第12話 巫女のカイロス

続きを言いかけでサディコは口を噤んだ。そしてもう一つ考えていた続きを選んで言った。


『だからね、本来のヨハンの性格はあんなんなんだよ。ロジェが来てくれたお陰で少し取り戻したんじゃないかなぁ』


「そうかしら」


『初めてロジェを通してアイツに会った時ビックリしたもん。あんな諦めた人間が居るのかって』


「ふぅん」


そのロジェの声はちょっと嬉しそうだった。でも多分、ロジェが救ったのではなくて、ロジェの姿を通して『誰か』を見ている訳で。


「サディコ。もう行きましょ」


何だか心が重くなった。同じくらい曇天も厚い。これから雨が強くなりそうだ。


『うん。そうだね』


魔法で雨を払いながら歩いていくロジェの後ろを、サディコは一つ零した。


『……悪魔だから何にもしてやらないけど、ちょっとくらいはまぁ良いでしょ』







「やれやれ。コイツは一体どういうことだ?」


天慶国の中心まで戻るとヨハンは呟いた。中心の大社から何か黒いものが渦巻いてそれが雨雲を発生させていたらしい。


黒いものは液体となって建物からも流血のように溢れて来ている。


「さて。帰るか」


「えぇ!?帰るの!?」


「俺の目的は達したしな」


くるりと百八十度方向を変えるとそのままヨハンはスタスタと歩いて行ってしまう。慌ててロジェはヨハンの前に飛び出た。


「ちょっ、ちょっと待って!」


「何だ」


「麗子が困ってるかもしれないわ。それにたくさん良くして貰ったし、何かあったなら助けに行かなくちゃ駄目よ」


「俺の知った事じゃあないな。そもそも御神子サマとそんな仲良くないし」


確かにそうである。ヨハンの行動は道徳的に反しているだけであって、助けるか助けないかを選ぶのは個人の自由だ。反論が出来ない。


「私は行くから。サディコ!行くわよ!」


『はーい。……ヨハンもおいでよ。というか、きっと来なくちゃダメになるよ』


「そんな訳あるか。俺は帰るからな」


走って行ったロジェは早速『何か』に出会った。黒い人型の何かは、噛み付こうとして彼女の腕を掴んだ。


「やれやれ」


ヨハンは銃を抜くと人型の何かの手を撃ち抜いてそのまま蹴り倒す。ロジェも同時に尻もちをついたが、直ぐに立ち上がった。


「あ、ありがとう……。ごめんなさい、私なんにも出来な」


「分かった。俺も一緒に行ってやる。だけど御神子サマに会ったら帰るからな。分かったか?」


「分かった。そこからはちゃんと自分一人でやるわ」


言ってんのはそういう事じゃねぇよ、とヨハンは心の中で悪態をついたが、こうなったロジェはもう止まらない。大社の方へ向かって一行は走って行った。


「これ一体どうなってるの?」


「分からん。詳しい事は御神子サマに聞いた方が良いだろうな」


黒い人型が至る所で彷徨いている。空いていた大扉に飛び込むと、ロジェは中を覗いた。


「麗子はこの中に居るみたいだわ。気配があるもの。行きましょう」


徒歩で中に入ろうとしても内扉が瓦礫で埋もれて入れない。外側からも厳しそうだ。


『任せてロジェ。この黒い液体でも飛べそうだよ』


ちょんちょん、と可愛らしい足でサディコは黒い液体をつついた。それを聞いてヨハンもロジェも毛並みを掴む。瞬間、視界が歪んで大社の中に入った。


『ロジェが感じた気配を通して探してみたよ。多分この辺に居るはず』


「……だれか、居るの?」


幾つか床が落ちている高い階層だ。瓦礫の向こう側から少女のか細い声が聞こえる。麗子の声だ。


「麗子なの?居たら返事して!」


「ここ!ここよ!助けて!」


声のした方に向かうと倒れた大きな梁の奥に木の格子が見えた。怯えた表情の少女が一人格子にしがみついている。


