第15話 薄暗がりのミスティコ
『うーん。ぼくらみたいに家族を作る悪魔もいれば分裂して数を増やしたり、噛んで仲間を作ったり……色々なんだよ』
「悪魔の世界もいろいろあるのねぇ」
暇潰しに小説でも持って行こうかしら、と思いながら背の低い本棚に手をかけると、ザディコは俄に明るい声を出してその棚の上に飛び乗った。
『ねぇねぇ。それよかぼくも一緒に都に行ってもいい?人間が沢山いるとこ行ったことないんだ、ぼく』
「良いけど、あんた一匹でほっつき歩けないわよ。あんたは見る人が見れば分かる存在なんだから」
『じゃあロジェも髪の毛上げられないね?』
ニタァ、と零された意地悪い笑みは、項に召喚痕があった事を思い返させる。こんなもの見られたら二人とも煩いのは間違いない。
『本気の本気で勘当されちゃうねぇ、可哀想なロジェスティラ』
「否定出来ないわね」
『大丈夫だって。本気で勘当されたら結構自由に動けると思うよ。試しにされてみる?』
「そのお試し、されたら戻れないやつじゃない」
『クーリングオフは付いてないね』
「じゃあ要らない」
短編小説を抜き取ると、トランクにそれを仕舞う。今度はかがんだ背中に重みがかかる。構って欲しいらしい。
『髪色も目立つから変えた方がいいよ』
「金髪にしてみようかしら。したかったのよね、ずっと」
『目立つと思うけどなあ。あとそれもしまった方がいいと思うよ』
「……あぁ、これ」
ロジェは右腕に巻かれた神器『ヴァンクール』をさすった。薄らと文字盤がきらめく。
「『力無き者に力を与え、守護する神器』。なんでこんなもん作ったのかしら……。依頼だったって言ってたけど」
「レヴィ家の依頼だったらしい」
声の主にロジェはノックくらいしろよ、と宙を睨んだ。が、声の主はどこ吹く風で、ロジェの部屋の入口の縁にもたれかかっている。
「ノックはしたぞ」
「……あんた、心でも読めるの?」
「お前の言いそうな事くらい分かる。伊達に長生きしてないからな」
『ねぇねぇ。レヴィ家の依頼ってどういうこと?』
ちょこんと座ったサディコは真ん丸な瞳をヨハンに向ける。
「この間オルテンシアから言われたんだよ。んでちょっと調べた。丁度契約書も出て来た」
あんたら仲悪くないのとか、そもそも依頼者の事あんまり知らなかったのとか、ロジェは色々言いたい事はあったがそのまま言葉を飲み込んだ。
「当たり前だが依頼主の名前はレヴィ家になってない。代わりに色んな名家の下請けをしてる企業の名前になってるな。しかもその名前も伏せてある。依頼名は『精密機器の製造』だ」
ここまで来たら、ヨハンが呟く言葉は一つ。
「という訳でお前に頼みたい事があってな」
「そう来ると思ったわ」
「分かってくれて助かる。お前にはこの時の記録のコピーを頼みたい。都にある原本の依頼主の名前と取引履歴だ」
「それ、犯罪じゃない?」
ロジェは怪訝そうな顔をしてぴたりと手を止めた。普通に不法侵入だし、原本に本当の名前が乗っているとは思えない。
「オルテンシアは見逃すだろうよ」
「あの人が見逃しても、国家権力からは逃れられないわ」
「アイツが見逃せば国家権力は間違い無く見逃す。それだけ『ラプラスの魔物』の権力は強いんだよ」
ぺスカ王国は『創造神が住む国家 』として威信を保っている。そしてぺスカ国王は『ラプラスの魔物』から……つまり王権を神授して国家を運営している。故に、神には頭を下げるしかない。それをヨハンは言っているのだろう。
「それにしても朧月夜家とレヴィ家が仲良かったなんてねぇ」
『なに?なんか荒れたりしてるの?』
しみじみと呟いたロジェに、サディコは不思議そうに顔を覗いた。
「いやぁ、そういう訳じゃないけど。もう大きな式典で会っても挨拶するだけの仲よ」
「何某昔にあったんだろうと思うが、その調査は後だ」
ヨハンの言葉に引っかかったロジェは、荷造りしながら言った。
「あんた、こんな事に首突っ込むのね」
「ちょっと引っかかる事を言われてな。俺が居なくなって誰かが何かに留められてしまうのならば、解決してしまわないと」
少し俯いて呟くようにヨハンは言うと、軽く笑顔を作って。
「じゃあな。都に行くんだろ?楽しんで来いよ」
そのまま行ってしまった。こんなの言い逃げだろう。はぁ、とロジェはため息をついた。
「どう考えても楽しめそうにないわ」
『ヨハンなりのセンベイ、ってやつでしょ』
「それを言うならセンベツ、よ」
そっかー、センベツかぁ、とサディコはとことことロジェの周りを口ずさみながら歩いている。ほんの僅かな胸騒ぎと、遊びと任務を両立する徒労。それを鞄に仕舞うと、鍵をかけた。
「『コード』の書き換え、完了っと」
「シアお嬢様。近頃の『コード』の編纂回数は目に余ります。お父様とお母様も仰っていましたよ」
城下が一望出来る窓に向けて置いていたソファに座っていたオルテンシアは、背後からの声に指を止めた。
