第二章 夢魂蒼氓国家 ペスカ
第14話 のどかなシネマティスタ
「くちゅんっ!」
「どうしたんだ風邪か?あの雨はサディコの力だったんだろ?」
ヨハンは椅子にふんぞり返りながら本を読む。
『いや、ロジェのくしゃみは違うと思うよ。だって……』
サディコの言葉の合間に、ロジェはまた一つくしゃみをした。
『この部屋、埃っぽいもん。めちゃくちゃ』
帽子とエプロンに身を包んだロジェは、ヨハンの部屋を掃除していた。自分の部屋と人がよく出入りする台所と玄関口は掃除したが、彼の部屋は掃除していなかったからだ。
「あんまり思った事が無いが」
「不死者だからじゃない?くしゅんっ」
足の踏み場がそんなに無いヨハンの部屋を、ロジェは足探りで掃除する。何か足先に丸く小さい物が当たった。弾頭だ。
「ちょっと。こんな所に銃弾を置かないでよね。転んでしまうでしょ」
「すまん。さっき死んだから」
「そんなカジュアルに死なないでちょうだい」
「猛烈な鬱になるんだよ。偶に」
「なる必要ないわ。私がいるもの。あんたを殺してあげられる」
「そうかよ。楽しみにしてる」
ぶっきらぼうに返されるという事は結構集中してるらしい。ふと窓を開けると大きな虫が入って来た。ロジェが捕まえようとしたその瞬間、銃声が響く。
「……そのやたら早い抜撃ち技術はどこで養ってきたのよ」
ロジェの目の前には、銃弾が埋め込まれた大きな虫があった。何か汁っぽいのが出ている。本にめり込んでどうしようも無い。拭く気も起こらないし、これはもうそのままにしておこう……。
「元の世界で戦争に出てたんだ。俺の世界に拳銃は無かったが、銃もナイフも使える。応急処置も出来る良い兵士だったんだぞ」
「ね、ねぇ……その拳銃ちょっと見せてよ。私銃って持ってことなくて」
その頼みを聞いてヨハンはやっと本から目を離した。そして弾を抜いて立ち上がって拳銃を渡す。
「別に構わないが……ほらよ」
「随分と良い拳銃ねぇ」
特にロジェが銃器に詳しい訳では無いが、装丁で金がかかっているのは分かる。自動式拳銃で、白い身体に金色の花の彫刻がされていた。
恐らく彫刻自体も高いが拳銃にも手がかかっている。手入れはされていると思うがガタや削りも見付からない。
「そうなのか?」
「えぇ。他には何か持ってるの?」
「散弾銃とか狙撃銃はあるし、ナイフもそこそこあると思うが、何をしても俺は死なないから要らないんだよな」
『宝の持ち腐れだねぇ』
「拳銃はこの世界に来てから良くしてもらった人に貰ったんだ。自分の身くらい守れるようになれ、って」
「へぇ。それじゃあ役に立ったんじゃ……」
「逃げ出したんだがな」
ロジェは半ば心の中で、でしょうねと項垂れた。どう考えても彼は人を殺せるような性格じゃない。
「俺の仕事は研究であって人殺しじゃないんだよ。徴兵も無理矢理だったし。徴兵に背いたら死刑だったからな。行くしか無かったんだ」
『大変な世界だねぇ。ぼくには考えられないや』
「あれだけ死にたくなかったのに今は死にたいなんて……。運命ってのは数奇なものだな」
「運命を憂う前にこの部屋の惨状を憂いてよね。まだまだ掃除は終わってないんだから」
ぺしぺし、とロジェは箒で地面を叩いた。やっとこさ埃が舞わなくなった。掃除の賜物である。
「他にどこ掃除するとこがあるんだよ。俺の部屋以外は綺麗にしたんだろ?」
「あの玄関入ったとこに見える部屋よ」
あー、あれか……とヨハンは目線を逸らした。そして本を置いて椅子にどっかりと座って足を組んだ。
「あの部屋には入ったら駄目だぞ。そういう
『まじない?』
ロジェは首を傾げた。
「昔、召喚に明け暮れてたって言っただろ。それを聞いたある人が
「どんな呪いなの?」
「『この扉から人が出てきた時、貴方は元の世界に帰れるし、扉の奥に帰る方法がある。それまでは何人たりとも扉を開けてはならない』って言われてる」
「世界を超えるって凄い魔法でしょ?呪いで何とかなるものなのかしら」
「大丈夫だろう。凄い魔法使いだったしな。何より……呪いは願いを招くから」
それって、と質問責めしようとした所に玄関からベルの音が聞こえる。こんな辺境でも来客があるのだ。