「た、たすけて、ロジェ、ヨハン……。あたし、もう、壊れちゃう……!」


「随分と大変そうだな」


「もう少しで男子が来るの。お願い!此処から出して!」


「分かったわ。少し離れてくれる?」


ロジェは麗子が格子から離れたのを見ると、炎で格子を焼き払った。おずおずと格子から麗子が出て来た。


「あ、ありがと……だけど、お、おのこが来なくても……孕まなくても……いっしょなの……」


「一緒ってどういう……?」


ヨハンは顔を顰めた。その理由は麗子の身体にある。


「は、はら、はらを、食い破って、『何か』がうまれ、て……くる、の……」


恐る恐る触れた麗子の手の先には、不自然に膨れた肚があった。


「その『何か』は……あたし、を、たべて……。あたし、あた、しは……」


「こ、これ、なんなの……?」


『中からたくさんの瘴気の臭いがする。何かに植え付けられたんだね』


くんくん、とサディコは顔を顰めながら匂いを嗅いだ。


「でもねでもねロジェ、わたしもっ、と、怖いことがあって」


「な、なんなの……?」


「お腹の中に居る子がね、可愛くて可愛くて可愛くて仕方ないの……」


その表情は悦楽そのものだ。正気では無い。何かに取り入れられつつある。


「おい、お前妹はどうした。居ただろ確か」


ヨハンの言葉に麗子は我を取り戻した。ハッと顔を上げるとロジェに縋り付く。


「あの子オサンビサマの贄になっちゃったの!お願い!あたしも行くからあの子を助けて!」


「分かったわ。大丈夫よ、私達が居るから」


言うが早いが麗子は脇にあった部屋に入ると大幣おおぬさを持って直ぐに現れた。巫女装束は左前になっていない。


「こんな事もあろうかと、色んな所に巫女装束を隠してて良かったわ」


「一々着替えなくていいんじゃないのか?」


「巫女装束が無いと御神子は飛べないのよ」


可愛らしい黒い下駄に足を入れると赤い鼻緒が見えた。


「御神子の衣装は『短命』の証。だから儚く散る蝶で、左前になってるの。……ううん。なってた、の方が正しいかしらね」


頭上から黒い液体が落ちて来る。早くここを立ち去らなくてはならない。


『掴まって!飛ぶよ!』


全員サディコの毛を掴むと、随分と遠い場所まで飛ばされた。どうやら液体が遠くにまで浸透している様だ。


「よ、葉子……!」


麗子は絞り出す様に妹の名を呼んだ。視線の先には液体から生まれた人型が屋根の取れた神輿を担いでいる。中には幼女が見えた。


麗子は空高く飛ぶと、妹を神輿から取り上げ霊術で人型を全滅させる。


「おね……ちゃ……。そら、が……ぴん……く……さむ……い……」


「葉子!生きているのね!」


麗子は妹を安全な場所に寝転がせるとヨハンが駆け寄る。


「麻薬だ。目も虚ろだし、アルコール臭い……酒も飲まされたんじゃないか」


どうやら当たりらしい。麗子は顔を顰める他に無かった。


「この近くに医者は?」


「馬を飛ばせば、近くの村に……」


「おーっそらー!のたいようがっー!きんきら光ってきれーだな!」


突然目をかっぴらいて歌い出した葉子に、麗子は目を逸らした。


「間に合いそうにないな」


「これ、確かに麻薬も酒も入ってるけど、瘴気も沢山吸ってるわね……」


ロジェが手を翳して解毒を試みるが、葉子の虚ろな目は変わらない。麗子はヨハンに告げた。


「この子をなるべくここから遠ざけて欲しいの。」


「……俺がやるのか?」


『よーはーん。そっちの方がいいよ』


どういう理屈なのか分からないが、サディコが言うのならそうなのだろう。何かコイツは知っている。ヨハンは葉子を担いだ。


「じゃあ俺は逃げるぞ。一応聞いておくがサディコ、そっちの方がいいってのはどういう事だ」


