第9話 世界のパロミオス

「超古代文明で栄えていた文化と俺が居た世界の文化が酷似している。それが理由だ」


振り返ってヨハンはロジェに言い放った。


「質問は終わりか?」


正直、気になる事は沢山ある。でも聞くのは今では無い様な気もする。


「実はまだまだ、聞きたい事があるんだけど」


「そんな感じの顔をしてるな」


バツの悪そうな助手の顔を横目にヨハンは茂みを抜けた。


「またいつか話してやるよ。まずは調査だ」


何処か楽しそうな足取りでヨハンは城塞へと足を進めていった。






けまくも かしこ伊邪那岐大神いざなぎおおかみ 筑紫つくし日向ひむかたちばな小戸おど



阿波岐原あはぎはら御禊祓みそぎはらたまひし時に せる 祓戸はらえどの 大神等 《おおかみたち》諸諸の 禍事まがごと 罪 穢有らむをば祓へ 給ひ清め給へともおす事を 聞こし せと恐み恐みももおす……」


朽ち果てた城の中で異様に美しく整えられた祈祷室の中、薄暗い空間で元老達の視線を背中に集めながら麗子は強く祈っていた。


しかし御神子である彼女は分かっていた。神々は聞き届けない。妖怪を崇め醜悪な欲を『土着神』等と誤魔化した人間の願いなど、聞き届けるわけが無い。


だからこの祈祷は無意味なのだ。それをどれだけ神の代理人である麗子が訴えても、元老達の耳には届かない。神への声が聞かないのであればそれを神々が叶える訳もないのに。


故に彼女の膨大な──それもニセモノの土着神から与えられた──力で、現状を維持していくしかない。のに。


ぱりん。


神酒が割れた。花が萎れる。とうの昔に黒く煤けた鏡に亀裂が入って、神棚の中から『何か』が這い出てきた。くろい、なにか。


「御神子様!いかがなさったのですか!」


麗子はゆっくり振り返った。元老達、老若男女の疑わしい目が彼女を貫く。


あたし、じゃない。あたしのせいじゃない。


どれだけ、何を言っても欲に目が眩んだ人間のせいなのに。


「……オサンビサマだ。オサンビサマがお怒りなのだ」


誰かがふと口を開いた。違う。アレは怒ってなどいない。怒れるほどの本能も、それを留める理性さえもない、神として崇めるには不十分過ぎる動物以下の存在。


麗子の手に大きな蝿が止まった。それは元々神棚にある、腐った四足の獣に集っていたものだ。神棚に腐ったモノがある事は異常であると誰一人として理解していない。


知識が無いのではない。理解しないのだ。


天守閣から叫び声が響いた。劈くような女の声は、どこか金属音を交えている。


「そろそろだと思って居ましたが、どうやら時間の様ですな」


「御神子様。もう無理ですじゃ。大御神子様も、オサンビサマも……交代の時期で御座います」


刺すような視線が麗子は貫く。後ろに後ずさって、供え物の里韮さとにらがひっくり返った。


「も、もう少し待って、お願いだから……!お父様も居るし、私も頑張るから!」


「皇様がこの国を出て十年。皇様の『嘆願』は受けいられなかったと……考えるべきでしょうな」


元老の眼差しは暗に『お前の父親は逃げた』のだと示している。御神子の意思は、神の意思は、誰も聞く気は無い。


「お、お父様は、逃げたりなんてしない!私も頑張るから、おねがい!」


「葉子様を柱に立てるしかあるまい」


その言葉で麗子は狂った様に泣き叫んだ。


「止めてぇぇぇ!お願い!葉子だけは!止めてよぉぉぉぉ!」


先程の食事で元老達が使っていた器に盛られた供物のご飯を思いっ切り投げつける。しかし抵抗は無意味で麗子は向かって来た男に片手で拘束された。


「お願い離して!い、いや!い、いや、い、た、たすけて、い、いやだ……!」


「御神子様。助けを求めるのは大国主様でしょう」


まるで蔑む様な目で元老の老婆は麗子を見据えた。やめて。そんな目で見ないで。どうして私が、そんな目で見られなくちゃいけないの……?