「おばちゃんじゃないか?ロジェ、見て来てくれ」
ロジェは箒と帽子を置くと、書斎を出て玄関に向かう。そこには、
「ヘティ、ルネ……」
「よ、元気にしてたか?」
「変わってなさそうで良かったわ」
扉を開けると暫くぶりの幼なじみの姿があった。二人とも元気そうだ。
「こんな辺境まで来てくれてありがとう」
「田舎どころの騒ぎじゃないだろ、ここ」
「何かいるもんある?何でも用意するわよ」
サディコは何となく居心地が悪くなって、ロジェの影の中に溶ける。友達の友達が盛り上がっているのを見て疎外感を感じるアレ、あるあるだ。
「ううん。今は特に困ってる事は無いかな。心配してくれてありがと。でもどうしてこんな所に?」
「お前いつまで玄関で……。何だ、友達か?」
二人が答える前に、後ろから声がかかる。ヨハンだ。何でこんな余計な時に現れるんだ。
「あー、えっと……私の幼馴染ってとこかしら」
「ふぅん。要するにエリックスドッターの使いってことか」
『言い方』
「……ロジェ。この人は?」
言われてロジェは固まる。そう言えば考えた事無かった。一応ロジェは助手みたいなものだ。だからその、ヨハンから見れば。
「えーと……ヨハン、ヨハンは……」
「ふふっ……」
耐え切れなくなった笑みにロジェは振り返る。
「ど、どういう表情なの、それ……」
「いや。何て言うのかな〜と思って」
「意地の悪い笑い方をするわね」
はぁ、とロジェは深くため息を着く。本当にこの人は禄なもんじゃ無い。絞り出す様に二人に向き直って言った。
「ヨハンは……保護者よ」
「どうも、保護者だ」
にこ、とヨハンは笑った。何だか笑い方がオルテンシアに似てる気がする。
「私はルネとヘティにお茶を用意するわ。あんたは?なんか要んの?」
「コーヒーがいい。ブラックで」
「分かったわよ」
渋々ロジェは家に入ると台所に向かった。取り残されたのはヨハンと幼馴染達だ。ふと彼らに目を向けると視線が痛い。要するにこういう事だろう。
「心配しなくて良い。あんな小娘襲ったりしないよ。それと」
くるりとヨハンは二人に背をして。
「マリシアに宜しく言っておいてくれ。いつでも心変わりを待っていると」
『ねぇーえロジェ……ロジェはぼくのこと嫌い?』
お湯を沸かしている間、影に潜んだ使い魔は唐突に問うた。
「なに、いきなり。そんな事聞くなんてらしくないわね」
『だって一応襲った訳だし。ふと思っただけ』
「嫌いって事は無いわよ。まぁ、ペットとしては悪くないかな。話し相手くらいにはなるし」
『ふふ。素直じゃないなぁ、ロジェは』
「うっさいわねー。分かったならコーヒー持って行きなさい」
ロジェは自分の影に手を突っ込むとサディコを取り出した。足をじたばたさせている。
『うぅ、ひどい、ぼくを使いっ走りにするなんて……』
「あんた使い魔でしょ。文句言わないの」
はぁい、とサディコは仕方無しに返事した。玄関に居た自分の幼馴染に声をかけてロジェはお盆に紅茶を乗せて自分の部屋に向かう。
「お前随分といい家に住んでるんだな」
「そうかなぁ。辺境過ぎていい所ないわよ。空気くらいしか」
ロジェは真ん中に置いた机にソファをつけて、ヘティとルネを座らせた。
「はいどうぞ。お菓子もなくてごめんね」
「クッキーなら持って来たわ」
「お前の好きなムーディさんのだぞ」
ヘティは紙の箱を開けると、色とりどりの可愛らしいクッキーが入っている。ムーディさんはエリックスドッター家のお抱えコックだ。ロジェはこの人の作るクッキーが大好きなのである。
「秘密で作って貰ったんだ。全部食べて良いぞ」
「い、いいの……?」
刹那、キラキラと目を輝かせたロジェの背中を何かが這う。肩にずしんと何かの力がかかった。サディコだ。二人には見えないし聞こえないようにしているらしい。
『ロジェ。それ僕も食べたいから残しておいて。全部食べちゃダメだよ』
生きる為なら食事をしない悪魔がなんか言ってるわ、と思いながらロジェはちょっとだけ食べる手を止めた。心を通して語りかけてくるとか気の入りようが半端じゃない。
「……どうした、ロジェ。食べないのか?