『『ラプラスの魔物』の気配がするよ』


その言葉にヨハンは目を見開いた。なるほど、来いと言ったのはそれが理由か。


「……この子を安全な所に送り届けたら、直ぐに戻る」






遺跡があった方向とは逆の方向の森の上を二人と一匹は飛ぶ。ぴかぴかした光沢を持つ白い四足の大きな獣が、木の高さ二倍三倍くらいはあろう巨体をゆっくりと動かしていた。


「あれがオサンビサマなの?」


「そうよ」


オサンビサマは鹿の様な姿をしていた。顔は窶れた女の顔をしており、長い髪の毛を引き摺っている。鬣は人間の腕で出来ており風は無いのにたなびいていた。近寄ると足の部分は人間の足が幾つも生えている。


「これが……」


「大丈夫?気分悪く無いかしら」


若干の吐き気はあったが、ロジェはそれを飲み込んだ。


「えっと……大丈夫」


『瘴気が凄いねぇ。一応神様でしょ?』


「み、御神子さまぁっ!」


下の木が開けた祭壇から声がかかる。まだ狂気に苛まれていない人間が十人程いる。祭壇の前で小さく蹲っているのが見えた。


「灯台下暗しね。足元だと瘴気が溜まってなかったんだわ」


「あ、貴方達、無事だったの?」


人々の近くに降り立つと、わらわらと麗子に群がった。


「これは一体どういう事なのですか!?オサンビサマは守って下さっていたのでは無いのですか!?」


「オサンビサマは土着神様でしょう!我々に、恵をもたらしてくれ」


「違う!」


麗子は叫ぶ。きっと今なら、聞いてくれる。今なら届くはず。御神子様のお言葉傾聴せよと。


「違う。……オサンビサマは、土着神なんかじゃない。あれは歪んだ信仰心の成れの果て。アレの正体は、大国主様に間違って献上してしまった腐った獣よ」


最早『獣』と呼べるかどうか怪しくなってしまったオサンビサマは、ゾッとする様な声を上げた。金切り声の悲鳴に近い。


「大国主様はもうずっと前に天にお戻りになっていたの。きちんと謝りさえすれば、大国主様はお許しになった」


あの腐った神棚を崇め奉っていた人々に。


「だけど、人々は過ちを認めなかった。それどころか、天罰を恐れてあんなケガレの塊を『神』として崇めてしまった」


中には耳を閉じている人も居る。


「どう考えたっておかしい豊作に、妖怪が多過ぎるこの地で有り得ない程の平和。こんな事、あってはいけないのよ」


聞かないのなら勝手にするといい。どうあってもこの現実からは目を逸らせない。


「貴方達は……うっすらと理解していた。これが異常な事態であると。だけど天から見守っているヤワな神なんかよりも、恩恵を無条件で与えるケガレを手放したく無かった貴方達は、あれを『土着神』とする事で全てを無かった事にした」


歪んだ土着神。アレはそう呼ぶに相応しいもの。


「『アレ』は恩恵と引き換えに、人柱と信者を要求している。『アレ』の目的は自分を殺した人間という種を傀儡とする事。故に、この地をどれだけ離れても、私達は『アレ』から逃れる事は出来ない……!」


「では何故、こうなる前に我々を救って下さらなかったのですか!」


「何も聞かなかった貴方達が、それを言うのね」


ロジェは驚きながら小声で呟いた。何だか怒る気も起こらない。


「良いわ。あたしの事なんて好きに言うといい。私は巫女、神の声を聞く者」


麗子は人目を気にせずもう一度帯を締め直した。瘴気に飲まれないように。


「賛辞も侮蔑も含めて、私は御神子であるのだから!」


麗子は空高く飛び上がった。速い。飛んで来た攻撃が避けるのは勿論、ほんの瞬間に出来た合間を縫って攻撃をするのも忘れない。戦い慣れているのだ。

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