「ち、ちがう、大国主様はこんな事しない!私、ちゃんと祈ってる!お願いだからもう少し待って!待ってってばァァっ!」


「御神子様に男子おのこの準備を」


冷酷に、元老は告げた。


「や、やめて……私まだ何にもしてない……。わたしまだ、何も生きてない!」


誰も御神子の声を聞かない。男は何かに操られている様に麗子を引きずっていく。慌てて立ち上がってよろめいて尻もちをついても無視だ。


「あたし、家族と一緒にご飯を食べたいだけ!がっこうに行きたいだけ!と、ともだちを作りたいだけ……まだ、な、なんにもしてない……!」


夢にまで見た神棚。私はあそこで祈りを捧げ、神の声を聞き人々にそれを届けて、一生を終える。大変な役目だけど、絶対にやり遂げようと思った。なのに。


蓋を開けてみれば半傀儡と化した人間に、異形と化した母。都の父を頼りとして無垢な妹を守る為毎日泣きながら床につく日々。どうして、こんな事に。


「う、うぅ……ひっ……ひっく……。」


「あははへぇぁぁ〜だいじょじょぶぶですよみみみみみかんこサマァ〜」


麗子を引きずっていた男が、壊れたテープの様な口調でそして妙に甲高い声で叫んだ。


「俺レレ達は〜オサンビサマのモノノノなので〜気持ちいいいぃァァァァし絶対に子はでででてきマェェスよ〜」


そう言って男は麗子の髪を掴んで笑った。目は貝の様に線が入っており、口からは黒い液体と瘴気が零れ落ちている。きっとこれが死体の臭いだと麗子は思った。


これは『半傀儡』なんてものじゃない。私の知らない間に、それは緩やかに。


ぽた、ぽた、と石油の様な物が彼女の白い装束を汚した。何かががしゃんと頭の中で崩れるような音がして。


そして、とうとう彼女は叫ぶ。


「お願い、誰か助けてぇぇぇ!助けてってばァァ!嫌!離して!お願い助けてぇぇッ!」


無慈悲に牢が閉められても、彼女は狂う事しか出来なかった。






「それにしても大きいわねぇ」


『昔は沢山人が居たんだねぇ』


「何でも百億人くらい居たらしいぞ」


「ひゃくおく!?信じられない……」


茂みをかき分けて一行は入口を目指す。百億人を収容出来るほど大きくは無さそうだが、数千人くらいなら難しくないだろう。


『ロジェ。都で『聖定』が始まったらしーよ』


「あー、あの……麗子も言ってたわ。大きい家の皆々様はきっと忙しいでしょうね」


レヴィ家のヤツも忙しそうだわね、とロジェはぼんやり思った。アリスもどうのこうの言われていたりするのだろうか。


「あと珍しく『ラプラスの魔物』が『嘆願』を聞き入れたんだと。村のヤツが言ってた」


「『嘆願』?」


「都でやってる祈りの事だよ。知ってるだろ?」


それを言われてロジェはどうやら思い当たる節があったようだ。直ぐに苦い顔を作る。


『なになに?そんなのがあるの?』


「えぇ。都には大きな祈祷室があって、その真ん中に石英で出来た竜の彫刻があるんだけど、そこで皆祈るのよ」


『祈るの?何かの宗教?』


「宗教的な祈祷では無くて、竜に……。つまり、『ラプラスの魔物』の象徴である竜にお願いする訳ね。これこれこんな願いを叶えて下さいって。それを『嘆願』って言うの」


『ふーん。叶えてもらえるの?』


「『ラプラスの魔物』の力を司る、朧月夜家当主の琴線に触れればね」


『うえ。一生叶わなさそう』


「何でも五十年祈ってるヤツも居るらしいぜ」


「一日で叶う願いもあれば、百年願っても叶わなかったりするんだから、ホント気まぐれよね」


「お前朧月夜家に憧れてるんじゃなかったのか?」


ヨハンの発言は言外に『憧れているのに悪口を言うんだな』と示している。ロジェは少しむくれて返した。


「私は朧月夜に憧れてるだけであって、『ラプラスの魔物』は別に憧れてないわ。力は羨ましいと思うけど……」


「大体あんなのの何が良いんだよ」


「分かってないわねぇ。今の朧月夜家の当主は若くして当主だし、なんと言っても可愛らしいし、それにとっても賢いのよ!憧れるしかないじゃない!」


理由がふんわりしてんなぁ、と嬉しそうに微笑むロジェを横目にヨハンは心の中で呟いた。こういう理由は大体あっさり崩れるし、憎悪に転ぶ事が多い。


「それにしても羨ましい限りだぜ。『マクスウェルの悪魔』になれば朧月夜家と遜色ない生活と地位が保証されてるんだろ」


やっと入口を見つけた。ヨハンは錆び付いた扉を引っ張る。


「前までの『マクスウェルの悪魔』は誰だったのかしらね。多分朧月夜家と密接に関係している家だと思うんだけど……」


一瞬、ロジェの視界が揺らぐ。


「……あれ?」


貧血だろうか。一応ロジェは健康優良児だ。基本的に体調は崩さないし、立ちくらみには縁もゆかりも無い。


「どうした?気分が悪いなら休憩するか?」


「なんか今、視界がぐにゃっと……」


『ニッシャビョウってやつじゃない?人間って貧弱だから寒くても暑くてもダメだよね。』


サディコの口ぶりは雑そのものだったが、心配そうにロジェの顔を覗き込んでいる。


「休憩しよう。一時間歩いたし区切りもいい」


言うが早いかヨハンは近くにあった木陰に座る。少し気を抜いて座ると、お腹の虫がなった。


『ろじぇぇ。お腹すいてたんじゃない?』


「多分そうねー……」


ニヤリと笑うサディコの声音に、気恥しそうに彼女は視線を逸らした。


「お腹すいたぁ。ご飯持ってくるの忘れるなんて、なんて事をしてしまったのかしら。計画性を養わないと……」


「缶詰ならある。百年は経ってない、と思う」


「ついでに聞くんだけど、何年くらい経ってそう?」


「九十年ちょっとくらい」


『消費期限が近いね』


缶切りを貰うと、勢いよく缶詰を開ける。胡椒の匂いがふんわりと香った。奥には桃色の肉が見える。どうやら肉の缶詰らしい。


『酸っぱい匂いはしてないよ。多分食べれると思う』


「あんたはこういうの食べれるの?」


『別にいーよ。ロジェが全部食べちゃいな』


取り分けようとしたロジェを制して、サディコは伏せて目を瞑る。すやすやと寝息が聞こえる。眠った様だ。


「悪魔は基本的に食事を必要としない。飲まず食わずでも魔力を糧として生きていく事が出来る」


「へー。本に書いてあったけどホントに要らないんだ」


肉を口に運びながら、空を眺めているヨハンに視線をやった。


「ヨハンは?食べないの?」


「俺は死なないし良い。何よりお前が死ぬのが俺達にとっては痛手だ」


それ聞いてロジェはじいっとヨハンを見詰めた。見詰められた当人は目を逸らす。


「どうした」


「いや……何でも無いわ」


ヨハンは心の中で、コイツやりにくいな、と思ったが、


「今絶対私の事やりにくいって思ったでしょ」


「思ってない」


「絶対思った。良いもん。言われ慣れてるもん……」


「誰に言われんだよ。友達が居ないクチでも無いだろ」


「……曾祖母様に」


ロジェには作戦があった。ヨハンは初めて彼女に会った時に『似ている』と言った。恐らくその対象は現当主の曾祖母だろう。


曾祖母は『魔力超過』と呼ばれる死んで肉体が滅んでも、魔力が余りにも多大過ぎる為、そのまま残留思念として現世に残ってしまう状態に陥っている。


実際魔力を使い果たしてしまえば思念であるので『死ぬ』事が出来るのだが、通常の魔力の何千倍もある為難しい。


しかし、権力を目指す魔法使いには『魔力超過』は夢の様な力だ。その為、『魔力超過』になる事を目指して次元を超え魔力を得るという手段を取る魔法使いもいる。


つまり、曾祖母の過ごして来た時間と同じ時間を歩めるのはヨハンだけであり、祖母を出せば


「揺すれると思ったわけか」


どこか嘲りを含んだような口調で、ヨハンは見透かしたように呟いた。


「な、何の事だか……」


「なに、お互い様だろ。俺は確かにお前の事を『やりにくいなコイツ』って思ったしな」


ロジェの背中に何か薄ら寒いものが駆け巡った。やはり年の功には勝てないのか。ヨハンにはそういう隙を見せない所がある。深いふかぁい深海みたいな目が、ロジェを凍らせた。


「……マリシアの事が聞きたいのか?」


曾祖母の愛称を出されて、すっかり罠に嵌ってしまった気がする。しかしロジェの好奇心は止まらない。


「あ、貴方は一体、お祖母様とどんな関係なの……何で、私の事も、お祖母様の事も知ってるの……?」


「んー……そうだなぁ」


ヨハンは揶揄いの笑みを浮かべてロジェの顔をそっと持ち上げる。


「『こういう関係』だった、って言ったらどうする?」


「……は?」


ロジェは思考回路がぷつりと切れて、そのまま真後ろに倒れた。その様が面白くてヨハンは声も出さずに腹を抱えて笑う。


『さっきから煩いんだけど。何してるの』


「く……っ……からかったら……ふっ……死んでるっ……!」


『はー?』


寝ぼけ眼でサディコは顔を上げた。もう身体に赤い所がないくらい、赤くして目をぐるぐるしながら倒れているロジェと、笑い続けているヨハンを見比べて。


『変な誤解生まれるよ』


「はーっ……別にいいんじゃないか。いつか答えるからな。今はその時じゃない」


『ロジェは変なとこ素直だから気をつけてよね。自分がヨハンの血縁だとか言い出すよ』


「わた、わたし、よはんの、子なのぉ……?」


『ほら言い出した』


サディコは呆れながら言った。何でこんな嘘丸出しの事信じるんだこの契約者は。不安になってきたな。やめよかなコイツの使い魔。


「おう。そうだぞ。俺の娘だ」


「や、やっぱりそうなんだ……!」


『ちがうよ』


「で、でもそうだってヨハンが!」


『マジ?言うだけで信じちゃう感じなの?』


ほら深呼吸して、サディコは主人に促した。顔の赤みもひいて来たロジェを見て、


「もう休憩も出来ただろ。行くぞ」


ヨハンは勝手にすたすたと進んで行く。ロジェは呆気に取られるしか無かった。


「い、行っちゃった……」


どうやらヨハンの後ろ姿をぼんやりと見詰める主人の思考回路はギリギリ戻っていないらしい。サディコは呟く様にして言った。

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