。難民達は陰に隠れ恐れおののきながら、ミカエルと天使の様子を睨む。
天使はフードを脱いで立ち上がるとミカエルへと微笑んだ。桃色で、瞳孔はなく星が散った様な目。髪も桃色で、前髪も横髪も三つ編みにして纏め、猫耳のようなシニョンを持った天使で、残った髪はふんわりと下ろしている。
「私の名前はアウロラ。曙の名を持つ天使の一人です」
アウロラの影にミカエルは隠れる。というのも、天使は優に二mはあったからだ。
「えと、あの、人違い、じゃありませんか。僕が王?」
アウロラがにこりと微笑むと、ふわりと周りに馨しい花の匂いが立ち込める。
「いいえ、人違いではありません。貴方が太古に滅びし月影の国の王」
しっとりした暖かい手がその眼差しと共にミカエルの頬を撫でる。へっぴり腰になりながら、ミカエルは立ち上がった。
「もしかして……私のことが怖いんですか?」
「えっと、天使様、なので……。怖いとかじゃなくて、なんというか、実感がなくて」
くすくすとアウロラは笑うと、しゃがんで両手を差し出した。その差し出された大理石の様な手に棒状の布が現れた。
「お取り下さい。我が王」
言われるがままその棒を取る。するりと布が落ちた。青い宝石が煌めく剣がそこにあった。
「私が鍛えました。その剣の名はバルムンク。伝説に名を連ねる、聖人たる貴方に相応しい剣です」
ミカエルはそっとその剣を抜いた。月の光の様な、夢幻にも思える刀身。
「ミカエル様。貴方様には月影の王たる資格がある。ですが、今世界は混沌に包まれようとしているのです」
アウロラの声がずっと遠くに聞こえる。ぼくが、王。全ての国を治めたという、月影の王に。
「神たる資格なき者が神と名乗り、この世を治めている……それは許される行為ではありません」
ミカエルは剣を握り締めた。そして自分を見上げる天使を見つめる。
「貴方が。貴方様こそが。この世を治めるべきお方。神代を戻さなければなりません」
壁外にいる難民達の大多数は皆、遊牧民であった。しかし大火に遭ってここまで逃げて来た。
ミカエルは選ばれたのだ。『救い』を選んだのでなく、『救い』が選んだ。
「僕で良ければ喜んで。お言葉通り、その身になりますように」
引き攣った笑みと冷や汗がはらり、ミカエルの顔に流れた。
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