「良いの。私は当主だから」
『コード』を編纂する為に開いていた魔法陣を閉じると、立ち上がってテュルコワーズへと向き直った。可愛らしい笑顔と共に。
「それ程あの神器で悩まれるのでしたら奪っておけば宜しかったのに」
「うふふ、やだなぁ。色々あるのよぉ。奪うのは最期で良いわぁ」
「どうしてそこまで『ヴァンクール』に固執されるのですか」
「表向きは『魔力を持っていながら魔法が一切使えない者を使えるようにする』っていう神器なんだけど、本来はそうじゃないのよねぇ」
本来はそうじゃない。昨今のレヴィ家の様子を見ていると 『そうじゃない』事を彼らは知っている様だ。まぁ何故そうなったのかも今どうしているのかも、オルテンシアには視えているのだが。
「あれには隠された力があるの。だから私もレヴィ家も躍起になって狙ってるってこと」
しかし。そんな全能の能力を授けられた当主にさえ分からない事がある。それこそが、あの神器を『異端』たらしめる理由。
「けど、わかんない事があるの。あれを作ったのはヤンだわ。ヤンは普通の人間よ。魔法使いじゃない。なのにどうして、どこで『あの力』が……」
目の前の執事は真っ直ぐ主人を見詰めていた。大切な物を消された者は動く事さえ指示がいる。
「ねぇ、テュリーはどう思う?」
「お嬢様に分からない事が私に分かりましょうか。貴女は全知全能なのですから」
「……あは、確かにそうだね」
質問を促すと、その通りに動く。精巧な自立式人形の様だ。そんな風にしてしまったのは自分なのだが。オルテンシアは自嘲を込めて嗤った。
「大丈夫だよ、テュリー。絶対どうにかするからね」
テュルコワーズは微動だにしない。良かった。魔法はまだ続いてる。神の能力が消える訳などある筈無いのに。しかしオルテンシアの安堵は次の一言で消えた。
「シアお嬢様。私、ずっと申し上げたい事があったのですが」
「なぁに」
「……あの赤髪の娘を見ていると、何か大切な事を思い出しそ」
ぱちん、と音がしたあと、大きな音がした。人が倒れる音。オルテンシアは腕を真っ直ぐ執事が居た所にかざしたまま、目を見開いている。
ソファの向こう側では、テュルコワーズが目を閉じて倒れていた。
「やっぱり、そう、なんだね。あの、娘が……」
少女は俯いて己を抱き締めると、いつも通りの表情をつけて顔を上げた。
「テュリーが倒れちゃったんだけどー!誰かいるー?」
当主が大きい声で叫ぶと、瞬く間に扉を開けて守衛が現れた。
「お嬢様!大丈夫で御座いますか!?」
「うん。あたしはだいじょうぶ。テュリーは少し疲れていたみたいだから……」
何人かの侍女が担架を持ってきて、守衛がそれに乗せた。
「アミーを呼んでくれる?」
「畏まりましてで御座います」
守衛も侍女も下がると、大きな部屋に一人オルテンシアは残された。閉ざされた扉を見遣ると、またソファに座る。ふと目を閉ざして思い出すのは、あの時の記憶。
『いやだ、どうして……!俺は認められない!?お、俺は今までこ、こんな、こんなに!』
今でも忘れない。この部屋の窓からは梅雨時で、丁度
『お、落ち着いてテュリー。大丈夫だよ。貴方に力がなくたって、ずっとあたしの執事だよ?だ、だから……』
『お前みたいな恵まれた人間は何も分かってない!俺は!お前とは違って!力なくちゃダメなんだ!そうじゃなきゃ価値がない!終わりだ!』
痛いくらいに掴まれる肩。その手は熱く、目の前の人間の瞳孔は開いて。
『なぁ、くれよ、神様なんだろ?俺の事くらいどうだって出来るんだよなぁ?ほら、やれよ!早く!やれって言ってんだろ!』
『てゅ、てゅりー……そんな、あたしは貴方のこと、本当に信頼して……』
『信頼なんか要らねぇ!力がほしい!おわ、おわりだ、ほんとうに、なにもなくなる……いやだいやだおわりたくないなにもかんがえたくなぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』
そうやって劈く声を聞かない為、それともテュリーの為か。振りかざした拳と同じ様に手を伸ばすとテュリーはあんな風になった。自立式人形の様に。
『お嬢様。アミティエを連れて参りました』
「入っていいよ。」
当主は振り返る事無く、自分に擦り寄ってきた愛犬に手を伸ばした。あの時の事は『テュリーは過労で倒れた』事にして、『テュリーは身体が弱い』という事に世界を改変した。執事の本当の事を知るものは術をかけた物言わぬ獣だけだ。
「アミー。アミーはあたしとずっと一緒に居てくれる?」
カウチソファにずしっとアミーは乗っかって来た。寝ろという事だろうか。
「ふふ。おやすみ」
オルテンシアは目を閉じて、長い逃避の世界へと没頭する。
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