体調でも悪いのか?」
「う、ううん……。沢山くれたから少し残してまた夕食の後に貰おうかなーって」
直ぐに肩の重荷が無くなる。コーヒーの使い走りの仕返しだろうか。
「ロジェがそう言うのなら良いけど。何か珍しいわね」
「そ、そうかしらぁ?まぁそれはそうとして、どうして二人はこんなところに?」
何とか話題を逸らさなければとロジェは疑問をぶつけた。ヘティがわくわくした笑みでロジェへと問う。
「旦那様が様子を見てこいと仰ったのと……。ねぇロジェ。久し振りに都に遊びに行かない?」
「都?ぺスカ王国の?マグノーリエに?」
久しぶりに聞く名前だ。あまりにも辺境過ぎて聞くことは少ない。
「そ!泊まりで!一週間くらい!」
「良いけど……」
「あー良かった!それじゃあ私帰るね!言いたかったのはそれだけだから〜!」
ヘティはそれだけ言うと、ルネと一緒にあっさり転移魔法で帰ってしまった。慌ててロジェは止めようとしたが、その手をゆっくりと下ろした。
「……仕方ないわよね」
『ん?ロジェ?どうしたの?お友達は?帰っちゃったの?』
サディコはひょっこりと扉から顔を出した。少女はそのまま空になったカップを手に取る。
「うん。帰ったわ」
『随分と早かったねぇ』
「彼らは幼馴染である前に、エリックスドッター家お抱えの魔法使い……私のお目付け役だから。お父様に報告するのでしょう。今日はそっちがメイン」
ふぅん、と台所に向かう彼女にてくてくと使い魔は着いていく。
「私ね。いつかもし当主になれたら、あの子達を解放したいの。エリックスドッター家よりもっと良いお給金を出してくれる家なんて幾らでもあるわ」
それに、と呟きながら流しのカップを掴んで洗剤をつける。
「本当はお目付け役なのに、幼馴染の振りをさせるなんて……辛いもの」
その時ふと思いついた。自分は使い魔に自分の家族の話をしていない。魔法使いは使い魔に自分の話をするのが基本だ。
「お父様とお母様はとても優しくて良い人よ。魔法が使えない私を愛してくれた」
『エリックスドッターの家ってどんなの?』
「魔法が使えない者は居てはいけないところよ」
カップを片付けながらロジェは少し被せ気味に答えた。
「お祖母様が早死したのも、それが原因だって言われてる。マリア曾お祖母様は魔法が使えない者はお嫌いだから」
こんな事いきなり言われてもね、と一人少女は昔日の記憶を思い出す。曾お祖母様はあまり表に出てこないからこそ、ヨハンの話を聞きたいのだが。
「私の親は二人とも優しいの。私の事を愛してくれてる」
『怒ったりしないのー?』
「それはするけど、別に悪い事しなけりゃ怒られないわよ。ま、怒られて島流しになった姉妹はいるけどね」
『ロジェってお姉ちゃんいたんだ』
「ほんとは秘密なんだけど、あんたは使い魔だしいいや。部屋で荷造りする時に見せたげる。こっちおいで」
流しを綺麗にするとロジェは部屋を目指す。持ってきたトランクの一番下から緑の写真立てを取り出す。
「ほら、これ」
『ほんとだ。知らない人が二人立ってる……。ママは髪の毛が茶色なんだね』
「そうよ。お母様以外は皆赤髪なの」
五人は薄緑のカーテンの前に立っている。厳しさの中に優しさがある中年の男性と、慈愛の表情を浮かべた女性の真ん中に不思議そうな顔をした少女。
そしてその三人の後ろには、左側には嫋やかな赤髪を纏め妖艶な笑みを浮かべた妙齢の女性と、前髪も短い髪の裾もアシンメトリーにして不服そうに上の方を見詰めている女性がいた。
「左に立ってるのが一番上のお姉様。アルチーナ=プリンケプス・エリックスドッター。右にたってるのがモルガン=ニュムパ・エリックスドッター。二番目のお姉様ね」
『幾つ離れてるの?』
「さぁ。確か百歳弱くらいだったと思うけど」
『あぁ、家族全員魔法使いなんだね。まぁそうか。当たり前か』
魔法使いの年の差って聞くの難しいなぁ、とサディコは目線を逸らした。
「あんまり会ってないのよね。元気なのかしら、あの御二方」
『どうして会ってないの?都で働いてるとか?』
「追放されちゃったの。家から」
『……えっと、魔法が使えないから?』
「ううん。二人とも一流の魔法使いなんだけど、素行が悪過ぎて」
そういうのって黙ってるんじゃなかろうか、サディコは遠くを見つめながら思った。使い魔だからって気を許しすぎだと思う。
「モルガンお姉様が船を沈没させるのが趣味で、その沈没させて生き残った男の人を漁るのがアルチーナお姉様の趣味だったの。最悪よね」
ロジェは空いたトランクに荷物を詰め込み始めた。今は魔法が使えるからそんなに荷物は多くなくても良いが、現物はいざと言う時に助けてくれる。何より癖でたくさん詰めてしまう。
「だから今はお父様に世界の端に封印されてて、年に一回だけ家族に会えるの。なんか困ったことがあったら頼れって言われたけど、そんなことあるかなぁ」
『魔女ってそういうの普通なの?』
「間違いなく普通じゃないわ。お姉様達曰く曾お祖母様の締め付けが嫌で暴れたらしいけど」
ロジェはトランクから立ち上がって一息つくと、サディコに目を遣る。
「あんたも確か兄弟居たわよね?」
『そうだよ。僕の場合は皆年子だけど』
「兄弟と暮らしてるの?」
『皆独り立ちしてるよ。僕らは一応獣に近しい存在だからね。大人になると独り立ちするのさ』
サディコは足で耳を掻きながら応える。
『ま、独り立ちしてるって言ってもこの辺に皆住んでるよ。偶に家に顔出しに来る。パパはどっか行っちゃった。まぁまたいつか帰ってくるでしょ』
ロジェは本人も言う通り、サディコは獣らしい性格をしているなと思った。他の悪魔もこんな生活をしているのだろうか。
「悪魔って皆そんな感じなの?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます